第67.1話 田宮と浅間の出会い
――初めて。
外注だ、なんて言っていた訓練教官であるマカロ・ホウの言葉の意味をようやく知ることができたのは、つまり、田宮が学園生ではなく、野雨西の生徒であることがわかってからで――初日は、走れと言われるだけの訓練であった。
その頃はもう一ヶ月は経過していた浅間たちは、自分たちも初日はそうやって走らされ、自分の体力限界というやつを、それこそ生まれて初めて痛感したのだと、その頃を思い出せば苦笑の一つも落ちる。
軍式訓練とはいえ、厳密には基礎体力作りを徹底した過酷な運動――である。二日に一度、午前中のみのスケジュールで組まれており、あくまでも一般授業のついでで受けるようなものだ。
けれど、その初日で。
田宮は午前中の間、ずっと、走り通しで、――走りきったのだ。
途中に休憩を入れていたし、そもそも教官は片手間であったため、速度の指示などはださなった。それでも、悪くないと浅間たちは思うペースで、三時間と少しだ。
そして、訓練終了後、水のボトルを二つ抱えるようにして、何をするのかと思えば、着替えもせずにタオルを首にかけたまま、校舎横の木陰に仰向けで倒れたのだから、人目を気にしていないというか――。
「あーしんどー! 学校行きたくねー!」
そんな本音のおまけつき、である。
素直だなと思ったから、浅間は小さく笑って、近づいたのだ。
「おつかれー」
「おう――浅間だっけ? もうちょい近づいてくれ、スカートの中が見えそうだ」
「ジャージなんだけどね?」
「わかってて言ってんだよ……ふう、よいしょっと」
上半身を起こした田宮は、水を喉の奥に流し込んだ。
「なんで私の名前知ってんの?」
「ん? こっちに顔を出す許可が出るのはわかってたから、その前に事前調査して顔と名前くらいは最低限な。辞めた連中までは知らんけど」
「……え?」
「ん?」
「事前調査?」
「あくまでも念のためだぜ、こんなの。こうやって明かすように、あまり役に立たないものだし。どっちかっつーと、マカロ教官の経歴を洗おうと思ったんだけど、そっちはいまいちだったから」
「……学生よね?」
「そうだよ、お前と同い年」
「ふうん? よく走れたね?」
「走れって言われただろ、そりゃ走るさ」
「そういうことじゃなくて」
「ペースコントロール。授業時間から逆算して体力の消費を考えただけ。あと二十分も走れば倒れてた。そういう訓練だろ? 実際、教官の休憩を入れるタイミングが絶妙すぎて参ってる。この感じだと次はもっと走れるようになるだろうなあ」
――この時点で。
田宮が何か違うことは、浅間にもわかった。
「はは、見慣れた顔だ」
「へ?」
「お前なんでそんな考えが持てる? 以前はよく見たよ、そういう顔。けど、揃って同じ方向を見てる方がよっぽどおかしいだろ」
「あー……ごめんってのも変か」
「気にするな。俺は一歩引いて見てるだけで、そんなに特殊じゃねえよ。状況の流れを目で追ってんの。それにしたって、精度は低いからなあ」
「ふうん。――でさ、田宮はなんでこっち来たの? 午後からそっちの学校なんでしょ?」
「まったく面倒だよな? それ以上の理由がありゃ充分だ」
「その理由って?」
小さく笑った田宮は、ボトルの水を飲んで間を作った。
「俺の知り合いの信条はこうだ――無駄だと思ったことを、まず積み重ねろ」
「……? どういう意味なのそれ」
「同じ問いを投げた俺が見たのは、苦笑した顔だよ。そして、言葉の続きはない。俺なりに解釈すればだ、積み重ねたのならそれは無駄じゃない――だ」
あるいは。
積み重ねたものを、どうやって無駄にしないか、そんなものは本人の行動次第でしかない。切り捨てる理由になどならないと、そういうことだと思っている。
「じゃあ、必要なことってのは、一体なんだ? それに対する見解は、必要なんてのは迫られた時に否応なく突き付けられる嫌なヤツ――だ。何が言いたいかってな? 理由がどうであれ、楽しんだヤツが勝ち。身近な答えを拾うよりもむしろ、いつか出る答えのために走ろうとするのが、俺の教訓」
「……よくわからんのだけど」
「俺だってわかってねえっての。ただ、やたらと走るだけよりも、教官が見てくれてた方が安心感はあるぜ」
