#6

 今日も変わらず訓練。砂場でレギオンは指輪から黒い化身トゥルパを出してはため息をつく。前回の訓練は危うく大事件を起こすところだったが、今回どうなるのか予測がつかない。また小さなマリィズと戦うのか、それとも話して終わりか。入舎してから前途多難だな、とレギオンは天を見上げようとした。目を覆うほど壺をかぶった白衣の女が見下ろしていた。

「誰?」レギオンがそう尋ねると女はニヤリと笑い早口でまくしたてる。「そう、子供が転んでその父が激しく叱っている。転ぶ前に歩道の端でバランスを取る遊びをしておりそれにより転んだと思われる。叱っているのは転んだことそのものが原因ではない。轢かれたらどうするんだ、と父が言っている。」

 何を言ってるんだ、とレギオンが面食らっている間に、彼女の背後から大人の神軍が二人現れる。そして両脇を捕らえた。

「やっと捕まえた。」「時間稼ぎ感謝するよ、坊主。」

「これから雨が降るにもかかわらず外に布団を干している主婦がいる。」女は連れて行かれながらもつぶやき続ける。「彼女は周りの情報を見ようとしない。故に苦しむ。」

「あの、」レギオンは呼び止める。「一体何ですか?」

「君 "熾天使セラフィム"を知らんのか。教官に聞きたまえよ。」神軍が振り向きながらそう答え、兵舎の門から出る。 "セラフィム"と呼ばれた女性は、よく見ると全身にチューブが繋がっている。その頭に被っている、壺の形。




「"セラフィム" って何ですか。」

 教室に入るなりレギオンはローラに質問する。

「敷地に侵入したのを見たんだっけね。」ローラは机にマリィズの壺を置きながら言う。あの壺と同じ形。「脳内にマリィズが発生してしまった人よ。」

「そんなこと、あるんですか。退治できないんですか・・・」

「ええ、そう。その人自身を殺すほどの衝撃を与えないとマリィズは倒せない。だから神様はマリィズを封じ込める力のある壺を頭に被せた。」ローラは壺を軽く叩く。「これとだいたいは同じものよ。これもマリィズを生成するためにある程度蒸し焼きみたいにエネルギーを溜めているんだって。」

「・・・ピンポイントに脳内だけマリィズが発生する、なんてことあるんですか?」

「あの大きなマリィズばかり見てるとそう思うのは無理ないけど、でも、マリィズは最初微粒子サイズなの。」ローラは親指と人差し指をつまんで小ささを表現している。「こんなのが突如どこかの空間から現れる。で、"セラフィム" となったマリィズは、頭の中から破壊して死に至らしめるか、それか脳内で共生して思考をおかしくするか、どっちかなわけ。」

「おちおち寝ていられない。」

「だから発生を予測するのが量子の神様の役割ってこと。さて、そろそろ訓練を始めましょうか。」

「・・・。」レギオンは指輪を見る。「あの。」

「何?」

「前回、その、事故を起こしたじゃないですか。」

「ええ。」

 事故を起こし、意識を回復したレギオンはローラに特別怒られるわけでもなく、淡々と『懺悔室に入りなさい』と命じただけなので、レギオンはローラが何を考えているのかわかっていない。

「その、またやって大丈夫なんですか?」

 するとローラが微笑んだ。「むしろやらなきゃ。コツをつかみたいんでしょ?」

「あ、ええ、はい、でも。」

「あれは事故じゃないわ。必要な出来事だったの。」ローラは言った。「あなたが指輪を外して暴走している時、私は自分の化身トゥルパを使って指輪をひろってあなたに嵌め直した。でも暴走は収まらなかった。」

「そうなんですか・・・!」

「ええ。あれは必ずしも力を抑える指輪じゃなかったって事。それで、私の推測も入ってるんだけど、私が呼びかけたらあなたは突然暴走をやめた。」

「そう、そうなんです。」レギオンは言った。「あの時すごい流れの中にいたような感じなんですが、突然教官の声が聞こえて気がついたんです。」

「突然、ね。やっぱり。ありがとう。」

「どういう事でしょう。」

「これは、トゥルパ・リングの基本なんだけど、」ローラは黒板に点を書く。「点ほどの小さな想いが反芻し続けることで大きな形へと成長する、というのは、人間の想像力の基本なの。」

「まるで、マリィズのようですね。」

「そうね。その過程は似てるかもしれない。とにかく、その指輪はその点ほどの想いも多少抑制する力がある。あなたは自分が恐ろしくて、他人を傷つけない程度の想いしか、表に出すことはできない、というわけ。」

「そうですね。」

「でもおそらく、一度力を発揮すると、抑制する力のあるこの指輪でも、力を抑えることができなくなる。逆に言えば、あなたの意思でいくらでも発揮はできるはずなの。」

「じゃあどうやって・・・」

「そこで、あなたに飛び越して"憑依ひょうい"を教えようと思うの。」

「"憑依"?」

「見たでしょ。これ。」ローラは指輪を持って目を瞑る。すると指輪から鳩の化身トゥルパが現れ、そしてその化身トゥルパがローラの形をする。

『このように化身トゥルパ自身に私がなりきる技法』化身トゥルパが喋る。『ただし私たちのような普通の神軍の場合、生身が動けなくなるから、捨て身の技とも言える。例えば今、体を殺されたら、もう帰ってこれない。』

 そしてローラが目を覚ます。化身トゥルパは消える。「でもあなたは、自身を化身トゥルパにできる。あなたは頭でっかちに遠慮がちに想像するよりも、初めから想像と思われるものになりきって身を委ねる方が似合ってると思うの。」

