第73.1話 安堂と姫野の過ごし方

 よく間違われるのだが、安堂あんどう暮葉くれはは花が好きなわけではない。

 そもそも両親の稼業をそのまま引き継いだだけであって、あくまでも〝仕事〟としてカトレヤの生産を行っている。必要な知識もあるし、それこそ年中出荷をするような作業でもあるが、そんなものだと思っているだけであって、特別好きなわけでもない。

 軍属から実家に戻った安堂は、VV-iP学園の高等部を卒業してから、この稼業を引き継いだ。まあ、好きなわけではない、なんて信憑性が薄れるわけだが、学園に在籍中は園芸部でラン系植物や観葉植物などの世話をしていたのだから、本当かと疑いたくもなる。

 ――で。

 今は、その頃の後輩と一緒に仕事をしていた。

 仕事というか、もう半分以上、生活に踏み込まれてはいるが。

 姫野ひめのことねもまた、花が好きなわけではない――ただ、安堂が好きなだけだ。

「お前、四六時中ここにいるよな……?」

「そりゃもちろん。だって暮葉先輩、一日中ここにいるじゃん」

「夕方には戻ってるだろうが」

「だから私も夕方に戻ってるよ?」

 なんてことを平然と言うので、これはもう、どうしようもない気がする。付き合いは二年か三年になるし、それなりの間柄なので、大して疑問を抱くことのない立ち位置にはなっているが――まだ。

 安堂は、をしている姿を見せたことは、ない。

 仕事というのはもちろん、犬としての姿のことだ。いや見せる気もないし、姫野も話だけは聞いているので、追及はないけれど。

 その日も、出荷準備を午前中に終えて、昼頃に荷物を置いてきて、普段ならばそこからほかの仕事、という流れだったのだが。

「今日は来客がある」

「うん、聞いてるけど、こっち仕事するよ?」

「そういう来客じゃない……俺の昔話もあるだろうから、聞きたければ好きにしろ」

「へえ、珍しい。軍に出向してた頃の話とか、あんましないじゃん」

「殺した数を自慢するようなクソッタレじゃないからな俺は」

「はいはい、邪魔しないから。珈琲は?」

「やっといてくれ」

 慣れ親しんだ第二の我が家とばかりに、ガラス温室の奥にある小さな十畳ほどの部屋へ向かう姫野を見れば、まあいいかとも思う。

 だいたい安堂は、面倒が嫌いなのだ。好きにしているなら、放置しとけばいい。責任など何だの、そういうのは他人が勝手に言っていればいいだけだ。

 熟年夫婦とか、言わせておけばいい。知ったことじゃねえ。

 温室の外に出て煙草に火を点ければ、すぐに田宮たみや正和まさかずが顔を見せた。ふらふらと、高い位置にあるこの周囲には畑しかない温室まで、歩いてきたらしい。

「おう」

「――あ、失礼。安堂暮葉さんですか?」

「敬語はいらねえよ田宮、敬われる立場にない。感謝ならセッティングしたアリスにでも言っとけ」

「あ、ああ……」

「けど一つ、先に質問だ。なんだって俺なんだ? お前、野雨西に通ってるなら、軍曹殿に聞けばいいだろうが」

「――え? 誰それ」

「だから、兎仔とこ軍曹殿だ。俺の直接の上官だぜ、あの人は」

「沢村あンの野郎……!!」

 ああ、やっぱり知らされていなかったと、紫煙を吐きだす。

「いずれにせよ、軍曹殿から聞き出すのには苦労するだろうし、良い判断だったはずだ。鏡がいるか?」

「間抜けな俺の様子を自分で確認する趣味はねえよ!」

「そりゃ鏡を運ぶ俺の手間が減っていいことだ。それで? 中尉殿に関してか?」

「あ、ああ……できれば経歴、あとは朝霧の部隊が何してたのかとか、そういう話を。同じクラスになって、間近で見てはいるけど、探ってみろって言われたから行為に甘えてんの」

