その6
但野姉弟が幽霊退治に繰り出した夜。
京谷はその日の作業に区切りを付け、帰るために研究棟から駐車場へと移動していた。
すると遠目に、なにががごろりと転がっているのが見えた。
もっと近付くと、それはずっと前に帰ったはずの同僚の姿だということが分かった。
同僚が何故か、道の真ん中で寝ている。
「なにしてんだ?」
最初は酒を飲んで酔っ払ったのかとも思ったが、泥酔するほど酒臭くない。
隣にしゃがんで観察すると、うなされているようなうわ言を発している。
そこそこイケメンな同僚の顔は、現在脂汗と涙でグシャグシャだ。
これでは付き合っている女も逃げるだろう。
――これは、警備に通報案件か?
誰かに襲われたのならばそうだろうが、万が一自分で転んで気絶したというオチならば、大げさにすると恨まれることになる。
――どうするかな。
京谷はしばし考えた末、研究棟へと運ぶことにした。
そして図らずしも、この場所は但野弘美を救助した場所だった。
「……ここは人命救助スポットか」
意識のない人間を運ぶのはこれで二度目だ。
「およ、どうしたんだよ徳海?」
帰ったのに舞い戻って来た京谷に、自身も帰ろうとしていた草野が不思議そうな顔をする。
「そいつ、どうしたの?」
続いて京谷が引きずるようにして移動させている同僚を見て、草野が首を傾げる。
「重いんだよ、コイツ」
同じ救助でも、小柄な但野よりも成人男性の方が重いのは必然だ。
最後には京谷も面倒になり、身体を引きずっていったせいで、同僚の足元が泥だらけになったのはご愛敬だろう。
「なんかあったの?」
「知らん、行き倒れてたんで拾った」
京谷は草野に答えながら、研究棟の入り口横のスペースにある長椅子に、引きずってきた同僚を投げるように寝かせる。
「うーん、別に具合悪そうではないかな。徹夜で寝不足でぶっ倒れたとか?」
研究末期に起こりそうな事態を思い浮かべながら、草野は同僚を軽く揺すってみた。
「……うぅ」
すると、同僚がうめき声を発しながら目を開けた。
「おぅい、どうしたー?」
草野が同僚に声をかける。
「助けてくれ! アイツがデカい犬連れて復讐しに来た! 殺される!」
同僚は絶望的な形相で草野に縋ってきた。
「……はぁ?」
縋られた草野は、意味不明なこともあり引き気味な態度だ。
「殺されるって、お前ひとりで寝てたのに何言ってるんだ」
「きっと俺を殺しに来たんだ!」
京谷の冷静な突っ込みにも、同僚は聞く耳を持たない。
京谷たちは同僚を気味悪く思いつつも話を聞くと、どうやら彼は死んだはずの女にボコボコに殴られる夢をみていたようだ。
「ちょっと好みかと思った女と一晩付き合っただけだ! でも面倒そうな雰囲気だったんでそれっきりだった」
彼にしてみれば、火遊び程度の感覚で一晩過ごした女だったが、事の他純情な相手だった。
翌日から恋人を気取られ、結婚の話までされたので面倒になり、顔を合わせるのを避けて連絡を絶った。
それで終わったと思い、この女のことをすぐに忘れた。
けれど相手の女は、本気でこの男を好きになっていた。
相手からの連絡を着信拒否で無視するようになってしばらくした頃。
他の遊び仲間にその女の愚痴を笑い交じりに零すと、それが相手の女の耳にも入った。
女を知っている友人から、とても怒っていたので身辺に気を付けろと忠告をされていたそうだ。
――よくあると言えば身もふたもないが、下種な話だな。
火遊びに向いている女かどうかを確かめず、見た目が好みというだけで手を出したこの男が悪い。
「それが最近、交通事故で死んだって聞かされて……」
彼としても少しはショックだったが、これで安心だという思いもあったらしい。
