第2話


「へっ?」


寝癖で跳ねた頭頂部のアホ毛を揺らし、目をこすりながら少年は明乃を見る。


容姿端麗、才色兼備、実家はハイパー半端ねえ、天文学的資産を有する九法院家の一人娘。


そんな学園のマドンナが、白昼堂々その想いを告げたのだ。


「えっ?なんでボクなの?…ですか?」


シンデレラボーイこと、風祭優太は疑問を返す。


成績は中、運動神経も中、容姿に至っては小柄な分、平均よりも劣っているのではないかという自分に


何故、学園のマドンナたる、九法院明乃様が愛の告白などしたのだろう?ということだ。


少年には思い当たるところなど、欠片もなかった。


しかし、少女は見たのだ。

目の前の凡夫と呼ぶにふさわし過ぎる少年が、その命を賭けて小さな命を救う一部始終を。


その日、明乃を乗せた車は急いでいた。

政財界の重鎮達が集うパーティーに出席する為、片側一車線の抜け道を制限速度ギリギリで疾走していたのだ。


丁度、住宅街にある小さな公園に面した所を駆け抜けようとした時だった。


公園の植栽を勢いよく飛び越えた勢いで止まれなかったのか

公園を囲む歩道から人間らしき物が飛び出して来た。


交通安全教室なんかでは使い古されたシチュエーションが眼前に広がる。


後部座席に座る明乃は

これから数秒も待つことなく訪れるであろう悲劇に目を背け

来たる衝撃に備え準備を急いでいた。



直後、鳴り響くゴムとアスファルトが全力で摩擦を起こし削り合う、甲高いブレーキ音。

そして、ボンネットが凹む鈍い低音。


明乃は急ブレーキで前方に寄せられた体勢から起き上がると、すぐに車の外へ出た。


そこには、自分より一足早く駆けつけていた執事の林田がいた。



「大丈夫ですか?!」


林田が声を掛けるが返事がない。


「林田、救急車を呼びましょう」


慌てる林田に対し、意外にも冷静を保てている自分に驚く明乃。


「はい、お嬢様!」


林田が、119番に発信しようと携帯を取り出した時だった。


「いててて…」


車に跳ねられた少年が口を開く。

どうやら生きていることに、林田と、その主たる令嬢はホッと胸を撫で下ろす。


「大丈夫ですか?何故あんな所から飛び出したのですか…」


林田が少年に向かい手を差し伸べる。肩を組み、立たせようとするが少年は動かない。


「ダメだ、立ち上がれる程、大丈夫じゃないみたい…」


どうやら、弾かれた衝撃による脳震盪と何処かしらに打ち身か打撲を受けたようだ。


「林田…搬送用のヘリを」


明乃は、意識はあるものの足元もおぼつかない少年を一刻も早く病院へ搬送する為、林田にヘリの手配を急がせる。


「かしこまりました」


礼儀正しく、返事をした林田は携帯を取り出す。



「最上の医療施設を手配なさい」


目の前の怪我人と事実に対し

“最大限の責任を果たしなさい"と令嬢の双眸は語っていた。


「はい、直ちに準備させます」


電話を繋ぎ、諸々の手配を始める林田。

明乃は被害者たる少年に歩み寄ると謝罪の言葉を掛ける。


「大変、申し訳ありませんでした。今すぐ、病院と搬送の手配を済ませます」


深々と頭を下げ、自らの執事が犯した過ちを詫びる。


「いや、いいですよ。飛び出したボクも悪いですし。頭を上げて下さい」


顔だけを明乃に向けた少年はニッコリ微笑むと、自らの非も認めた。


「いえ、私どもに出来る事はさせて下さい」


明乃は少し驚きながらも言葉を返した。


“何故、この人は笑えるのかしら?"

