第7話 車乗りの恒例行事
水路を復元した先にあるのは、畑作業である。時期もあって水田そのものは作らないにせよ、芽衣にはいくつかの農作業用のマニュアル書を渡しておいた。
これにより、一日のスケジュールがやや変わる。朝は走り、朝食後には畑での作業などを行い、昼食後は自由時間。芽衣は電子戦技術の向上と、座学を中心に行っていた。実際の電子戦も、ジニーが用意したサーバへのアタックなど、実戦的なものになっている。
当面の目標は、B級ライセンスの取得だ。
今では電子戦公式爵位制度、なんてものが存在しており、電子戦技術を競い合う場が公的に認められている。簡単に言えば、一般人は最下位に位置するざっと五十名の男爵位に対し、ハッキングを行うことで、特定のワードを引き抜き、その席を奪うことができる。ちなみに一度でも男爵位を得た者は、今後の仕事に困らないとさえ言われていた。
何故?
たとえば現在男爵位を持つ人間と、一度でも男爵位を得た人間がいたとして、この二人のどちらが、仕事を頼む時に支払う金は少ないかを考えれば、自明の理だ。
しかし、誰もが参加できるわけではなく、そこで最低限のライン付けをしたのが、いわゆるB級ライセンスと呼ばれるものになる。
一般的にセキュリティソフトなどが販売されており、日常的に使われることは大前提となっているが、当然、これは防御のためのものであって、攻撃のものではない。けれど、電子戦においては、防御のために相手へ侵入する手段も存在する。
公式なプログラムにおいて、B級ライセンスを取得した〝技術者〟は、個人の防衛に限り、その手段を行使可能となっている。つまり、攻撃を仕掛けた相手を逆探しつつ、相手の端末に潜り込んで、攻撃プログラムそのものを消したりするウイルスなど――まあ、遠回しの説明ではこうなるが、簡単に言えば、防御のためなら攻撃していい許可みたいなものか。
故に、爵位同士の電子戦では、アタックを仕掛けていたのに、端末内部をのぞき見され、いつの間にかフォーマットが始まっており、気付いたらOSごと消され、端末ががらくたになる――なんてことが、実際はよくある。
そして、A級ライセンスの場合は、公的なプログラムに関しても、その仕組みを加えることが可能になる。軍事機密、国家機密など、とかく高いレベルのセキュリティには常時使われているものだ。
だから、まずは防御の観念からプログラムを知り、攻撃へと派生させつつも、攻撃に傾倒しないよう芽衣には教えなくてはならなかった。
ちなみにB級所持で電子戦爵位には挑戦できるが、A級を取得するレベルでないと、歯が立たない。
――さておき。
初日こそ農作業でぐったりとして、夢も見ないような睡眠であったが、一ヶ月以上も経過した今となっては、それなりに体力も追いついてきている。筋トレなんかをするのならば、実際に躰を動かして筋肉をつけた方が良いとジニーは思っているし、それでも足りない部分があるのならば、違う労働をさせるべきだとも思う。
しかし、何事も過ぎてはいけない。成長を阻害するような筋力は不要だ。
欠伸を一つ、いろいろと考えるのも面白いもんだとジニーは煙草に火を点け、遠くから聞こえてきたエンジン音に気付き、腰を上げた。
「芽衣! きりをつけて表に出てこい! ピザ屋が到着だ!」
「聞こえている!」
ならいいと外に出れば、目の前の道路にレッカー車が停まった。エンジンの音がしばらく続いたあとに消え、運転席から東洋人が顔を見せる。
不機嫌そうな顔のキリタニだった。
「よう、いつも通りの仏頂面を昼過ぎに眺めることができて、俺は随分とハッピーだが、お前はどうよ」
「……、嬢ちゃんはどうした」
「すぐ出てくる」
「そうかい。――おいクソッタレ、一ヶ月と少し前に到着した荷物、ありゃなんだ?」
「どうした、せっかく成功報酬を送ってやったのに、嬉しそうな態度が見えてねえぜ」
「てめえな? 禁煙中に隣で煙草を吸いやがるクソ野郎を隣にして、いつまでも出てこねえバースデイケーキを待ってるような気分だってのな」
「へえ? そりゃご愁傷様。ようやくこれからケーキにありつけるなら、嬉しさで一杯だろう? 景気の悪いツラはそろそろやめるんだな」
「てめえが原因だろうが……ったく、相変わらず性格が悪い。荷物を降ろす」
「おう」
