第6話 問題の解決方法、その手順
そうして、朝霧芽衣との共同生活が一ヶ月を過ぎた頃に、ようやくその作業に乗り出した。しかし、その前に昼食後の恒例行事が待っている。
「――で、今日は?」
「そうだな……きさまの知り合いの話を聞きたいな」
「ん?」
ほぼ毎日のように、ジニーはいろいろな話をした。その多くは仕事の話で、馬鹿みたいな内容のものもあれば、子供には聞かせられない類のものもあったが――。
「知り合いか」
「何も一人でずっと生きてきたわけではないのだろう?」
「そりゃそうだが――まあ、はっきり言えば、まだ生きてる連中の方が少ない」
「古い知り合いはどのくらい前なんだ?」
「あー……っと、そうだな、俺が
「うむ、のみ終えるくらいでな」
こうして話をしていて、実際に芽衣がきちんと覚えているのかどうか、ジニーは確認したことがない。だが、自分しか持っていない記憶を、誰かに話すというのは、もちろん内容によっては反吐も出るが、それなりに楽しいものだ。
そして同時に、そこに懐かしみを感じてしまうのならばそれは――今のジニーがもう、狩人として動いていないことと同義であり、その実感もまた、嬉しいものであった。
「アキラと俺、それから
「お、そうなのか。といっても、わたしはあんまり覚えてもないけどな」
「熟はエスパーでなあ……」
「エスパー?」
「超能力者だ」
「それは知ってる。なにかで読んだからな。でもあれ、どういうものなんだ?」
「だいたい想像通りだが、あくまでも人間が持つ能力を超越した力を扱えるって感じの人種だ。戦闘力もあるから、三人で技を競い合ってたなあ――主に熟がすげー嫌そうな顔してた」
「なんだそうなのか?」
「いやな? あいつは好んで戦闘をしたいってヤツじゃなかったし、修羅場を逃げるだけの技量がありゃ良いって考えなんだよ。そこらへんわかるか?」
「なにもなぐるだけが、かい
「悪いことじゃないから、そこは気を付けろ。良し悪しを論じだすと泥沼だ、覚えておけ。当時はそうだな、熟は日本各地を旅してたし――ははっ、いや笑い話でな。あいつの居場所の情報なんかを探って、先回りして、まだ俺は軍との繋がりが強かったから、若い連中の訓練を見てやってたんだよ。で、砂浜を走らせながら、今か今かと熟を待ち受けるわけだ。よう、奇遇だなって言えば、あいつすげー嫌そうな顔してこっち睨むんだよ! あははは!」
「なるほど、当時からきさまは性格がわるいらしい」
「お前とどっちが悪いと思う?」
「わたしのひょうかは、きさまがすべきだと思うが?」
「なかなか良い返しだ。ちなみにアキラは軍部じゃないが、まあ、関係者になってるよ。熟はもう引退して引きこもってる。言うなれば、昔の戦闘訓練だなあ」
「それ、わたしもするのか?」
「現状、やりたいか?」
「ひつようだろう、そのつもりでいる。朝を走るのもそれを考えながらだ」
「正直に言えば、どこから教えるべきかは悩んでるけどな」
「やっぱりきそがいるか?」
「そりゃそうだ。んで、基礎自体もどれにすべきかは悩みどころだ。お前に合うかどうかだって、わかりゃしねえ――が、まあ上手くやるさ。基礎だけを徹底してりゃ、応用も簡単だ。少なくともお前が一人で生きられるようにはしてやるよ」
「それはありがたい」
「俺らがやってたのは、ほとんど実戦みたいなもんだ。あれのお陰で、戦闘の多様性は得たような気がするよ。ともかく付き合いの長い友人ってのは、あいつらくらいなもんだ。熟はこの場所も知ってるから、今度呼んでやるよ」
「きたいしないで待っておこう。つまりきさまは、育てられたのではなく、育ったんだな?」
「試行錯誤の結果、なんとかな」
「むだだと思ったことは?」
「んー、まあ、ねえな。今のお前みたいにだ、誰かに〝これをやれ〟と言われれば、どうしてと思うこともある。必要あるのか? 意味なんてあるのか? 無駄じゃないのか? それが詰まらんものだったなら芽衣、時間をかけずにとっとと終わらせろ。楽しめるなら、楽しめばいい。無駄かどうかなんてのは、結局のところ、死ぬ間際にならなきゃわかんねえよ」
「わからんものに、けつろんを急ぐな、か?」
「そういうことだ。実際にあとになって役立つこともあるし、別方向に動くことだってある」
「べつ方向?」
「これが不思議なもんでなあ……たとえば、電子戦のためにプログラムを用意しておきたいと考えてた。べつに作業が滞っていたわけじゃないし、構想も頭の中にある。だが車の調子が悪い、ちょっとエンジンの調子を見てやろうと作業していたら、ふいに新しいコードが浮かんだりする」
「そんなものか?」
「そんなもんだ。じゃあ、車のエンジンに関する知識を蓄えて、作業できるようになっていたのは、無駄だったか?」
「
