第81.3話 ルイの命の居場所

 白輪の大花パストラルイノセンスの名を持つ狩人ハンターに後始末を任せたルイは、自室に狙撃銃を置き、一階で天来てんらい穂乃果ほのかと昼食を摂っていた。

「いつからか、その明確な境界線は覚えていないが、どういうわけか俺も、オンオフが作れなくなった」

「はあ……それが仕事でも、プライベイトでも?」

「酒場で呑気に飲んでる時も、こうして食事をする時も、戦場に一人で残された時も――だ」

「それは部隊の誰もがそうなんですか?」

「現場を見て意気込むようじゃ準備不足だと、よく言われた。実際に切り替える必要性がなくなれば、俺みたいになる」

「というか、そもそもルイくんは、どうして忠犬になったんですか?」

「……なんでそれを?」

「いえ、先ほどの話を聞いている限り、ルイくんだけは、みたいな感じで聞こえたので」

「まあ実際に、部隊発足から半年での編入だったからな。俺はサウスカロライナの訓練校に、八歳の頃からいる」

「――え? それは、規定年齢に達してませんよ? 確かに、朝霧さんがいた頃は、特例として十数人が規定以下の年齢で入りましたけど」

「特例、ね。ちなみに、朝霧中尉殿は年齢詐称だ」

「……そうなんですか? あ、いえ、確かに当時なんですが、私が調べた限りでは規定年齢に達していましたし、知り合いに言わせれば書類は真っ黒だったそうです。あまりにも経歴が綺麗すぎる――と」

「うちには、その情報を得た際に、特例そのものが中尉殿の存在を誤魔化すためだ、なんて考察する捻くれ者がいてなあ……」

 主に安堂あんどう暮葉くれはとかいう男だが。

「実際にその頃から訓練をしてたわけじゃない。まだ躰を作るような年齢じゃなかったし、そこそこ。やってたのは雑用ばかりだ。だから軍属期間そのものは、ほかの連中より長い。……だから、ほかの連中よりも死を見てる」

 最初は、よくわからない。

 現場に出ていたわけでもなく、ただ、お前の仲が良かったあいつが死んだ、こいつが形見だと言われて渡されるだけで、実感が持てない――だが、二人目で否応なく痛感する。

 形見になったあいつらは、もう二度と、逢うことはないのだと。

「俺が若かったのも原因なんだろうな……どいつもこいつも、俺には生きろと言う。ギニア撤退戦でしんがり配属された時も、俺が望んで引き受けたのに、相棒のホーナーは下手を打って――俺に行けと、生きろと、そう言った」

「……私にも、そう言われた経験があります」

「言われたら、感情がどうであれ、――」

 食後のお茶を差し出され、そこで一息。

「直属の上官である兎仔とこ軍曹殿には、死にたがりのクソッタレだと、よく言われたよ。実際にそうだ、俺はただ強迫観念のように、それを抱いてるだけだったからな。穂乃果、つまりお前の観察は正しい」

