その10
今夜の但野家の食卓メニューは、かつ丼とお吸い物だ。
出汁をかつお節と昆布でとるという徹底ぶりである。
姉弟でキッチンカウンターにしがみついていたら、徳海に邪魔だと追い払われた。
仕方なくリビングのテレビの前に二人で座って、出来上がりを待つことにした。
そこでようやく、弘美は今日の出来事を康平に話した。
「本当に三角関係じゃんか」
昼ドラ展開が現実になってしまった状況に、康平が呆れた。
そしてそのキャストの一人が弘美で、メインがもさい徳海だ。
ミスキャストにも程がある。弘美がうーんと唸っていると。
「アネキ、やり返してやろうか?」
康平が小声で聞いてきた。誰にというのは尋ねずともわかる。
藤沢に報復してやると言っているのだ。
そして康平には、それができる。
しかし弘美は首を横に振った。
「しなくていい。そのせいで徳海さんに嫌われる方が、私は嫌」
これで藤沢はもう研究棟に来ないだろうし、もう弘美と顔を合わせることもない。
それで十分だ。
それに藤沢はやり方を間違えただけで、徳海の才能を買っていたことだけは、間違いないのだ。
こちらの話がひと段落した時、徳海から声がかかった。
「そこの欠食姉弟、皿を並べろ」
徳海の号令で、二人でいそいそと台所へ向かった。
そして今弘美たちの目の前に、かつ丼とお吸い物、そしてサラダがある。
コンビニのちょっとふやけているお弁当ではない。
とんかつは揚げたてサクサクだ。
サラダもちぎったレタスではなく、千切りキャベツだ。
そしてなんだかおしゃれなドレッシングがかかっている。
どうやら手作りらしい。
何故ならこんなドレッシングは但野家の冷蔵庫にないからだ。
弘美と康平は横並びに座り、待てをされている犬のごとく、正面に座る徳海をじっと見る。
「そら、食え」
「「いただきます!」」
二人同時にかつ丼にかぶりついた。
康平が一口とんかつを口に含むと、感動に震えた。
その気持ちはわかる、これは癒し料理なのだ。
しばし二人で無言でむしゃむしゃしているのを、徳海は生ぬるい視線で見ていた。
そして、食べ終えて満足している康平が叫んだ。
「俺、徳海さんがお婿さんに欲しい!」
ブホッと弘美はお吸い物を吹いた。
前を見ると、徳海も少しむせていた。
徳海も含めた三人でのにぎやかな夕食を終えると、徳海があくびをかみ殺し始める。
その様子を見て弘美はふと気付いた。
「そういえば徳海さん今日、徹夜だったんじゃない?」
寝ている隙に藤沢さんの突撃を受けたという話だったはずだ。
これに康平が驚いた。
「え、徹夜明けで今から帰るの?」
確か徳海は大学の職員寮に住んでいるという話だった。
車で帰ると、ここから一時間弱かかる距離だ。
「危ないじゃんか。ウチに泊まってって、朝帰れば?」
そう言って康平がいいことを思いついた顔をする。
「いや、そういうわけには……」
「絶対、その方がいいって!」
断る徳海を、康平が熱心に泊まるよう誘う。
――さては弟よ、狙いは明日の朝食か。
弘美も援護射撃をする。
「徳海さんすごく眠そうです。送り出す方が不安ですよ」
というわけで、急きょ徳海が我が家にお泊りすることになった。
弘美が食べ終えた茶碗を洗っている間、康平が客間の準備をすることになった。
徳海の着替えは、念のためにいつも余分に車に積んでいるとのこと。
まめな男だ。
そして現在お客様である徳海は、テレビ前でくつろぎ中だ。
と思ったら、キッチンカウンターにもたれて立っていた。
徳美がこちらをじっと見ているが、弘美としては実に茶碗が洗い辛い。
徳海になにか声をかけるべきかと考えていると。
「お前の弟、姉さん思いなんだな。お前をよろしくというようなことを言われたぞ」
徳海はどうやら買い物に行く車の中で、康平と少し打ち解けたらしい。
「弟は、なにか余計なこと言ってなかった?」
「余計ね……」
悪口を吹き込んではおるまいかと思って尋ねると、徳海が黙った。
それは余計なことを言われたということだろうか。
康平がなにを言ったのか弘美が不安になっていると。
「お前は、俺に会って楽しいか?」
徳海はそんなおかしなことを聞いてきた。
徳海の前髪で隠れた表情は伺えないが、口元がへの字になっている。
弘美は目をパチパチさせる。
楽しいかどうかなんて、考えたこともない。
「楽しいから会いにくるんじゃないです。会いたいから、会いにくるんです」
はっきりと言い切る弘美に、徳海が息を飲んだ。
そしてしばらくして、ふっと笑った。
「お前は俺がいなけりゃ、人生困るんだったっけ?」
「え!?」
徳海の口から出た言葉に、弘美は驚く。
――あれ、聞かれてたの!?
売り言葉に買い言葉で出たセリフだったのだが、まさか本人に聞かれていたとは。
弘美はかっと顔に血が上るのがわかる。
「徳海さん、風呂入っていいよ!」
このタイミングで康平が声をかけてきて、徳海はすぐに移動してしまう。
残された弘美が台所で顔を赤くしているのを、康平が不思議そうに見た。
そうして徳海が風呂からあがって客間に引っ込んだ後。
弘美は徳海が明日何時に起きるのかを、確認していなかったことに気付いた。
「徳海さん、明日何時……」
弘美は客間のふすまをがらりと開けたところで固まった。
そしてすぐにふすまを閉める。
――誰!?
なにやら客間に見知らぬイケメンがいた気がする。
もう一度恐る恐るふすまを開けると、そこにいたのはやはりイケメンだった。
半渇きの髪をオールバックにしたイケメンが、手元に持った書面を読んでいる。
「ああ、七時頃でいい。朝飯も作ってやるよ、どうせお前らろくなもん食わないだろうからな」
徳海の声がした。
「え、徳海さん、ですか?」
「なんで疑問形なんだよ。俺の他に見知らぬ成人男性が家にいるのか。その方が問題だ」
この話し方は、やはり徳海だ。
あのもさい前髪の下がこんなのだなんて、なんという詐欺だろうか。
というよりも。
――ただ面食いなだけか、あの女!
いい人だと思おうとしていた、弘美の努力を返してほしい。
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