#2

「さて。」聖堂を出たローラはそう言ってレギオンの肩を軽く叩く。「もう夜だし、一緒に帰りましょ。」

「一緒に・・・」レギオンはローラを見る。

「なぁに言ってるの。これからあなたは D3 地区の子よ。」

「・・・・・・。」レギオンはうつむく。

「兵舎には寝泊まりできる寮がある。今夜は遅くてみんなに紹介できないから、私の部屋で泊まってね。」

「ローラ・・・教官・・・。」

「なあに?」初めて名前を呼ばれたのでローラは少し嬉しくもあった。

「僕は・・・その、みんなと仲良くなれるでしょうか。」

「そう思ってるならなれるなれる。」

「僕の住んでいた所は、その、家族ごとに、グループというのがありまして・・・でも僕はお父さんもお母さんもいません。」

「ええ、知ってるわ。孤児院で育ったのよね。」

「はい。保母さんから聞いた所ですと・・・僕の母親は、カプセルに入った赤ん坊の僕を戸口の前に置いて、血を吐いて死んでいた、とか。」

 ローラは立ち止まる。「それは知らなかったわ。どのようなお母様だったのかしら。」

「それが、全くわからないのです。僕の名前はカプセルに記されていたのですが。」

「そう・・・」

「どうかされたのですか?」

「あ、ううん、大丈夫。ちょっと思い出してね。」ローラは深呼吸した。「私の父は、あなたの母親と同じように血を吐いて死んでしまったの。しかも原因もわからなくて。」

「そうなんですか・・・。」

「お母さんもそれっきり衰弱しちゃってね。私一人がなんとかがんばんなきゃいけなかった。お父さんの死因もわかったらと思って、例えばと思って、マリィズのことについて勉強したのが今の仕事のきっかけ。」

「そうなんですね。」

「ま、そんな過去の話は置いといて、」ローラは歩き出した。「レギオンくんはずっと、A7 地区では寂しくしてたんだよね。」

「はい。」

「私たちの住む D3 地区はね、ちょうど他の地区の交流と隣り合わせでね、いろんな人がいるの。だから家族とかそういう立場の関係ないおつきあいができるはずよ。」

「それはよかったです・・・。」

「安心して。一緒に助け合いましょう。」

 その言葉を聞いてレギオンが見上げると、強い月明かりを背後に、ローラの顔が影となって微笑んでいるのが見えた・・・どうやらじっと見てしまったらしくローラは「なあに、どうしたの。」と照れ笑いをしたので、レギオンは慌てて、「いや、満月が綺麗だなあと、思って。」と慌ててうそぶいた。

「満月?」ローラが真顔になった。「昨日は新月だったはずよ。」

「え、でも、ほら、」レギオンはしどろもどろに言った。「月明かりすごいですよ。どんどん強くなって・・・」

 ローラは突然レギオンを押し倒した。次の瞬間、ギャンとでも言うような金属的な響きと共に、"月明かり"に照らされていた道路が破裂し、刺刺トゲトゲした結晶が現れた。

「マリィズよ!この光は危険!動く者に反応するかもしれない!このまま影に隠れてて!」ローラは叫び、そして青の指輪を見つめる。たちまち、ハトの化身トゥルパが現れて空に飛び上がる。ローラの予想通り、再びギャン!という音が聞こえて空から結晶が降ってくる。おそらくハトの化身トゥルパに命中したのだろう。レギオンも赤の指輪に念じるが、黒いもやっとしたものが漏れ出ただけで、レギオンはため息をついた。

「手を出さないで。まだあなたには無理だわ。」青の指輪を見つめながらローラは言う。レギオンが空を見上げると、翼が無数に枝分かれした巨大なハトが光の球に覆いかぶさっている。あの光の球が、先ほどレギオンが"満月"だと勘違いしたマリィズなのだろう。ギャン!という音と共にハトの翼が結晶となって粉々に砕け散る。ふたたびギャン!という音と共に翼が砕けていく。何度ど何度も砕け、翼が剥げていく。

 このままでは負けてしまう。そう思ってレギオンはふたたび赤の指輪に念じる。しかし情けない黒の塊しか出ない。

「ローラ教官、」レギオンはそっぽ向いているローラに話しかける。「やはり、お手伝い必要じゃないですか?」

 レギオンが軽く小突くと、ローラはそのまま倒れる。

「ローラ教官!?」

 レギオンは息を飲む。「え、そんな、ローラ教官!」

 

 ギリギリギリギリと聞きなれない音が天から聞こえたのでレギオンが見上げると、ハトの形だったソレから人の顔と腕のようなものが生え、光の球の中心にまで手を突っ込んでいた。光の球はひどく調子が乱れて暗くなったり明るくなったりの点滅を繰り返しレギオンは思わず目を覆う。その光の気配が突如止んだので何事かと覆った手を離すと、光の球はもう消えており、ハトの残骸だったそれから、ローラの姿が生えていた。それはすぐに霞のようになり、レギオンのもとにやってくる。そしてローラの指輪に吸い込まれ、そしてローラが目を覚ます。