「なるほどな。中に入れよ、椅子くらいある」

「お邪魔します」

 といっても、温室の入り口は作業場として広く取ってあるので、仕立て用のテーブルに灰皿を置けば、椅子もある。

「で?」

「ああ……いや、まず確認なんだけど、安堂さんって本当に〝忠犬リッターハウンド〟なんだよな?」

「どういうわけか、そういうことになってる。本来なら過去形にすべきなんだろうが、俺は犬としての生き方を忘れられんし、捨てられない――っと」

「はあい、珈琲ね」

「おう」

「お邪魔してます、田宮です」

「私は姫野――」

「俺の嫁だ、あんまり気にするな」

「――え?」

「なんで姫野さんが驚いてるんだ……?」

「いやだって嫁とか言われたことないし! いやっほう!」

「ああうん……ごめん俺が悪かった」

「気にするな。それで田宮、犬に関してはどのくらい掴んでる?」

「正直に言って、ほとんどなにも。知り合いの元軍人は、名前を出した途端に嫌そうな顔をして、何も知らないって言うしな……」

 だろうなと、新しい煙草に火を点けたら、なんか姫野の目が細くなったが、あえて気付かない振り。酒をやってないだけマシだと思ってもらおう。

「犬の中でも、俺は一応、軍曹殿の部下だ。つまり仕事のやり方なんかも、軍曹殿に教わった。つっても、誰だってやってることは同じだ――仕事を受けたら、結果を出す」

「それは聞いたけど……可能なのか? 俺は話を聞いた時、沢村に極論だと言ったよ。撤退の最中に、追ってくる敵を殺せば撤退は完了だってな」

「いや極論じゃねえだろ。できるならやるべきだし、そいつはただの、手段の一つだ。幸いなのは、撤退しなくて構わない状況を作れ――じゃ、ないところだな」

「そういう仕事はなかったのか?」

「あったけど、やることはそう変わらんだろ。けど聞こえ方が違えば、やり方も変えなくちゃいけないから面倒なんだ」

「けど、やることは似てるんだろ?」

「そうだ。けどな? あのクソッタレなチビ軍曹殿は、結果的に敵を殺しておけば良い仕事なのに、撤退支援は行くくせに、前線を押し返せって言うと俺に仕事を振りやがる。なんなんだあのちびっこいの、俺を便利な道具か何かと勘違いしてねえか?」

「……俺に愚痴ってどうすんの」

「いや、悪口を言ってればそのうちしびれを切らして顔を見せるだろうと思って」

「それはそれでいいけど俺を巻き込まないでくれ、頼むから……」

 ちらちらと出入り口を田宮は見るが、もちろんそこには誰もいない。

「そのうち来るだろ、あの人なら。ことね、出迎えしとけ。部屋で寛いでる」

「へ? そなの?」

「たぶんな」

「はあい」

「……マジかよ」

「よくあることだ。中尉殿と違って、軍曹殿はなんつーか、面倒見が良い。俺がこっち来てしばらくしたら、軍曹殿もこっち来るって話になった時、何か〝面倒〟が起きたら言え――ってな。ま、こっちじゃ俺の立場は一般人、軍曹殿とは違う。そういう意味での配慮だな」

「へえ……俺は学校でいつも寝てる兎仔ちゃんしか知らないけど」

「俺は仕事してる軍曹殿しか見てねえから。けど、聞きたいのは朝霧中尉殿の話だろ?」

「ああいや、部隊の話も聞きたいから」

「部隊ねえ……まあ、軍曹殿が来る前に話しておくか。当時、犬に配属された俺らは、中尉殿にこう言われた。お前らは生きて帰れ、そして仕事の成果ではなく結果を出せ。今から考えりゃ酷い話だが――ま、俺らは、自分ができるやり方で、仕事の結果を出してきたわけだ」

「なんで酷い話なんだ?」

「やり方を教えてもらうわけでもなく、命が賭けられた現場で、結果を出せだぜ? どんな仕事を振られるかわからないのに、日頃から準備だけは怠るな――ってな。まあ、俺はほかの連中よりも、比較的早く適応したが、それは性格だろう」

「なるほどな。けど、じゃあどうして一人なんだ?」

「中尉殿が一人でできる仕事なのに、どうして俺らが二人で片づけなくちゃいけないんだ?」

「いや……普通は、二人でやるだろ」

「中尉殿が出せる結果を、俺たちが出せないんじゃ、犬にはいらんぞそんな間抜け。ああそういえば、いたなあそんな間抜けが。俺との訓練でいいように扱われてた馬鹿、確か北上きたかみとグレッグとかいう野郎が」

 昔の話だけどなと、暮葉は笑う。

「結果、つまり仕事だけ知ってる連中は、俺らを化け物みたいに言うが、実際にはそうでもない。ただ。仕事がない日だって、言うほど厳しい訓練を受けていたわけでもない――が、少なくとも俺らは足を止めることは禁じていた。グレッグが言ってたんだっけな? 俺らは目標を定めたわけじゃない。ただ、これ以上退けないラインを決めただけだ」

「――」

「なにを驚いてるんだ」

「あ、いや、……俺は今までずっと、目標に向かってたから」

「それが普通で、俺らが違ったってのは事実だけど、特別なことはなにもしてない。成長のために一歩を踏み出すなんて当たり前で、できないことをできるようにする――そういうことを続けた〝結果〟だ」

「――だったら、その結果を出した姫野をいい加減受け入れろよてめーは」

「本当にいたんだ兎仔ちゃん……」

「ことね、戸棚の酒は無事か?」

「大丈夫。私はこっそり半分飲んだのはまだバレてない」

「わかってて俺が黙ってんだよそこは……で、何を受け入れるんですか、軍曹殿」

「いや、女特有の〝罠〟とか、それに伴った〝感情〟とかは裏を読まれて前進しねーから、我儘じゃなく感情を〝理性的〟に捉えて、まっすぐ進めってあたしがアドバイスしたんだよ。なあ?」

