第86.1話 景子と夢見の第一歩

 VV-iP学園の視察をしたことがあるか、なんて生徒である朝霧芽衣に問われた酒井景子は、当然のように頷いた。

 そもそも、他県の高校に通っていた景子は、VV-iP学園の大学に入学して、そこで教員免許を取得している。そして野雨西高等学校の教員になったのだから、学園のことはそれなりに知っていた――が。

 それでも、改めてきちんと視察をする、なんてことは、なかったように思う。

 夏休みということもあり、それなりに時間が作れたので、母校に顔を見せてみようという感覚で足を向けた。

 相変わらず、敷地面積が広い。

 普通学科棟は、学園ごとにあるので三つ。運動場に面したプレハブ校舎、教師棟に特殊学科棟、施設棟に加えて、大学校舎――まったく、徒歩での移動だなんて馬鹿げているとさえ思えるほどだ。

 だが、やはり。

「視察というより、懐かしさが出ますねえ。まだ二年か三年くらいなのに……」

 今ではこの騒がしさを作る学生たちを、見る側に回ったけれど。

 この学園の賑やかさは少し、特別だった。

 普通学科棟ではなく、特殊学科棟に足を踏み入れての視察だったが、廊下を歩いていたら声をかけられる。

「――景子?」

「はい?」

 休憩室、喫煙室、呼び方がどうであれ、各階に最低一つは設置されているラウンジから出てきた女性は、なんだか妙にしっかりとした服を着ていて、どこのオフィスレディかと思うような相手であった。

