第8話 得たもの
「記憶喪失だな」
「まあ、症状見りゃ、だいたい分かるけどさ」
事態を聞いて駆けつけ、さっそく矢島アキを診察した内倉は怪訝顔で言い、それを聞いた関達3人も困惑顔で言った。
「多分、あの過呼吸に何らかの関係があるんだろうけど、普通ならそれ以前の記憶が飛ぶもんだ。しかし今回はどういうわけか、一定期間以外の記憶が消えている。こんな症例は見た事も聞いた事もないぞ」
ますます怪訝顔になる内倉に、診察される側のアキは、それ以上に不安そうにしている。
何せ、突然記憶が消え、気がつくと病院にいて、見ず知らずの人々が周りであれこれ騒いでいるのだ。
この中で一番困惑しているのは、彼女自身に他ならず、
「あ……………あのぉ〜?」
キョロキョロと四方に視線を巡らせながら聞くが、それに答えられる者はいない。
午後になると、彼女を心配したS町の子供達、前にニコさんの取り合いをしていた別のクラスの子供も数人一緒に、早々と学校を終えてやって来た。
電車代もバカにならないだろうに、それでもやって来るあたりは、子供達にとってニコさんが、どれだけ大切な存在であったか窺い知れる。
「明日にも精密検査をするが、まあたいした事は分からないだろうな」
「名医が情けないコト言うなぁ?」
「脳は未だに謎の多い部分だ。仕方あるまい」
関と内倉は、待合室で話し合っていた。
夕方には真弓達も学校を終えてやって来るだろう。
出来れば彼女達が来る前に、治療に関するいい情報が見つかるか、記憶が戻ってくれればいいのだが、それもおそらく無理だろう。
今はもう少し様子を見るより他はない。
しばしの間、S町の廃病院のときのように、ニコさんにもどったアキが、子供達に楽しく勉強を教えていると、
「アキ、調子はどう?」
ドアの陰から気遣うように、学校帰りの真弓は顔だけを覗かせ聞いた。
その後ろには遠藤や、話しを聞いた他のクラスメートも数人来ている。
アキの頭からは、真弓や遠藤達の記憶は消え失せてしまっていることもあり、何となく気が引けて、昔のように気さくに声をかけることが出来ないでいた。
「ええ〜と、荒木さんでしたっけ? はい、特に痛む所はないです」
こっちも、どうにも気まずく返事をする。
今朝の医師達の話しから、どうやら自分は記憶喪失で、彼女は親友だったと聞かされていたが、それでも自分自身がそれを覚えていないので、どうしても他人行儀になってしまう。
その不自然な対応を感じ取ってか、子供達も気兼ねして、声を潜めた。
「入っていいかな?」
「ええ、もちろん」
手招きされ、他の生徒達もゾロゾロと入って来る。
狭い室内が、小学生と高校生でいっぱいになるが、どちらも見知らぬ者同士ということもあって、口数も少なくなった。
まるで葬式のように重苦しい空気に堪え兼ねたか、真っ先に口を開いたのはアキだった。
「もぉ〜、どうしたの、み・ん・なっ!」
手をパンパン叩き、眠気を覚ますように、真弓達に声をかけ、
「いくら私が美人だからって、見惚れてないで。楽しくおしゃべりしようよ!」
言われて、ようやく一同に、わずかな笑みが戻った。
「美人だって、ニコさん、自分で言ってらぁ」
「あははははっ」
「やだぁ〜♡」
何故かセクシーポーズをするアキに、小学生の1人が指差し笑い、真弓や他の生徒達も一緒になって笑い出した。
それをきっかけに、一同は徐々に打ち解けていき、ものの10分後には、それぞれが前々からの知り合いであったかのように、和気あいあいとした雰囲気に室内は包まれていた。
「さすがはニコさんだ。いつの間にかみんな笑顔になってる」
その様子を、廊下から見ていた関まで、ついつい笑みがこぼれてしまっていた。すると、
「アキさぁ、やっぱり一度、家に帰ってみない?」
と、真弓がおずおずと聞いた。
「う、うん。記憶喪失になる前、何でだか知らないけども、私は帰るの拒んでたのよね?」
「罪の意識があって、ずっと嫌がってた」
「だけど、そんな大事な記憶も曖昧で、今はどうしようかと思ってる………………」
アキはうなだれた。
「やっぱり、行かない方が…………………」
さっきまでの笑みをくずし、表情を曇らせ言いかけると、
「えっ、ニコさんの家?」
「どこどこっ?」
子供達には初耳のコトに、全員がベッドの上の彼女に詰め寄って聞いた。
その全員が全員、アキには記憶から消えたハズの、死んだ弟の顔と重なった。理由も分からず、胸の奥で何かが熱くなる。
「ねぇねぇ、退院したらみんなで行ってもいいでしょ?」
「え、あ…………、うん」
興味津々に、目をキラキラとさせた子供達に気圧され、アキは思わずうなずいてしまった。すると彼女自身、自分の中の何かのわだかまりが、消え失せていくような気がした。
「うん、行こうね」
思わず笑顔で答えるアキ。無意識に見せた彼女の笑みは、S町でニコさんが見せたどの笑顔よりも、明るかった。
その翌月、矢島アキは無事に退院したものの、やはり記憶が戻る事はなかった。
実家に帰った彼女は、しばらくの間、通院しながらも学校には行っているらしい。
「いずれ記憶は元に戻るんだろ?」
「前にも言ったが、脳は謎の多い部位だ。今は何とも言えないな」
事件以来、会話の多くなった関と内倉は、病院の屋上で矢島アキのことを語り合っていた。
院内では看護婦長の目が厳しく、落ち着いて一服もできないと、内倉が誘ったのである。
「せっかく元の生活、とまでは言えないまでも、平和に暮らせるようになったんだ。やはりこのまま、記憶は戻らない方がいいな」
「しかし、それはそれで悲しいな。とはいえ、戻ったら戻ったで、また家出するかもしれないしな」
「彼女は十分に懺悔をしたようなもんだ。このまま家に残ってもバチは当らないだろう。何より、死んだ家族もそう願ってるはずだ」
内倉は一拍おいて、
「戻る必要はない」
と、空を見あげて言った。
「消えたのなら、新たに記憶を作ればいいだけの話しだ。人生をリセットするには丁度いい。これから刻まれる記憶が、彼女の今後の人生になるだけだ」
彼の視線を追って空を見上げると、
「そうだな。月に帰ったかぐや姫が、不幸せだったとは限らないものな」
昼間の青空に、白い月がのぼっていた。
アンラッキー・スマイル 京正載 @SW650
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