第2話
「なぁ、お前、法道(ほうどう)って名前になったんだってな。今までの法也(のりや)って名前はもう使わねぇの?」
「あぁ、大学入学前に戸籍上からも変えたんだ。僧侶としての名前は漢字二文字だからそのままでもいいんだけど、読み方がしっくりこないからってな。知ってるか? 宗教上の理由なら戸籍から改名できるんだってよ。戸籍の名前を変えてもいい理由はまだあるみたいだが忘れちまったな。ま、俺にはそれだけで十分だけどな。」
「田鳴法道(たなり ほうどう)か。まぁ坊さんらしい名前だよな。身なりはあまり変わらねぇかな?」
「それはしゃーねーだろ。こいつ、小学生の頃からずっと坊主頭だったんだしよ」
「飲み屋で坊さんの格好でいる方が不謹慎だと思うがな。それに一応これでも厳しい修行をしてきたんだが」
「修行時代の写真とかねーの?」
「あ、俺も見てみてーな。見せろよ」
「記念写真くらいだな。普段の様子なんて卒業写真集じゃあるまいし。お前らも働いてる最中の写真なんてないだろ?」
「それもそーか」
帰省して半年程してからだろうか、どこから聞いてきたのか法道に高校時代の友人らが連絡してきた。
地元に残って就職した同期数人と一緒にプチ同期会しないか という話だった。
法道は将来のことを考える。
この仕事に就いたら、ずっと年老いるまでここにいて、ここに骨を埋めるんだろうな。そんときにはこいつらに世話になるかもしれんな。そのための挨拶を今のうちからしておくか。
鬼が笑うどころではない、そんな先のことまで考えた。
当時仲が良かった同期の中で五人ほどと合流。約六年ぶりに再会した彼らは食事で大いに盛り上がり、酒の席に移る。さらにそこから河岸を変えての会話。
本山で二年の山内の修行、一般世間でいう研修を終えて帰ってきた。
修行というと、僧侶になるための厳しい精進を思い浮かべるだろう。僧職に就くための修行はそればかりではなく、宗派、本山からの資格、いわゆる允許を授かるための手順の一つにもなる。
それがあれば僧侶を名乗れるわけだが、それで仕事が入るわけではない。一般人でももちろんその資格を手にすることができるが、どのようにしてこの職に就き、仕事を手にするかは様々。だが法道は寺に生まれ、本人が望まなくても周りから跡継ぎとして期待されている。
その資格を手にして自坊に戻れば、小さい頃から法道のことを知っている檀家に囲まれる生活が待っている。自ずと仕事の依頼は入ってくる。寺の規模は小さい方だが、それでも食うには困らない生活基準。
彼からすれば、生まれたときから寺の環境が周りにあった。幼稚園児の頃から、住職である父親から数珠や輪の形をした袈裟を用意してもらい、毎朝の親父のお勤めを後ろから見ていた。
人見知りが激しい幼児期を卒業し、それなりに礼儀も身につける。と言っても誰でもできる、朝昼晩の挨拶や、なにかしてもらったときにお礼を言うくらいのことだが。
幼稚園を卒業する辺りには、彼専用の経本を父親からもらって、一緒に読んだ。
そして小学校高学年になると、父親の指導により、お盆の手伝いをさせられる。お檀家一軒一軒を回り、お仏壇の前でお盆のお勤めをする。最初の年に割り当てられた件数は百二十軒ほど。主に寺の近所や、頻繁に寺参りしながら幼い彼に話しかけ可愛がってくれたり、遊び相手になってくれた檀家が割り当てられた。
この時期にのんびりしたりどこかに遊びに行ったりすることは、それ以降二度とできなくなった。
しかし彼には不満はなかった。それどころか大喜びしていた。小遣いと比べて桁外れのお駄賃をもらえたからだ。好きなゲームを買ったり、漫画をまとめ買いしたりした。それでも余る。すべて使い切るようなことはせず、余ったら貯金もしていた。僧侶になるために入った大学の学費にまわし、我が家の経済の負担を軽くできた。
そんな彼を父親は、先見の明がある と誉めそやした。
だが、喜んでばかりもいられない。
それは子供時代から学生時代の話である。社会のこともまったくしらない世代の人間に、僧侶どころか社会人としての心構えなど欠片もない。
しかし高校時代の進路の面接のとき、進路指導の先生に何も考えずに「寺の後を継ぎます」の一言でその時間は終わった。
寺に生まれた という事実が、知らず知らずのうちに頭ごなしに決めつけられた気持ちになっていた。周りからも、当然そうであると思われていた。進路指導の先生すらも。
夢や目標を立てたところで、結局最後に行きつく先はここだろう というわけだ。レベルが上の大学に行けるなら、そこを狙ってもいいんだけどなと親父からは言われていたが。
