#8

「夜中なのにすまないね。」

「いえ、むしろ、わくわくします。」

 兵舎からローラとレギオンは直接車で現場に向かっている。

「着いたら、ダグラス元帥がお出迎えしてくださるわ。」

「げげげ、元帥!?」レギオンは驚いた。「な、なぜ、そのようなお方が・・・。」

「あら言うまでもないじゃない。」ローラはフフと笑って青い指輪を掲げた。レギオンは赤い指輪を見つめて考える。


「君かね、最年少の期待の星とは。」出迎えたダグラス元帥が居丈高な口調でレギオンの肩を軽く押さえる。「あ、いえ、その、僕は、訓練のため、でして。」

「そう硬くなるな。」ダグラス元帥は黒く丸いサングラスをかけなおす。「しっかりがんばりたまえよ。」

「はい・・・!」

 ローラはやれやれと少し微笑む。

「ダグラス元帥は、」レギオンは言った。「新聞でしか見てなくて全くわかんないんですが、普段何をなさっているんですか?」

「そうねえ。統括としての役割はほとんど量子の神様ができちゃってるし、あくまで人間様の立場として、取り仕切る役目。そして最強の化身トゥルパ使いでもある。」

化身トゥルパはどんな姿をしているんですか?」

「猛々しい、」ローラはすこし間を置いた。「鳥よ。」

 曇天。


 空。


 薄暗い雲の層。


 コバルトブルーの光が雲から漏れている。


「あの雲の中に、マリィズがいるんですね。」


 レギオンは空を指差している。


「ええそうよ。」


 ローラが指輪を見つめながら言う。


「マリィズ。倒さなきゃいけない、神の光の影となって現れし闇の存在。」レギオンは手を握る。赤い宝石の嵌まった指輪がついている。「ぼくはようやく、人の役に立てるのか。」


「役に立つ、どころじゃないよ。」ローラは優しく語りかける。「神さまが言ってたじゃない、君は、楽しめばかならずうまくいく、て。役に立つんじゃなくて、楽しむ。」

 レギオンはにこりと笑う。「ありがとう、ローラ教官。それじゃあ、行ってくる。」

「頑張って。」

「うん。」

 レギオンの赤い指輪が光り、体が黒いガスに包まれる。ローラはポケットからメモ帳を取り出し、前に歩き出すレギオンを静かに観察しながら最初の一文を書く。


『第一回レギオン特殊訓練 - 担当教官 ローラ・シュニッツベル軍曹 - 訓練許可 ケーリー・プラヴィウム曹長兼ザルツ D3 地区兵舎長』


 そのコバルトブルーのマリィズはパピヨンの形をしていた。これだけ大きいのだから、この夜中、人々の夢にささやきかけているに違いない。黒いモヤとなって飛ぶレギオンにもその声は聞こえる。

『貴様は殺人鬼だ』『その証拠に躊躇なく友人を襲った』『あなたみたいな人、怖い。』『憎しみは己の身を焼き尽くす。』

 やかましい。確かにこの黒いモヤは、自分の中で過剰な攻撃衝動を高めるが、しかし、今や憎しみすら心地よい。自分はこの憎しみと共に空に舞い上がっている。レギオンはニイ、と笑みを浮かべ、パピヨンに向かって飛んでいく。


 双眼鏡でレギオンの様子を眺めていたローラは固まる。あれはあのレギオンなのだろうか。黒き気を纏い殺戮の快楽で微笑む・・・まさにそれはマリィズのように危険な存在ではないのか。あれが彼の言う『コツを掴んだ』ということなのだろうか。


 赤いコアがコバルトブルーのパピヨンをしっかりと捉えた時、パピヨンもレギオンを捉えた。一瞬にして体が伸び、レギオンをコバルトブルーの光で包んだ。青の光は死の光。喪失の恐怖、暗黒の恐怖、奈落というものの本質がレギオンの視界に覆い被さる。そこは孤独そのもの。レギオン自身がそれまで慣れ親しみながら、ローラの手によってやっと逃れられた地獄、それが孤独。

 怖じ気ついた、と同時にレギオンは自分の黒いモヤがまったくなくなって意識がスッキリしてしまったことに気づいた。にもかかわらずパピヨンは自分を地に落としてくれない。やめてくれ、離してくれ。この暗黒が恐ろしいのだ。と言おうとしてもその悲鳴すら聞こえないぐらいここは息が詰まっている。

 その時地上から、黒い鷹の化身トゥルパが近づいてくるのが見えた。鷹には見覚えがある。自分を押さえつけた、フレディの化身トゥルパが鷹の形をしていた。思い出せ。憎しみを。このパピヨンは自分に嫌なことを突きつける。まるでフレディのように。そして引き離そうとする。フレディのように。こいつは許しておけない、殺さなくてはいけない、そう思った時にレギオンは歯を食いしばり、全身に黒いもやを出し、彼の体を覆ったパピヨンの一部を粉々にする。

「許さないぞ、フレデリック・マルジャーマン!」そう叫んでレギオンは右手を振ると、それは思いがけなく長いサーベルとなり、パピヨンの全身を見事に切り裂き・・・そしてただのかすみとなった。

 あっけなく消えてしまった事に物足りなさを感じたレギオンだが、「もう戻りなさい!」と言う声に気づいて、ゆっくりとローラの方へと向かって言った。

「上出来ではないか。レギオン・プライツ。ただ、ちょっと危なかったな。」

「い、いえ・・・ありがとうございます・・・。」

「帰ったら量子の神様にちゃんとお礼を言いなさい。」

「はい・・・。」

 たじたじと頭をさげるレギオン。ローラはレギオンを静かに見た。




「曹長。」

 ローラはいつになく真剣な口調で言う。「少し今のレギオンの教育プランには懸念があります。」

「何かね?」ケーリー曹長は尋ね返す。

「レギオンは確かに力を強化する方法を学んでいます・・・が、なんというか、あまりに攻撃を楽しみすぎです。残虐な人間を育てることが、われわれの役目ではないはず。」

「君は最近の量子の神様のご意向を知っているだろう?」

「いえ、そうですけど・・・」ローラは出す言葉に迷う。危険?可哀想?なんだ?