口調は軽く、軽薄とも思えるような適当な会話に聞こえるが――けれど。
ただ、誤魔化しているという感じではなく、浅間には田宮の視線が自分ではなく〝先〟を見ているような気がした。
「……もしかして、軍式訓練を受けたこと、ある?」
「――はは。もしそうなら、あえてこんなところには来ないさ。けど、外れじゃない。体験入学じゃないけど、連中の訓練には二度ほど混ざったことがある。山岳行軍訓練には一度だけだ」
「え、本当にそうなんだ……」
「真面目にやったわけじゃない。というか、真面目にやっても全く通用しなかった。二年前? そんくらいだけど、ほぼ一日の記憶が飛ぶくらいの過酷さだったからな。それに昔の話だ、今じゃないし――今も、軍部の門を叩こうとは思っちゃいない」
ゆっくりと立ち上がった田宮が、伸びを一つ。
「体力作りやダイエットなんて、わかりやすい理由ならもっともらしいけどな。けど多くの人間が、こう言うんだよ。最後に物を言うのはタフネスとネバーギブアップだってな」
「それ、極論だと思ってないんだ?」
「その時になって後悔するよりは、よっぽどいいぜ?」
「――うん。そう思う」
「へえ?」
「え? いや、うん、素直に」
「ところで浅間、顎のラインで揃えてるのに、なんでうなじを隠すみたいな尻尾が一つできてんだ?」
「これ? かわいくない?」
「手入れが面倒そうだなあ……」
「可愛いって言え!」
「強要すんなよ、それでいいのかよ」
「いいの!」
「はいはい、じゃあ今度、紙に書いておいてそれを見せてやるよ」
「こんにゃろ……」
「いや、面倒だから俺は丸坊主にしちまおうかって、考えてたところだったから」
「え? でも結構伸びてるじゃん」
「朝の走り込みくらいならまだしも、午前中ずっと動いてると、鬱陶しい。二年くらい前は当たり前のように一ミリ以下だったし」
「ふーん……どうでもいい!」
「ああそう」
「あ、興味がないってわけじゃないから。というか、私に対しての質問はないの?」
「ねえよ。なんだお前、欲しがりか? ……あー学校サボろ、面倒くせえ。初日くらい許してくれるだろたぶん……」
情けない――なんて言葉を口にする
「おっと、時間だ。寮に戻ってシャワー浴びなきゃ」
「いってら。俺も運動部のシャワールームを貸してもらう手配しといたし」
「んじゃ、また次にね?」
「おうよ」
この時、田宮にとって初見であった浅間の印象は、素直な女だ、というシンプルなものでしかない。
だってそうだろう。田宮は誰かを評価するだなんて真似、したくはなかったから。
着替えも持参していたので、陸上部らしき人に声をかけてシャワーを浴びて着替え、一息。傍にあった普通学科棟ではなく、あえて特殊学科棟にまで足を運び、そこの食堂で食事にした。
どのみち、一日休むよう学校側には打診済みである。そもそも田宮がVV-iP学園に足を向けることが稀であったため、初日はついでにいろいろやっておこう、そう思ったからこその手配だ。
カレーを食べて、チャーハンを食べて、わかめスープを飲んで、サンドイッチで締めだと食べていた頃、ようやくその男は顔を見せた。
「よう」
「おう」
対面に座ったのは、野郎にしてはやや小柄な部類であり、丸い顔が特徴的な男だ。ワイシャツにネクタイなんぞをしているのは、どこぞの営業の帰りか、なんて思う。
生活学科に所属している、電子戦のスペシャリストだ。
「なんでまた?」
「朝霧に言われた。つーか……あの女、どうかしてるぞ」
サンドイッチを食べ終え、食器を片付けた田宮は珈琲を買い、席に戻る。沢村はもう食事を終えたようで、ボトルのお茶があるだけだ。
「さすがに情報が集まらなくて、俺に頼ったってことか?」
「情けないが、そういうことだな。軍式訓練の事前調査はこっちでやったけど、あの女はどうも、情報が落ちてねえっつーか……俺の知り合い関連の人間は、どうも、話したがらない」
「おい田宮、それ俺も同じとは考えないのかよ」
「だからその確認も含み、だろ。最悪、お前から〝買う〟ことも視野に入れてはいるんだが、一応友達だろ? 仕事を持ち込むのはどうかと思うし」
「お前そういう配慮するんだよなあ……」
「いやするだろ、こういうの。麻雀打ちながらくだらねえ話とか、仕事の関係になるとやりにくいし」
