余談・彼と彼女のひととき
第24.1話 アキラと熟の思い出
寒さのやわらぎを象徴するような桜が、風に乗って舞う頃、
組織の名古屋支部に務めているとはいえ、国外にいることも多い彬がようやく時間を作れたのは、ある意味で、後には引けない状況だった。
あえてこのために休みを作ろうと働いたわけでもなく、暇があれば訪れようと思っていたけれど乗り気がせず、まだ忙しさが続いてくれればと願うような、複雑な感情。だがそれでも、どうしたって、逢いに行きたい気持ちはあって。
「よう――」
三棟のビニルハウスから出てきた男に声をかければ、おうと、相手も短く言葉を返す。視線で敷地内にある作業場に併設された母屋を示され、彬は首を横に振った。
そうかと、
そして、煙草を一本取り出すと、箱もまた、テーブルに置いた。
もう一つの椅子に座った熟も、無言のままグラスを二つ、母屋からESPを使って取り出すと、酒を注いでから、同じ煙草に火を点けた。
友人であるジニーの吸っていた煙草ならば、火を点ける理由がある。
この酒も、そうだ。
「わかっちゃいるんだが……改めて、お前に逢うと、もうジニーがいねえってことを突きつけられるみたいで、嫌になる」
「同時に、今の年齢を考えるだろう? 同世代の友人なんて、そんなものだ。わかりきっていたこととはいえ、堪えるな。若い連中がいるのが救いだ、せいぜい長生きしてやらにゃいけねえや」
一口、いやに辛いウイスキーを飲む。人生にゃぴったりの味だ――なんて、ジニーは苦笑しながら言っていたか。
「お前が来るのは十五年ぶり――くらいか?」
「ん、たぶんそんなもんだ。いつでも逢えると思うと、どうしたって足は遠のく」
「たまに来たかと思えば、こんな時だ。ジニーのお陰だとは思いたくない」
「まったくだな」
「朝霧はどうしてる?」
「軍の訓練校に入った、書類は俺が用意したから偽装も完璧。特に年齢詐称の部分はな……ちょうど良く、特例で若いのを十数人だけ、投入してみようって流れもあったから、そこに便乗した」
「……あえて、朝霧は特例に入れずに詐称か?」
「その方が誤魔化しやすい。お前の知ってるとこだと、
「安堂の倅は知ってる、同業者だ。カトレヤを作ってるからな。ついでに、養子を取るだのと面倒があったのも」
「別の推薦だったが、その安堂は実家からちょっと離れたいから、軍の門を叩いたんだと。世も末だろ」
「はは、どうだかな。サトリはうちの娘が拾った子だ――というか、俺からすりゃ娘と年齢なんぞそう変わらんだろうにと、思ったんだがなあ」
「そっちは根性を叩き直すって、ケイオスが言ってたな。……朝霧に関しては問題ねえよ。戦場に出てくたばるような育て方はしちゃいない」
「嫌味なところまでジニーにソックリだ」
「ああ、まったく、その通り。お陰で俺は、朝霧がいる限り、そう簡単にくたばることもできやしねえ。余計な手出しはしないが、それでも、どこへ行くのかは見てやりてえ……」
「彬、お前な? それをてめえの孫に向けてやれよ」
「
「鷺花の方がお前さんに合わせてんだろうが」
「……だろうな」
「以前行った時、久しぶりに楽しそうなジニーを見た」
「ああ……俺もだ」
別の職業に手をつけた二人と違って、ジニーは仕事が生活だった。だから、その全てが普通だ。感情表現そのものはあっても、本音で楽しそうにしている姿など、年齢を重ねるごとに見なくなった。
かつて。
雨天彬と戦闘訓練と称して街中を飛び回りながら、遊んでいた頃や、転寝熟が旅をしていて、ふらっと顔を見せて嫌味を言う時のような――楽しそうなジニーは。
けれどでも、朝霧芽衣といる時に、見ることができた。
「朝霧がどう思っているかは知らん。だが、ジニーは朝霧に救われたはずだ……」
「悔いはあったが、満足したと言ってたそうだ」
「――クソッタレが」
奇しくも、それは彬と同じ台詞であり。
「残された方の不満を考えろ、あの馬鹿」
そう言ってやるのが、二人の役目だ。
「
「まだわからん。あのクソ野郎が、生きている間に手配したから、かなり先になるだろうな」
「あいつは……ったく、しょうがねえ野郎だな! 俺らの手伝うことがありゃしねえ!」
「俺らの世話にはならんってことだろ……」
