曇天のマリィズ
ヤンパル
#1
空。
薄暗い雲の層。
コバルトブルーの光が雲から漏れている。
「あの雲の中に、マリィズがいるんですね。」
少年は空を指差している。
「ええそうよ。」
軍服を着た女が青い宝石が嵌められた指輪を見つめながら言う。
「マリィズ。倒さなきゃいけない、神の光の影となって現れし闇の存在。」少年は手を握る。赤い宝石の嵌まった指輪がついている。「ぼくはようやく、人の役に立てるのか。」
「役に立つ、どころじゃないよ。」軍服の女は少年に優しく語りかける。「神さまが言ってたじゃない、君は、楽しめばかならずうまくいく、て。役に立つんじゃなくて、楽しむ。」そして女の指輪の宝石は白く光る。
少年、レギオンはにこりと笑う。「ありがとう、ローラ教官。それじゃあ、行ってくる。」
「頑張って。」
「うん。」
レギオンの赤い指輪が光り、体が黒いガスに包まれる。ローラはポケットからメモ帳を取り出し、前に歩き出すレギオンを静かに観察しながら最初の一文を書く。
『第一回レギオン特殊訓練 - 担当教官 ローラ・シュニッツベル軍曹 - 訓練許可 ケーリー・プラヴィウム曹長兼ザルツ D3 地区兵舎長』
*
「新しく、君に面倒見てもらいたい子がいるんだ。A7 地区の子なんだけどね。」ケーリー曹長はくたびれたようにローラに言う。
「わざわざ A7 地区の子がどうしてここに?」
「上からのお達しだ。それぐらい、君は頼りになるってことだよ、ローラ。」
「それはありがとうございます・・・ですがつまり、それは相当の問題児なのでしょうか?」
「まあそうだな。とんでもない問題児だ。」ケーリー曹長はあくびする。「これを見れば、いろいろわかるよ。」
「読みます。」ローラはケーリーから『レギオンについての調査書』と書かれた紙を受け取り、それを黙読する。数分経ってケーリー曹長がふたたびあくびした時にローラはようやく口を開く。「これは、会うのが楽しみです。」
「それを見て楽しみといえるのか、いやはやさすが。」ケーリー曹長は天井を見上げる。「彼はレギオンって名前で、現在 E 地区に保護されている。よろしく頼むよ。」
「はい。了解いたしました。」
(すごい子だねえ・・・。)モノレールの個室でローラはもう一度ケーリー曹長から受け取ったレギオン・プライツ少年の調査書を読み直している。
『レギオン・プライツ 現在 12 歳 父親不明。母親はレギオンを産んですぐに急病により死亡。特異な才能は 3 歳よりすでに発揮。奇妙なことに彼は指輪無しに、御光を利用して
ローラは一読した後、調査書をカバンにしまう。
(もしかして、レギオンを通じてなにかヒントがつかめるかもしれない。)
モノレールは暗いトンネルに入っていく。電灯が右から左へとゆるやかに断続的に流れて行く。それはまるでローラを夢の世界へと誘うような、穏やかな橙色の光である・・・・
「そう、神国ザルツはね、守られているんだ。」ローラの父親パウルが幼きローラに語りかける。「核爆弾って恐ろしい爆弾が、今も世界の各地で落とされている。全部つかえば星の一つや二つ、ふっとばすのは容易い。だけど、みんな命が惜しいから、脅かし程度の小さな爆弾しか使ってない。それでも、町の建物が一切なくなってみんな地下暮らしになるには十分だ。」
「こわい。ここもそうなるの?」ローラは震えている。
「だからね、ここ神国ザルツは守られているんだ。中央地区にいる量子の神さまがいつもザルツ全域を
「みひかり?」
「そう。その光に照らされたものは、神さまが望めばどんな物質だろうと違うものに変えることができる。水は土になり、鉄はゴムになる。」そして父は死体になった。血を吐いて死んだ父が担架で運ばれている、その光景を見て、わたしは。