「うん。学園で逢ってすぐ言われた。ちょいちょい逢うよ? お茶もするし」

「一般人に触れるってのは、暇潰しに丁度良いからな。まいが仕事だと退屈なんだ」

「昔はそれでよく、ジンジャーが巻き込まれてたんだけどな」

「シシリが迷惑してたのは、お前が上手く誘導して逃げるからだろ」

「原因は軍曹殿ですがね。それに中尉殿のトラブルから逃げるの、軍曹殿が最初じゃないですか……」

「覚えてねーなあ」

「この人は……!」

 六人は座れるテーブルに、野郎と女が別れて座り、珈琲を飲んで一息。暮葉の煙草が止まらない。

「朝霧と兎仔ちゃんのツートップ……って、わけじゃないんだよな?」

「違うぞ田宮、トップは中尉殿一人だ。んで、あたしらに振られた仕事の中で、中尉殿が片づけられねーものは、何一つとしてなかった。代わりだよ、代わり」

「ああ、そういえば情報解禁されてましたけど、コロンビア大学や狩人認定試験を受けた時の手配、あれグレッグだそうですね?」

「おー、あたしはわかってて黙ってた方だけどな。退屈凌ぎにトラブル起こされるよりマシだし、それができるようになったんなら、あたしらの成果だろ」

「早く暇にしろって、せっつかれてましたからね、俺ら」

「ちょ、ちょっといいか? 兎仔ちゃんは上官なんだよな?」

「そーだぞ」

「俺に仕事を回せる立場だ」

「……え? よくわからんけど、なにが違うんだ?」

「立場」

「面倒なことをやらせる相手がいるかいないか――なんです軍曹殿、事実は事実でしょうに」

「死にたがりのクソッタレに、暴れるだけ暴れるクソ女、それから臆病で性格のねじ曲がったクソ野郎。この三人の面倒を見てる立場なら、やらせてもいいだろーが」

「物は言いようですな!」

「あー」

「ことね、お前は何に納得した? いや言わなくてもいい、だいたいわかった」

 性格がねじ曲がっただなんて、まあ、自覚はある。そもそも軍に出向した理由が、実家のトラブルが面倒だから逃げたかっただけだから。

「田宮、わかりやすく言えば、軍曹殿と俺とじゃレベルが違うんだよ。俺らの中じゃ中尉殿に一番近かった――そして、情けないことに、俺らはその領域に届かない。ま、そいつはスタートラインから違ったんだけどな」

「言ってろ。あたしだって、そりゃ多少は準備してたにせよ、中尉殿には見抜かれてたし、お前らが間抜けに見えてたのは事実だが、今だって中尉殿には頭が上がらねーぞ」

「いやでもさ、なんつーか……」

 そう、それは、明確な違いがあって。

「元軍人には何人か心当たりがあるけど、まあ兎仔ちゃんは怖さを感じる時がある。けどそれって、異質さよりも威圧に似たものなんだよな。で、こうして見てても安堂さんはそれをまったく感じない」

「私は二人が怖いと思ったこと一度もないけどねー」

「でも、結果を出してる。いくつか情報貰ったけど、その仕事だって、一人でやるには過ぎたものだし――その結果を聞いて、それが事実だと知った今でも、半信半疑だ。狩人ハンターなら、あるいはとも思うけど」

「狩人か」

「あれ、よく現場でかち合ったな。基本的には邪魔だから排除の流れを作るんだが、それがまた面倒で……そのたびに、ああ、軍曹殿はこれが嫌で俺に仕事を振ったんだろうなと思ったもんだ」

「おい安堂、多少の事実は含まれるが、それだけじゃねーぞ?」

「その多少ってやつの割合は言えますか、軍曹殿」

「…………八割?」

「人物照合なら当人確定ですな!」

「よし、次の仕事はお前に回してやるよ」

「へいへい……」

「――なんだそれ。そんな簡単に引き受けられるのか?」

「犬なんてのは、常にこんなもんだ。俺だってこんな花の仕事しながら情報は集めてるし、休み時間がありゃ現地調査に足を向けることだってある。仕事なんてのは事前準備がほとんどだ――この身のまま、どこだって行く。せいぜい、ことねを説得する作業が残っているくらいなもんだ。なあ?」

「ん? ちゃんと帰るなら良し!」

「だそうだ。……ま、犬なんてのはそんなもんだ。個人的にそれぞれ、考えは違うんだろうけどな。ということで軍曹殿、俺は上手くやってるんで邪魔しないでください。去年の確定申告の書類ならことねに出してもらってください」

「んな心配はしてねえよ。ところで安堂、あたしはまいとイチャついててやってないんだが、アメリカの面倒な情報は持ってるよな?」

「そういうとこ!」

「何だよ」

「それ俺に調べろってことでしょうが!」

「あー? できてねーから時間をくれって催促か?」

 安堂は頭を抱えた。

「うわ、こんな先輩初めて見た」

「往生際が悪いだろ? もう情報持ってんのに、出し渋るんだよ、あたしの部下。可愛くねーんだこれが」

 なあ、なんて問われた田宮は、視線を反らす。

 ――結論が出た。

 こいつら、よくわからん。



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