それなのに、ついさっきその女と再会したのだという。
「罪悪感が見せた妄想じゃない? それかマジもんの幽霊とか!」
草野が他人事だと思って、楽しそうに冗談を言う。
しかしこれを聞いた同僚は半狂乱気味だ。
「幽霊に狙われるなんて、俺どうすればいい!?」
「……墓参りでもすれば?」
涙ながらに尋ねられた京谷は、そろそろ帰りたいと思い投げやりに言った。
***
康平と夜の散歩を楽しんだ翌日は、梅雨の中休みとなった。
「こんちはー!」
昼下がりの時間に、弘美は元気に研究棟へ行った。
弘美は昨夜の大学を去った後、散歩して腹を空かせた康平のために、コンビニへ弁当を買いに走り。
ついでにゴワゴワの毛皮をどうにかしようと、お肌スベスベ効果のある入浴剤も購入した。
人型の肌を磨けば、狼の毛皮がスベスベになるのは実験済みだ。
道中に目障りな影も見なくなり、ご機嫌で徳海のいる資料室へと向かう。
するとその途中、簡易キッチンのある休憩室から、いい匂いが漂っていることに気付いた。
もしやと思い、弘美は休憩室をひょいと覗く。
「徳海さん発見!」
すると案の定、なにかを調理中の徳海を発見した。
――今日はツイてるよ、私!
幽霊退治したことで、幸運度が上がったのではないだろうか。
そんな勝手なことを考える弘美。
それに幽霊は勝手に昇天しただけで、退治していないことを棚上げである。
「但野、お前すげぇタイミングで来るな」
丁度昼食時に現れた弘美に、徳海は呆れ顔だ。
「今日のお昼はなんですか?」
弘美はいそいそと冷蔵庫からお茶を出し、席に着く。
なんだかんだ言っても徳海は昼食時に会えば、昼食を作ってくれるのだ。
――これは、きっと少しは好かれていると思っていいよね!?
もしくは欠食児童を憐れんでいるかどちらかだろうが、弘美はいい方に解釈する。
そんな図々しい客に、徳海はため息交じりに電子レンジでパックご飯を追加で温め、小鍋で簡単に調理する。
そうして弘美の前に現れたのは、ふっくらツヤツヤの親子丼だった。
「ふおぉぉう!」
親子丼なんて食べるのはいつぶりだろうか。弘美は涎を垂らさんばかりの顔で、徳海を確認する。
「いいから食え」
「いただきます!」
食事提供者からの許可を得ると、弘美は親子丼に箸を入れる。
――美味しい、幸せ!
弘美が幸せの親子丼を噛み締める前で、黙々と親子丼を食べていた徳海だったが、ふと食事の手を止めて顔を上げた。
「そういや、お前も気を付けろよ?」
そんなことを言われた弘美は首を傾げる。
「なにが?」
弘美の質問に、徳海はお茶を一口飲んで答えた。
「昨日の夜このあたりに、デカい野犬が出たらしいんだ。うちの研究員が出くわしたらしいし、他にも目撃証言があった。お前くらいチビなら、噛みつかれたら一発アウトだろうよ」
「へー、野犬かぁ、コワイネー」
非常に覚えのある内容に、弘美は顔が引きつらないようにするのに精一杯だ。
出くわした研究員とは、幽霊に狙われていたあの男のことだろう。
しかしその他にも目撃者がいたとは。
暗いので黒毛の康平は見つからないだろうと思っていたら、目がいい人が学内に残っていたらしい。
幸いなのは、その背中にいた弘美に気付かれなかったことか。
――暗かったからだな……チビだからじゃないやい!
弘美は自分で突っ込みを入れ、ずぅんと落ち込む。
「どうした?」
「なんでもない!」
一人で百面相をしている弘美を、奇妙そうな顔で見る徳海に、弘美は作り笑いを浮かべるのだった。
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