その4
但野が傘を振り回して遊んでいた現場から少し離れた場所を、京谷は連れと並んで歩いていた。
「さっきのが、最近噂のお子様か。徳海は、ああいう妙なのにモテるよな」
隣を歩いている連れの男がそんなことを呟いたのに、京谷は反応を示さずに無関心に返す。
「モテると言うな、珍獣に懐かれてるんだよ」
肩を竦めて話を流す京谷に、男は面白くなさそうな顔をする。
京谷からなにか変わった話を聞きだして、ゴシップよろしく噂をばら撒くつもりだったのだろう。
京谷には、それに乗ってやる趣味も目的もない。
「ま、アレが俺の好みじゃないのだけは確かだな」
男のそんなセリフにも、京谷は視線も寄越さない。
男は誰もが人目を惹く美形だというわけではないが、そこそこ整った顔とスタイルで、その上愛嬌がある。
研究者という職業柄、付き合う女に話が理知的に聞こえることが受けているらしい。
要は、モテ男の類なのだ。
――但野がこんなのに引っかかったら、コロコロ転がされそうだな。
単純そうな但野が転がされる様子が、京谷には容易に想像できる。
そう考えた京谷の脳裏に、体格のいい弟の顔が思い浮かぶ。
むしろあちらが兄に見える少年は、目の前の男が霞んで見えるほどに美形だ。
案外あの弟にがっちり守られ、この男は撃退されるかもしれない。
それにアレに慣れているのならば、この男はそこいらの石ころに見えるに違いない。
そう考えると、不思議と京谷の気分はすっきりとした。
純朴そうなお子様が、悪い大人に引っかかるのは見たくないものだ。
京谷は自分の心理に、そう言い訳をつける。
「あぁ~、もっとポンキュッポンな女がいねぇかなぁ。おい徳海、あの子に友達を紹介させろや」
京谷の内心をよそに、男はそんなことを愚痴る。
「知るか、っていうより、付き合っていた女いただろうが」
どこまでも女を求める男に、京谷は釘を刺すように言う。
しかしこれに、男はひらひらと手を振ってみせた。
「もうとっくに別れた。いつの間にか連絡が途絶えたんで、あっちも飽きたんだろう? だから傷心の俺を癒してくれる女を探してるんだよ」
自分本位な男の言い分に、京谷は呆れる。
「……お前、女癖の悪さを改善しないと、いつか刺されるぞ」
「そんなヘマしねぇよ」
うそぶく男に、京谷はため息を漏らすのだった。
***
ストーカー幽霊に憤慨した日の夜。
弘美は康平と向き合って夕食を食べていた。
但野家の本日の夕食は、カップ焼きそばだ。
弘美はカップ焼きそばをズルズルすすりながら、件の幽霊のことを考えていた。
――あの幽霊、徳海さんの元カノとか?
幽霊の性別が女だとすると、最もあり得る可能性だ。
ビジュアル系の男だったとしたら、友情を越えた愛のもつれ的ななにかだろうか。
とにかく幽霊が、徳海に執着しているのは間違いないのだ。
弘美にとって最も恐れるべきことは、幽霊の影響で徳海の血の質が落ちること。
即ち、唯一飲める血が失われてしまう未来だ。
「そんなの、許せるわけがない!」
弘美は拳を握りしめて、椅子を蹴立てて立ち上がる。
「どしたん、アネキ?」
弘美の前で同じくカップ焼きそばをすすっていた康平が、不思議そうに首を傾げた。
お姉さまの一大事をいまいち察していない康平に、弘美はビシッと指を突きつけた。
「康平、散歩に行くよ!」
「あんだよ、急に」
弘美の勢いについて行けない康平が、目をパチクリさせている。
「いいから、散歩準備!」
そう告げた弘美は、残りの焼きそばを急いで口の中にかきこむ。
そして意味の分かっていない康平に、早く食べろと急き立てた。
こうして急かされるままに、散歩にいくため狼になった康平は、弘美に胡乱気な目を向ける。
「だいたい散歩って、どこに?」
「ウチの大学!」
康平に尋ねられた弘美が、胸を張って散歩コースを言う。
「そして散歩ついでに幽霊退治だ!」
続いて発せられた目的に、康平は目を丸くする。
「なんだよそれ?」
「なんでもいいから、ゴーゴー!」
弘美は康平の背中にひらりと跨った。
手入れが行き届いていないらしく、毛皮がゴワゴワする。
これは帰ったら風呂に入れて洗わせねばならない。
そんなこんなで、弘美は康平を巻き込み、ちょっと遠い夜の散歩へと出かけることにした。
そして今、弘美は康平の背中に乗って、夜の街を駆けている。
「ヒャッハー!」
建物の隙間を縫うように走り、ビルからビルへ屋上を跳んでいく康平は、とても楽しそうだ。
その一方で、弘美はその背中で死にそうになっていた。
「康平、もっと、平坦な、場所を行け」
弘美は康平の背中の毛皮をワシッと掴み、縦に横にとガクガク揺れながら、かろうじてそう懇願する。
「えー? こっちが近道じゃんか」
不満気な康平だったが、このままでは弘美の天国への近道が開けてしまいそうだ。
「背中で吐くからね」
「やめてくださいお願いします」
弘美の言葉に、康平は慌てて止まった。
そんなやり取りをはさみつつ、弘美と康平は夜の大学へとやって来た。
「で、幽霊ってアレ?」
弘美がいつも通る研究棟へと続く道筋にある、適当な茂みに潜んだ状態で、康平が弘美に尋ねる。
二人の目には、夜闇の中で佇む幽霊の白っぽい影が映っている。
「一週間くらいずっとあそこにいるし。そして、徳海さんに色目を使おうとした奴、許せぬ!」
両手を握りしめて小声で力む弘美を、康平が横目に見る。
「アネキの男は、幽霊もひっかけるのか」
康平の冗談も、この時ばかりはツッコめない。
「でも、放置しても無害には思えんな」
康平がクンクンと鼻を利かせて幽霊の気配を探る。
弘美は相手が昼間に見るよりも影が濃く、気配も強くなっているように感じた。
「昼間にストーカーするくらいには、執着が強いらしいしね」
そう言ってしかめっ面をした弘美は、幽霊を睨みつける。
思念体である幽霊は、より強い思念をぶつけてやれば、あっさりとその存在を消滅させる。
それゆえ人狼の咆哮は幽霊に効果てきめんで、康平が一発吠えればノックアウトするというわけだ。
「ほれほれ!」
急かしてくる弘美を、康平が横目に見る。
「幽霊相手なら人狼の声よりも、吸血鬼の眼力の方が強いんだけどな」
「無理!」
康平の呟きに、弘美は即答した。へっぽこ吸血鬼に眼力を期待されても困る。
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