第81.2話 穂乃果とルイの対応
田舎でのんびり暮らしたいんだ――そう言ったのは、ルイ・シリャーネイの同僚であり、ギニア撤退戦におけるしんがりに配属され、ルイが。
看取った一人である、ホーナーの言葉だった。
だからこそ、組織が解散した際には、田舎への赴任を選択した。ちょっとやってみよう、そういう気持ちだ。
今は、ルイ・不知火とも名乗っているが、まだ学生の立場として学校に通いながらも、寮で暮らしている。まったく学生だなんて、それこそ呑気なものだ。それがいつか、良かったと思える日が――たぶん、いつか、くるだろうことを期待している。
街と呼ぶには小さくて、村と呼ぶには大きい。田舎だから多少の不便はあるが、それを飲み込んでも良い場所だと思える町だ。元軍人、あるいは元自衛官、それから孤児が多く住んでいるのも、だいぶ慣れた。ついでに、町外れにぽつんと存在するこの寮にも、だ。
「――つまり」
吐息と共に、携帯端末の向こう側に言う。
「俺はとてもハッピーで、トラブルなんか抱えてないし、これはこれで良い生活だと思えるくらいには馴染んでる」
『つまりそろそろ退屈で時間を持て余し、さて何をすべきかと腕を組んで悩む時期に入ったと、そういうことだな?』
「五月病じゃない」
『では腕が鈍る前に訓練と称して仕事をやらせてやろう。余計にハッピーだろう?』
駄目だ口じゃ勝てない――もう数えるのも馬鹿馬鹿しいほど繰り返されたやり取りに、ルイはやはりため息を落とす。電話の向こう側にいる上官が何を考えているかも、相変わらずわからない。
「中尉殿」
『どうしたルイ。
「朝霧中尉殿」
『だからなんだ』
「もう面倒だから
『……』
「なんだよ」
『安堂はアレなんだと、よくわからんことを言い出す兎仔の気持ちが少しわかったような……?』
「疑問形か……」
もしかしたら駄目なのかもしれない、この上官。
「らしくはないよな」
『ふむ?』
「あんたのやるような〝仕事〟じゃない――だったらそれは、犬がやる仕事でもない。探偵の真似事なら〝かっこう〟にでもやらせとけよ」
『……それはいいかもしれんなあ』
「あんたもう面倒になっただけだろ!」
『うむ、その通り。では頼んだぞルイ、証拠品だけは拾っておけ』
「
『終わったらそちらへ行く』
まったく、面倒な話だ――。
ログハウスのような寮の二階、インカムを外してベッドに放り投げていた携帯端末に収納する。
「……」
一息、足元には既に組み立て終えた
「あーめんどくせぇ!」
まだ軍曹殿の投げる仕事の方が楽だ。
何も言わず、さも当然のように。
――準備したものを使え。
そんなことを言われれば、準備の労力を考えて空を仰ぎたくもなる。
ここに赴任してすぐに作っておいた罠、周辺の情報収取用のコード、あくまでも念のためで配置したそれらを、今がその時だと言わんばかりで使わせる――それができない〝犬〟はいないし、準備していない犬も存在しない。
最初は、よく聞いた。
そんなもんは当然だ、と。
ルイ・シリャーネイだけが、半年遅れの赴任となった。
たかが半年、部隊の設立を考えればようやく軌道に乗ったかどうか、その程度。半年という時間はそのくらいのものでしかなく、部隊発足を考えれば、まだまだ新参組織とも呼ばれないくらいなものだろう。
朝霧芽衣の名は、知っていた。
何故なら、唯一、
帰還用の軍艦で、その姿を見てもいた。
――成果も。
唯一とは言わないにせよ、損害のない部隊の一つだったのも、聞いた。
部隊長としての彼女を見れば、その結果にも頷ける話だ――が。
であればこそ、半年という時間の遅れが致命的なものになる。配属され、直属の上官は兎仔軍曹だったものの、ルイは周囲から取り残された。
同期連中が言う〝当然〟というやつを、学ばなくてはならなかったわけだ。