レバーを引いて、前輪を持ち上げて移動してきたカートをゆっくりと降ろし、拘束を解くとすぐに、ジニーの指示でレッカー車を移動させ、煙草に火を点けながら戻ってきた。
「で、どうだジニー」
「四方向にバンパーつけたのか」
「私有地に限り、免許なしで運転できるとはいえ、オンロード仕様にこいつをつけるのには、バランスが難しかったけどな。ショックアブソーバーも付随させてあるし、エアバッグも搭載済み。計算上、七十キロで側面衝突をした際にも、車体そのものへのダメージは八割減らせる。車幅そのものも、キャンピングカーと同じくらいなもんだ。公道は走るなよ、こいつは何だと俺のところに面倒がくる」
「ナビゲーションシステムは?」
「市販品に上書きするかたちで、お前から送付されてたプログラムを走らせてある。内容は確認しとけ、俺は手を触れちゃいねえよ。レッカーを置いた場所に、予備タイヤも転がしておいたから確認しろ」
「金は足りたか?」
「どうやって使ってやろうか悩むくらいにはな」
「へえ……お、シートの置き場も足の長さを考えたのか」
「そこらは調整がきく。このカートに〝トランク〟は必要ねえだろ」
そもそもカートと呼ばれるものは、そこらの遊園地やサーキットに置いてあるおもちゃだ。もちろんレースだってあるから本格的ではあるが、普通の車とは用途が違う。
「予備のガソリンもタンク十個、なくなったらうちに取りに来い。どうせ、俺は基本的にこの土地にゃ入れねえ」
「燃費は?」
「実測でリッター13――の、はずだ」
「燃費計算は実走しねえと、やっぱわからんからな。いいさ、目安にする」
「嬢ちゃんが来る前に聞いておくが、残った金はどこに戻す?」
「あ? そんなもん、送付したエンジンを使って組み立てる車につぎ込めよ。成功報酬は別途用意してやっから」
「いらねえよバァカ! わけのわからんカードが溜まる一方だクソッタレ!」
「それなりに暇だ、何か入手して欲しい部品があったら言えよ――あ、ニトロはやめとけ。ありゃ足がつく」
「ったく……ほれ、鍵だ」
「なんだスマートキーか、しかもスペア含めて三つかよ」
「いらんなら耐火金庫に放り投げとけ。間違ってもバーで知り合った姉ちゃんに渡すなよ」
「姉ちゃんよりも芽衣の方がよっぽど面白いぜ」
「ふん――お、きたな」
玄関を開き、小走りで近づいてきた芽衣はしかし、眼前にある車に目を向けてすぐ、腕を組んだ。
「よう、嬢ちゃん。元気してたか」
「ご苦労、キリタニ。さて言い訳を聞こう」
「あ? なんだって?」
「ここまで時間がかかった理由だとも。わたしを待たせたんだぞ。それともきさま、女を待たせて言い訳の一つもなしか?」
「ほんとお前はいい性格してるよ……ジニーそっくりだ」
「なんだと⁉ わたしをこんなクソやろうといっしょにするな! こんなに性格がわるいんだぞこいつは!」
「おいジニー、お前なにした」
「大して意地悪はしてねえけどな」
「ふん。まあいい、一ヶ月前に送られてきた車のカタログは役に立っているぞ。仕組みやせいびの仕方なんかは、じっせんを残すだけだ」
「……そういや、義務教育関係は教えてんのか?」
「俺が教えることじゃねえよ、教材は渡してる」
「うむ、ほどほどにやっている。さすがに読み書きはできんと困るからな」
「よくやるぜ……まあいい、俺の仕事じゃねえや。ジニー、足回りの感覚は一般車両合わせだ、レース仕様のタイトな設定はやめておいた」
「よし、乗れ芽衣。キリタニ、そっちの道具入れに椅子とテーブルがある、出して寛いでろ。実走だ、確認しておきたいだろう?」
「トラブルが出たら突き返すってか? 諒解だクソッタレ。嬢ちゃん、シートベルトは両肩から、二つだ。装着したら、金具についてるボタンを押せ――ん、締め付けは?」
「身動きがふうじられたが、こんなものだろう?」
「身を守るものだ、自分で軽く引っ張って、毎回確認しろ。ハンドルまで手は届くな?」
「うむ、問題ない。足も一通りとどくようだ。わたしの身体データをとったな?」
「そいつはジニーに言え。鍵はジニーが持ってるが、エンジンはかかるだろう。ブレーキを右足で踏んで、左でクラッチを押し込んで、ボタンを押せ」
まずメーター関係に色がつき、すぐにエンジンが音を立てた。
「左右切り替え式だ、嬢ちゃん。まずはジニーの運転を見て覚えろ。基本くらい教えとくか?」