当時の自分でも気づかないうちに、ある意味絶望感に似た意識が常に心の中に存在していた。
それでも大学では仏教学部を専攻。卒業の頃になると、ほかの学部の学生は就職活動で目まぐるしく動いている。進路もすでに決まっている彼は、それなりに真面目に、それなりにのほほんとした大学での毎日を送っていた。
人並みに真面目な学生ではあった。遊びやバイトの時間はほとんどなく、決して多くない仕送りを倹約して質素な生活をしながらも、優秀ではないが留年や落第とは無縁の学力を修める。
だが同じ学部の連中とは、あまり仲良くはしなかった。進路は跡継ぎと決まっているから卒業後は帰郷する予定だった。全国から人が集まる大学で、友人ができたとしても、県境を越えてまで会いに行けるような時間も交通費もない。
北国の人間が友人と会って談笑するために、一日で九州まで往復する気が起きるはずもない。
なんせ家族旅行もしたことがなかった。せいぜい県内にある母親の実家に夏休みや冬休みに行くくらい。
後々教わることになるのだが、檀家数は三百ほど、と住職から聞いた。仕送りの額が多くないのも納得がいくというものだ。
そして自坊に戻ってからの生活基準がそうであれば、遠距離の交通費をすぐに捻出できるわけもなし。
自ずと大学時代の友人は次第に少なくなっていった。
本山での修行が成満した日、父親がローカル線、そして新幹線に乗り継いで本山まで迎えに来てくれた。そして本山の近くの有名な料亭で一緒に晩ご飯を食べる。
お前が今後、ゆっくりできることがない毎日を送ることになる。ゆっくりできる最後の日だぞ と告げられる。
跡を継いだら、おそらく滅多に寺を離れられない。いつだれが亡くなるかなんて予想もできないから寺を空けることは絶対にあってはならない。
いつでもお檀家さんの要望に応えられるように、誰かが寺で留守番をする必要がある。
そんなことも言っていた。
翌日の昼、住職と共に自坊に到着。
その際に彼にこう言う。
これからは親子ではなく、師匠と弟子。そのつもりでいるように。
彼も了承。父などの続柄を言わず、住職と呼ぶようになる。
我が家も我が家とか自分の家などとは呼ばなくなる。このときから自坊と表現するようになる。
外出するときは住職に一声かけること。住職がいないときは外出禁止。外出するときはなるべく早く帰ってくること。
檀家が何軒あるかとか、寺のどこに何の資料があるかとか、そんなことよりも先に言われたのがそれだった。
留守番がお前の仕事だ。来客や電話は正しく聞いて、正しく住職に伝えること。
それ以外、こっちから教えることはない。そっちから知りたいことを聞きに来い。
自ら進んでこの道を行くことを決めたのだから、自ら進んで知るべきことを聞きに来い。
法道はその言葉を聞いて、拍子抜けした気持ちになった。
ほかに就ける仕事もないことを理由に自らの進路を決めた法道にとっては、覚えなきゃいけないことや知らなきゃいけないことはたくさんあるだろうから、修行時代ほどではないにしても厳しいことは言われるのではないかと覚悟していたからだ。
人間、楽な方に物事を考えがちになるもので、法道も住職から言われたことを、言われたこと以外しなくてもいいと解釈した。
将来の仕事は、寺以外選択肢はない と思い込んでいた。思い込まされていた と言い訳しても仕方がない面もある。だが住職からすれば、将来の選択肢を広げるため、寺も選択肢の一つにするための最低限の指導しかしていなかった。
もっといろいろと専門的なことを勉強させることもできたようだが子供の彼にとっては、その最低限でさえ専門的な勉強と思っていた。
ゆえに、今までの手取り足取りの指導の仕方は跡形もなく消えた。
子供の頃は誰しも、将来の夢や憧れの仕事はあっただろう。
何も知らない子供はやがて、次第に現実を見る知識や知恵を身につける。
なれるはずのない夢、就けるはずがない仕事を除外する。
やがて自分にできることは何か、その中で自分がやりたいことはどれかを選択する思慮を身につけるまでに成長していく。
子供の頃に描いた夢や幻想は、大人になると目標に変わる。
そして現実を見ていくと、必ずその時がやってくる。
就職。
目標にたどり着けなければ、工夫をする。知識をさらに伸ばしたり、実地で体験したり、あるいは住む場所を変えてまで達成しようとする者もいる。
そうしてまで目標に達する努力をする人たちには、その仕事を選んだ理由は少なからずある。
しかし彼の場合は、跡継ぎの道を自分で選んだわけではなかった。周りが跡継ぎを期待してたから。親が後を継ぐことを望んでいたから。