誰もが
思わず呟いたそれに、連中は笑った。
それが言えるならお前は犬だと、背中を叩かれる。
――正直に言って。
田舎に行きたかったのは、連中とは離れたかったからで。
離れてみて、こうやって仕事を指示されれば、理解できる。
「こんな俺でも犬になっちまった……」
ずっと違和ばかりあって、ミソッカス扱いも当たり前になっていて、末席の座り心地もまあ悪いものじゃないと、そう思っていたが、ほかの連中から見れば、ルイだとて犬の一人であって、その視線が鬱陶しかった。
それが、どうだ。
当然のことを、ただやっていれば、お前は犬だよ、なんて嫌そうに言われる。現にこうして、朝霧芽衣はルイが準備をしていて当然だと、そういう考えて連絡を寄越した。
というか、そもそも、連絡をする必要なんてなかったのに。
武装集団が近づいていれば、ルイは対応する。ここが日本であっても、同じだ。
「違うのは、弾丸の手配がクソ面倒ってことだろうな……」
「――ルイくん!」
「なんだ」
エプロンをつけたまま、小柄な女性でありながらも、情報集専門の二〇にいた、
「不明の武装集団がこちらへ向かっている情報を掴みました……けど……あれ?」
穂乃果は踏み出そうとした足をぴたりと止め、視線を組み立てられた狙撃銃へと落とす。
「……あれ?」
「どうして俺が、ほかの寮生と違って学校を休んだのか、その理由に対する考察はまだか?」
「う……」
「それと、お前を抱くなら夜がいい。その時はもっとこっそり来てくれ」
「そういう冗談はいいので」
「つれない女だ。情報ならとっくに掴んでるし、準備はもう終えてる。町に立ち入る前に終わらせるから安心しろ」
「慌てて損しました……まったく、犬はこれだから嫌なんです」
「情報負けしたお前の腕が鈍ったんだろ? 中尉殿あたりは、どういうわけかお前のことを間抜けだの何だのと言っていたが、俺より情報を掴むのが遅いってのはどうにかしろ」
「ええまあ、朝霧さんに関してはちょっと、ええ……」
「まだ時間はある、なんかあったのか? お前、俺がこっちに配属した時も、すげー嫌そうな顔してただろ、失礼な。ベッドの中じゃあんなに優しくしてやったのに」
「犬が来て喜ぶ人はそういないですよ? あと、まだお風呂を一緒にしただけですから! そういう雰囲気だと嫌がるのはルイくんですよね!」
「女を抱くような気分じゃないからだ……」
だって、まだ。
ルイはこうして、戦場にいるようなものだから。
「最初、朝霧さんに逢ったのは訓練校です。当時はまだ訓練生でした」
「へえ……そういう話は初めて聞くが、大変だったろ。サウスカロライナにまで、面倒な新人が入って来たと、話題にはなってた」
「私はちょっと顔を見せただけですから。口が悪い人で、言い方はあれでしたが、お手上げでしたよ、本当に。印象は当時も今も変わってません」
「……なるほどな。変わっていない、その印象が中尉殿の本質かもな」
それは、あくまでも印象でしかない。変わったはずだ、それを人は成長と呼ぶし、今もルイがこうしているように、いつの間にか変わってしまうものだ。
「付き合え穂乃果」
「ひゃい!?」
「赤くなるな、そういう意味じゃない……退屈なんだ、話し相手になれって言ってんだよ」
狙撃銃を持ち、ベランダへの扉を開けると、折りたたんであった
「そこにある双眼鏡、使っていいぞ」
「スポッターですか?」
「必要ないけどな」
二階建てとはいえ、それなりの高さがある寮の一番上の屋根に陣取り、あぐらで腰を下ろした。ポケットに入れてある
時計に目を走らせれば、十五分ほどの余裕があった。
「よいしょ」
「……小さいと大変だな」
「そう思ってるなら手伝ってくださいよ」
「風呂に入るのを手伝ってやっただろうが」
