第1話 不吉な影は幸福の絶頂と共に
トロイア帝国の侵攻前夜。
王都アマリスでは盛大な披露宴が執り行われた。
勿論、新郎はアスラン。そして、新婦はフィオナである。
ゲーテ家は王室ともつながりの深い古い貴族の家系で、その当主には伯爵の地位が与えられている。
その世継ぎであるアスランの結婚式ともなれば、その賓客も尋常ではない。
国王の弟であるアラン公爵。
現宰相夫人であるミネバ伯爵夫人。
その他にも覚えのある官僚や学者が数多くみられる。
「いやはや、めでたい。これでゲーテ家も安泰ですな」
アスランの父であるゲオルグに語りかけたのは、彼の古くからの友人であるヨハン・エルバッハ伯爵であった。
彼は、かつて軍の重鎮であったが、今は息子に地位を譲り余生を過ごしている。
「よもや、これほどまでに喜ばしい日がこようとは……。このゲオルグ、感無量である」
ゲオルグは穏やかだが、心から満たされた微笑を浮かべて答える。
「最近はあまりいい話を聞きませんからな…。今日のような日が我々に希望を与えてくれる」
ヨハンは手元のワインを神妙な顔つきで口に含む。
「ふむ…」
ゲオルグは軽く物思いに耽る。
ヨハンが語っているのは、どれか一つを取って言えるようなことではない。
政治や経済など、様々な要因が重なっている。
正直、アストリアの治世は芳しくない。
王都は比較的穏やかだが、地方では失業者があふれ、疫病も流行っていると聞く。
元々、王権に敵対的だった地方ではいくつか王家へのレジスタンス活動が起こっている。
アストリア数千年の歴史の中でこれほど民心が離れたのは初めてである。
そのうえ、おかしな宗教が台頭し、戦争の噂まで広がっている。
実際の処、周辺国は着々と軍備や兵員を増強し、世界規模での大戦に備えている。
その背景には、ここ最近力を伸ばしてきたトロイア帝国が周辺国を圧迫していることにある。
かの帝国は国際条約を完全に無視し、捕虜を奴隷として扱うと聞く。
ここ数年で、いくつかの小国が滅ぼされたが、その統治は残酷を究める。
「これは、失礼を。このような祝いの席で無粋でしたな」
ヨハンは、手元のワインを一気にあおり、話題を変える。
「時に、アスランは学院卒業後軍に志願するとか」
「ああ、本人は東部第一辺境連隊を希望したそうだが、当然ゲーテ家の長男ともなればそのような部隊は相応しくない。国王陛下の希望もあって、第一王女殿下の近衛隊副隊長に任命されることになった」
「当然だな。フィオナを悲しませてはいかん」
東部第一辺境連隊はアストリアの軍の中で唯一激戦地を任せられる前線部隊である。
前線の実行部隊であるだけに、実力は当然トップクラスだ。
しかし、その大半は犯罪者と大差ないような戦闘狂いだ。
とても貴族の御曹司が志願する部署ではない。
その時、二人の老人の会話を遮る大きな拍手が会場に巻き起こる。いよいよ新郎・新婦の登場である。
タキシードに身を包んだアスランと、花嫁衣裳のフィオナ。
将来を嘱望された青年と、才色兼備な淑女。
誰の目から見ても祝福された二人であった。
二人の周りに、学友や知り合いが一斉にあつまる。
「おめでとう、アスラン」
彼は、フリッツ・ヨハネ。
学院のよき友であり、ライバルである男だ。
金髪碧眼の好青年で、彼の表情はまるで春の穏やかな風を纏っているようだと、学院の女生徒からはすこぶる人気だ。
「学院の成績だけでなく、女性関係でまで先を越されてしまうとは…。僕はいつになったら君に勝てるのだろうか」
フリッツは冗談めかして語る。
「何を言っている、フリッツ。俺はいつも君に負けたくない一心で努力している。どちらが上かは大した問題ではないだろ?」
そう言って、お互い握手を交わす。
「あら、アスランのお友達?なんだか、妬けてしまうわ」
フィオナは少し拗ねたように頬を膨らませる。
「これは、失礼。若奥様を差し置いて…。私、フリッツ・ヨハネと申します。学院ではいつもアスランと主席を争う仲でして」
「それでは、私とはアスランの最愛を争う仲かしら」
フィオナは少し意地が悪そうに笑った。しかし、決して悪意を感じさせない。
「これは、これは」
フリッツはおかしそうに笑う。
「アスランが入れ込む理由がわかるよ。その美貌、気品のある立ち居振る舞い、ウィットの利いた会話。そして、なにより身持ちの固さ。これほど、素晴らしい女性はめったにいない。アスラン、君は果報者だよ」
「まあ、お上手ですね。私など持ち上げてもいいことなど一つもございませんよ?
それに、あまり女性をほめてばかりいるといつか恐ろしい目にあいましてよ」
三人は楽しそうに笑った。
「フィオナ、アスラン」
小太りな中年の男性。
彼こそはフィオナの父親、アルバ・ルーベル伯爵である。
「これは、父上。お待ちしておりました」
アスランは恭しく一礼する。
「まさか、君に父と呼んでもらえる日が来るとはね。フィオナの相手が本当に君でよかった。この日を何度も夢見たが、正夢にしてくれて本当にありがとう」
アルバは瞳を潤ませながら、アスランの手を何度も握る。
「いえ。ご息女との仲を快く認めてくださり本当にありがとうございます。私、アスラン・ゲーテは命に代えてもご息女を守り抜いて見せます」
「うん。信頼している。君ならこの約束を絶対に違えることはない」
「お父様。今日まで本当にありがとうございました。今日という日があるのはすべてお父様のおかげです。我儘な娘をよくぞ今日まで見守ってくださいました」
「なにを言う。お前は私には勿体ないくらいできた娘であったぞ」
この日、宴は深夜にまで及んだ。皆、楽しく飲み明かし、思い出話や、将来の話で盛り上がった。
そして……。
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