その6
その日の夜、弘美はベッドに寝転んで考えていた。
綾川からの質問が、意外に弘美に根深く残っている。
――たとえ藤沢さんがどうにかなっても、いつか徳海さんも誰かを好きになって結婚するんだよね。
弘美は徳海の美味しい血が飲めればそれでいい。
でも徳海に他に恋人なり奥さんなりができたら、自分に血を飲ませてくれることなどないのではないか。
弘美はそのことに思い至ってしまったのだ。
――解剖が嫌で、気に入られようと思ったけど。
気に入られるとはすなわち、好きになってもらうことだ。
血を飲ませてもらうために、徳海に好かれようと思っていた。
だがそれがどの程度好きになってもらうのか、弘美は全く考えていなかった。
仲の良い友達、それとも恋人、夫婦?
どこまでの「好き」なら、徳海は血をくれるのだろうか。
――私が徳海さんの特別になれば、なんの心配もいらなくなるのかな。
そう思い至っても、弘美は尚も悩む。
ごろんと寝返りを打てば、部屋に飾られている狼と蝙蝠のぬいぐるみが目に入る。
いつも父と母を忘れるなという、海外に旅立った両親からの贈り物だ。
恋人や結婚と聞いて、弘美に思い浮かぶのは両親の姿だけだ。
正直人間相手にも同じ吸血鬼相手にも、恋愛という感情を思い描いたことはない。
普通の吸血鬼のように血が飲めない弘美にとって、将来とは明確に描けるものではなかったのだ。
血が飲めないまま、干からびてしまうという可能性が高いのだから。
好きになってもらうこと、好きになること。似ているようで、少し違う。
「好きって、どういう気持ちだろう」
声に出しても、弘美の中で答えは出そうになかった。
***
その日藤沢はプレゼントの包みとシャンパンを持って、研究棟の廊下を歩いていた。
今日は特別な日、徳海京谷の誕生日なのだ。
前もってリサーチ済みのこの記念日を、藤沢は誰よりも先に祝いたかった。
なのでいつもよりも少し早い時間に、京谷の元を訪れていた。
あの但野とかいう小娘が来るのは、いつも昼過ぎだという情報を得ている。
その時に自分と京谷の親密さを見せつけてやるのだ。
トレードマークの香水も、今は付けていない。
サプライズで祝いたいので、京谷に気付かれないようにするためだ。
こっそりと京谷の資料室を覗くと、ソファで毛布に包まっている姿が見えた。
また研究室に泊まり込んだようだ。
研究熱心なのはいいことだが、身体を壊さないか心配だ。
やはり自分が京谷の体調管理をするべきなのだ。
藤沢は改めてそう決意する。
来るたびに片付けても散らかしてしまう京谷に、可愛いところがあると微笑んで、テーブル周辺の物をまとめて部屋の隅に置く。
そしてプレゼントの包とシャンパンを、テーブルの上にセッティングする。
グラスだって当然持ってきた。
この部屋にはコーヒーカップしかないのは知っている。
テーブルの上の配置に満足した後、藤沢は毛布の中の京谷に手をかけた。
「……京谷さん」
ぐっすり眠っているのか、京谷は身動きもしない。
「ねえ京谷さん、私とお祝いしましょう?」
藤沢はゆっくりと毛布を剥ぐと、いつもは京谷の表情を隠している前髪をそっとかきあげた一瞬目元を震わせるも、まだ目を覚まさない 寝るために襟元を緩めていたらしく、京谷の首筋が露わになっていた。
外をあまり出歩かないのだろう、京谷の色白いそこに、藤沢は自身の所有印をつけたくなった。
ゆっくりと、首筋に唇を埋めていく……
「……但野、また妙な起こし方をするな」
寝ぼけ半分の様子で、京谷が唸るように藤沢に言って振り払った。
――え!?
なんと言われたのか、藤沢にはすぐには理解できなかった。
そして時間が経つとともに、顔色が青くなっていくのが自分でもわかる。
この状況で、よりによってあの娘の名前を呼ばれた。
――そんな、そんな!!
藤沢はシャンパンを手に取ると、テーブルの上のものを振り払った。
ガシャン!
「……なんだ?」
グラスの割れる音に、ようやく京谷が身動きした。
だがもう遅い。
藤沢は己の中の激情を持て余したまま、ドアの外へと飛び出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます