アンラッキー・スマイル

京正載

第1話 ニコさん

「二コさん……………、ですか?」

地方新聞紙の新人記者、関了一は頓狂な声をあげた。

彼が担当する紙面において、町の声や話題の人を紹介するという、小さなコーナーを任され、期待と不安を胸に抱いていたところ、編集長の太田から授けられた指示

は、何とも掴みどころのないモノであった。

「何者なんですか?」

「分からん」

「わ、分からんって……………?」

「それを調べ、記事にするのが、関ちゃんの仕事だろ」

「いや、まあそうなんですけど????」

「私もよくは分からんのだ。ただ、S町界隈で見かけられる、謎のホームレスでな。何故かいつも笑顔でいることから、そう呼ばれるようになったらしいと、誰かのツィッターに書いてあったとか書いてなかったとか」

「情報源、胡散臭っ! って言うか、もっとまともな取材とかいないんすか?」

「そんなのポンポンあったら苦労するかよ! 地方誌なめんなよ」

「いやまあ、そうでしょうけど。分かりましたよ、行ってきますよ」

「いいか? 新人が担当する新コーナーだからって、いい加減な取材したら承知しないぞ」

「新人が担当する新コーナーだから、もしもの事があっても、すぐにページから削除できる、ってコトなんでしょ?」

「そうとも言えるな」

「はっきり言って、捨て企画でしょ?」

「よ、よく分かったな」

わざとらしく驚いて見せる太田に、関は取材の気力を萎えさせた。


 午後から早速S町に向かった関だったが、何とも情報が少なく、地道に聞き込み調査をするしか他に手だてはなかった。

実際問題、その『二コさん』なる人物が本当にいるのかさえも分からないのだ。いたとしても、ただの笑い上戸のホームレスでした、で終わるに決まっている。

そもそも、笑顔の人の取材をしたところで読者がいったい何の感心をもつというのだ?

出かける前に、「無駄足に終わるに二千円」などと、同僚と賭けをしたほど、彼も最初から本気で調査する気力もなかったが、

「二コさんかい? ああ、時々近所の公園で見かけるよ。前に見たのは一昨日かな?」

聞き込んでものの数人目にして、早速それらしい情報が入ってきた。どうやら、『二コさん』とかいう人物は実在するらしい。

聞いた商店街の八百屋は、苦笑いを浮かべ、

「ほら、商店街の向こうに大きな自然公園があるだろ。そこの小高い丘の上で、ずっと西の山の方を見つめてたよ」

「それで、その二コさんって、どんな人物なんです?」

あまり気乗りしないものの、関は質問を続けた。つまらない記事になるに決まっているが、一応は記者らしいこともしてみたい。しかし、

「ああ、ありゃ頭がおかしいのさ」

八百屋の主人はそう言って、頭の上で指をクルクル回した。

「と、言うと?」

「前にどこから来たのか聞いたことがあるんだけど、何て言ったと思う? 真顔で、海から来たって言うんだぜ」

「海…………ですか? それは海がある県から来た、ってことでしょ?」

「違う違う。オレも最初はそうかと思ったけど、よくよく詳しく聞いてみると、海の中から来たって言うんだよ。半魚人かっ、ての」

八百屋の主人は、苦笑いを浮かべていた。


 遅めの昼食を終えてから、八百屋が言っていた公園に向かった。

町中にあるにも関わらず、けっこう大きな自然公園で、園内には草野球のグラウンドとテニスコートが数面と、所々に遊具があり、サイクリング用とジョギング用、別々の舗装された園内周回コースがある。

そして公園の真ん中に、見晴らしのいい小高い丘があった。

「あそこか…………、八百屋さんが二コさんを見た、って丘は?」

常日ごろの運動不足からか、取材が面倒だからか、関は少し残念そうにため息をつき、その丘に登ってみた。人工の丘で、麓から頂まで、螺旋状に登っていく散歩コースは、全長1㎞少々ありそうだ。

これでも一応は、仕事で来ているのである。取材の真似事でもしておかないことには、帰るわけにもいかなかった。

「ゼェハァ」と息を切らせながら、ようやく丘を登りきると、思ったよりも山頂は高く、意外と遠くまで見渡すことができた。

数10㎞は彼方にある、隣県との県境の山まで一望できるほどだ。

「今度、誰か誘って遊びに来ようかな? それはそうと………………」

心にもなく、そんなことを言いながら、

「確か二コさんは西の方角を見てた、とか言っていたな?」

八百屋の言葉を思いだして、そちらを見てみるが、やはり県境の山と麓の町の一部しか見えない。しかもその方角には、山を越えたその向こうにも、海沿いの県はかなり彼方までないハズだ。

「やはり海から来たって言うのは、頭がおかしいからなのかな?」

見ず知らずの相手を、しかもこれから取材をしようとしている相手を、狂人扱いするのも気が引けた。自らの発言を反省しつつ、そのまま丘を下りて、遊具施設のある広場脇の自販機前で、しばしのコーヒータイム。

