第81.1話 北上と安堂の仕事風景

 車の扉は、必ずロックを確認する。

 どれほど急いでいても、その音は必ず耳に届き、ともすれば轟音を立てるよう遠慮なく、イラついて玄関の扉を蹴って開けるような音を立てることもあるのは、犬にとっては常識に近い。

 北上きたかみ響生ひびきは以前、それで痛い目に遭っている――いや、それは犬ならばほとんど、経験しているか。

 半ドアの車爆弾。ロック確認をしたって、リスクを減らす努力であって、ロックを解除する際には細心の注意を払う。扉を開けた瞬間ならいい、だが特定速度になると連動する爆薬は厄介である。遠隔ならば電波を掴めばいいが――ともかく、単車よりも車の方が面倒なのだ。

 爆発してから仕掛け人が登場。怪我をしたこっちを見下ろして、どうして確認せんのだ? なんてことを言う上官のお陰だクソッタレめ。

 しかしまあ、アメリカのあちこちに移動するともなれば、足が必要になるわけで。

 一歩を踏み出して道路からビルの敷地内に入った途端、北上は足を止めて見上げる。三十階建てか、夜中なので窓ガラスが紅月の色を反射していて不気味も映る。

 吐息、そして煙草を口にした北上は数歩下がると、車を背もたれにして煙草に火を点けた。

 スプリングロールという傭兵団とは、それなりに関係がある。どちらかと言えば、因縁や確執ではなく、犬として動く際に使。そもそも、因縁やら何やらが存在しているのならば、それはもうとして処分している。

 傭兵の中では、たぶん規模が一番大きい。財界、政界、あらゆるところに影響力を持ちながらも、現場で動く者も多く抱えている傭兵団――逆に、それだけ恨みも買っていることだろう。

 さて。

 そんな傭兵団が潰した同業者は、棺桶屋かんおけやと昔から呼ばれている集団だ。現場で動くのはせいぜい二十人で、それが全て。規模としてはもちろん、小さい方の分類だが――それはともかくとして。

 五十人、現役の狩人ハンターを適当に集めたとしよう。

 九割の返答はこうだ――傭兵として、棺桶屋を評価している。

 北上も同意見だ。

 おそらく連中も口を揃えて言うだろう。あいつらは、領分を弁えている、と。

 傭兵とは、職業であり、仕事だ。財界ならば多国籍企業、政界は政治家、そして戦場には傭兵――と、それぞれ領分が存在する。それを割らないことが美徳だとは言わないし、狩人だとて現場でかち合うこともある。あるが、専門家とは、それなりに、貫くべき矜持というのを持っているのだ。

 敵同士になって、やり合って、結果的に逃げて帰っても――あるいは、相手が逃げても。

 クソッタレと毒づきながら、酒を飲む段階になれば、否応なく認めるしかないのだ。やるじゃないか、あいつらだって捨てたもんじゃない、と。

 見下さず、認めること。それは棺桶屋も同様であり、それこそがプロフェッショナルだ。

 ――どうであれ。

 逆恨みだろうが何だろうが、その棺桶屋を潰したのだから、相応の報いを受けてもらわなくては、示しがつかない。

 少なくとも、連鎖的に被害が増大して、傭兵同士の戦争に発展する前に、芽を足の裏で潰しておかなくては。

 一日目ではまず、表に出ている組合員に、隠れることを忘れた間抜けを襲撃。二日目にはそれでも集まってくるクソッタレと、寝ぼけた顔してる馬鹿を減らして、三日目には裏に隠れて集合している連中を始末する。

 強行軍だ、とは思わない。いつものこと。

「……いつもの、ねえ」

 北上にとっては、本当にどこにでもある、いつもの仕事という感覚でしかない。しかもアメリカ中を走り回る面倒も、各自負担なんて状況で、一人当たりの作業は減っていた。

 何しろ、犬のほとんどが投入されているからだ。


 ――いつから、こうなったんだろうか。


 いつもの仕事だ、なんて気軽に仕事ができるようになったのは、いつからだろう。

 軍の訓練校を出てすぐの頃だったら、やるべきことがわかっていても、どうやればいいのかなんて、何一つとしてわからなかっただろう。誰かに命令されるまで動くことができなかったし、ともすれば、情報そのものを得ることだって、できなかった。

 成長した?