「ん? ああ、そう、初めましてになるのね。鷺城鷺花――エッダシッド教授の教え子よ。踵をちゃんと揃えた?」

 その言葉に、景子も頷きを一つ。差し出された手に応じるよう握手を。

「朝霧さんのお知り合いの方ですか。酒井景子です……え、どうしました変な顔をして」

「あえて、ディジットの名前を出すことであのクソッタレを意識しないようにした、私の配慮を壊しやがったこのちびっこいの、どうやって殴ろうかと考えてる顔よ」

「ひいっ、八つ当たりですよ!?」

「わかってるからやるのよ……? で、なに、どうしたの」

「えっと、視察ですかねえ。あとはそう、踵を揃える話ですが」

「うん」

「本当は後ろを振り返ると、落ちそうで怖いんだろうって、言われまして」

「芽衣じゃないわね、誰に?」

転寝うたたねくんです――が、その」

「ああ知ってるから大丈夫よ。でも懺悔を聞くような野郎じゃなさそうだし」

「ええまあ、うん、ですよねー」

「……じゃ、逢いに行こうか」

「はい?」

「だから夢見ゆめみのところ。たぶん第四図書室にいるだろうから」

「なんです、その第四図書室って。わたし、一応ここの大学に通ってましたけど、聞いたことありませんよ?」

「あらそ? 第一は、いわゆる図書館。第二は文芸部、第三は特殊学科棟の蓄積学科、そして第四が施設棟にあるのよ」

「そうでしたかー」

 学生同士の通称、なんてのは、よくあるもので。

 それを知るほど、当時の景子は幅広くあれこれ情報を仕入れたりはしていなかった。なんというか、環境に慣れることと、教員資格のための学習に没頭していたからだ。

「ところで、鷺城さんもここのOGですか?」

「は? なに言ってんの、目が腐ってる? 私は芽衣と同い年で、まだここの学生。真理学科三学年」

「…………」

「なによ」

「なんかもう、年齢相応の子はいないのではと思い始めました」

「〝現実〟を押し付けられれば、誰だってこうなるわよ。馬鹿みたいにはしゃいでる軍人だって、それを知ってるからこそ、遊ぶのよ」

「わかりました」

「そう?」

「ええ、朝霧さんや鷺城さんが特殊事例なんです」

「そうでもないと思うけれど」

「資格欄の項目はなんですか?」

「私は電子戦A級ライセンスくらいしかないわよ? ああ、コロンビア大学卒業はあるか。ここじゃそう珍しいことでもないでしょ」

「そうですかね」

「だって爵位持ちが三人くらいいるし、現役狩人ハンターもいる。どういうわけか私の顔を見ると逃げ出す馬鹿もいるけど」

「やっぱり特殊な気が……」

 特殊学科棟の一階から外に出て、隣にある施設棟へ。こちらは教員の研究室や、実験などを行う施設などが中心で、授業をする場所ではない。部室も兼ねている場合もある。

 四階右側、四番目の部屋の前で足を止める。研究室が多いこともあり、ガラス窓があったりすることはなく、一定間隔で扉だけが存在しているのも特徴だ。

「ゲスト登録はした?」

「はい、視察ですので」

「ならいいか」

 入口の端末に鷺花が学生証をかざせば、扉が開く。

「――うわ」

 続いて認証をした景子は、壁一面と言わず、可動式の本棚が並べられている室内に驚きの声を漏らした。

「こんなところがあったんですねえ」

 そして、正面には場違いな全自動麻雀卓が鎮座しており、それを三人が囲っていた。

 沢村まい。

 転寝うたたね夢見ゆめみ

 二村にむらひとし

 以上三名だが、景子は夢見しか知らない。

「なに? 検証?」

「ん――なんだ、鷺城か。ここに朝霧はいないし、迷子の預り所でもない。25000点持ちの東一局、東風戦。赤三枚入り。下家のリーチだ、6巡目からの検証を改めて開始しよう」

「おう。対面はベタ降りじゃないにせよ、回ってる。三フーロしてる上家は真っ向勝負――で、仁はここ、勝負してるよな。無スジだし」

「東パツだし、とりあえずまっすぐ。ただマンズで鳴いてる上家のケアだけはしようとは思ってた」

 そこから、鷺花を含めて言い合いが始まる。放置されても、案内が仕事だったわけでもなしと、本棚へと視線を向ければ、影になっているところにソファがあり、自分と似たような小柄な少女が本を読んでいた。

「……?」

 違和感。

 だがその答えはすぐに見つかり、景子はそちらへ近づいた。

「お邪魔してます」

「ん」

「あのう、失礼ながらお訊ねしますが、種族が違いますよね?」

「……へえ、気付くんだ」

「ええまあ、その、猫族の教授に出逢った時の感じに似ていたので」

「エッダシッド・クーンと一緒にされると、なんだか複雑な気分だ。我のことは〝室長〟で良い、ここを棲家にしていたら、そう呼ばれるようになった」

「はあ、そうですか」

「見てはわからんやもしれんが、青色の竜族だ」

「ここにある本は、室長さんが集めたんですか?」

「いや、集めてはいない。そこらのガキに部屋を使わせる代わりに、定期的に入れ替えをさせている。この学園にはあらゆる本が集まるから、我にとっては楽園に近い」

 おかっぱ頭に眼鏡をかけた少女は、僅かに視線をズラすようにして、景子を見たが、すぐに手元の本に視線を落とす。

「足元を見た時に確認するものは、人それぞれ違う。だが、確認できるものは同じだ。どこに立っているのか、どう立っているのか、それが自己判断であるのならば鏡を見れば済む話だ。足を踏み外して転げ落ちそうなら、誰かを掴めばそれで済む。時計の位置を気にするのなら、相手の時計に目を向けるべきだ」

「え、っと……」

「遠慮なく腕を掴んで、落ちそうだから引っ張ってと、そう一言伝えればいい。我にはできんが、お主ならできるだろう? 誰かに見せるための化粧を学んだのなら、その誰かを自分が想像していることも、自覚的でいろ――と、我が読んだ本の知識での、心理的考察はこの程度だ。合っているかどうかはいらない、反応でわかった」

「はあ、そうですかあ」

「お主の視線は学生のそれとは違っていて、クーンの名前を出したよう、教育者だろうから、あくまでもプライベイトの助言に終始したが、我には人付き合いそのものが少ないからな。聞き流して構わない」