「結果論だけど、何をしたって、閃きは降ってくる。ただでさえ俺みたいな狩人は、何がなんでも知ってなくちゃいけないのが前提だからな」
「今のわたしでは、よくそんなに覚えられるなと、そう思うが?」
「コツがあるんだよ、そういうのもな。――さてと、ちょっと表出ろ芽衣。作業があるから手を貸せ」
「うむ。ではカップを洗ってしまおう」
「任せた」
といっても、洗うだけだそれほどの手間はない。足場も用意したので、なかなか洗い物も手早い。学習スピードが一般よりもやや速いとすら思う。
良し悪し。
どんな状況においても、この二つの判断が一番難しい。何故ならば、結果が出ても断じることができないからだ。
誰かを育てるのならば、常にお前のせいだと責められる覚悟が必要になる。ここ一ヶ月で二度ほど、耳元でそう言われたような錯覚と共に、目を覚ましたこともあった。
だがそれを、育てている本人に気取られるわけにはいかない――まったく、面倒なものだ。
「――それで?」
「ん、ああ」
今日は良い天気だなと、帽子を芽衣の頭に乗せた。八月の熱気は、避暑地ということもあって軽減はされているが、それなりに日差しが強い。
「農作業――に、入る前の準備だ」
「ついに畑か?」
「自給自足のためにな」
「ふむ」
一年後のお前のな、とは言わない。
「だが畑を作る前にやることがある」
「雑草のくじょか?」
「それもあるが、あればっかりは何度やったって出てくる、根性のあるやつらだ、後回し。まずは水場だよ、水場」
「そうなのか?」
「そうだ。水をやるのに、いちいちバケツを持って往復するのは面倒だし、面倒になれば頭を突っ込んですっきりすることもできる。まず、山からの湧き水は八ヶ所ある。一番近いところへ行くぞ」
「わかった。あそこなら、わたしもきちんと覚えている。さいきんは一周、走れるからな」
「来月には二周走れるといいんだがな? ペースを早くする必要はない、次は二周走るだけの体力を計算してみろ」
「うむ」
「とりあえず今は、違うことだ。溜まり池になってたろ」
「池というよりどろたまりだなあれは」
「一応教えておく。湧き水なんてのは、降った雨が山に溜まり、それが流れ出しているものだ。大地の中に特定の経路を持ち、必然的な湧き量となる。さて、問題の提起だ。濁った池を綺麗にするために、どうするべきだ?」
「そうじじゃないのか」
「どうやってやる?」
「水を抜いてブラシ」
「なるほど綺麗にはなるだろう。だがよく考えろ――あの溜め池、最初から汚かったと思うか?」
「……きれいだったのか」
「どんなものだって、最初は新品みたいに綺麗なもんさ」
「手を入れないからそうなる」
「定期的に水を抜いて掃除をしろって? じゃあ、たとえば、でけえ池を中心にした公園があったとして、そいつは定期的に水を抜いて掃除をしていると思うか?」
ぴたりと足を止めたのが、そのため池の前だ。広さはせいぜい七メートルほど、泳げるような大きさじゃない。表面には藻が浮いており、びっしりとついたコケが物語るよう、水も濁っている。
「ま、池ってほどじゃないんだがな」
無造作に、靴を脱ぐこともなく一歩を踏み入れれば、深さは膝まで。せいぜい五十センチの深さであり、石垣の隙間から落ちてくる水の高さは、一メートルと少し。この状態では、石垣の表面を撫でるようにして落ちているため、浴びることは難しいだろう。
「さて、お前の返答はどうだ?」
「……流れ、じゃないか?」
「何故だ?」
「川は汚れない」
「……ま、いいだろ」
教えること、そして考えて答えを出させること、この二つの境界線が曖昧だ。この両方には知識量という問題が加わるし、どちらかに偏ってもいけない。どちらも過ぎれば、悪影響だ。
「池の大きさ、その体積に対して一定量の流出、つまり流れを作ることで、循環が生まれる。水がこうして高い位置から流れているのなら――」
「風呂と同じだ、下から抜いた方がいい」
「どうしてだ?」
「風呂は抜きやすいが、この場合は、水の流れだ。高きから低きへ」
「サイフォン効果って知ってるか?」
「いや……」
「調べておけ。特定条件下では、下から上へ流れることもある。余談ってやつだ。さて――芽衣、一度水を抜いて掃除をする手順は必要になる。どこに抜く?」
「……ふん」
一度、道路へと視線を落とした芽衣は、どこか気に入らない顔をして池の中に入ってきた。
「滑るから気を付けろ」
「その時はきさまのでばんだ、うれしいだろう?」
「まったくお前は……」
「む、底の方が汚いな」
「雨が降れば水は溢れ、表面だけは循環する。底にたまった泥だけが、生命の棲家だ」
「なんだ、下に水路があるじゃないか」
「以前に住んでいた住人が、ここらで田畑を作って生計を立ててた。そこを俺が周辺含みで買い取り、別荘を新築したわけだ。血縁者含め、相応の金を支払ったから、今頃はカナダで毎日高い酒を飲む生活を送れてるはずだ」