「うむ、教えろ」
「ジニー、切り替え確認」
「俺の方になってっから問題ねえよ」
「マニュアル式だ。こいつに乗れれば、どんなクソ車だって運転できる。ブレーキを踏んだまま、左手、サイドブレーキを落とせ。先端のボタンを押せばいい。そしてギアをロウに入れろ」
「完了だ」
「よし、あとは任せたぞジニー」
「引継ぎだ。芽衣、そっちは好きに動かしていいけど、反応はしねえからな」
「ならばひとまず、足と手は放しておこう」
じゃあ行くぞと、ジニーは軽くアクセルをふかしてから、移動を開始した。
「クラッチは半分開けてアクセル、開け過ぎるとエンストする。何度か経験すりゃ、感覚で掴めるからそう気にしなくてもいい。エンジンの音を聞け、加速のタイミングを見てアクセルを離し、クラッチを押し込んでセカンド、クラッチを離しながらアクセル。基本的にはこれの繰り返しだ」
三速に入れたまま、40の速度を維持しつつ、のんびりとコーナーに入る。
「速度表記はマイルじゃなくて、キロメーターだ、見やすくていい。いいか芽衣、車の運転なんてのは、ほぼ感覚が物をいう。状況に応じた瞬間的な閃きでさえ、積み重ねてきた経験が導き出す正解ってやつだ。理屈を捨てろとは言わないが、感覚を養え」
普段、芽衣が走っている周回ならば、車で五分とかからない。元の位置に停まって隣を見れば、腕を組んだ芽衣が首を傾げて。
その視線は、腕時計に向けられていた。機能性の低い、女ものの安価な時計だ。
「ジニー」
「なんだ?」
「目安にしたい、きさまはこの一周を何分で走る?」
「目安だあ? 一丁前に挑戦状かクソッタレ、どのくらいの腕か見せろって? はは、――上等だ、シートベルトを再確認。こいつを顔につけとけ」
「――アイウェアか」
「まさか、それもなしに目が開けられてるとでも思ってんのか?」
偏光をメインとしてアイウェアを顔につけた芽衣を見て、ジニーは苦笑を一つ。
「ハンドルを両手でしっかり握って、せいぜいがんばって目を開けてろ。――キリタニ! カウント!」
「ん? おお……Get set」
クラッチを押し込んだまま、アクセルを踏むたびに排気音が立つ。
「――Go!」
その言葉と共にクラッチを開けば、加速によって上半身がシートにめり込む。二秒後に二速、すぐに三速まで入れて最初のコーナーに入るが、アクセルを一切緩めず遠心力を身に受けながら突破、その瞬間に四速へ。
「ははっ、ハッピーかてめえは? どうしたビビッてんじゃねえぞ!」
ぎりぎりまで減速せず、コーナーの連続に入る。サイドブレーキを引いてからの、絶妙なカウンターステア、蛇のようにくねる道の最短コースを狙いすましたかのように抜け、アクセルをベタ踏みの状態で最終コーナーで後輪を滑らせれば、ほら見ろ、抜けた瞬間に頭が最終ストレートに入る。
そして、そのまま別荘の前を一気に抜けた。
抜けてから一周、今度はのんびりと走る。進行方向を逆にするくらい、なんてことはないが、まずは同じ方向での周回で慣れるべきだ。
別荘まで戻れば、一度エンジンを切った。
「キリタニ、カウントは?」
「一〇八秒だ」
「マジかよ、これだけの車なのに予定よりも十秒も遅い。こりゃ俺の腕も鈍ったか……?」
「小型のサーキット並みの敷地だしな、ここ。練習する足がなかったのが原因だろ」
「そんな言い訳が通じりゃ、こんな職業になっちゃいねえよ。――芽衣、生きてるか?」
「とうぜんだ」
「ま、あのくらいの動きはこの車にとって当然だが――まずは基本からだ。運転をそっちに渡す、軽く転がしてみろ。それとこのナビゲーションシステムにここらの地図が入ってる、参照しろ」
「わかった」
再びエンジンに火が入り、ジニーはパネル操作でブレーキだけ共有設定にすると、サイドブレーキ傍にあるスイッチを押してコントロールを芽衣に。
ふうと、小さい吐息と共に、そろそろと車が動き出す。
――ちなみに。
「うひゃひゃひゃ! まあたエンストしやがったこの下手くそ!」
「うるさいだまってろばか!」
このように、下手を打つたびにジニーが大笑いしていたのを、キリタニは呆れたような顔で見ていた。
恒例行事というやつだ。それで悔しさを覚えた方が、上達は早いのである。
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