「ええまあ、足を怪我したからっていう理由でしたけどね……?」
それの何が不満なんだと顔を向ければ、穂乃果はしゃがんで双眼鏡をのぞき込んだ。
「まだ見えませんね」
「さすがに侵入方角の情報くらいは仕入れたか」
「攻めて来るんじゃなく、逃げて来て休みたいって感じですから」
「中尉殿が別所にて作戦行動中だ。その情報を耳にして、拠点を変えたいんだろう。それで追い込まれているとは、まだ気付かない」
「打ち合わせもなく、よくやりますね……」
「この程度で何を言ってんだお前は」
当然だろう、と言おうとしてやめる。
「ところで穂乃果、アメリカの動向は耳にしてるか?」
「ええ、ちょっと派手な動きがありそうですね」
「ありそう?」
「……え?」
「もう現在進行形で動いてる。結果だけ言えば、――スプリングロールが潰れる」
「え? いや、でも、あそこはアメリカ政府そのものとの繋がりが結構ありますよ? そう簡単に潰れないと思いますけど……末端が減るなら、尻尾切りになるでしょうし」
「隣にいるスプリングロールの役員が殺された時に、お前は縁を切らないのか?」
「それは……まあ、そういう状況なら」
「あいつらのやり方は、過程はどうであれ結果を出す。一兵卒と違うのはな、自分の行動における影響を、先の先まで想定していることだ」
「想定、ですか」
「現場入りする前にだ。こうして俺が狙撃銃を構えているように、結果を出す時にはもう準備を終えているし――まだ準備していないのなら、実行しない。その上で、あいつら馬鹿だから、命令に対しては、待ってくれ、なんて情けないことを言わない」
事前準備なんてものは、無駄になった現実こそ喜べ――そう教わっている。
「今晩の食事が必要なのがわかってりゃ、夕方から早めの準備をするだろう」
「それはそうですが」
「三年も前から棺桶屋にちょっかいを出してるのは、とっくに掴んでた。それとなく情報を流して抑制はしてたらしいが――連中の下準備は俺も見てきた。最終的には、政府だろうが何だろうが、犬を敵に回すかどうか、そこに尽きる」
「でも政府ですよ? ともすれば米軍だって動きますし……」
「
「……命令しないというより、できません」
「つまり、犬の仕事ってのは、そういう〝立場〟を作ることでもあったんだよ。そこらは朝霧中尉殿の采配で、俺らが知ったのはそれこそ、結果そうなったという事実だけ。現場で動いてる時には、よくわからなかった」
もちろん、今ならわかるし、わかったからこそ彼らの行動は変化した。それが朝霧芽衣がよく言う、上手くやる、ということだ。
「じゃあ、ルイくんもこれから、その結果を?」
「クソ面倒だけどな」
「ええと、何が面倒なんですか」
「それを聞いたら、お前に放り投げるけど、それでもいいか?」
「私の情報だとそろそろですねえ……」
「逃げやがった」
まあいいと、携帯端末を取り出したルイは、抱えた狙撃銃を構えもせず、吐息を一つ。
「穂乃果、周辺確認。人影、車などの移動物」
「ありません。町から外へ出る車はこっち側、あまり通りませんし」
「だろうな。ファーゴやエリザあたりが気付く前に終わらせたいもんだ……」
「ああ、あの二人も朝霧さんとは知り合いでしたね」
「ただの知り合い、だけどな? いつも仲良く喧嘩をしてると周辺住民には好評だが、ファーゴに言わせれば喧嘩になってないそうだ。あのクソブロンドがわめいているんだと、笑える話だ」
「……そうはなりたくないっていう、教訓ですか?」
「世の中には俺以上の物好きだって山ほどいるってことだ」
「――目標視認」
短く放たれた言葉で、穂乃果の空気が僅かに張り詰め、冷たさを孕んだ。
「ああそう」
よくあることだと、ルイは欠伸を一つ。
「――必要な情報ってのは、どこにあるんだろうな?」