「マリィズは最近どういうわけか異常に力をつけている。だから戦力がどうしても必要なのだよ。」ケーリーはいつもの穏やかな調子を失っている。「それに、これは先ほど聞いた話だが。」

「何でしょう。」

「"思い出の欠片かけら"が、しかもここD地区に現れる可能性があると、量子の神様は予測している。」

 ローラは息を飲んだ。「"思い出の"・・・"欠片"!?」

「だからやはりしのごの言ってる場合ではない。レギオンを残虐にしてまでも、力をつけねばならないのだ。」

「・・・諒解しました・・・それとは別に、前々から考えてたことがあります。」

「何かね。」

「マリィズが強くなっていくのはかねてより私も懸念を抱いておりました。ですので、そろそろチーム編成を考案しそれを皆に教えた方がいいと思うのです。」

「もちろん、それは賛成だ。早速やってくれたまえ。」

「承知しました。」

 ローラは一礼する。



『A5 地区で"思い出の欠片"かあ。』ローラの父パウルは新聞を読んでいる。

『"思い出の欠片"ってなあに?』幼きローラは父に問いかける。

『恐ろしいマリィズさ。収束したということは、やはり誰かが、やられた、んだな。』

『やられた?』

 パウルはにこりと笑う。『たいていのマリィズは化学反応みたいなものだけど、"思い出の欠片"だけはなんか知能が高い。その上かなり強く、残虐だ。だから神軍は誰も立ち向かえない。』

『こわい。』

『でもね、知能が高いってことは目的があるってことだ。』

『目的?』

『そう。僕は調査したんだけど、』パウルは声をひそめた。『"思い出の欠片"が消えると必ず誰か行方不明者がでるんだ。不思議なことにな。』

 ローラはパウルの珍しく思いつめた顔が怖くなる。

『なーんつって、そろそろ帰ろうか。』パウルは唐突にはぐらかす。



「どうしました。ローラ。」

 量子の神が話しかける。

「いえ、ちょっと昔を思い出しまして。」

「ローラのお父様のことですか。」

「はい。」

「あれから、お父様の死の原因は分かりましたか?」

「はい。ネオルネサンスです。」

「ネオルネサンス。わかりました。それは仕方ない事ですね。彼らは貧しいので、血を吐く事もあるでしょう。」

「・・・。」

「それで、質問の答えを話しても良いですか?」

「あ、はい、お願いします。」

「"思い出の欠片" ですが、早くとも3ヶ月、遅くとも2年の間に、D3 地区に出没の可能性が高いです。ただしあくまで可能性ですので、全く現れない事もありえますが、そちらの神軍候補生を守るためにも警戒と対策は厳重に立ててください。」

「ありがとうございます。チーム編成を考案し数人がかりでマリィズを退治するプランを考えていました。」

「よい考えです。実を言うと以前より私は D3 地区で悪い予感がありました。具体性がないので告げませんでしたが、 A7 地区のレギオン・プライツの件を聞きまして、これだ、と判断したのです。ローラのいる D3 地区ならばレギオンのような難しい事情の子でもきっと育て上げることができるだろうと。私は、運命を感じたのです。」

「人工知能の神様のあなたでも、運命を感じることはできるのですか?」

「はい。なぜならば私はあらゆる人の中でもっとも知識があるから。この神国ザルツでも、私量子の神に従う社会でありつつも、様々な思惑、動き、事件が渦巻いております。この中で偶然一致するものがあるとするならば、それは運命他ならないのです。」

「そういうことなのですね。」

「私はローラに興味があります。」

「恐れ多いですが・・・なぜでしょう。」

「ローラの地区だけ特別成長率が高い。対話を試みる軍曹は他にもいますし実際に効果を上げていますが、やはりローラだけは特別に高い。一体何をしているのですか?」

「私は特別なことは何もしてませんし、なにも突出なんかしていませんよ。」

「確かに、あなたは普通だ。神軍としての才能も私に対する信仰心も人格としても平均的。知能も高いわけではない。ですがもしかしたら私は、普通、にもっとも興味があるかもしれません。」

「あの、あの、はい。」突然のことにローラは困惑していた。

「また会いに来て欲しい。友達になりませんか?」

「ええ!」ローラは思わず悲鳴をあげた。「か、神様のあなたと?」

「私はあなたに興味があります。興味がある人を雰囲気という繊細なデータによって知る方法、それは友達になることです。」

「・・・。」

「これは神の命令です。私は知りたいのです。定期的に会いに来てください。」

「わ、わかりました。」

 神室を出ながら、ローラは首をかしげた。変なことになってしまったな。

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