愛の一升瓶

ザキ…

第1話 愛の一升瓶

 ようやく念願のマイホームを手に入れたはいいが、引っ越しの荷物が片付くには1週間はかかりそうで、このゴールデンウィークは荷物整理でつぶれそうである。


 「あ~割れてる~」


 今年成人式を迎えた娘の穂乃果が箱の中から割れた瓶を持ち上げる。

瓶は蓋の部分から円錐形に膨らんだ部分だけ残り、後は粉々割れて新聞紙に包まれていた。

 私と妻の優子が近寄り、ダンボールの中を覗くと

 割れた瓶の欠片の上で、黄金色に輝く5円玉が大量に盛られている。

 まるで埋蔵金でも見つけたかのように二人はお互いを見つめ合い顔がほころぶ。

 二人は片付けるのも忘れて黄金の山のように輝く5円玉を見つめて昔を思い出していた。



 当時25歳だった僕は山のような仕事を抱えて心の空白を埋めていた。

 僕はマンションに帰るとネクタイを解き、冷蔵庫から良く冷えた缶ビールを取り出す。

 ノートパソコンの前に座り、ビールを口に含む。

 ほろ苦い辛さが口から侵入して来て、僕の体を内側から熱くさせる。


 缶ビールをテーブルに置き、椅子に腰掛け目の前の一升瓶を見る。

 半分まで5円玉硬貨が詰まった一升瓶。

 僕の視線が黒電話と一升瓶の間を彷徨う。

 またビールを喉に流し込む。

 ビールの苦さが僕の口一杯に広がっていく。

 ラジオから流れる小田和正の『ラブ・ストーリーは突然に』思えば彼女との交際も突然始まったのだが、今はよく思い出せない。

 彼女との同棲生活は忘れたくても忘れられないのに……




 僕には学生時代、将来を約束した彼女がいた。

 平凡な僕にはもったいないぐらい、性格も明るくて、優しくて、皆に好かれていた。

 僕が妻にする相手は彼女しか考えられなかった。

 彼女も僕のどこが気に入ったのか、プロポーズを承諾してくれた。

 そうして2年の交際期間を経て、20を過ぎた大学3年生の夏、二人は同棲を初めた。


 二人の甘い同棲生活は、周りからも祝福され、ベストカップルと呼ばれていたぐらいだ。

 僕は親にこれ以上頼りたくなかったので、社会人になって数年してから結婚したかった。

 彼女は学生結婚を望んでいたが、学生結婚が就職の妨げになってはいけないと、僕の意見に賛同してくれた。


 同棲が始まって数日経った頃、一升瓶を空にした僕を見て彼女はこう言った。


 「私思いついちゃった。 雅人君が今空にした一升瓶あるでしょう」


 「え、うん。これ?」


 僕は一升瓶を手にとり5cm程、宙に浮かす。


 「うん。その一升瓶に財布の中の5円玉を貯めて、全て5円玉で満たされた時に結婚する。 ……どう夢があっていいと思わない?」


 「いいけど5円玉じゃ、優子は、おばあちゃんになっちゃうぞ」


 「5円がいいの! 御縁があるっていうじゃない」


 僕の言葉を聞いた彼女は、喜々として一升瓶を洗剤で洗い始める。

 そして、洗い終わると早速財布から5円玉を取り出し、トイレの洗剤で輝かせる。

 金色に輝いた5円玉が瓶の中に投入され、結婚までのカウントダウンが始まったのである。


 それから時折彼女は


 「なかなか貯まらないねぇ」


 と瓶の口を軽く回しながら、一升瓶を見るようになった。



 

