第9話吸血鬼がいる日常

 耳元から不快な電子音が響く。

重い目蓋を開くと、枕元で嫌な音を響かせる目覚まし時計が目に入った。蛍光板は朝六時半を示している。

(八時に出社、準備に十分、移動が二十分…後一時間は…)

 再び重くなる目蓋が閉じかけた時。リビングから聞こえるテレビの音、微かに香る珈琲の匂い。頭が急激に冴えていくのを感じた。

 布団から這い出ると分厚い遮光カーテンを開けた。朝日を全身に浴びながら大きく伸びをする。

「今日も頑張りますか。」

 午前六時半。リビングには四脚の長方形のテーブルがあり、座椅子が二つ並んで置いてある。その一つを専有するのは少女であった。夜の闇が染み付いた長い黒い髪は床の上にまで広がり、一度も陽の光を浴びたことのないような肌はシミ一つない純白だ。

 少女は寝室から出てきた男に気が付いたのか。立ち上がって湯気の出るコーヒーカップを持ってきた。身長は百三十と少し。体重は三十に行くか行かないか。小学生の低学年くらいの体格だ。一糸まとわぬその肢体に艶やかな黒髪が垂れかかる。

「はい、珈琲。入れておいたわ。」

「ありがと。ところでさ。」

「何かしら?」

 男は珈琲の入ったカップを受け取ると。一口で飲み込んだ。熱々の珈琲が口内を、喉を、食道を焼き尽くしながら胃へと突き進んでいき、一気に意識が覚醒する。眠気も一気に消し飛ばすことができた。

 そして、いつもと変わらない少女に向かって、男が言った。

「おかえり。」

  驚いたように目を丸くしたのは一瞬だけ。すぐに歓声を上げて、ナハトが浦戸に跳びついた。喜びを全身で表す少女を抱きとめながら、男は心の底からの安堵で表情を緩ませる。


 こうして、また新しい朝が始まった。吸血鬼とその飼主である二人の日常は、他の人々とは違うかもしれないが、流れる時間に変わりはない。いくつもの夜を越えて、いくつもの朝を迎えて。そして、愛を重ねて二人の生活は続く。

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