第2話 かぐや姫とお勉強会
壁の所々が朽ちて、時々外光が入ってくるものの、屋上まで上る途中の階段は暗く、足下が見えない場所もいくつかあった。
ようやく屋上に出ると、快晴の空だったこともあってか、陽光のまぶしさに目がくらみそうになる。
手で日の光を遮りながら屋上を見渡すと、すでにさっきの子供達が集まり、何やらワイワイと、楽しそうな声が聞こえてきた。
そしてその中に彼女はいた。
「あの人が、ニコさん?」
「そうだよ」
確かに、イメージしていたホームレスとは、ずいぶんと違っていた。
薄汚れたコートに、多分ダメージ加工したものではない、あちこち傷んで破れたジーンズと、いかにもソレっぽい雰囲気だが、肩からかけた古ぼけたポシェットが、唯一女性っぽさを感じさせた。伸びてボサボサになっている前髪で目元がよく見えないが、かなりの美人、しかもけっこう若そうに見える。かなりやつれて細身のため、見た感じではどうにも断言しかねたが、おそらくは20歳代だろう、としか分からなかった。
(さて、会えたのはいいが、何て話しかければいいんだぁ?)
最初から取材する気もなかった彼は、聞くべきコメントを考えてなかった。
会ってから考えようと思ってはいたが、いざ相手を前にすると、思うように言葉が浮かんでこない。
これがもし、取材相手が普通の人なら問題もなかったのだろうが、あいにく、今回の取材相手は普通の人ではない。
もしかしたら、頭がアレな人かもしれないし、何より関自身、記者としてはまったくの新人だ。
こういった場合の対処方法を、まだ心得ていない。
仕方ないので、先に来ていた子供と、一緒に来た子供達との勉強会を邪魔をしないよう、少し離れて、しばらく様子を見ることにした。
向こうも、こちらに気づいてか、かるく会釈を返してきた。
(お、大人の対応じゃん。八百屋め、ホントに嘘つきやがったな)
彼女の意外な反応に、少し驚きつつも、関は勉強会の様子を見守った。
「ニコさ〜ん、鎌倉時代っていつ頃?」
「平安時代と室町時代の間。1192年からって習うけども、1185年から150年くらいの間、って説もあるよ」
「じゃあ、戦国時代って? 歴史年表にそんな時代、書いてないよ?」
「戦国時代ってのは通称みたいなもの。たしか1467年の『応仁の乱』開始から、およそ100年間ってのが一般的だけど、これも色々諸説があって、どの時代からかいつ頃まで、ってのは正確には分かっていないのよ」
「伊達政宗って、刀の正宗と関係あるの?」
「まったく別人だよ。字も違うし生きていた時代も違う。刀の方の正宗は鎌倉時代の人なんだけど、実は謎の多い人物で、一時期は、架空の人物なんじゃないか、って説もあったらしいよ。あ、でもここ、テストに出ないから、憶えなくていいと思う……………多分」
小首を傾げ、おどけた笑顔で言う彼女に、子供達も楽しそうにしている。
噂通り、ずっと笑顔で話す彼女の説明は分かりやすく、関も聞き入ってしまった。数学だけじゃなく、歴史にも詳しいようで、他の子供の色んな質問に、即座に答える様子を見れば、少なくとも八百屋が言っていたように、知能に問題があるようには見えない。八百屋は人違いをしているのか、それとも彼女が冗談で海から来たと答えたのかもしれない。
「ニコさんニコさ〜ん」
ハイハイと、別の高学年の子供が手を上げ、次の質問をした。
「前に理科の先生が、新聞でえ〜と…………………何だっけ、ニュー何とかが光より早いとかで……………」
「ニュートリノね。中性微子」
「そうそう、そのニュー何とか。それが光よりも早いから、タイムマシンが作れるかもしれないって言ってたけど、本当?」
「う〜ん…………、絶対とは言えないけど、私はあのニュースは間違いだと思う。だから今のところ、あれではタイムマシンを作るのは、やっぱり無理だと思なぁ」
『ええ〜っ?』
(ええ〜っ?)関も心の中で落胆の声を上げていた。
(ってかニコさん、科学にも詳しそうだな。それはそうとタイムマシン実現ってやっぱ無理なの? せっかく夢がある話しだと思ってたのに。でも何で???)
「1987年に発見されたマゼラン星雲での超新星爆発で、光学観測とニュートリノ観測が同時期だったのよ。もしも発表された通り光より早いのなら、ここで数年ものタイムラグがあるハズなのに、実際はなかった。他にも多くの科学者が、この発表の矛盾点を色々と指摘してるし、やっぱり光より早いってのは間違いなんじゃないかなぁ」
『??????????????』
彼女の説明の意味が、イマイチよく分からず、子供達は呆気にとられた顔をしていた。もちろん関も同様である。
(何だかよく分かんないけど、やっぱニコさん、頭いいじゃん…………)
その後、日が暮れてきたこともあり、子供達は名残惜しそうに帰って行った。ようやくニコさんと二人きりになった関は、自己紹介と雑誌の取材の趣旨を言い、
「あなたが『ニコさん』ですね?」
「そう呼ばれます」
「よければ本名を、教えてもらえませんか?」
「それはちょっと………………」
「ダメですか?」
「はい」
彼女は申し分けなさそうながらも、困ったように苦笑いでそう答えた。
そこで関は、代わりにカメラを取り出し、
「では、写真を一枚…………………」
「あ、あの…………それもちょっと………」
「そうですか……………………」
「すみません」
何か事情があるのだろう、本当に困っているようだった。仕方ないので今回は、話しだけを聞くことにした。
(どうせ捨て企画だし、まあいいか?)
軽い気持ちで関は、ニコさんに幾つか質問をして、
「じゃあ近々また、取材に来るかもしれませんが、そのときもよろしくおねがいします」
「たいした事、話せませんですみません」
彼女の腰の低さ、礼儀正しさに関心しつつ、思い出したように関は、
「ところであなたは、どこからこの町に来られたんですか?」
と、最後の質問をした。八百屋には「海中から来た」と、冗談めいたことを言ったが、本当はどこの出身なのかが妙に気になったのである。
すると彼女は、しばし空を見上げてから、空の一点を指差した。
彼女の指し示した先には、夕闇に染まりかけた茜色の空に、明るく輝く月があった。
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