「繊細だなあ」
「うっせえよ」
朝霧芽衣。
田宮が属している公立野雨西高等学校、情報学科三学年に編入してきた女性だ。
「元軍人、それでいてコロンビア大学の教育学部を卒業済み。
「電子戦A級ライセンスを取得済み、を追加すべきだね」
「――マジかよ」
「俺と同業ってわけじゃないけどな」
B級、A級ともにライセンスを保持していると、防衛のための攻撃、というプログラムを扱うことができるようになる。B級は自己防衛のみ、A級は公式セキュリティへの介入や作成も可能だ。
電子戦だけでなく、プログラムを扱う職種にとって、所持者は全体の一割に満たないと言われるほど、難易度の高い資格だ。もちろん、狩人認定証ほどではないが。
ちなみに沢村まいは、A級ライセンスの所持が〝最低限〟と呼ばれる、電子戦公式爵位、という場所にいる。
最下位である男爵位でさえ、五十名。お互いの端末をハッキングして特定情報を抜くことで勝利を得られる電子戦の公式戦場――その中で、伯爵位を持っているのが、この男だ。男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵の順番があり、上に行くほど人数が減るので、世界で二十名以内に入っていることになる。
電子上の情報を売買こそしないが、そこらの情報屋よりも持っているものは多い。
「それなりに拾える情報だけど」
「おう」
「米軍を間借りしていた組織、〝
「間借りってことは、軍と直接の関係はないのか?」
「厳密にはない――ってことになってるけど、軍からの引き抜きだし、今はほぼ解体されてるけど、その理由だって米軍の意向が強く反映され過ぎたって点があったからだ。ある程度は仕方ないにせよ、組織の維持ってのは難しい」
「完全に独立させちまうと、今度は武器の流通経路や仕事そのものの確保も新しく作らなきゃいけねえし……ん、それで朝霧はどの部隊に所属してたんだ?」
「六番目の〝
「――」
資格欄だけでもアレなのだ、それなりのポジションにいたと考えるのは自然だろう。
だが、まさか、ファーストだったとは。
「部隊のトップ、か……どういう部隊なんだ?」
「最大単位が一人――そうだね、
「想像しかできねえけど……相当だよな、それ」
「まあね。田宮は不可能だと思うか?」
「――いや、理屈そのものだけなら、可能だろう。そもそも部隊運用なんてのは、行動ロスを含むものだからな。極論、撤退をしてる最中に敵がいなくなれば、それは成功する」
「へえ……」
「なんだよ?」
「いや、そういうことだろうと思ってね」
実際、そういう仕事の情報を沢村は持っていた。現実に犬はそれをやったわけだが、まさか田宮の口から聞くとは思っていなかったのだ。
「けど極論だし、理屈だけだ……」
「田宮が見た朝霧芽衣は?」
「――わからん。誤魔化しとか、そういうんじゃなく、何も。隠してるわけじゃなく、自然体でそれだ。面倒になって俺がESPで探りを入れた時、こっちを見て鼻で笑ったぞあの女」
「……」
「なんだよ」
「ん、ああいや、ユメも呼んで卓を囲もうかってね」
「
「〝室長〟もいるし、四人揃うな。あの人がやるかどうかはともかく。――で、お前が興味本位にしろ何にせよ、朝霧芽衣の元部下ってのに逢えるよう手配してやろうか?」
「できるなら頼む。支払いは俺ができるもので」
「ただし時間はかかるから、あんま期待すんな」
「諒解だ。――そういや、お前、
「おう。いやお前、ちゃん付けってどうよそれ」
「冗談半分にそう付け加えないと、真面目に対応できないだろ、あの人。制服姿なのに、スカートのポケットに左手だけ入れて、立ち上がった瞬間はマジで怖い。兎仔ちゃんもこっち来て二年? 厳密には覚えてねえけど――俺の知ってる軍人とは違う」
「なるほどね」
「お前はそういうの感じないのか?」
「いやまったく。これ続けると、のろけ話に突入するけど?」
「あー……麻雀中にしてくれ」
「聞くのかよ」
それが代金の支払いになるのならと、さほど嫌そうな顔もなく、田宮は苦笑した。
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