第8話 意地の悪い世の中の理屈

 2046年、三月二日――戦闘訓練が、いや、戦闘訓練を行うための、基礎訓練が開始された。

 体力作りが順調なのもさることながら、二月中に電子戦B級ライセンスを取得したのも一つの理由である。まだ半年と少しなのに、随分と早いが、幼少期の吸収力であれば当然だとも思うし、この程度ならば電子戦に傾倒し過ぎだと、ジニーは判断しなかった。

 むしろ、ようやくスタートラインだろうと結果を見て、芽衣の頭を撫でながら思ったものだが、しかし、あとになって、待てよこれは狩人ハンターとしての基準じゃないかと首を傾げたものだ。

「今日はちょい風もあって寒いが、ちょうど良い。いくつか基本を教える」

「うむ、昼食後の腹ならしにちょうど良い感じにしてくれ」

「基本中の基本だ、大したもんじゃねえよ。まず〝重心〟について教えておく」

「重心? シーソーの話か?」

「ああ、そんな遊具もあったっけな。だが同じことだ――芽衣、肩幅くらいに足を開いて目を瞑れ」

「うむ、口は閉じなくても良さそうだな」

「お前の減らず口はちょっとくらい閉じた方がいいんだけどな?」

「ししょうの軽口とどっちが気に食わんかしょうぶするか?」

 最近、女には口で勝てない、なんて言葉を思い出すようになった。原因もわかっているが、こればかりはどうしようもない気がする。

「重心がどこにあるのか、そしてどう保つのか、これが決定的な勝敗を分ける場面は、現実的に多い。軽く右足に重心を移動させられるか?」

「かんたんだ、軽く体をたおせばいい」

「体重そのものが右足に移る。次に左足」

「もんだいない」

「この時、重心はどう移動している?」

「右足から左足ではないのか?」

「そうだ、その間に。そこを意識してもう一度」

「中心か……」

「その中心がわかったら、躰をその地点で止めろ」

 右、左、それを二度ほど繰り返してから、芽衣はぴたりと躰を止めた。

「ここだ」

「次、今度はつま先に重心を移動させろ。前のめりだな」

「そしてかかとか?」

「そうだ、今度は前後の動きから〝中心〟を見いだせ」

 前後を三度、それから左右を一度――そして。

「ここだ」

「違う、右側に寄ってる。軽くジャンプして力を抜け、最初から」

「むずかしいな……」

「お前は普段から姿勢も良いし、動きに癖を作ってない。矯正も少なくて済むから、掴めばすぐわかる」

「これも〝感覚〟か」

「車の運転と同じだ。あれだって、躰の感覚を車そのものに投影する作業を、無意識で行ってるからこその話だからな」

「なるほどな。ここだ」

「後ろに寄ってる、もう一度ジャンプから」

「一度や二度でつかめるとは思っていない」

「地味な作業こそ重要だ、多少は我慢も必要になる」

「それは電子戦でいやというほど実感した。しかし、ししょうは見るだけでわかるのか?」

って現実が、どんだけ脅威なのかは、そのうち教えてやるよ。状況に応じて変化はするが、相手の姿勢を崩すのには必要なことだ」

「しせいをくずさないために、重心を自覚するのが必要なのか」

「そういうことだ。いいか芽衣、何事もそうだが、を一緒にするな。この二つは大きく違う。どんな状況でも、できないは避けろ。やらないと言えるようになれ」

「そうありたいものだ――ここだ」

「もう一回」

「うむ……コツみたいなものはないのか?」

「今だけ通じるって意味ならコツはある。最終的にどうかと問われりゃ、そんなもんはねえと答える」

「またなやましいな、それは」

「頭上から背骨の〝線〟を意識しろ。そこに重心がどう合致するか、そこらの理屈と感覚を同一に近づけりゃ、現時点では通用するよ」

「ふむ……む?」

「そう、そこだ。しばらく動かずに実感しろ」

「なるほど、しんが通るとは、こういうことか」

「行動によってその芯は、必ず動く。動くが、捉えるためには中心を基準にした方がいい――よし芽衣、軽く左足を上げてみろ。重心の移動に気を配れ」

「む……」

「平衡感覚が崩れるのはどうしてだ? 重心が右足に移ったのに、上半身がそのままなら倒れるのは必然だ。今度は右足を基準にして一本の芯を見つけろ」

「見つける? 上半身を動かして直線にするんじゃないのか?」

「それでいい、……最初はな」

「ふつごうでもあるのか」

「実戦ではな」

 不都合というよりも、不具合が生じた場合がほとんどだ。片足が動かなくなったりすることは当然であるが、身動きがそもそも制限されるのが現場である。常に直立できる場所があるとは限らないのだ。