「……ああでもわかるなそれ。逆の立場なら絶対そうする」
「お前ら揃って捻くれてるからなァ」
「言ってろ」
「何なら、お前の息子に聞いてやろうか? きっと熟の望む返答はないぜ」
「うるせえよ。だがまあ、なんだ、朝霧がどう育ったのかは興味がある」
「直接顔を見たのは、俺の方が先だったからな……」
「そういや、そうだな。愚痴を言われたのは同じだろうけど、まあジニーはいろいろ考えすぎだろう、あれは。危なっかしくて目が離せねえ、けど師として手を貸すわけにもいかねえ」
「だからお前ちょっとやれって? いいじゃねえか、俺なんかその一言もなしだぜ? わかって当然、やって当然ってツラでこっちに放り投げる」
「そりゃわかる彬が原因だろう? お前も考えが過ぎるからな?」
「エスパーが一番鈍感ってのも、どうかと思うぜ?」
「そのくれえじゃないと、やってらんねえよ――ん、来たか」
「は? 来客か?」
「いや、息子」
「ああ……」
はて、しかし今日は休日じゃなかったはずだがと思っていれば、少年がやってきた。熟がグラスを軽く上げれば、こちらへ来る。
「おかえり。邪魔してるぞ、
「ああ……彬さんか。喫茶店でたまに逢う」
知ってるのかと熟が口を挟む前に、夢見はそう答えた。
「どうかしたのか?」
「友人の見送りだ」
「そうか……じゃあ、親父の酒も今日ばかりは文句は言わない方がいいな」
「学校はどうした」
「単位の調整休み。義務教育ってのは、卒業させるのが目的だし、上手くやんねえと、クソ詰まらん座学を
「うちの――俺のいる軍部の訓練校じゃ、お前みたいに上手くやる小賢しい連中は多いけど、こっちじゃ浮くだろう」
「浮いた方がやりやすいよ。問題児として教員もこっち確保したがるし、対一で話せる機会がありゃ、こっちの事情も通じやすい」
「ったく、確かに放任してんのは俺だが夢見、お前そのずるいやり方を誰に学んだ?」
「主に、姉貴の世話を押し付ける親父からか……?」
「ははは、上が自由にやってりゃお前もそうなるか」
「どっちかっつーと、面倒には慣れたんだけどな。相手次第ってところか……親父、仕事は?」
「出荷準備は明日だ、いいから休んどけ」
「おう。熱いお茶でも差し入れてやる、過ぎるなよ。親父だけじゃなく彬さんもな」
「おう」
こいつもこいつでガキらしくはないなと、苦笑して見送った。
「離れた子の方が大変だって聞くぜ?」
「まあな。夢見が生まれた時に、あいつもいなくなったから、男親だけで育てるとなりゃ、余計に難しい。
「ジニーは結婚しなかったが、俺のところもそうだし、どうも妻ってのは早く亡くなる。……考えたくはねえが、な」
「良し悪しはないだろう? ジニーが正解だったとも思えん。だいたい、娘息子と弟子は違うものだ」
「俺に言うなよ、わかんねえ。武術家として、息子は弟子みたいなもんだ」
「あー、お前んとこはそうだよなあ……」
「自分とこは普通だってか? おい熟、ンなことはねェだろうがよゥ」
「口調が昔に戻ってるぞ彬、まあ俺としちゃそっちの方が馴染んでるがな」
「ふん。お互いに引退したんだ、身の振り方くらいは変わるだろ」
「その話になると、現役のままでいたジニーのクソッタレの話になる」
「まあな」
「俺に言わせれば、お前もそうだが、そういう生き方しかできない不器用な野郎にも見えるんだけどな」
「馬鹿言え、俺なんかとっくの昔に、椅子を尻で磨くような仕事はもうご免だと思ってる。けどお前……朝霧がこっち来るんだから、まだ辞めるわけにはいかねェだろ」
「だから、そういうところだよ」
「うるせえ」
「ははは、お前は昔からそうだ」
確かにそれは自覚していたが、この年齢になってまで笑われると、なかなか癪であった。
「だがまあ、これで最後にしとこう彬」
「ん?」
「次は、一人で見送り酒だ。そうなりゃ笑い話にもならん」
「……そうだな」
二人だから、まだこうして話していられる。だが、一人で飲めばこうはならなず、愚痴ばかりが口から出て、ともすればイライラして八つ当たりの一つもしたくなる――であればこそ、二人はこうして一緒に飲んでいるわけだ。
空を見上げれば、今日は雲が多い――はて、さきほどまで晴れていなかったか?