 いや、どちらかと言えばだろう。

 自分がではなく、立場が。

 あとは、時間と共に、ただ適応するようにして歩いてきただけだ。


 ――そうであっても。

 まだ、上官には届かない――。


「なんだお前か」

「よう、安堂」

 静かなビルから出てきた同僚に、北上は声を返す。いつの間にか、安堂あんどう暮葉くれはの範囲にまで移動していたらしい。

 敷地の中に入った瞬間に察知した、無数の罠の気配に、癖の一つもあれば誰がやっているのかなんてわかる。

 結果を出す、という点においては、おそらく安堂の行動そのものが一番近い。準備と称して複雑な罠を張ってフィールドを作成し、あとはのんびりと結果が出るのを待つだけ。それでも、こうして最後の確認を目でするのが、とも言えよう。

「准組合員は、だいたいこんなもんか?」

「細かいのまで犬の仕事にしたら、CIAと特殊部隊スペシャルフォースの仕事がなくなる」

「どうだかな? ハコからの連絡で、軍の出動の確認はあったぜ」

「へえ? 状況的に出動しなくては言い訳ができないから、標的にしないでくださいってお達しか?」

「正解。さすがに犬を敵に回すほど、アンクルサムも馬鹿じゃないらしい」

「一般人への被害が出ていない以上は、そうなるだろうな……軍曹殿は一応、交渉に出たらしいが」

「そりゃ米軍も頭を抱えただろうなあ」

 そもそも面倒が嫌いな兎仔とこは、決断を迫るだけ迫って、言い訳どころか返事すら大して聞かないはずだ。

「――それより、聞いたか北上」

「あれか? グレッグのところに一人、職場体験をしてる馬鹿がいるって話か?」

「そうそれ。中尉殿のことや犬のことを聞きに来たんだが、あいつ、馬鹿だろ」

「はは、田宮も根性の見せどころだな」

「初陣だ」

「じゃあ中尉殿の手配だ、笑ってやれってことだろ。んで、お前はどうする? 三日目もまだ始まったばかりだが、だいたいノルマは終わった。すぐ帰るならそれもいいが、これから飲むなら乗ってけよ」

「ん……まだフライトの時間は先だ、飲むか」

「おう」

 車に乗り込めば、すぐに走り出す。時刻は日付が変わって三時、といったところだ。

「ティオの動向、探ってるか?」

「いや……確かシシリッテが行った場所だろう」

「あの暴れん坊が配慮するのかどうか半信半疑だったんで、俺から連絡を入れたら、シシリの顔を見た途端あいつ、日本にいる知り合いの情報屋のところに飛んだぜ?」

「はは、その判断は正解だな。元情報屋で、元スプリングロールだ……余計な首は突っ込みたくないってのが、本音だろうな」

「こっちも動きやすくて助かるけど――そういや、お前も来たんだな? 野雨のざめに俺が行ってから、あー、一回くらい顔合わせたっけ? どうよ、楽しんでるか?」

「元の稼業に戻っただけだ、上手くやってる。だがどういうわけか? ふらっと顔を見せる軍曹殿に余計な仕事を押し付けられるわけだ」

「そりゃ羨ましいことで。俺と代わってみるか? たまに発見する中尉殿に余計なトラブルを押し付けられるんだが」

 おそらく、どっちもどっちだ。

「俺よりもお前だろう北上。大学生活はどうだ?」

「秘訣は、人付き合いはほどほどに、だ。同級生に混ざっても、どうも。戦場の方がハッピーなら、そいつは問題だろ? 学内ネットのラジオ番組とかやってんのは、まあ、息抜きだなありゃ。そういうことをしてれば、笑ってる自分に吐き気をもよおすこともねえだろ」

七草ななくさと同棲なんかしてれば、否応なく〝仕事〟が見えるだろうに」

「それが嫌じゃないんでね。つーか、お前だって他人ひとのこと言えないだろ? 安定してるかどうかはともかく、実家の稼業をやって生活してるくせに、アメリカにまで旅行じゃなく仕事だぜ?」

「しかも、今の俺らは部隊配属じゃなく個人だ。給料が上から出るわけでもなし――答えは同じだ、そうだろう? どんな生活してたって、一番早く身を引いた俺でさえ〝忠犬リッターハウンド〟のまま生きてる」

「なあ、安堂。どうして俺らは?」

「そんなものは単純シンプルだ。――中尉殿がそうだったから」

 ただそれだけだと言えば、駐車場が見えたので、そこで一度黙った。

 外に出てすぐに、安堂は煙草に火を点ける。場末の酒場に入るまで待てなかったらしい。

「本当に、それだけだ……」

 半自動的に車が爆発するよう仕掛けようとした安堂より早く、北上がその手順を行った。

 〝属性付加エンチャント〟の特性を持つ北上は、実際に罠の探知なども早い。たとえばこの車にしても、完成した〝車〟という属性が大きくついており、内部に目を向ければ部品ごとの名称が、そもそも属性だ。それに余計なものが混じっていればすぐ気付くし、逆に、水に熱という属性を加えることで、それがお湯になるよう、エンジンという属性に対して、爆発という追加を行えば、簡単に爆弾へ早変わりだ。

 ――とはいえ。

 この場合、爆弾という属性そのものの理解が深くなければ、そもそも追加などできないが。

 中に入れば、客は二人。

「随分と、静かなもんだ。酒場ならこの時間も騒がしいもんだろうに。薄めてないウイスキーをくれ。銘柄は任せる」

「こっちは違う銘柄だ、ボトルでいい」

 入口から二つ目のテーブル席に腰を下ろせば、そそくさと二人の客が出て行く。酒が届けばもう、貸し切りだ。

「グレッグに言わせれば、忠犬とは中尉殿のことだ――まあ、俺も同感だが」

「言いたいことはわかるさ。目指す先が中尉殿で、結局のところ俺たちは、中尉殿のやり方をただ真似てるだけ――だろ」

「過程はともかく、結果を出せ……か。どう考える?」

「そうだなあ……今にして思えば、中尉殿は俺らが、そういうところにも注目してたんだろうよ。もちろん、仕事として成り立つ前提があってこそだけど。俺から見た中尉殿は完璧な上官だけど、――そんなのは理想でしかねえ」