「その、犬に入ってからも、そうだったんですか? 正直なところ、あの忠犬の一人なら、余程のことがない限り生還しそうなものですが」

「結果を出して生きて帰れと、中尉殿には命令されてる。それでも死にたがりの俺は、軍曹殿に命を預かって貰ってる。だから今の俺は、死ねない」

 むしろ。

「死ねない理由が増えすぎて、生きるしかない……だから、俺は犬だと胸を張れないんだよ」

「私から見れば充分に犬ですけどねえ」

「なんでそんなに嫌そうに言うんだ?」

「楽しそうに言う人なんていません」

 断言である。

 死にたがりなんて言われるし、認めてもいるが、それは自殺志願者のものとは、明らかに違う。戦場において窮地を選択しがちであり、リスクがある方を選んでしまうのだ。

 これで死んでも良い、そう思える理由を探してしまう。

 逆に言えばそれは、仲間のためならば命を賭けられる――ただ、それだけのこと。

 悪いことじゃないが、部隊の人員は消耗品じゃない。

「さて、煙草を吸ってくるが、お前はどうする?」

「どうって――あ、行きます、行きます」

「ん」

 席を立って玄関から外へ出れば、ジャケットを着た女性が片手を上げて近づいてきた。

「ご苦労、ラル」

「うん、まあ本当にね? 私はいつから雑用係に任命されたんだろうって考えるんだけど、結論はどこに落ちてると思う?」

「少なくとも鏡の中にはあるだろうが、残念ながら俺の手は届かないな」

「ああそう……」

 ラルの顔には、と描いてあるようだった。

「で、なんだ? 死者なし、証拠品は健在、これ以上なくスマートに終わらせたつもりだが、粗探しをして嫌味を言うのが狩人ハンターの仕事なら聞くが?」

「それは政治家の仕事。今回の件の報告書は?」

「まだだ」

「ああそう。こっちに上げてくれれば、今回の経費で落とすけど?」

「今晩の酒のグレードが二つくらい下がるが?」

「弾薬支給くらいしようって配慮をするとこれだ……あ、穂乃果久しぶり」

「あーラルさんでしたか、お久しぶりです」

「呑気な丸顔になったわねえ」

「私の顔は変わってません!」

「冷徹、冷酷、氷と呼ばれた女はもういない……何かの小説のタイトルに使えそうね?」

「私の人生なんて、大したものじゃありませんよう」

「だろうな」

「……だろうな?」

「事実だろうが、突っかかるな面倒臭い。使用品の補充なら、俺の流儀でやるから心配するな。どうしても経費が払いたいなら、現物が揃ってから領収書を送ってやるよ」

「いらないから……というか、範囲制圧用の〝かご編み〟なんてよく手配できたわね? あれ、車の足止め用、二十台を前提でしょ」

「いや鉄のやつ、対戦車妨害用。進行方向変える時に砂地で使うアレを流用した」

「馬鹿でしょ?」

「結果、無駄にならなかったんならいいだろ」

「……それはつまり、この町に戦車が来訪することを想定してたってことですか?」

「少なくとも、車じゃなく戦車でも足止めはできただろうな」

 鉄なので重いし、戦車には有効的とは言えないが、地雷を使えない局面ではそれなりに有用なトラップだ。随伴兵ごと罠にかけれるのも利点である。

「あ、もっと厄介なのが来た。私帰る」

「え? ラルさん、もうですか?」

「うん仕事あるし、また今度飲みましょ穂乃果」

「ええ是非」

「チッ……ちっこいのが呑気にやってきやがった。さてはあのクソチビ、面倒だから仕事を辞めたな……?」

 ラルとすれ違うようにして、男女のペアがやってきた。盛大な吐息と共に、ルイは二本目の煙草に火を点ける。

 にわたずみ兎仔とこ

 そしてもう一人は、アリスこと沢村まいだ。

「――よう、初めましてシリャーネイ」

「おう、ルイでいいぜアリス。お前に逢ったらまず言おうと思ってたことがある」

「隣にいるクソ間抜けな女がちょっと邪魔だった時に、俺がそれとなく意地悪をして足止めをしたのに、本人が気付かなかったことか?」

「えー……?」

「いや今回みたいに、仕事終わりにふらっと顔を見せた軍曹殿が、男と真面目に交際始めたけど楽しくて仕方がないんだよな――みたいなことを唐突に言い出したから俺が、ごくごく自然に頭の心配をしたら十二発の九ミリを撃たれたんだが、俺の対応に不備でも?」

「生きてて良かったな」

「それだけか……」

「まい」

「おう。ここ、フライングボードの認可エリアだろ? ちょっと楽しみだったんだよ」

「道沿いに行った右手に、土屋つちやボード店ってのがある。レンタルもやってるから顔を出せばいい」

「ありがとな。んじゃまた」

「あいよ。――さて、軍曹殿?」

「おー」

「俺を理由にデートをするのはまったく構いませんが、しかし、報告書はまだ書き終えてないくらいには、つい先ほどのことなので俺からは何もありません。それとも、俺より早く片付ける気が少しでもあったのならば――っと、何故蹴るんです?」

「手が届かないから殴れねーんだよ、生意気に避けやがって」

 そんなことはわかっている、ちびっこいし。だからよく蹴られた。

「中尉殿からの仕事はどうだ?」

「次はやめてくれと伝えて下さい。お陰で準備した物理罠を使うはめになった。せめて前日には教えて欲しかったところです」

「期待だと思えよ」

「うちの組織で使っていたブースタードラッグでしたね」

「らしいな、あたしはノータッチ。しばらくいるからな?」

「…………」

「返事は、ルイ」

「俺のこの嫌そうな顔がハッピーに見えたら、眼科へ行くことをお勧めします」

「その前にデート」

春巻き野郎スプリングロールは?」

「軍の折衝とかあるけど、面倒だからハコだな」

「俺に回されないならそれで。それと、夜に飲むなら穂乃果を差し出すんで」

「てめーはまいの相手をしてりゃいいんだよ」

「諒解。――で、何しにきたんです、軍曹殿」

「だからデート」

「はあ、さようで……」

 もしかして、本当なら兎仔の仕事だったんじゃないのかと、上官を疑う程度にはルイも犬らしくなっている。だが、追及すると余計な面倒になるのもわかっていたので、それ以上はなく、見送った。