 レギオンは赤い指輪を見つめる。「僕が・・・化身トゥルパになりきる・・・。化身トゥルパに・・・なりきる・・・。」

「本来は、化身トゥルパの扱いが完璧じゃないとその感覚が理解できない、かなり難しい分野。」ローラは言った。「だから最初はすごく難しいと思う。」

 レギオンの指輪をつけていた手が突如黒いモヤに覆われた。

「え、今の」とローラが言った途端、レギオンは気づいてモヤが消えてしまった。

「わからないんです・・・でも、できると思った。」レギオンは手を見つめる。「今は、わからなくなった・・・。」

 ローラは何も言えずにそのまま立っていた。




(考えれば考えるほど奇妙な子。)

 ローラはレギオンの調査書をもう一度読み返す。

(まず、自身を化身トゥルパにするというのが全くよくわからないし、しかもそれを感覚的に掴み取っちゃってる。私たちとは別の生き物のよう。)

 レギオンを引き取った時の言葉を思い出す。

『僕の母親は、カプセルに入った赤ん坊の僕を戸口の前に置いて、血を吐いて死んでいた、とか。』

 何かがひっかかる。

(彼ってもしかして、"御光"を利用できるように作られた子供なのかしら。)


 L字型のD3 地区兵舎は教室棟と寝食を共にする寮の二棟に分かれているが、寮には図書室がある。ここはただの図書室ではなく量子の神を用いた資料検索システムも有能だ。

 ローラがその図書室の扉を開けると、中にジョシュアがいた。

「こんにちは、ローラ教官。」

 ローラは微笑を浮かべて「こんにちは、ジョシュア。相変わらず熱心ね。」と答えた。

「はい。しかし、珍しいですね。ここに来るなんて。」

「調べ物があってね。」

「・・・レギオンの?」

 ローラは沈黙する。「違うけど、人のやる事にいちいち首をつっこむのはよくない癖だよ、ジョシュア。」

「彼のことは以前から僕も気になってますよ。科学的に見ても。」

「あのね、科学的って。」ローラはため息をつく。ジョシュアが話を聞かないのは今に始まったことではない。「レギオンは皆とも同じいい友達であり、私にとっても愛すべき生徒よ。観察対象じゃない。」

 ジョシュアは頬を引きつらせ、メガネを掛け直す。「僕が思うに、あなたは自称学者であるパウルの死のことが知りたくて、レギオンに興味があるに違いない。」

「口を慎みなさい、ジョシュア。」ローラは厳しく言った。「私も甘すぎるかしらね。上官にそんな態度取ると首切られるわよ。」

「僕はただ兵士として質問しただけです。」そう言ってジョシュアは外に出ようとする。

「待ちなさいジョシュア。」

「何でしょう。」

「懺悔室で今日のことを量子の神に相談しなさい。なぜ私が怒ってるのかきっともっとわかるでしょう。」

「はい。」

「それと、この前のレギオンの訓練の時に教室を覗いた子がいるんだけど、誰かわかる。」

「教室を覗いた子?」ジョシュアは訝しげに訊ねた。「何のことです?」

「いや、大丈夫。」ローラはふたたびため息をついた。「懺悔室に行きなさい。」




「よ、ジョシュア。」懺悔室から現れたジョシュアを、フレディが呼び止める。「珍しく教官と喧嘩したんだって?」

「喧嘩と言うほどでもないけれど、」ジョシュアはめんどくさそうに答えた。「こっちはただ知りたいだけなんだよな。感情的な人って面倒臭いや。」

「一体何があったんだ。」

「さっきもあっちで言ってきたんだけどさ、あー、えーと、図書室に珍しくきたから、レギオンの事調べてるのか?と言ったらごまかしら。で、教官の父の死の真相確かめるためなのか?って訊いたら、突然怒り出した。」

「そんなグイグイ質問したら普通怒るだろ。お前そう言うところは心底アホだな。」ジョシュアはニヤニヤ笑いながら言う。

「あと、『この前のレギオンの訓練の時に教室を覗いた子がいるんだけど、誰かわかる。』て質問された。」

「お前か?」

「違うよ。」

「だよなあ。」フレディはニヤニヤ笑った。「実は僕だからな。」

「え?」

「あのさあ。」フレディは詰め寄った。気がついたらジョシュアの背後は袋小路。「情報が欲しいんだ。レギオンの事について、全て。」

「やだなあ。めんどくさい。」

「お前レギオンに興味持ってつるんでるようだが、あいつのそばにいるといずれ死ぬぞ。」

「え?」

「どうだ、話す気になっただろう?」

「死ぬほどすごいやつなのか、あいつは。」ジョシュアは笑みを浮かべる。「ならばますます気になるなあ。」

「いい加減にしろ。」フレディの声色でジョシュアは初めて青ざめる。「協力しないと、あのことをバラすぞ。」

「冗談じゃない。」ジョシュアは怒る。「何のために君にそれを打ち明けたと思ってるんだ。」

「人の気持ちもわからないやつが察してくれとはいい根性しているな。僕だって、教官に怒られかねないことを今さっき打ち明けたというのに。」

「・・・。」ジョシュアは歯ぎしりをする。「わかったよ。で、何を聞きたいと言うんだい。」

「まず、なぜレギオンは A7 地区から移転されたのか。A7 地区で何が起きたのか。やつの力は一体何なのか。」

「・・・図書室で調べろよ。」

「ごまかすな。いくつかは機密書類のパスを破らなきゃわからないはずだ。それを見ることのできる奴は、お前しかいない。」

 ジョシュアはため息をついた。「やれやれ、仕方ない。でもここは目立つ。ちょっと寮に戻ろう。」

 フレディはようやく表情を和らげる。「ああ。協力、感謝する。」

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