・・・・目が覚める。まだモノレールはトンネルの中だ。悪い夢。悲しい思い出。これからレギオン少年に会いに行くというのに、暗い顔で迎えてしまったらどうしよう。ローラは窓に映る自分の顔を見るが、普段と変わり無いちょっと疲れた茶髪の女性がこちらを見つめ返していたのでホッとした。
「間も無く E 地区・中央地区に着きます。」駅員のアナウンスを聞いてローラはバッグを確認し、目的駅に着くのを静かに待つ。目指すは中央地区の神のいる聖堂。御光が放たれる地。
「ザルツ D3 地区兵舎教官、ローラ・シュニッツベル軍曹です。」
「お待ちしておりました。お相手は会議室 2 に待機しているので、ご案内します。」紫の服の修道士がうやうやしくローラに一礼し、巨大な青い立方体の建造物の中へと入る。
「レギオン少年だけですか?」ローラは訊ねる。
「レギオン少年の住んでいた A7 地区の兵舎長、マッケラー・ファミントン曹長も同伴させてもらっています。」
「A7 地区、か。」A 地区は都市ザルツの周辺部全体の地区であり、全部で 15 地区ある。B・C・D 地区に比べて人口が多く、しかし貧しい地区が多い。 A7 地区もその一つであった。よくその中からこれだけ
そのマッケラー曹長は頼りない雰囲気を惜しげも無く晒して、ローラを失望させた。
「ああぁあぁ、ローラ教官ですか、ローラ教官ですか・・・わたくし、A7地区の曹長の、その、マッケラーファミントンと、申しまして、うちのレギオンを引き取ってくれる、とのことで・・・」怯えるようにマッケラーがローラに挨拶をし、ローラはそのマッケラーの後ろに黒髪の少し暗そうな少年がいるのを見た。
「あの子が、レギオンくん、ですか?」
「あ、はい、そうです。レギオン・プライツくん、です。」
レギオンもローラに気づき、そして唐突に話し始める。
「あの、ぼくは何の勉強してるか、教えていただけますでしょうか。」
その一言でローラは首をかしげる。「レギオンくん、どういうこと?」
「いえ、その、あのおじさん、僕に何も教えないんです。変な指輪つけて、何も言わないものだから、ずっと退屈で。」
「マッケラー曹長。」ローラはレギオンの口に指を当てて話を遮らせ、静かに曹長に言う。「どういうことですか?」
「・・・調査書は読んだだろう?」
「はい読みました。それで、まともな
「それが・・・難しいんだ・・・。」
恐ろしいんだ、察してくれ、と言わんばかりの声の震えよう。ローラは目を閉じ、唾を飲み、そして目を開いてレギオンに言う。
「それじゃあ、それは後で教えるね。レギオンくん、あなた、神さまの姿を見たことがある?」
「いえ、一度も。」
「じゃあ、これを機会に観にいきましょ。修道士さん、いいですよね。」
「もちろんです。」紫の服の修道士が一礼した。「すぐ隣の部屋です。」
神室と呼ばれる部屋は妙に涼しくとても広い。中央にある円筒状の巨大な物体が、天井まで伸びている。
「あれが、量子の神さまよ。」ローラは円筒状の物体を指して言う。「私たちを恐ろしい核攻撃から守っている存在。」
「りょうし、の、かみさま・・・?」
「そう。量子コンピューターという凄い技術で作られた人工知能。いつもいつも私たちザルツの国民のために勉強し続けてらっしゃる神さま。」
「そうだったの、ですね。」
「ここザルツはね、他国から核攻撃を受けやすいし、その上ザルツの中でもマリィズという怖いやつらがいる。マリィズは
「・・・」レギオンはうつむく。「僕にそんなことが、できるでしょうか。」
「何を言ってるのよ。あなたにはすごい賜物があるじゃない。ちょっと事故っちゃったかもしれないけどさ、それは宝に変えられるよ。」
「事故・・・覚えていないんです。」
「え?」
「みんなそう言って怖がるのだけど、覚えていないんです・・・。」
ローラは悲しそうなレギオンを見て考える。この子は多分本当は優しい子だ。だから自分の知らない力で他人を傷つける事が悲しくて、自信が持てないのだ。
「じゃあさ、神様に聞いてみる?」
「え?」
「自信の持てる方法。」
「そんなこと・・・できるのですか?」
「私は軍曹よ。そしてここに入ることを許可されたんだから、チャンスを生かさなくっちゃ。」ローラはレギオンを連れて円筒形の神の側に近づく。そして胸ポケットからカードを取り出し、差込口と思われる穴にカードを入れる。
「ローラ・シュニッツベル、ぐんそう、ですね。」
円筒から断続的に女性の声が聞こえる。
「はい。量子の神さま。」
「そこにいるのは、レギオン・プライツ、ですね。」
「その通りです、神さま。今日は彼のことでお伺いしました。」
「何でしょう。」
「彼は、素晴らしい才能を秘めながら、自信を持てずにいます。どのようにすれば、持てるのでしょう。」
「その答えは、"攻撃性"です。」神は即答した。「彼に残酷なこと、暴力的なこと、を楽しませる事で、彼は飛躍的に才能をコントロールすることができます。」
ローラは驚いて言葉を失う。
「なぜならば才能の育成には良い報酬の経験を得る事が不可欠だからです。」神はローラの無言を察したかのように言葉を続ける。「暴力の快感、征服の快感は人にとってなによりの報酬となります。現実と理想との差はその報酬の中で意識すべきものであり、はじめから現実に絶望させてはいけません。楽しめばかならずうまくいく。ローラ軍曹なら、私の言うことは理解できるでしょう。これ以上は言いません。」
「ありがとうございます。仰せの通りに。」ローラが頭を下げてお礼をすると、差込口からローラのカードが飛び出す。
「どういうことでしょう・・・暴力・・・?」
「気にしなくて大丈夫。一つの言い回しのようなものよ。神はいつも、私たちにわかりやすいよう、極端な言い回しを使いたがるの。」
「そうなんですね。」
きっとそう。ローラはそう自分に言い聞かせながらレギオンを見た。こんな子を、残酷さを楽しむ
「ねえ、レギオンくんは、
「
「マライズを退治するための、自分だけの戦士みたいなものよ。見せてあげる。」ローラは青の宝石の嵌った指輪をつけた手を握る。すると指輪の宝石は鋭く光り、大きな朧げな白い鳩が光から飛び出す。レギオンは驚いて目を開き言葉を失っていた。
「この鳩は私そのもので、私の指示にしたがって動くの。」そして鳩は宙返りした。「鳩じゃなくても、人によってそれぞれ全く違う個性だったりするわ。」
「これが、
「え、見せてみてよ。」鳩が指輪に納まり、ローラはレギオンに笑顔で頼む。レギオンのつけている指輪に赤い宝石が嵌っている事にローラは気づく。レギオンが指輪に訝しげな顔を向けると、指輪は鈍く光り、やがて漏れ出るように黒いもやが現れる。それはすこし鈍重で、ぐにゃりぐにゃりとのたくるように動いている。
「可愛い
「おや、どうしたの?」
「・・・だって。」レギオンは
「なぁに恥ずかしいの?大丈夫よ。同じような
「本当ですか!?」
「うん。それにその子も今、
「そう、じゃあ大丈夫かな。」
「うん。」
ローラはにこりと笑う。
"奇妙なことに彼は指輪無しに、御光を利用した
-『レギオンについての調査書』
「大丈夫よ。」
ローラは自らの意思を強調するように、もう一度レギオンに言い直す。
「楽しめばかならずうまくいく、から。」
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