「理想でも、そういう姿を見せるのが良い上官だ。実際に俺が誰かの上官になったとしても、同じ態度を見せられるとは思えない。どのみち、良い上官は見習え、それが鉄則だろ? 習い過ぎて、似たようなものになっちまったわけだ……」

「似てるだけの偽物だ」

「贋作だって真に迫ることはできる。少なくとも、全部じゃなければ、近しいものは持てたわけだ――こうして、普通に仕事ができるくらいにはな」

 それはそうだ、その通り。

 ただ、部下であればこそ、二人は気付かない。だってそうだろう? 気付かせないのが芽衣のやり方であり――そして、同じ時間を過ごしたのならば、芽衣だとて、彼らと同じく前へ歩いているはずなのだから。

 追いつけるはずもなく。

 真似したところで、せいぜい数歩手前にいたはずの朝霧芽衣に似ていくだけだ。

 いつだって上官は、そこに在る。近すぎず、遠すぎず、そこにいるから、いつまでも追いつけないと考えるばかりで、その距離がどう変化しているかまで、気付かない。

「人殺しのクソ仕事――命を対価にしてるとはいえ、まあほかの誰かがやるよりはマシか?」

「簡単でいい。もっとも、俺たち犬は、その簡単な仕事にあれこれ考えるから面倒も増える。――ところで北上」

「なんだよ? ちなみに、お前がいねえとこんな真面目な話にもならねえって、よくハコとは話してるぜ?」

「俺を巻き込むな、知ったことじゃない。そうじゃなく、自分自身を餌にして魚を集めるなんて真似、どこで覚えた?」

「どこぞの陰湿な野郎が、クソッタレな罠ばっか張るから、たぶんそれでだなあ……」

「ふん」

 もちろん、車に爆破を仕掛けた時点で、この展開は読んでいた。そそくさと帰っていった客が准組合員ならば、既に犬が仕掛けているこの状況で、増援を呼ぶのは自然。そうでなかったら酒を飲んで休憩をすればいいし、集まってきたのならば。

 ――外で、車が爆発した。

 周囲に展開していた安堂の罠が追加で発動すれば、逃げることも進むこともできなくなる。

 魔術師だとて。

 どんな術式が使えようとも、それも使い方次第。

 上手くやらなければ、銃器を持っていたところで、誰かを殺せるとも限らないのが現実なれば、それが術式だとて同じ。何かがあれば強い、なんて単純なものなどない――それもまた、朝霧芽衣に教わったことだ。

「で? 七草はどうした」

「あちこちの折衝に出てる――軍曹殿が面倒でこっち来ないとかで」

「あの人は……」

「安堂は知ってたんだろ、ゴーストバレット」

「俺もシシリッテも、比較的早い段階でな。お前こそ」

「野雨に赴任してから、暇だったんで仕事の履歴なんかを読み返してて、なんか変な引っかかりがあったんだよ。七草に相談してから、軍曹殿のところへ直接行ったわけ」

「本人はもう隠してない。問えば答えるさ……こっちは現場でよくを見てた。殺しのスキルがあまりにも、錬度が高すぎた」

 一杯を飲み終え、ボトルを片手に二人は立ち上がった。

「無駄がなさすぎるんだよ、文字通りの一撃必殺。それでも銃器をメインにした時期が長くて、だいぶ衰えたとは言っていたが、どうなんだろうな――店主、酒代は外に転がってる屍体から拾ってくれ」

「次があるんなら、取引先を間違えるなよ?」

「……ありがとうございます」

「殊勝な心掛けだなあ、おい」

「北上、混ぜっ返すな。俺たちは酒を貰った、それでいい」

「へいへい」

 外に出れば死屍累累ししるいるい、紅月に照らされて余計に色合いが強く映し出されるその状況を。

 ――当たり前だと。

 そう認識したのも、一体、いつの頃だったろうか。

「なんつーか人生って、いつの間にか――……こう、なんだよな。俺、文明がなくなっちまっても生きてける気がする」

 銃声が二発、始末を済ませた安堂は目を細めて振り返った。

「お前じゃ無理だ。コミュニケーションがうまくできない」

「うるせえよ!」

 ――犬は。

 同族以外には、どうしたって、忌み嫌われるものだ。

 けれどそれが、朝霧芽衣だからと、そうは思わない。嫌われるのは自分で充分――褒められれば上官のお陰、それ以外は自分の責任なのだから。

 そういうところが、躾が行き届いていると呆れられるところであり、そして。

 可愛くないと。

 芽衣によく言われる原因である。


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