「――景子」

「あ、転寝くん。そちらはもういいんですか?」

「お前の方が優先度は高い」

「ひ、ひゃいっ、そそそうですか!」

「何を慌てているんだお前は……それと室長」

「なんだ?」

「景子は一般人だ、あまり遊ぶな」

「お主と違って皮肉も言わないし、遊んではいない。お主の女なら、相手をしていた我に感謝をしてもいいところだが?」

「残念ながら、まだ、俺の女じゃない」

「そうかい」

「あのう……わたしの意見は?」

「俺がお前の男だと言いたいのか?」

「そうじゃありませんよう」

「ふん。で、どうした、朝霧に何か言われたのか?」

「ええ、視察でもどうだと」

「寮に帰ってあいつがいたら、余計なお世話だと言っておく……」

「へ?」

「裏を読まない素直な性格だなお主は。本音と建て前、虚実の使い分け、罠を仕掛ける基本だ。けれど、逢えたんだからユメは感謝しても良さそうなものだ」

「え? え?」

「逢いたければ俺から行く」

「そうだったな、お主は殊のほか素直だ。忘れていた」

「ふん。辛気臭い竜の顔を見ていても仕方ないだろう景子、こっちに来い」

「あ、はあ、では室長さん、また」

「ああ、うん」

 次なんて期待してない、みたいな素っ気ない態度であった。

「気にするな」

「はい?」

「本気で口説くつもりがあるなら、ちゃんと誘う。これでも書店員くらいには、客との距離感はわかってるからな。――そこの椅子に座ってろ、観戦用だが」

「はあ、どうも。それでここは、どういう場所なんですか?」

「そうだな」

 夢見は座った景子の隣、壁に背を預けるようにして立ったまま。

「ま、ある種の秘密基地か。裏の顔を持ってる連中――と言えば、聞こえは悪いが、知った顔が集まって、仕事じゃない一般的な会話をしようって集まり。そこにいる沢村の友人が、競技麻雀に相当入れこんでて、一緒に卓を囲むこともあるから、それに影響されたって感じだな」

「影響されて、全自動麻雀卓を……? しかも点数表示付きですと、結構な値段ですよね?」

「詳しいな」

「大学時代の教授に、これも社交術だと言われて打ってた頃もあったので」

「型落ちだが、それなりに稼ぎのある野郎もいるからな。俺はもう引退したが、仕事を生活にしてる連中の息抜きの場所――に、近い。好きで仕事をしてるんだけどな」

「転寝くんは、引退したんですね」

「夢見でいい、ちょっと言ってみろ」

「えと……夢見くん?」

「ん、そうしてくれ。うちの姉貴は〝運び屋〟なんて稼業をやっていて、それなりに名前が売れてる。それと一緒にされたくはない――って言い訳でいいか?」

「いいかって、なんでわたしに聞くんですか……」

「お前に呼んで貰いたいからだが?」

「しし知りませんっ」

 そうやって顔を赤くするから意地悪をしたくなるのだが、好意を持った相手なら遠慮くらいする。

「自由奔放、現実を言えば好き勝手。そういう姉貴で、年齢が結構離れてるくせに、親父がいなくなりゃ面倒を見るのが俺だ。幼少期に蓄積された経験から、どうも、俺は面倒な女ってのは嫌いじゃなくなったみたいでな。まあ――景子の場合は、少し違うが」

「はあ……その、まあ、それはともかく」

「逃げ場を封じるのは最後だ、まあ今は逃げとけ。ただし、ちゃんと逃げてることに自覚的でいろよ。足場の確認もせずに、壊れかけの橋を渡るのは、最悪の時だけでいい」

「そうやって厳しいことを言う……」

「ふん。俺は二年くらい前まで、少し狩人ハンターの下請けみたいなことをやってた時期がある」

「……踏み込んでいいものかどうか、ちょっと悩ましいんですが、夢見くん。その、どうして今はやっていないんですか?」

「次に逢う時、話してやるよ。今日中に連絡先を俺に渡すかどうか、よく考えて結論を出せ。まるで遊園地を歩きながら、いつ告白しようか悩む間抜けに似ているが、さて、俺はいつ結論が出るかを楽しみに――なんだ、変な顔をして」

「なんでわたしなんですか?」

「……? それはあれか? どうして雨なんてものが降るのかっていう、哲学的な問いか?」

「違います!」

「お前の家に鏡があるなら、それを見てみろ。答えは、――。理由なんてお前そのものだろ」

 そんなことを真顔で言われれば、息が詰まり。

 大きく吐息を落として視線を反らした景子は、バッグから自分の携帯端末を取り出した。



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