第85.1話 ケイオスと午睡の事後処理

 雪明りなんてしゃれた名前をつけるもんだと思いながら、ケイオス・フラックリンは喫茶SnowLightの入り口をくぐった。

「お……」

 低音量で流れる古臭いピアノジャズに思わず足を止めたが、思い直して扉をしめた。そこらのダンスバーとは比較にならないほどの音色は、十五インチのダブルウーファーが静かに刻む低音でわかる。ホーンで拡散された中音、そして癖のない高音――ああ、そうだ。

 ステレオなんてのは、音量が低いほど、設定の機微がわかる。本来の音量で鳴らした際の迫力さえ感じるのだから、かなり手が加えられているはずだ――が。

 本題はそうではないと、周囲を見渡せば、昼過ぎだというのに客がほとんどいない。その中、窓際のテーブル席にいる女性に気付いたケイオスは足を向ける。

「鷺城先生」

「……なによ」

 不満そうな表情に、ぎくりと強張る躰を誤魔化すように苦笑する――と、そこでようやく、こちらに背を向けるようにして対面に座っていた女性が。

「朝霧芽衣?」

「久しいなフラックリン、文句があるのでまずは座ったらどうだ?」

「ケイオス、何を飲む?」

「え? あ、ああ、なんでも」

「じゃあちょっと待ってなさい」

 おうと、椅子を引っ張って腰を下ろせば、右側にいる芽衣が足を組み、左側の鷺花が席を一度立った。

「……なんだ? お前ら知り合いか?」

「そんなことはどうでもいいし、あとで説明するのは鷺城の役目だがともかく、貴様、嫁の錬度が低すぎて話にならんぞ? 夜の技術を学ばせる前に、処世術を教えたらどうだ? サトリのことは百歩譲って、まだまだガキだと許してやるにしてもだ、私の輸送すら満足に行えんクソッタレだったぞ?」

「二日も愚痴を聞かされた俺の身になって考えてくれ……」

「そんなものは錬度不足の一言で済む。そして、嫁のネボスケがあんなだから――サトリがきちんと育たんのだ。フラックリン、貴様はもう少し、拾った息子と向き合え。あんなザマでは、戦場に出した途端に、ころっと死ぬぞ」

「どこまでの戦場を想定してんだよ? そりゃお前と同じ場所に行くってんなら、俺は全力でそいつを回避させる」

 腕を組んだ芽衣は、呆れたような吐息と共に、それを言う。

「――隣にあるのが、戦場と呼ばれるものだ。違うか?」

 その言葉に、ケイオスは反論できない。

「つまり意訳すると、どういうわけか私の顔を見るたびに泣き出すあのクソッタレをどうにかしろ……貴様の嫁のことだ」

「トラウマになってんだよ、お前が無茶ばっか振るから」

「ふん」

 そうして、珈琲を三つ持った鷺花が戻ってきた。

「――で、なにケイオス。見ての通り私は、ここのところ犬ばっか寄ってきて不機嫌なんだけど?」

「は? そりゃまたなんで」

「日頃の行いが悪いのでな」

「あんたが言うな! だいたい芽衣が、春巻き野郎スプリングロールの件で私を中継するよう犬に伝えたんでしょうが!」

「はて? なんのことかよくわからんが」

「犬として介入するけど、いいのか? ――なんて確認があったわよ!?」

「ほう! つまり今回の件ではお前が責任者となって犬が動いたわけだな? これは驚きだ」

「……芽衣、いいから本音を言いなさい」

「退屈はいかんぞ、鷺城」

「やっぱあんたが原因じゃない……!」

 ――鷺城鷺花の印象は?

 そう問われた時、間違いなくケイオスは、今、目の前にいる女性とは合致しないと答えるだろう。

 冷静でいて、上から目線。それは純然たる実力差であり、油断や隙を排除した先にあるものであって、錬度不足は常にケイオスが痛感していた。

 訓練教官として赴任した初日、吸い込まれるようにして喰らった拳は、そのまま肋骨を二本壊し、衝撃で吹き飛ぶこともなく崩れ落ちたケイオスは、左側からの蹴りをかばった左腕も骨折して、全治二ヶ月だったのを、まだ覚えている。

 いや、覚えているのは、その時の台詞だ。


 ――なんで避けないの?