明乃は率直にそう感じた。


「あの、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」


明乃はその理由を聞きたかった。

生粋の令嬢で明乃には心底疑問で、非常に興味が湧いた。


「はい?」


少年はまだボヤけた様子でボヤけた返事を返した。


「何故、飛び出したのですか?」


構わず明乃は本題を切り出す。


「いやぁ、それは…ハハハ」


少年は照れ臭そうに、笑ってごまかす。



「???…何か?」



明乃は“どうかしましたか?"と少年の顔を覗き込む。


「お綺麗ですね」


少年は明乃の投げた会話のボールをアンパイア目掛けて思いっきりフルスイングした。


「ーっ??!」



明乃は顔面が発火したに違いないと錯覚する程、赤面した。


令嬢として生まれ育った明乃には大財閥の当主である父に良く思われようと、明乃に媚び諂う輩も少なくない。


もちろん、おべっかにも慣れている。

なのに、何故こんなにも顔は火照り、頬は朱に染まるのか。


明乃は令嬢である。

それも雇われ社長のなんちゃって社長令嬢とか、何かで一攫千金を得たポッと出の成金令嬢ではない。


世界に影響力を持つ、格式高く伝統ある名家の超大財閥、九法院財閥第15代当主である九法院明允の一人娘なのだ。


まさにサラブレッド。

その血統を守り続ける由緒正しき純血のお嬢様。

そんな明乃は学校でも社交場でも浮いた存在だった。


実家の力が強すぎる為、同年代はおろか、大人達までもが当たらぬ触らぬといった態度だった。


もし、明乃の機嫌を損ねれば…。

その事が父である明允の耳に入ってしまったら。


周囲の人間には、その恐怖の方が“仲良くなって、あわよくば九法院家とのパイプを…"という思いよりも強かったのだ。



つまり、“押し売りの媚"には慣れていても、“笑顔で贈られる、純粋な褒め言葉"には無防備なのだ。



「わ、私は、何故と、飛び出したのですか、と伺ったのです!」


明乃は一分前までの冷静さを何処か彼方に忘れ去り、慌てふためく。


確かに明乃はお世辞や煽てなど、必要のない程に美人だ。


アップに纏められた艶やかで豊かな黒髪。


同じ人種なのかと疑いたくなるほど白く透き通る肌。

しなやかで長い手足。


深窓の令嬢を絵に描いたような、儚げな表情が様になる美しい顔立ち。


完璧過ぎるマネキンに着せられた、ドレスの方がチープに見えるほどの美貌。


少年が見惚れるのも無理はない。


「さっきまで、此処にいたんですけどね…ハハハ」


虚を付かれ、慌てふためく明乃を余所に少年は、また訳のわからないことを言い出した。


「はい?」



今度は明乃がボンヤリした返事を返す。


「いや、だから飛び出した理由です」


理由がいた?此処に?さっきまで?

明乃はまだ何も理解出来ずにいた。


「猫です。猫が道路に飛び出して行くのが見えたから…」


少年は照れを隠すように頬を人差し指で掻いている。


「猫?…貴方、猫の為に?」


令嬢は問う、恐らくは自分の飼い猫でないことは、少年が名前でなく“猫"と語ることからわかる。

だから、問う。


“家族でもない者の為に飛び込んだのか?"と。



「あぁ、はい…」


少年は少し俯き、照れ笑いを浮かべる。



「お嬢様、ヘリが到着致しました」


明乃が呆然としていると、林田が近づき耳元で囁く。

そこで明乃は、パッと我に返る。


「蓮城学院高等部三年、九法院明乃と申します」


「何かあれば、ご連絡下さいませ、この事故について出来る限りのことを致します」


明乃は礼儀正しく一礼した。


「風祭優太です」


優太は搬送の為に乗せられたストレッチャーの上から、明乃に名乗った。


それから間も無く、優太は救急隊に連れられその場を去った。


明乃は林田と車に戻ると、本日の行き先であるパーティ会場へと急ぐ。


その車内でも、“あの少年"のことが頭から離れない。

自分に臆することなく笑顔を向けた家族以外では初めての異性。


車に跳ねられたにも関わらず、謙虚な姿勢で問答に応じる寛容さ。

そもそも、車に跳ねられた理由が猫の為に、という意外性。


明乃が生きる世界で、九法院家の車に轢かれた人間がいれば、それをネタに揺すり、集り、脅迫は間違いない。



九法院家が起こす不祥事とは、それだけで世界経済に影響のある一面記事なのだ。


それなのに、明乃が名乗った後もその態度を崩さなかった。


そんな人間を明乃は見たことがなかった。


大抵の人間は九法院を名乗った途端に引いて行く。


小学校のクラスメイトも、中学の文化祭に遊びに来た他校の軟派な男も、みんなそうだった。


そんな人間しか知らない程、深窓の令嬢が住まう世界は狭かった。


あの少年は、そんな世界に衝撃を与えた。


いや、与えてしまった。

ことも有ろうに、九法院明乃の世界に。



「林田」


気付けば明乃は口を開き、執事を呼んでいた。


「はい、お嬢様」


運転席の林田は、バックミラー越しに、後部座席の主へと目を向ける。



「あの方を…風祭優太様を調べなさい」


自分でも何を言っているのか、と思ったのは言葉を口に出した後だった。


その後、風祭優太は孤児院で育ったこと。

今はアルバイトをしながら、貧しい一人暮らしをしていること。


何やら、絵を描くのが得意であること。


あの事故の後、順調に回復し学校生活にも復帰したこと。


そしてどうやら、明乃と同じ蓮し学院高等部の一年生であることが判明した。


絵画による推薦入学ということだった。


風祭優太という人物の情報を受け取った明くる日、明乃は事故に対するお詫びと快気祝いの挨拶を口実に、自らに衝撃と興味を与えた少年に会いに行くことにした。

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