「あ、おい彬、お前だろこの雲」
「うるせえなァ、意識せずとも雨を呼ぶくれェには昔の気分なんだよ」
「飲み過ぎるなよ……」
ビニルハウスの天井が換気のために開いているので、雨が降ったら閉めなくてはならない。小雨が短い時間ならば、まあ、構わないのだが。
「仕事はどうだ?」
「最大効率で最小化してるから、やり始めた頃よりも楽だな」
「食っていけるだけの稼ぎを、上手く目指した結果だってか?」
「ハウス一棟ぶん、仮に冬の暖房を考えた場合、ベンチに空きがあればあるだけ、無駄が増える。つまり最低限、三連棟のこのハウス一杯ぶんは、どうしたって作らないと経費ばっかで赤字になるわけだ。かといって、このハウスだけじゃ食って行くぶんには足りないから、隣にもう一棟だけある」
「なるほどな。隣の小さいハウスも、ベンチ一杯で作らなきゃ赤字か」
「だが、それで作業が間に合わないんじゃ駄目だし、人を雇えばより経費がかかる。売り上げの金額ばかりを気にして、どうにかなる世の中じゃないからなあ」
「ああそうか、今は娘も働いてたな」
「夢見だって遊んでるぞ?」
「いいんだか悪いんだか……」
彬の個人的な見解としては、火遊びなんて若いうちにやっておけ、みたいな感覚がある。もちろんそれは、自己責任であるし、他人の子だからこそ言えることだ。
母屋から、ラフな格好に着替えた夢見がお盆を片手にやってきた。
「玄米茶だけどな。まだ酒も残ってるか、ちょい早かった」
「おう、ありがとさん」
「歩いて帰らないといけないし、そんなに飲まない。それよりお前、安堂は知ってるのか?」
「ん……」
テーブルにお盆を置いた夢見は、詰まらなそうに腕を組んだ。それがいつもの態度だ。
「親父の仕事関係ってのもあって、酒場で隣に座る女よりは知ってる。あいつ自衛隊に入っただろ?」
「いや米軍に来た」
「彬さんの管轄か? ――あいつの馬鹿は今に始まったことじゃない。クソみたいな理由で実家から離れたいとか言い出したから、お前思春期の子供かよって笑った後、自衛隊なら文句も出ないだろって、適当に言ったんだが、まさか
実際に夢見が自衛隊を口にしたのも、友人である鷹丘少止が軍訓練校に一度入ってくると、そう言っていたからだ。
「で、お前は夜遊びが酷いって?」
「俺は遊んでない……親父だな? 金を稼ぐのに、夜間の〝掃除〟をやってるだけだ」
「遊びじゃなくて仕事か」
「俺らの頃は、それすら遊びだったからなあ……」
「やれやれ、時代に取り残された老人になるのは、俺じゃなくて熟の方だったな。現役の連中を見てないから、老け込むのも早い」
「言うじゃねえか彬、現役がどうの言うなら、お前はどうなんだ武術家。俺が見たところ最盛期の三割ってところだろうが」
「――おい、親父、そいつは本気か?」
「嘘言ってどうする」
「言い訳にはしないが、実際に最盛期を基準にしたら、三割を切るくらいだぞ、夢見。加齢を込みにして欲しいところだけどな?」
「マジかよ……ちょっと遊んだだけで、俺じゃまったく歯が立たなかったんだけど」
「いやお前程度じゃ話にならんぞ……彬、ちゃんと加減したんだろうな?」
「言うほど真面目に相手をしちゃいねェよゥ」
「まあ、それもそうか」
「親父、なあ、本当に親父は若い頃、彬さんと遊んでたのか?」
「昔の話だ」
本当に、昔の話だ。
今はいないもう一人も、ちゃんといて――ああ。
あの頃は楽しかったと、そう思える。
今がどうかじゃなくて、かつてが楽しかったと思えることは、たぶん、これ以上なく幸せのことなはずだ。
それが二度と訪れないものだとわかっていても。
かつて、そうだったことは、事実なのだから。
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