彼本人に、何か思うところがあって僧侶になったわけではない。
誰からも期待されてない仕事に就いて、周りはそれなりに喜んではくれるだろう。だが後継を望む人たちは、おそらく本心からは喜ばない。だったら、就くだけで喜んでくれる人がいるのなら、喜ぶ顔を見たいじゃないか。
理由の責任を他者に押し付けて、責任を周りに押し付けて、気楽に気ままに就職への道を選んだのだ。
そして
仕事の雰囲気に慣れていたから。
檀家の仏間でお勤めをしたことがあるから。
自分の小さい頃からのことを知っている人がたくさんいたから。
そして、仕事を覚える苦労はおそらくもうない と思っていたから。
法事がないときは、いつも家にいることが必要なら、家の中で好き勝手なことができることに期待してたから。
ただ流されて、楽だからという理由でこの職を選んだ というわけである。
そして半年後の同期の友人とのこのやりとりである。
子供っぽいと思われたような気がした。友人たちから自分を見るに、学生時代から変わっていないじゃないか と。
厳しい修行を成し遂げてもなお、やり遂げた実感も、その成果を今後に活かせそうな手ごたえも感じなかったせいだろうか。
じゃあお前らはどうなんだ? と彼は聞こうとした。辛うじて口の中でその言葉を止めた。
髪型の一部がヘルメットのような形になっているやつがいた。指先の汚れが取りきれないやつがいた。
身だしなみそっちのけで、仕事に集中して取り組んでいる証しだろう。学生時代にはファッションがどうの、アクセサリーがどうの言ってたやつらが、なりふり構わない格好をしている。
厳しい修行をしたと言うのなら、彼らも現場で先輩から厳しい言葉を浴びても途中で辞めず、最後までやり通す毎日を続けていた。そして明日も同じ仕事に出かける。
この出来事以降しばらくは、法道は引け目を感じていた。彼の心にそんな変化が表れても、日常は何も変わらない。住職からは、当然何も言い渡されないまま。
このままではいけないかもしれない。
住職がいきなりいなくなったら、寺だけが頼りとしている檀家から失望されてしまう。
のんびりできる場所がなくなってしまう。それどころか、自分の居場所すらなくなってしまう。
そんな焦りに似た思いで、塔婆に墨で字を書く練習や、葬儀の時に読む引導の文章の勉強も始めてみる。しかし住職からはそれらを一瞥され、「それは俺の役目だ」の一言で止めさせられた。他に自主的にできる仕事は掃除くらい。しかし二時間もあれば全部終わる。
掃除以外も、自分でできることを見つけてはその作業に取り組むが、それでも空いてる時間はある。法話のネタ集めのため、いろんな本を読む。すでにインターネットも普及していて、そこからの情報収集もした。
しかしいつまでも続くはずもなく、退屈な時間やヒマな時間は減り有意義な時間は増えたとはいえ、休憩している間はそれまでとあまり変わらず趣味に興じている。
何かしなければという思いと、別にいいかという相反する思いが同居する。
法道が戻ってきた次の日から住職が法要で彼にさせたことは、彼が法要に出勤するときは住職の付き添い役のみ。一人で年回忌や葬儀はさせなかった。その間、年回忌などの法要は週に半分あるかどうか。葬儀はその年、月平均でなら毎月は依頼がくる。だが全くなかった月もあった。
ただ、法道のことをよく知っている檀家からの月命日や祥月命日に法要の依頼は、住職は彼一人で勤めさせた。檀家が親類を誰一人呼ばない法要であれば、失態を見せてもさほど寺に被害はないだろう ということで任せられた。
何となくこのままではいけないような気がした法道は、経験を積む必要を感じ、住職に願い出ることもあった。
「お前も一緒に出すにはまだお檀家に心苦しい」と、二人で勤行することを住職から拒否される檀家からの依頼もあった。
汗まみれの彼らを思う。背広とネクタイで身を固めた彼らを思う。
あいつらは何か仕事を一つ任せられたりしてるのだろうか? 同年の俺は見劣りしてないだろうか?
でなければ、今までのように肩を並べて何かを語り合うような間柄にはなれない。今まで一緒に騒いだりはしゃいだりしてた友人が、友人でなくなるような焦りを感じた。
周りの変化を見て自ら行動を起こす必要を感じるようになった。しかし法道には未だ、僧侶という仕事に対して、そのような住職の制止を越える熱意も何もなかったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます