第3話


「あの方を…風祭優太様を調べなさい」


明乃が、自分でも何を言っているのか、と思ったのは言葉を口に出した後だった。


その後、風祭優太は孤児院で育ったこと。

今はアルバイトをしながら、貧しい一人暮らしをしていること。


何やら、絵を描くのが得意であること。

あの事故の後、順調に回復し学校生活にも復帰したこと。


そしてどうやら、明乃と同じ蓮城学院高等部の一年生であることが判明した。

絵画による推薦入学ということだった。



その情報を受け取った明くる日、明乃は事故に対するお詫びと快気祝いの挨拶を口実に

自らに衝撃と興味を与えた少年に会いに行くことにした。


当日、明乃は執事の運転する高級車に乗り、登校すると

快気祝いの品が当日の昼休みに届くということもあり

昼休みに少年を食事に誘うことにした。


もちろん、学院の食堂を貸切にして。


事故の事を他に知られる訳にいかない、ということもあったが

異性と食事をする所を見られたくないという恥ずかしさの方が強かった。


そして、午前の授業が終わり

林田が快気祝いの品物を持って明乃の教室に現れると

先に食堂で食事の準備を済ませるよう林田に伝え

優太がいる教室へは1人で向かった。


教室を出て、一年生の校舎に向かい廊下を進む。

早足でも無いのに、心拍数が上がっていく。

頬は熱を帯び、掌には薄っすら湿度を感じる。


この時、明乃にはまだ

この感情が何なのかわからなかった。

得体の知れない感情を紛らわせるように

歩くことに集中した。


気付けば明乃は

優太のいるであろう教室の入り口に立っていた。

教室の端から目を走らせ、対象の少年を探す。


前から三列目、廊下側から四列目に頭を腕に乗せ

机に突っ伏して眠っている優太を見つけた。

明乃の心臓が跳ね上がる。

背中は今にも引き攣りそうな程、ビンビンに伸びていた。


“ドクン、ドクン"と聞こえて来そうな鼓動を

抑えつけるように深く息を吸った。


教室のほぼ中央に位置する優太の席に向かい

明乃は誘い文句を考えながらギクシャクとした歩を進める。

途中、周りからガヤガヤと聞こえる雑音を無視し、優太の席に辿り着く。


すると、周りの空気と明乃の鳴らす靴音に気付いたのか

優太が目を開き、2人の視線がぶつかった。


「…っ?!」


瞬間、目の奥がバチリっ!と弾ける。

明乃が用意した上品な誘い文句はその瞬間にタスマニアあたりまで吹き飛んだ。


「そこの貴方。私と付き合いなさい」


そして、代わりに出た言葉がこれだった。

一瞬の間を置き、我に返る明乃。


混乱というか混沌としている頭の中。

ポカンとした優太。

騒然とする教室。


それらを引き起こした張本人は

汗が吹き出し、透き通るように美しい白い肌を紅潮させ、細長い手足をガチガチに硬直させていた。


そこに、到着の遅い主人を心配して

林田が迎えに来たことで何とかその場を切り抜け

貸切の食堂へと向かった。



林田が来るまでの間に

優太は少しだけ言葉を口にしたが明乃の耳には届いていないようだった。


料理がテーブルに並び、食事の準備が整うと

明乃は“どうぞ"と優太に声を掛け、自分も食べ始めた。



「…」

「…」

「…」


食堂に沈黙が訪れ、食器が触れ合う音だけが三人しかいない食堂に反響する。


「…あのぉ」


沈黙を破ったのは優太だった。


「は、はいっ?!」



上ずった声で、明乃は返事をした。


「さっきのことなんですけど…」


優太は恐る恐る、教室でのことを切り出そうとしているようだ。


「あ、あれは、な、何でもありません!」


再び慌てふためく、ご令嬢。

慌てる様を誤魔化すように、料理を口に運びだした。


それが思考回路の慌ただしさを露見しているとは

本人は全く気付いていない。


「はぁ、そうですか…」


それだけ返し、優太も料理に手を伸ばす。


そして、また沈黙が訪れ、食器同士が本人達を差し置いて語らい始める。


しかし、明乃は徐々に自覚し始めていた。

これが、恋なのではないかと。


しかし、このお嬢様は恋愛というものをまだ知らない。

だから、確信を持てずにいたのだろうが


いくら、蝶よ花よの箱入り娘とはいえ、思春期真っ只中の女子高生。

これが一目惚れというものではないのかと、流石に気付き始めていた。


だから、教室での告白は意中の異性を目の前にした時

知識としては不確定にせよ、本能のような何かが告げさせたのではないのかと。


そして、もう一度この想いを伝えようと、覚悟を決めた。


「…きっと、一目惚れです」


明乃はあまりの恥ずかしさに目を閉じる。


優太はあまりの驚きに目を見開く。


林田は何故か笑いを堪えている。


「私のことは…良く知らないでしょうけれども」


「もし第一印象でダメでなければ…こ、交際をし、しませんかしら?」



もう、林田は限界だと言わんばかりに口に手を当て、プルプルしている。


「ありがとうございます」


優太はニッコリ微笑んだ。

つられて明乃も照らされたような笑顔を見せる。


「でも…」


優太の笑顔は少し曇り始める。

明乃も心配そうに優太を見つめ、続く言葉を待つ。


「ボクでいいんですか?」


勉強も運動も容姿も特に秀でた所のない自分でいいんですか?と不安の表情を浮かべる。


「もちろんよ」


明乃はさっきまでとは打って変わり、いつもの上品で清楚な令嬢の顔に戻っていた。

そして、その瞳は強く物語っていた。


“私が選んだんだもの"と。


それから、緊張も解れた二人はお互いの事を教えあった。

と言っても、明乃は優太の語る情報は林田の調べによって、大体のことは知っていた。


しかし、後になって気付けば、それはとても重要なことだった。


“本人の語る情報"と“調査の結果"が完全に一致しているのだ。


孤児院で育ったこと。

アルバイトで生計を立てていること。


貧乏過ぎて、携帯電話も持っていないこと。

中学の時に絵画のコンクールで金賞を取り、蓮城学院に芸術推薦で特待生入学したこと。

勉強や運動は苦手ではない程度にしか出来ないこと。


つまり、優太の口から語られた全ては嘘偽りの無い真実そのもの。


明乃は、また一つ、彼の魅力に気付かされた。

普通、明乃ほどの美人と恋人同士ともなれば、より好かれたいとするのが男心だろう。


自分を飾らず、好かれようともせず、自然体で接してくれる彼の存在そのものが、特殊な環境下で育った明乃には新鮮で心地よかった。


そして、その日はデートの約束をして別れた。


「林田…」


「後でお話があります」



優太を見送った後、明乃はボソリと

鋭い眼光を自らの執事に向けて呟いた。


「か…、かしこまりました」

返答する林田の顔は青さざめていた。


その夜、九法院の御屋敷に林田の悲鳴が響き渡ったことは言うまでもない。

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