アスラン・ゲーテ

御影 蒼

序章

「遅い……」

青年は不機嫌そうにつぶやく。

年の程は20代前半。

決して高価なものではないが、上品な上着を着こなし、腰には魔導士が儀礼に使うサーベルを体の一部のように身に着けている。

端麗な容姿に肩まである長い髪。

道行く若い女性たちがちらちらと振り返る。

外見的には貴族の学生。若い魔導士の見習いである。

事実その青年、アスラン・ゲーテは国立の魔術学院に通う秀才である。

そのあらゆるものに恵まれたようなアスランが不満を漏らす理由がようやくお出ましである。

「はぁ、はぁ。ごめん、遅くなって……」

息を切らす女性、フィオナ・ルーベルはいつものように自身のなさそうな瞳でアスランを見上げる。

背中まである長い髪を一本に括り、純白のブラウスと膝まで丈のあるスカートを着こなし、ニーソックスで極力露出を抑えるような恰好をしている。

息を整え、控え目に微笑む姿は彼女の内面の清楚な様をそのまま表現しているようだ。

フィオナは去年から行儀見習いとして宮廷に奉公に上がるようになった。

今では、基本的な宮廷での仕草や礼儀作法を身に着け、淑女に磨きがかかっている。

社交の席で一目ぼれして求婚してくる男も多いようだ。

しかし、フィオナは一向に男性を近づけようとはしなかった。

その理由は……

「久しぶりのデートだと思うと準備に時間がかかっちゃって」

フィオナは舌をちょこっと出して可愛らしく謝る。

そう、俺とフィオナは幼馴染で将来を約束した婚約者だ。

「まあ、いつものことさ」

そのような彼女の姿をみると今までのイライラが嘘のようになくなってしまった。

毎度のことながら、上手く丸め込まれているものだ。

だが、それすら心地いいと感じられる。

俺とフィオナは恋人らしく腕を組んで歩き始める。

 俺たちの住む大陸には大きく7つの国がある。その中でも俺たちの祖国アストリア王国は比較的裕福な国で、徳のある王室によって長い間統治されてきた恵まれた国だ。世界には戦争や差別といった不幸な問題が山ほどあるが、アストリアは中立をたもち平和を享受してきた。その王都アマリスは様々な店や施設ににぎわっている。

俺とフィオナは行きつけのカフェに入ると、適当な席を選んで腰を掛ける。

「行儀見習いの方は上手くいっているのか?」

「うん、大変だけど色々なことを覚えられて楽しいよ」

そう語るフィオナの表情には若干の陰りが見えた。

彼女は暗い気持ちを振り払うように話題を変える。

「それより、聞いたよ。今年もまた主席に選ばれたそうね?」

フィオナはまるで自分の事であるかのように嬉しそうにしてくれる。

「まあな……」

「嬉しくないの?」

俺の微妙なトーンにフィオナは何となく感づいたらしい。

「いや?勿論光栄なことだと思うよ」

「じゃあ、どうして不満そうなの?」

「最近、どうも学院の中がおかしい。いや、学院だけじゃなくて世の中全体だな。主に、幹部連中がだが」

「ああ……」

フィオナも心当たりがあるようだ。おそらく、宮廷内部は学院の比ではないのだろう。ひょっとしたら何かを知っているのかもしれない。

「きっと、不景気なんだよ」

フィオナはうんきっとそうに違いないと言わんばかりに結論づけようとした。

まるで自分に言い聞かせているように。

フィオナには良くも悪くもこういうところがある。

妙に感がいいのだが、不安から逃げるように無理やりポジティブに持っていく。

時には、彼女のこういうところに救われることもあるのだが、度が過ぎれば現実逃避にもなりかねない。

だが、男の俺があまり彼女を不安がらせるのもどうかと思い、この話題はここで打ち切った。

「話は変わるが、もうすぐだな」

「そうだね……」

フィオナは頬を軽く染める。

彼女の指には俺とおそろいの指輪がはめられている。

俺の家とフィオナの家はいわばそれなりに古い貴族の家だ。

許嫁の話もあったようだが、酒の席で交した冗談のようなものだった。

俺たちは幼馴染で自然に引かれあって恋人同士になった。

そして、ついに俺は意を決して彼女にプロポーズしたのだ。

そして彼女は恥ずかしそうに、はにかむように「はい」と受け入れてくれた。

両親も反対するはずがなく、着々と結納の準備は進んでいる。

卒業と同時に式を挙げ、俺のゲーテ家へと席を入れることになっている。

「幸せな家庭が築けるといいな」

近しく訪れるであろう幸せな未来を夢見ているようであった。

俺との未来が素晴らしく、幸福なものであると信じて疑わない彼女の信頼がとても嬉しく、誇らしかった。

「フィオナ、お前のことは俺が必ず守る、幸せにする。だから、俺の信じてくれ」

俺はフィオナの手を取り、まっすぐに彼女を見つめて言った。

フィオナは一瞬きょとんとしたが、すぐに微笑んで。

「うん。信じてる」



 この出来事から数日後、俺たちの祖国アストリア王国は何の前触れもなく、隣国トロイア帝国の侵攻を受ける。

長い間、平和だったアストリアは突然の奇襲になす術もなく、王都と領土の半分以上を帝国に奪われてしまった。その際、多くの者が帝国にとらえられ捕虜や奴隷とされてしまった。フィオナ・ルーベルもその一人である。

 王国軍の残党は王国東部の都市、ルイスベルンに拠点の構え、数年間抵抗を続ける。もはや、これまでかと思ったその時、1人の男の英雄的活躍によって王国滅亡の危機を免れた。

その英雄の名は、アスラン・ゲーテ。王国軍近衛連帯副隊長。

 彼を見たものは口を揃えたように語る。無慈悲な瞳の奥に深い悲しみを抱えたような青年であったと。

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