「バランスがとれない」

「どうしてだ?」

「んー」

 片足から両足、そこから中心を探って感覚を掴みながら、また片足へ移行することを、ゆっくりと確認するよう繰り返しながら、芽衣はどうにか思考する。

「……む?」

「椅子はなんで安定してる?」

「足が四本あるからだ。しかしあれ、たまにがたがたするぞ」

「それも、足が四本あるのが原因なんだけどな。安定を求める場合、支点を繋いだ面積を考えるとわかりやすい。四本の椅子は、どういう面積ができる?」

「四角形だ」

「じゃ、お前の両足なら?」

「二点……だが、まあ、足のサイズに合わせた、長方形になるのか」

「片足になると、完全に足の裏の面積だけになるだろ。小さい癖に、対比して躰が大きいからバランスを取るのが難しくなる。で、さっきの話だ。がたがたする椅子は、足が一本短い場合なんかによく見られる。この場合、面積部分がどうなってる?」

「どう……」

「じゃ、一本短くて、地面に触れていない場合は?」

「――三点で三角形か」

「そう、だが本来は四角形。この二つが交互に作られる、二つのかたちが同居してしまうからこそ、がたがたして、行ったり来たり、四角と三角をかわるがわるってわけ」

「だが、わたしの片足は、かたちを変えていない」

「いないが、重心は移動してる。つま先、かかと、側面、内側――頭のてっぺんまでの長さがあればあるほど、その小さな動きが、上半身では大きくなる。地震が起きた時、高層ビルの一階と頂上じゃ揺れ幅が変わってくるみたいにな」

「ああ、そう言われるとわかりやすいな」

「とにかく、重心移動の感覚を身に付けるための訓練だ。続ければ、意識の外側で制御もできる。芽衣、今度は右足を一歩前へ出せ、重心は中央」

「……む、こうか」

「そうだ」

「なんとなく芯が見えてきたぞ」

「やっぱお前、飲み込みが早いなあ……」

 ちらりと時計に目をやれば、開始から二十分である。ジニーの感覚で言えば、標準レベルということだ。どんくさい部類ではない。

「そうほめるな」

「じゃ、目を開けて最初からやってみな」

「ぬ――、……む、なんだこれは。ん? どこだ?」

「ここはお前の実家じゃなく、俺の別荘だ」

「そういう意味ではない……。きおくちがいでも、ペンキ屋に寄ってきたわけでもない」

「今だけ通じると教えただろ。で、お前は目を閉じて戦闘をする曲芸師サーカスか何かか?」

「くそ……」

 玄関に腰を下ろしていたジニーは、煙草を消してのそりと立ち上がる。

「重心移動、力の制御。芽衣、やる気を出させてやる」

「なんだ?」

「躰そのものの移動にも利用できるが――たとえば、こうだ」

 軽く左手を前へ出すようにして上げ、掌を上へ向ける。

「この場合、重心は腕のどこにある?」

「指先じゃないのか」

「じゃあ仮に、この手に石を持っていたとして?」

「……?」

「力の支点は肘だ。つまり重さそのものは肘にかかっている。しかしその力を移動させれば、こうして手が落ちる。落ちた時には消えるが、落ちるまでは手に重さがかかっていたわけ」

「まあ、言っていることはなんとなくわかる」

「肘から手へと重心の移動を〝制御〟するとこうなる」

 一瞬、手が消えた。視認できたのは、腰の裏に回って停止した〝結果〟だけだ。

「速い」

「この手順を逆にすると、元の位置に戻る。実際には拳銃を引き抜くわけだが――こいつを、いわゆる〝瞬発しゅんぱつ〟と呼ぶわけだ。お前が足を前に出したように、重心なんてのは移動するものだ。その移動を極端にすると瞬発する。先取りだよ、先取り」