「水路へ流せば水はへる」
「なるほど、先人が使っていたのを利用するわけか。しかし、水路の幅は二十センチ、深さも同様だ。仮に水を下から流したとしよう、どうなる?」
「ここから水が抜ける」
「上手く調整しながら、上から順に掃除をすることもできるだろう。それから?」
「水路が使えるようになる」
「どうしてだ?」
「水が流れるようになるからだ」
「芽衣」
声をかけ、笑いながら石垣を軽く叩く――ぱしゃぱしゃと、水が流れ落ちる壁を、だ。
「あ……そうか、そもそも、わき水が少ない」
「つまり?」
「水を抜いたら閉じないと、いや、閉じても水がたまるのに時間がかかる」
「その先は」
「――同じことのくりかえしだ」
溜まるまで待って、しばらく使っていれば、やがて水は汚れ、掃除をしなくてはならない。
「よし、そこまで問題を理解したら、次は作業内容だ」
「いずれにせよ水を抜いてのそうじをする」
「そうだな」
「それからわき水を増やす。ええと……わく量に応じて流す水の量を考えてやればいい」
「ん、そこが最終目的になるわけだ。まったく簡単なことだ」
「なんだときさま、わたしがバカみたいな言い草だな?」
「それはいつか自覚できる、嬉しいな?」
「ふん」
「さて、次の考察に進もう。まず第一だ、このわき水の量は増やせるか?」
「なにがげんいんか、調べないとわからないだろう」
「本当にそう思うか?」
「二十秒、かぞえてくれ」
そういえば懐中時計は防水ではなかったか――いや待て、ただ忘れていただけかと、ジニーは時計を見ずに二十秒を数える。何万、何億としてきた行為だ、一秒だってズレやしない。
「二十秒だ」
「げんいんは、わからない。わからないが、水路があるのならば、以前は利用していたのは事実だ。ふくげんは可能なんだろう。それと、考えがまだだが」
「そういう時は話しながら考えろ。で?」
「水田と畑では使う水の量がちがう。水量のちょうせい――待てよ、このため池がそもそもちょうせい用なのか?」
「こっちだ」
「ん?」
「道路の逆、こっち側に別の補助水路がある。――最初から説明しよう」
転びそうになった芽衣の襟首を掴み、一息。
「水路の中枢、ここがメインのため池だ。お前が見たのは水路じゃない、二層目にあたるため池部分――噴水をイメージしろ。いや、噴水知ってるか?」
「しりょうで見た。あれはうつわが三つもついていたが」
「一番上の受け皿は浅く、薄い。下に落ちることを前提としながらも、多少は溜めることができる――それが、ここ。ゆえに、二層目は広く深い。どうしてだと思う?」
「……、二十秒欲しい」
「今、俺たちがこの池に入っている理由と同じだ、考える必要はない」
「む……」
「管理に必要な場所は、出入りを簡単にしておかないと、トラブルが起きた時の作業が難しい。首元まで水がくるような場所で、どうしたもんかと悩むのは大変だろう?」
「なるほどな」
「こっちにある補助水路は、メインとは違う役割を担っている。一定量溜まった水が行き場を失わないように、つまり氾濫を防ぐために用意されたものだ」
「じゅんかんさせ、汚れないように?」
「そのための仕組みだ。しかし、垂れ流しじゃもったいないな?」
「……きさま、エスパーか?」
「自然な思考だ。あと芽衣、お前な、結構顔に出るから」
「わき水ははっかしょ」
「似たような池は、ここを除いて四ヶ所ある。高低差をつけつつ、上手い具合に繋がって流れてる。だが言っての通り、ここがメインだ」
「どうしてだ?」
「補助水路を見ろ、汚いもんだ。メイン水路はどうだ?」
「下にも水はない」
「だとして、ここ以外に綺麗な場所があると思うか?」
「いや」
「ならば?」
「……、あ、水量のもんだいか!」
「その通り。基本的に水路を作る場合、水量が最も多い場所をメインに据えるのが、効率的なやり方だ。逆に言えば、ここをどうにかしちまえば、ほかはそう手がかからない」
「では掃除か」
「いや、その前に源流のチェックな。今日はまだ作業をしない、チェックをして山にある川から流れてる水量を確認して、どうしてここの湧き水が少ないのかを調べておく。そのあと、別荘でここらの地図を見せてやるから」
「……なあ、ししょう」
「なんだ?」
「なぜ、地図をさいしょに見せない……?」
ごくごく自然な質問に、もっともらしく頷いたジニーは池から上がり、芽衣の手を引いて道路へ、そして言う。
「なぜ、お前は最初にそれを俺に言わなかったんだ?」
「……」
無言で尻を叩かれたが、まあそのくらいは許しておいた。あまりストレスを溜めすぎるのもいけないのである。
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