 冗談でもなんでもなく、本音で不思議そうに問われた時点で、実力差は明快であった。それ以降、術式を中心に多くのことを教わったが、しかし、未だに近づいた実感もない。

 鷺城鷺花とは、そういう存在なのだ。

 先生と呼んではいるが、畏怖と共に、未熟さを痛感する相手で――。

「ケイオス、本題」

「失礼」

 短く言われれば、背筋が伸びることはないにせよ、息を飲むような間を作ってしまう。

「ふむ……」

「芽衣は気にせず」

「スプリングロールの件に、犬が介入してて、四日で九割片付いたって結果報告くらい、しとこうと思ったんだが……必要なかったか?」

「なあに、嫁に逢うついで? それとも、理由がないと逢いにこれないヘタレ?」

「前者で頼む……というか、オユニとメイリスはどうしたって話も聞きたいんだけどな。こっち顔見せに来てないのか、先生」

「きてない」

「あのクソ女連中なら、やることがなくなって酒を飲んでいたそうだ。まったく情けない話だがな」

「私を見て言わないの」

「実際、俺は犬のやり方をそれなりに知ってたから、紛れることもできたけど、あいつらじゃ難しかったか……」

「ケイオス」

「ん?」

よ馬鹿」

「邪魔にはならん、という一定の評価だろうなあ」

「……朝霧はどうしてたんだ?」

「何を言っているのかよくわからんが、あの程度で何故、私が動かなくてはならん? 命令を出した覚えもなければ、報告を受ける理由もない」

「やりたいようにやるのが犬よ。芽衣そっくりで嫌になる」

「ほう? 人数が多いぶん、連中の方が嫌だろう?」

「弁えてるだけあいつらの方がマシよ!?」

「安心しろ、鷺城がクソ女だということは昔からよく知っている。では鷺城」

「ああはいはい」

 席を立った朝霧芽衣は、支払いを済ませるとそのまま出て行った。

「……なんだ、あれ。どういう知り合いなんだ? 正直言って俺は、犬との関わりは極力避けてるんだが」

「あんたらの教官とする赴任前に、一年ほど、訓練をしてたのよ」

「は? ――え? 俺らの前に、訓練を見てたってことか?」

「馬鹿。してたのよ、あいつと、殺し合いを」

「……えぇ」

「なにその顔は」

兎仔とこが朝霧を初見の時もそうだったし、俺も訓練校で見た時には――鷺城先生ならどうだ、なんてことを考えたけど、奇しくも正解かよ……!」

「私とあいつを一緒にしないで。でもまあ、いないから言えるけど……私を」

 吐息が一つ、落ちた。

、芽衣だけでしょうね」

「おい、おい先生、朝霧はそこまでなのか?」

「そうよ知らなかったの? あれだけ犬が厄介なものだとわかってたのに、芽衣の評価は低いのね」

「いや高くしてたけど、そこまでとは思わねえだろ……」

「口が悪いのを差し引いても、それだけの実力が裏打ちしてんの」

「そうだとしても、なんでスプリングロールの件であいつら、介入したんだ?」

「ほかの誰に任せられる?」

 端的に、そう問われればケイオスは返答に困って、珈琲に手を伸ばした。

 乱暴とも思える方法で、それぞれ違うやり方で、けれど同じ結果を出して、事後処理はともかくも実質四日、そのくらいで済ませてしまったのは、間違いなく、忠犬部隊そのものだ。

「ゆっくりしてきなさい」

「あ、ああ」

 どういう意味だと思ったら、エプロンを装着した鷺花が客の相手をするのを見て、働いているのかと気付く。

 ケイオス・フラックリン少将は――昇進したのだ――ランスに所属はしているが、立場としては軍属に限りなく近い。ただ部隊を預かったりするよりは、単独行動が多く、情報集めも含めての立場だ。一人の兵士としての扱われ方はない。

 全体の調整役――と、言えばいいのだろうか。

 実年齢を指折り数えれば、もう四十の数字が見えてくる。本来なら椅子に座って、やるにしたって陣頭指揮くらいなもので、現場からは離れてもおかしくはない。

 だからこそ、普段から意識しないようにしてきた。こうやって年齢を認識すれば、体力の衰えなんかも自覚してしまう。誤魔化しながらやってはいるが、これ以上の〝成長〟は見込めないだろう。