「右足に重心がうつるのを、先にやるのか」

「そうだ」

 右足へ一度重心を移し、踏み込みの左足を出した瞬間に、揺れるようにしてジニーの姿は芽衣の視界から消えた。

「――こうなる」

 その言葉は背後から。純粋な体術であり、術式などを使ったものではない。

「ぬう……」

「重心の移動に気を配れ。走り方一つ、右と左、何もかもが重心移動だ。まずは基本だ芽衣、中心を捉えて感覚を磨け」

「わかった。……しかしジニー、きさまもこれをやったのか?」

「実戦の中で死にそうになりながら、否応なく覚えねえと殺されるって状況を、三度も繰り返せば、どうしたって身に着ける。いわゆる結果論ってやつだ、学んだのは確かだが教わったわけでも、今のお前のように基礎をやったわけでもねえよ」

「そうか」

 一度目を閉じて最初から、そして目を開いての確認を繰り返す。しばらくは、その光景を玄関に座って見ていたのだが――。

「む……!」

「あ? どうかしたか?」

「おいジニー! 面白いプログラムコードが思いうかんだぞ! ちょっと端末を持ってきてくれ!」

「面倒だ、後にしてくれ」

「わすれたらどうする!」

「お前の記憶力のなさが証明されるだけだ。ちなみにどんなコードだ?」

「コードはげんざいしんこうけいで頭の中でしんかちゅうだ!」

「そりゃ大変だなあ……」

「おいクソししょう!」

「どんな発想を得た?」

「中心がないセキュリティのこうちくだ! かくを持たない位置付けから――」

「ああ、サーバの統合理念だな」

「なんだと?」

「サーバには核が存在する。あー、現在主流となってるのはAIに対処を任せる自動防衛システムだ」

「初耳だぞ……?」

「なに言ってんだ、俺へのサーバにアタックしただろ? あれ、AIの自動処理だからな。あんまり〝学習〟させてないから、程度は知れるが」

「AIだと、反応はどうなんだ?」

「学習次第だが、反応速度は人より早い。ただ、あくまでも条件付きでって話だよ。人間の方がよっぽど〝対応〟は早い」

「なにがちがう」

「AIは用意されていたプログラムを、状況に応じて実行するだけだ。わざわざ人間でもできることをやっている。利便性はあるけどな……けれど、プログラムを作るのは人間に依存するし、実行だってできる。ただ、実行の反応速度が速いわけだ。人間はどうしたって迷うし、ボタンを押す動作が必要になる」

「そうか……いや、そうではなく」

「そういったサーバを全部統合した場合、中心はどこにある?」

「どれも中心で、どれも本物。だがどこかにメインサーバがあると考えるのがふつうだ」

「水風船、知ってるか?」

「知っている」

「あれの〝中心〟がどこにある?」

「丸の中心だろう?」

「中身は水だ、その中心を見極めようとしたところで、中心にあるのも水ならばそれは――」

 と続けようとしたが、魔術的な思考だなと思って。

「――どこにあるか、わからない」

「だが、外から見ればどこかに中心がある」

「そう思って潜ってみても、いつの間にか中央を通り過ぎて、やがて外壁にたどりつく。これがセキュリティの一つだ」

「どういうことだ?」

「迷路ってのは、ゴールがわかってなきゃ、やってられねえ。道を作って誘導しても、その道を外れたくなるのが人ってもんだ」

「だから道を作らず――かべを作らず、迷わす」

「そう、その通り。ゆえに重心を作らず、力みを見せず、相手を迷わすことが戦闘の基本だ。隠していれば、それはどこかと探し出す。固くすれば、そこかと狙いをつける。どこにもないと気付いた時には手遅れ――まったく」

 ああ、だが、それが現実で。

「世の中ってのは、意地悪にできてるもんだ。いつだって曖昧なものを、確かなものだと信じながら足を進めて、最後の方でなにもないと気付かされる。人生なんてそんなもんだと、斜に構えたって、期待しない生き方なんぞ、誰もできやしねえ」

「ふむ」

 動きを止め、腕を組んだ芽衣が振り返り――。

「おっさんの人生ろんは、わたしみたいなガキに通じないぞ?」

「うるせえよばーか」

 むしろ通じた方が、どうかしてる。



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