「丁寧な言葉を使うんですねー」

「上官だからな」

「でも態度は部下じゃないですよね」

「犬だからな」

「まったくもう……」

 中に戻って、冷めたお茶を飲めば、穂乃果は改めてお湯を沸かしはじめた。

「アリスと呼んでいましたが」

「ん、データ持ってないのかお前。現行の伯爵位にいる野郎だよ」

「いや持ってるわけないですよ……そもそも顔を隠してますし」

「電子ネット上で隠されてるなら、別のアプローチをすりゃいいだろ。こっちは敵地潜入の〝かっこう〟だって全員知ってる。捜索だって遊びになったからな」

「犬のボール遊びじゃないんですから……」

「似たようなもんだ」

 屋内では基本的に吸わないようにしているので、煙草を取り出そうとした手を止める。どうもあの上官は逆らえそうな気がしなくて、いけない。態度も嫌味も言いはするが、本質的な部分を冷静に考察すれば、――逆らいたくない、怖い、そういう感情が存在する。

 兎仔は軍から引き抜かれたわけじゃない。おそらく、軍に所属していたことは、――ない。

 最初から一人で完結していて、それこそ犬らしい人物。

 だが。

 そんな兎仔でも、朝霧芽衣には至れていない。

 たぶん犬としての錬度は、上官の姿を見て、傍にいた時間そのものに比例する。

「ブースタードラッグですか? 軍用の?」

「いや、うちの組織が開発していたものが流出した。どちらかと言えば、んだろうが、そこらの意図は予想でしかない」

「軍用とは違うものを開発してたんですか?」

「どういうわけか忠犬にいた専属医師がそちらの開発に余念がなくてなあ……主に趣味と暇潰しで」

 ブースタードラッグが〝悪い〟と、そう断言せずともイメージとしては良くないだろうが、実際の現場ではそれが必要になる。

 絶対に外せない狙撃の現場で視力を向上させたり、夜間戦闘を前提とした薬など、一時的な身体向上を望まなければいけない局面に、兵隊というのは投入されるものだ。もちろん使わない方が良いだろうし、身体的にはそれが普通である――が、今のブースタードラッグは常用を基本的に禁止としているし、後遺症がないことが前提になっている。

 ――だとして。

 後遺症もないのに、今の薬よりも良いものが開発されたら、どうだ?

 そして今、その著作権が、見えざる干渉インヴィジブルハンドの手から離れた。

「盗んで開発すりゃ、相当な儲けにはなるだろうな」

「組織からの流出ですし、そこらへんは追及しないんですか?」

「何故だ? どう考えても、

「へ? その根拠は何です?」

「犬にいた医師がメインで作ってた代物だ」

「確か吹雪さんでしたね」

「その通り、医学界に席を持ってる医師が、公的な仕事として犬に招致してた。つまり? なんの違法性もない立場できちんと薬を作成した、その設計図が流れているわけだが、おかしいと思わないか?」

「……おかしいですね。理由がわかりません。そんなものを盗んで、価値があるんですか?」

「今のところは、あるだろう。何故ならば、うちの医師はその薬を公的なものとして登録していない――ま、いつでもできるだろうがな」

「した瞬間に紙屑ですね。独占もできなくなりますし、金銭的価値がまったくありません」

「だが、連中はそれを知らない。というか、知っている人間の方が少ないだろうな……」

「え? そうなんですか?」

「それが中尉殿のやり方だ。途中で面倒になって誰かにやらせて、そいつがしばらく追いかけっこをすると、いつかその事実にたどり着く。で、文句を言えばこうだ――どうして貴様は最初にその事実を言わないんだ?」

「性格が悪い……!」

「その事実に気付いている俺だって、じゃあどうして中尉殿が馬鹿どもを追っているのか、その理由までは至っていない。そういう人なんだよ……だから、中尉殿の仕事はしたくないんだ」

 その時に見せたルイの顔は、犬の名前を聞いた時に穂乃果がする顔にそっくりだった。

「ともあれ、これで終わりなんですよね?」

「そうならいいな」

「肯定してください!」

「中尉殿に言えよ」

 まったく。

 罠の廃棄に入手、再配置の労力を考えれば、まったく割に合わない仕事である。



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