第86.3話 まいと二村の受難

 第四図書室は立ち入り自由ではあるが、基本的に彼らの居城となっているため、新顔が訪れることは、ほとんどない。とはいえ、新規参入を嫌っているわけでもなく――〝室長〟も、大して気にせずいつも通り、部屋の隅で本を読む。彼女の場合は、ここを棲家にしてるんじゃないかと思えるほど居座っており、相手にしないだけだが。

 そして、彼らは大抵、麻雀卓の周囲にいる。

 今日は沢村まいと二村にむらひとしの二人しかいないが、やっていることは牌譜と呼ばれる、かつて行われた麻雀の結果を、改めて並べて直し、その一連を見直すことでの検証だ。

 ちなみに、この場所では四人揃っても、勝負をすることは極端に少ない。あったとしても、一局勝負をすることでの〝研究〟だ。状況判断、読みの精度、結果などを話し合うのである。

「――ここ」

 牌譜を提示した沢村が、進行を途中で停止する。

「上位二名が勝ち抜けって前提で、2000点の手をリーチするか?」

「んー……見た目じゃ山に牌が残ってるかどうか、確信が持てないな。トップは抜けてるが、満貫直撃で入れ替わる状況……ここで千点支払ってのリーチかあ。俺ならしねえな」

「しないか?」

「親番はもうないけど、アガリは拾えそうだ。リーチした時の押し返しが怖い」

「確かに、ほぼ点差のない三人だから、リーチして抑え込みも可能だけど、押し返しがあったら間違いなく、点数が高いだろうしな。しかもドラ1の手だ」

「残り三枚、場を見る限りじゃ対面が二枚は持ってそうな感じもあるだろ? トップ目だし、結構押すだろ、こいつは」

 などなど。

 局面における判断などを、総合的に見るような方法での検証が多い。かなり真面目にやっているが、学生としての息抜きだろう。

 ――そこで、着信が一つあった。

「悪い、俺だ。……ん? 兎仔とこ?」

「女かよ」

「笑ってんなよ仁」

 しかし、なんだろうと思って携帯端末を耳に当てた。

「はいよ」

『よー、ちょっと仕事があって帰るの遅れそう』

「……」

 瞬間、目を細めた沢村は視線を足元に落とした。

 そもそも、兎仔はこんな連絡をしないし、沢村は約束などしていない。いつ帰っても良いようにはしているし、兎仔もそのつもりだ――となれば。

 こういう連絡には、意味がある。

「そっか」

 とりあえず返事をしてから、片手で二村に停止するよう指示した沢村は、拡張現実用の眼鏡を鞄から取り出して装着し、キーボード用のパネルを傍にあるテーブルに置いた。

「どれくらい遅れそう?」

『ちょっとだな、たぶん。……あー』

「話せないこと?」

『んや』

 だったら。

「それ、今すぐ帰ると面倒になりそうだから、先に処理しといてくれってことだろ」

『むしろ関係ねーあたしを巻き込むなっていう、逃げ?』

「深刻そうだねえ」

『いやだって、子爵が三人くらいダウンしたんだぞ?』

「で、コードの断片を拾ったと」

『うん……終わったら連絡くれ、一日で戻れる距離だから』

「県外か、オーケイ。というかたぶん、予想通り、もうすぐ終わるよそれ。どうせあの人でしょ」

『んー。帰って泣きつくからー』

「それは俺の方かもね」

 通話を切って、携帯端末を置いて仮想キーボードを右手で叩く。

「トラブルか?」

「んー、そうとも言えないよ。……ああ、これか。さっきね、子爵位の三人――いや、四人だなこりゃ。サーバーを喰われた感じだ、外部のアタック」

「へえ? 子爵っつーと、男爵の次だから、二番目? お前はその上の伯爵だっけな? よくわかんねえんだ、爵位ってのは」

「日本じゃ馴染みがないからね」

「サーバの構築なんかに〝注文〟が多いって、うちの技術者は嬉しそうな顔をしてるぜ」

 芹沢企業開発課にも、やはりそういう依頼があるらしい。軽く聞けば、そんな爵位持ちの連中が困るようなスペックの端末を用意するのが、技術屋としては楽しいようだ。

「外部ってことは、一般?」

「まあね」

「……ん? いや、子爵じゃなくてまず男爵にアタックだろ、そこは。話は聞いてるが、一つ違うだけでかなり技術レベルに差があるんじゃねえのか」