 就職も決まり、一升瓶の半分は貯まった5円玉が、僕を奮い立たせる。

 まずは新人歓迎の飲み会が第一関門。

 ここで上司に気に入られるかどうかが、今後の人生を左右すると思い張り切った。

 ……張り切りすぎたのだ。


 飲み会からの記憶は欠如し、朝起きた時には、隣に見知らぬ女性が寝ていた。

 ポケベルの履歴は優子からのメッセージで埋め尽くされていた。

 顔を洗い深呼吸をして息を整えるころには、隣で寝ていた女性も眼を覚まし、ホテルに有ったマッチにポケベルの番号を書いて僕に渡した。


 彼女とはその日以来会ってはいない。




 マンションの自室の前でアリバイを再確認し、深呼吸して扉を開ける。

 僕は飲み会の後、酔っ払ってインターネットカフェで夜を明かした。

 同僚にも口裏を合わせるように頼んでおいた。


 「雅人君、大丈夫? 頭痛くない?」


 優子は二日酔いの薬と水を持ってきて、心配そうに聞いてくる。


 「ちょっと、痛いかな……ごめん、少し横になるよ」


 喉に薬を水で流し込みながら、僕はベッドに向かう。

 体中の毛細血管からお酒が蒸発していく、そんな感じに囚われながら眠りに落ちていった。


 目覚めた時には部屋の中は暗く、我ながら結構寝たなと感心して明かりをつける。


 光に眼をしばたかせ、優子を探す。

 買い物に行っているのか姿は見えなかった。

 ふと、テーブルの上のマッチに眼が釘付けになる。


 そこには、ホテルの名前と女性の名前、そしてポケベルの番号が刻銘に書かれていた。


 いつの間にか彼女の荷物はなくなっており。

 その日から彼女は帰って来なかった。




 ビールを一缶空ける頃には、落ち着いて昨日のコンパの事が考えられるようになっていた。




 「でさぁ、こいつ新人歓迎の飲み会で彼女と別れてから凄い落ち込んで、それからストイックになっちゃって……。」


 隣に座った同僚の田中が、僕をネタに彼女達に話しかける。

 田中の後輩が社会人になり、早速彼はコンパの話を持ちかけ、人数合わせで僕が呼ばれた。

 あれからもう3年経っていた。


 「じゃぁ、それから彼女いないんですか?」


 僕の前に座っている、今年短大を卒業したばかりだという、大西玲子が驚いた顔で僕に話しかける。

 最初、大西と聞いて優子の事を思い出した。

 彼女の姓も大西だった。

 だが、眼の前の彼女は、優子とは似ていなかった。

 思わず苦笑いが出た。


 「そう、5円玉の詰まった一升瓶を置き土産に彼の前から姿を消した。 俺にすぐ連絡してくれていれば、そんな事にはならなかったのに」


 田中は本当に悔しそうだった。

 玲子は複雑な表情をしている。


 「だから、責任感じちゃっているのよ俺も……何度誘っても参加しないんだよ……、付き合い悪いよな」


 今度は僕を非難し始めた。


 「でも、今回参加したって事はもう吹っ切れたんですか?」


 玲子は上目遣いに僕を見つめる。


 「話しあっていたら傷も浅かったと思う。 何も聞かず突然……って結構堪える。 でも、いつまでも過去に囚われていても仕方がないし、前を見ないと」


 僕は自分に言い聞かせるように喋る。


 「その一升瓶ってまだ持っているんですかぁ? 新しい彼女が出来たらまた最初からですかぁ?」


 彼女はあまりお酒は強くないようで、眼が座ってきた。

 呂律もちょっと怪しくなり始めた。


 「その時はたぶん一升瓶処分すると思う。」


 彼女は納得したみたいで、小さく何度も頷く。


 「最後の質問……、今でも彼女の事好きですか? よりが戻ることはありますかぁ? 」


 「もちろん今でも彼女の事は好きだよ、結婚しようと思った程だからね。 でもよりが戻ることはないと思う」


 僕の口にビールの苦さが染み渡る。

 僕の心にも……。


 「一途なぁ人ってぇ、私ぃ好きですよぉ~」


 彼女は頬杖をついたまま僕を見つめて言った。

 その日、ポケベルの番号交換をして解散した。




 片手で新しいビールを開け喉に流し込む。

 僕の視線が黒電話と一升瓶の間を彷徨う。


 ビールを飲もうとした時電話が鳴った。

 僕は一升瓶をみつめながら電話に出る。

 玲子からだった。


 「今お部屋ですよねぇ、悔しいけどお姉ちゃんに譲ります」


 それだけ言うと電話は切れ、替わりに玄関のチャイムが鳴る。

 扉を開ける、と空の一升瓶を抱えた優子がはにかみながら


 「何も聞かずに出ていってゴメンネ。 私、今でも雅人君の事好きだよ。 もし許してくれるなら、この一升瓶を受け取って。 だめならゴメンナサイして」


 彼女は涙を堪えて僕に空の一升瓶を差し出す。

 僕は彼女と持ってきた一升瓶を交互に観たあと


 「ゴメンナサイ」


 静かに言った。

 彼女は右腕で顔を隠し、嗚咽している。


 「だって、もう一升瓶はあるじゃないか、半分も貯まっているんだ。 あと半分でいいだろ?」


 頬をつたう涙が僕の心に甘く沁み渡る。

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