 事実は、事実。

 これ以上がないなら、今ある何かで埋めるしかない。

「張り合うのに疲れたら先はない――か」

 軍属時代の同期に言われた言葉を思い出せば、苦笑もでる。そういえばジェイル・キーアは鈴ノ宮にいるんだったか。

 音楽に耳を傾けながら、しばらくすると、来客があったのでケイオスは片手を上げた。相変わらず眠そうな顔をしている転寝うたたね午睡まどろみはしかし、小走りに近寄ってきて――。

「ケイ、私は怒ってます」

「は? 急になに言ってんだ午睡」

「なんで待ち合わせここ!? 鷺花がいるところとかなに考えてんの!」

「――うるさいわよスイ」

「ひいっ、ごめんなさい!」

「お前なあ……いや、気持ちはわからんでもないが、泣きそうな顔をするな。朝霧がいないだけマシだと思え……ん? 朝霧がいると、どういうわけか鷺城先生が悲鳴を上げる時があるんだが」

「ああうん……ちょっと前に、なんでか、実家に来てた、あの二人。逃げれなくて泣いてた……」

「お、おう、なんかお前、トラウマ? そういうの?」

「あいつら怖いんだもん!」

 あーこのパターンだと慰めるのに半日かかるなーと、それがわかるだけの付き合いになったのか。

「とりあえず座って注文しろよ」

「うん……甘いの。すっごく甘いの」

「疲れてんなあ。しばらくこっちいるけど、どうする?」

「うち来て」

「ん、サトリの顔を見てからな」

「ケイはアメリカ?」

「犬が走り回ってたから、俺のやることも少なかったけど、よくもまあピンポイントで春巻き野郎を潰せるもんだと、感心したよ。ありゃちょっと真似できないし、参考にもならん」

「……朝霧一人分の仕事を、連中はできてないから」

「へえ?」

 頬杖をついた午睡の目が、眠そうな奥に鋭さを孕んだのを見抜く。

「朝霧なら一人で結果を出す」

「なるほどな。鷺城先生とは違うわけだ……いや、そもそも朝霧は教官じゃなく、上官か。こっちは犬一人で手一杯なんだけどなあ」

「でも、言いたくないけど手配が上手い。私も何人かこっちに輸送したし」

「巻き込まないようにか」

「うん。……私は巻き込まれたけど」

「わかった、わかった。しばらくオフだ、休もうぜ」

「ん」

「何なら、住居でも買うか? 今だと、サトリのところか実家だけだろ。お前セーフハウス持ってないし、俺もこっちは活動拠点じゃない」

「んー、私はつれづれ寮にも行ってる」

「ああ、そういえば古巣だっけな、あそこ」

「朝霧がいるからもう行かないけど」

「といっても、セーフハウス買ったって、何度使うかって話もあるしな」

 そもそも運び屋の午睡と、軍部の仕事で移動するケイオスは、遭遇機会が少ないのだ。一緒にいる時間は作れても、今までは一ヶ月が限度だった。養子として迎えたサトリも、高等部三学年であるのならば、それほど手がかからない。拾った時は中等部だったが、根性を叩き直すために軍部へと放り投げたし、一人前とは言わずとも、一人で生活くらいはできる。

「でもなんで住居?」

「ん? いや、そろそろ俺も、お前のために時間を使おうって考えたんだが、変か?」

「……ううん、嬉しい」

「そりゃ良かった。けどまあ、サトリのこともあるからな?」

「わかってる。私だって弟のこともあるし……」

「いやお前、それは本人に言うなよ? きっと絶望的な顔をして、世話を見てんのはこっちだと、さんざん嫌味を返されるからな?」

「いつものこと」

「それはそれでどうなんだ……」

 ともあれ。

 これにて、今回の仕事は終了である。

「じゃ、行こうぜ午睡。そこらをふらっと歩こう」

「んー」

 さあ、久しぶりの二人きり。何をするのでも、やはり、こういう時間は大切にすべきだ。

 ――午睡にとっても。

 ケイオスと二人でいる時は、久しぶりに熟睡を得られる時間なのである。



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