「その通り。だから、できるけどやっても意味がない――んだけど、ああ、やっぱりそうだ。男爵のサーバを踏み台にしてる」

「マジかよ……他国のサーバを中継するのとは、わけが違うだろ、そこは。こっちはハード専門だが、それなりにソフトウェアへの理解もあるが」

「それを気軽にやってくれるのさ――遊び半分でね」

 言って、苦笑したタイミングで出入り口が開き、彼女が入ってきた。

 ほうと、一言呟いた彼女、朝霧芽衣は、沢村がつけているものと同一の眼鏡を外すと、近くのごみ箱に放り投げ、仮想キーボード用の板も捨てた。

「げ、朝霧……!」

「なんだ二村、貴様に作らせた携帯端末の様子を聞きたくはないのか?」

「いやそれは聞く」

「うむ、だったら嫌そうな顔をするな」

「歩きながら作業しといて、痕跡を消したあとに物理的な証拠隠滅?」

「いたか沢村、その通りだ。足がつかなくていい……が、暇潰しとしてはやや損失が大きいやもしれん。今頃、バージニアにある私のサーバが爆破された頃だろうな、ははは」

 つまり、芽衣が原因で兎仔は帰宅を遅らせたのだ。

 ……わからなくもないと、沢村は内心で納得した。

 実際に腕試しを軽くしたのでわかるが、芽衣の電子戦技術ならば、子爵くらいはいけるだろうと思っていたし、それは現実になった。ただし、踏み台にして相手のサーバをクラックしただけなので――文字通りの破壊だ――これで芽衣が爵位を得た、という事実はない。

 こうして証拠も隠滅してしまえば、自然災害のようなものだ。

 なんというか、徹底している。

 場慣れしていると言っても良い。やり方が戦場の暗殺者みたいだ。結果だけ出しておいて、徹底して痕跡を消す。

「こんなところまで犬のやり方かあ」

「なにを言う、犬ではなく私のやり方だ」

 似たようなものだ。

「ところで麻雀か? 日本式の?」

「おう、しかも競技寄りのルールでの検証だ。一発裏はあるが、赤はなし。アガリ止めなし、途中流局なし」

「ふむ、続けろ」

「詳細か? 南3局の一本場、点差は見ての通りで上位二名が次のステージへ行ける。今は、この状況でのリーチ判断を話してたところだ」

「うむ、良いことだ。遊びも真面目にやらんとな」

「……真面目にやって、爵位潰しかよ、お前は」

「なあに、田宮たちの訓練を見ている間、とても暇だったので、適当に作ったプログラムで遊んでみただけだとも。わかったことは、私ではせいぜい、子爵が限度だろうことだ」

「気軽に言ってやがる」

「ほれ」

「いや、調査道具を持ってない。気軽に個人情報の塊の端末を寄越すな」

「見られて困るものはそう多くないのでな」

「まあいい。不具合は?」

「今のところは問題ないし、そもそも私の使い方は限定的だ。サーバの代わりにしようとは思わん」

「中継した時の処理速度は?」

「多少のラグは見られるが、許容範囲だ。そもそも中継する際にはダイレクトラインで指示だけ飛ばす」

「諒解。便りがないのが良い報せだと思っとく」

「そうしておけ。さて、沢村の調査はどうでもいいとして」

「良くはないよ、精査中だよ。これ対策しとかないと俺の方が問題になるし、っていうか子爵四人どーすんの」

「ふむ? バックアップまではクラックしていないので、なんとかなるだろう?」

「俺ならバックアップごと消すけどね」

「それが賢明だろうな。――さて、どこぞのトカゲはまだ私の存在に気付かんのか?」

 聞こえていると、奥から彼女が姿を見せた。一度眼鏡を外して目頭をほぐすと、沢村のいるテーブルについた。

「ようやくか、青色の竜族」

「我のことは室長で良い。そう呼ばれている」

「おいおい、室長自らこっちに来るなんて、どういう知り合いなんだ朝霧」

「私の師匠の知り合いだ」

「ではニムのために軽く説明しておこう。聞いておけよサワム」

「聞いてるよ」

「こやつの師が亡くなった報せを受けた際に、クーンのところに顔を出してな。その時に弟子であるこやつと出逢ったのだ」

「うむ、その通り。ついでにトカゲの集落を潰したのも、あれがあってこそだ。もっとも、あのクソ猫と違って、このトカゲはなかなか良いトカゲだ。尻尾の肉も美味かったからな」