「だめじゃないの。」目を覚ますなりローラはレギオンを軽く叱る。「マリィズのことだったら、量子の神さまが予測し、軍に警告してるって言ったじゃない。だから増援は必ずくるの。でも、今回私しか対処できなかったから、あのマリィズはいまさっき現れたばかりなのでしょう。」

「す、すみません。」レギオンはおずおずと謝った。

「まあいいよ。」ローラはふふっと笑った。「あいつ意外と手強かったからね、ちょっとばかり私自身が化身トゥルパに乗り移ったの。それで意識がなかったわけ。」

「それで・・・」ハトの姿がローラに化けたわけか。

 ウゥゥゥン、と言う排熱音と共に、宙に浮かんだ車がくる。中からローラと同じ軍服の男性が現れた。その姿を見てレギオンは縮み上がる。

「わたくし D3 地区ローラ・シュニッツベル軍曹、こちら E 地区より新兵レギオンを案内中にマリィズに遭遇し、退治しました。」ローラは軍服に報告している。「今回のマリィズは満月のような形をしており、まだ卵段階でした。被害はこちらの道路と、戦闘中に降りかかった結晶のみかと思われます。」

「ご苦労だった。また月の卵段階か・・・名前は、そうだな、『月の子 第23号』とでも言えばよいかな。後の清掃は我々E地区に任せてくれ。しかし怪物め、卵段階で随分威力が強い攻撃を放つものだ。」軍服の黒サングラスの男は道路の激しい結晶を見て言う。「これを野放しにしていたらやがて壊滅的な被害を及ぼすマリィズになってたとも限らぬ。早急な対応、感謝する。」

かたじけなく思います、元帥。」

「君の年齢で化身トゥルパが使えるのはそう多くないのでな、これからもよろしく頼むよ、ローラ軍曹。」

「はっ。」

 そして黒サングラスの男はローラから去る。

「ダグラス元帥・・・。」レギオンが呟く。

「相当ね。きっと量子の神さまから本当に危険なマリィズのベビーって言われてたのね。よかった。」ローラは言った。

「マリィズは初めて見ました。」

「そうでしょうね。実際A地区はあまり狙われない。」

「壁が近いからって聞きましたが本当ですか?」

「それは、ある意味、そうね。」

 ローラはさっきまで自分の寄りかかった壁を見つめる。



『壁?』

 幼いローラは父に興味津々だ。『この国って壁で覆われてるの?』

『まあ、言いようによっちゃ覆われてるかな。でも国境は5メートルくらいの塀しかないし、本当の壁は目に見えないんだ。』

『どういうこと?』

『御光が届く範囲の事を我々神国ザルツは壁と言っているだけだ。そして壁より外に出た人は今のところだれもいない。』

『どうして?』

『壁の外には目に見えない特殊マリィズとやらがウヨウヨいるんだそうだ。そんなに強くないので、御光で簡単に消滅するのだが何せ数が非常に多い。だから御光の圏外に行くと人は全身破壊されて確実に死ぬ、と言われてる。』

『こわい。』

『こわいだろう?でもね。』父は突然声のトーンを落とした。『これ、嘘だと思ってる。』




「ここが兵舎なんですね。」

 そう言いながらレギオンはローラと共に中に入った。

「部屋に着くまで静かにね。みんな眠っているのだから。」

「はい。」

 廊下を歩くと、すー、すー、という寝息があちこちから聞こえる。この寝息の主と、明日会えるのかと思うとレギオンはすこし期待に高揚している。

 一つの部屋にたどり着く。そこは狭い部屋であり、2段ベッドと机と棚とシャワールームの扉でぎりぎりと言うほどの空間であった。

「ときどきね、具合悪い子を寝かせるのにベッドを2段用意しているの。」ローラは言った。「私は下で、レギオンは上と言う感じかしら。先に、シャワー浴びててね。」

「E 地区に行く前にお風呂入りましたよ。」

「室内に入ったらシャワーをする、それがここ D 地区の規律なの。」



(しかし大変な一日だった。)

 ローラはシャワーを浴びながら思う。(最近、マリィズが凶暴化してる、と聞いてたけど、これほどだったとは。)

 シャボン玉が宙に浮かび天にむかって弾けていく。

(もう個人の力じゃなくてチームワークが大事ってことね。そんな時に新入生か。)

 指輪は青く光る。

(難しい課題ね。)


 


 自動車の柄のまるで少年のようなパジャマを着たローラはベッドに向かう。寝息が聞こえない。

 ローラが下段のベッドに入ると天井の向こうからレギオンの声が聞こえた。

「ローラ教官。」

「なあに?」

「その・・・一人が寂しいって思った事あります?」

「・・・そうね、小さい頃は怖かった。大人になったら慣れちゃった。」

「僕も、慣れたと思ってたのですが、今なんだか嬉しくて、だから今まで・・。」

 ローラは思わず微笑んだ。「どんな生活だったのか、私にはわからないけど、」ローラは言った。「私はあなたの事をちゃんとケアするわ。教官として。安心して。」

「ありがとう、ローラ教官。おやすみなさい。」

 そしてすぐに寝息が聞こえた。なんだ、とローラはくすりと笑い、やがて眠りに入った。

 月明かりは今は無い。

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