さて、この後どこをどう取材しようか思案していると、

「あれ、やっぱ今日は二コさん、いないや」

「ええ〜っ! せっかく宿題見てもらおうと思ったのにぃ〜!」

と、近所の小学生が数人やって来るや、何やら残念がっていた。

「君達、ちょっといいかな?」


 その子供達から聞いた情報だと、どうやらニコさんは、一部の子供の間で人気者のようだった。いつも笑顔ということも手伝って、誰からも親しみやすい雰囲気あり、特に子供には親切で、ホームレスであるにも関わらず、よくお菓子などを配っているらしい。

「ダメだろ〜、お金ない人からお菓子もらったりしたら?」

関は半ば呆れるように言うが、小学生達は仕方なさそうな顔で、

「いらないって言ってもくれるんだよ。それにそのとき、ニコさんすっごく嬉しそうなんだもん」

「子供好きってことかな?」

「たぶんね」

「ふ〜ん。ところで、さっき宿題見てもらうとか言ってたけど、勉強とか教えてもらってるのかい?」

「うん。ニコさん、すっごく頭いいんだよ」

「へぇ〜……………」

何だか話しが違うではないか?

八百屋の話しだと、そのニコさんとやらは、頭がアレな人だということだから、他人に勉学を教えるなんて、できないはずだが?

「この前なんかね、すごい計算式教えてくれたんだよ」

と、小学校高学年と思われる一人の少年が、嬉々として語りだした。

「へぇ〜、どんな計算式かな?」

「三角形の面積の求め方」

「え? そのくらい2〜3年のときに習うんじゃないの? 底辺×高さ÷2だろ」

「それとは別の方法だよ。三角形の辺の長さしか分からない状態で面積を出すんだ」

「ええっ?」

ワケが分からず、関は思わず声をあげた。

学生時代に、そんな計算方法は聞いた事がない。聞いたかもしれないが、記憶には残ってなかった。

少年は鞄から算数のノートを取り出して、前にニコさんが書いたという計算式を自慢顔で見せた。

それによると、三角の各辺の長さを足した合計の半分をSとして、そのSとSから各辺の長さを引いたそれぞれの数値を掛け合わせる。そして、その合計の平方根が面積になるというもので、『ヘロンの公式』という、かなり特殊な計算方法だった。

試しに関は、その計算式に従って適当な三角形を描いてやってみると、本当に計算できたことに、別の意味で驚いた。

(八百屋め、嘘をついたんじゃないだろうな?)

「こりゃ驚いた。マジですごいじゃないか」

「でしょ」

関の驚きように、少年達はまるで自分のことのように、自慢げに喜んだ。

するとそこへ、別の少年が数人やって来て、

「おお〜い。ニコさん、病院跡のところにいるらしいぞ」

と声をかけてきた。

関の記憶では、確か数年前に焼失した廃病院が、町の外れにあったハズである。

一応、立入り禁止にはなっているようであるが、それを聞いて少年達は、

「ホント? 行こう行こう!」

まるで友達の家にでも行くかのように、彼らその廃病院の方に駆け出していった。

慌てることもないだろうが、走る少年達の後を追い、病院跡に行くと、一足先に来ていた他の子供達(こっちは女子も数名いた)が、焼け落ちて中身のよく見える、コンクリートむき出しの廃墟となった病院の階段を、登って行くのが見えた。それを見上げて、

「あっ、3組のヤツらに先をこされた!」

と、一緒に来た少年は、悔しそうに言った。

「人気者なんだな、ニコさんって?」

「そりゃそうさ。頭いいし、優しいし、それに美人だし」

「………………え?」

ずっとニコさんのことを、中年の男とばかり思っていた。

そもそも、女性のホームレスなど見た事がないので、そうイメージしても仕方がないかもしれないが。

ともかく、関は子供達と共に、廃病院の中に入って行くことにした。

本当なら子供達を止めなかればならないのだろうが、立ち入り禁止の看板を、見て見ぬフリで柵をくぐり、一応、他の大人や保護者達に見られないよう、あたりを見渡してから、崩れかけのビルの中に入って行く。

中は意外としっかりした造りで、そう簡単には壊れることもないだろうと思われた。元はかなり大きな病院だったようで、入口のフロアは1階から3階まで吹き抜けとなっており、両サイドに2階に上がる広めの階段がある。そこから別の西階段でさらに上に上がる造りになっていたが、

「西の階段はダメだよ。途中で崩れ落ちてて、上に行けないんだ」

と、子供達の案内されて、2階から病院の裏側にある階段に遠回りをしてから、さらに上の階に向かった。

「けっこう大きな病院だったんだなぁ」

「うん、この町で一番大きな建物だったからね。確か8階建てだったんじゃないかな?」

「高さだけなら、さっきの公園の丘よりも高いんじゃないか? それで、 ニコさんはどの階にいるんだい?」

「いつも屋上にいるよ」

(ゲッ、マジかよ。しかしこの程度で息切れとは、オレってもう歳なのかなぁ?)

関は心の中で悲鳴をあげた。

「この間は、駅前のマンションの最上階にある踊り場にいたし、ニコさん、高い所が好きみたいなんだ」

と、笑いながら言う子供達。

(高い所が好きって、何とかと煙は…………とか言うし、やっぱ頭のアレな人なのかな?)

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