今日は良い天気だ。陽光は右側からだが、あまり気にしなくても良いだろう。狙撃位置をいちいち探すほどの仕事ではない。
「紙媒体、記録媒体、どちらであっても壊せないが、簡単な部類だ。一番面倒なのは、人の頭ン中にあるってパターンだ――が、連中はそうでもないだろう」
「あの、三千ヤードを切りましたけど」
「連中は逃げてる、そう言ったよな? けど、中尉殿に追われているわけじゃない――現実として、ヘリに乗った
「二千……」
「その狩人は、単なる〝事後処理〟で移動しているだけなんだが、まあそう思うよな」
「あの!」
「目を離すな馬鹿」
千三百ヤード。
その地点を通過した瞬間、地中に埋められていた有刺鉄線を絡めた鉄柵が、勢いよく立ち上がった。遠くでの音で、先頭の二車両、中央の一車両が巻き込まれたのを確認――ブレーキの音色が響けば、停止によって下方へ向ける自重が増え、トゲのような円錐形の鉄がタイヤとボディに穴を空ける。
「まず――」
そしてようやく、ルイは
「罠に引っかかった間抜けは、だいたいこう考える。――なんでこんなところに罠が? 馬鹿な話だ、罠ってのは自然発生するとでも思っているのか、あいつらは。ほらみろ、おっかなびっくり車から出てきやがった……まずは結論を出すために、内部で意見交換だろうが」
照準器の中に見える〝ライン〟は、ルイの
そして、そのラインをルイは変えることもできた。
〝
「じっとはしていられない、何故ってヘリが追ってくる。だが罠がある以上、徒歩で前へ進むには度胸がいる――後退する方がもっと、時間がかかるわけだ。だから選択肢は、この時点で進むしかない。二者択一の状況よりも最悪だ――撃つぞ穂乃果」
言うか否か、狙撃銃から音を立てて放たれた弾丸は、あろうことか。
「――え!?」
外に出ていた三名のふくらはぎを、一発で撃ち抜いた。
ルイの術式では、もっとも簡単な使い方だ。
「ここで狙撃手の存在に気付いたわけだ。すると? 見ろ、慌てて装備を車の中から取り出した。三名が負傷してようやく現状が理解できたのなら――それが勘違いだと、俺が二発目で教えてやる」
武器を手にした連中の腕を撃ち抜く。この時に気をつけるのは、術式で威力を減衰させてやること――腕の一つでも吹っ飛ぶと、やや面倒だ。
「死者が出ると士気が上がるか、下がるか? そんな賭けに出るくらいなら、負傷者を山ほど出せばいい。どうすれば被害が減るかわかる頃には、身動きできなくなるわけだ」
武装したら撃たれると理解するまでに、六発八人の腕を撃ち抜いた。
「そして、この時点で進むという選択そのものも、なくなったわけだ……ま、そんなものは最初から俺が潰してるが」
すぐにお迎えが来ると笑えば、ヘリの音が耳に届いた。
「な? 簡単なもんだろ?」
「はあ、いえ、確かに結果だけなら、簡単ですね」
けれど、この結果を出そうとして出せるわけじゃない。少なくとも、一ヶ月前にこの情報を掴んでいて、既に罠などの手配が済んでいたのならばあるいは、穂乃果にも可能だったろう。
でもたぶん、ルイは昨日の今日で、この結果を出した。
「これが犬のやり方ですか?」
「さあ? 少なくとも俺のやり方だ、幾分かスマートな部類。どうした怖くなったか?」
「それはないですけど」
「そもそも、なんで俺を気にかける?」
それが嫌だとは思わないが、しかし、その問いに対して穂乃果は、小さく苦笑して。
「――だって、見てないとすぐ死にそうなんです」
母親とも、保護者とも違う視線を向けられて言われたルイは、視線を反らすようにして、こちらに向かってくるブラックホークへと顔を向けた。
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