「また嫌なことを思い出させるんだな、お主は」

「あの時の被害総額を聞きたいか……?」

「自業自得だ、我は知らん」

「……え? 竜の肉って美味いのか?」

「なんだ食ったことがないのか、二村。少し硬いが焼いて食べると美味いぞ。臭みがあまりなく、歯ごたえがあって、火の通りも早い。サバイバルでは重要な食料にもなろう」

「竜を倒す前提だろ……!? できるわけねえだろ!」

「ではそんな貴様に良いことを教えてやる。いいか、竜族なんてのは選民意識を持ったクソエリートと同じく、相手より有利だと勘違いしている学者みたいなもので、足元すら見えていない間抜けの集まりだ。足をすくうのは実に簡単でなあ」

「穿った見方してんなあ……返事は、俺の知り合い1ダースに、竜の尻尾が美味いかどうか聞いてからにしとく」

「小癪な野郎だ。それで、聞いているのか貴様は」

「いや、お主の顔を見て思い出した。きちんと全滅はさせたのか?」

「私の部下がやったことだ、間違いなく全滅させただろう。だがな、トカゲはどうだか知らんが、人間には〝例外〟と呼ばれるものがあるわけだ」

「ほう、言い訳か」

「つまり赤の竜族を一匹ほど確保しといた、私の将来的な選択に対して、そんなものは言い訳だと口にするのならば? 青の竜族も残っていなくても構わんと、そう受け取るんだがな?」

「お主、あれだな」

「なんだ」

「性格が良いな」

「ちょっと待ってくれ室長、それには黙っていられないよ俺は。朝霧さんの性格はどう考えても悪いだろ!」

「む……?」

「私を見るな馬鹿者。いちいち訂正するのも面倒で、私は好きに言わせている」

「いやしかし、こやつの師賞は口でそう言う前に、ナイフを引き抜いて尻尾を輪切りにしているぞ? 何をすると反撃しようとしてようやく、今のと似たような言葉を放たれる。どう考えても、こやつの方が性格はよかろう」

「まったくだ。何を思い出してもアレは性格が悪くていかん!」

 まるで異世界人を見るような目で、二村と沢村が見ていた。気持ちはわかる。

「それで、どうだ沢村」

「ああうん、騒然としてるけど俺としては放置の方向で。結果からコードの断片を組み合わせて過程を読んでるけど、なんでこれ正面突破なの?」

「本職でもあるまいし、いちいち面倒なことはせん」

「ああそう……」

 そんな理由でやられた子爵もそうだが、踏み台にされた男爵も大変そうである。はっきり言って、ゼロからまたセキュリティを組み上げないと、復帰はほぼ不可能だ。もっとも、救いなのは芽衣と同じ手順が、あまり現実的な方法ではないことか。

 たぶん、手順そのものを模倣できない。

「――そういえば兎仔はどうした?」

「今日は帰らないよ、県外にいる」

「まったくあいつは、私の動いた痕跡でも拾ったな? 仕事を振ればすぐ頷いてやるくせに、こういう時は近づこうとしない小賢しさが可愛くない」

「単純な危機回避能力だと思うけどね……」

「私を自然災害のように言うな。まったく、どうしてこう軟弱な連中ばかり私の周りには多いのかがわからん」

「それは、お主が育てる宿命だろう」

「笑いながら言うなトカゲ、そんなのは面倒だ。まあ良い、奥で話そう竜族。少しは昔を懐かしむのも、悪くはない」

「良かろう」

 揃って本棚の奥に消えれば、沢村と二村は顔を見合わせて苦笑した。

「お前、朝霧さんの端末作ったんだな」

「鷺城さんの連絡があってな。つーか、あの二人って似た者同士だろ」

「そう見える? 真面目な話」

「んん」

 雀卓の椅子を一つ引いて、ようやく腰を下ろした二村は、しばらく黙っていたが。

「携帯端末と、タブレット端末」

「なんだ急に」

「差異はあれど、両方とも同じことができる。両方を持ち歩くやつはそういない――だって、片方で事足りる。 それは、

「タブレット端末を使うのは、自宅が多いからな。けど――だったら」

 沢村は笑いながら問う。

「だったら仁、?」

 それは俺が決めることじゃない――二村は、そう言いたげな笑みを返すと、頬杖をついた。



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