第7章その3 私だけのイベント


 彼女の寝室らしい小部屋で、私は濡れた服を乾いたものへと取り替える。布幅に余裕のある民族衣装的なものだったのが幸いし、私の体形でも無理なく袖を通すことが出来た。


「睦実、あなた、ベルケルの恋人さん?」


「っ!?」


 ド直球の質問を不意打ちでくらい、私の息が止まる。


「そそそ、そんなんじゃないです! 一緒にその、働いてる? みたいな!」


「あぁ、ひょっとしてメトゥスを一緒に倒している方? すごいわね」


 アティファは微笑みながら、私の濡れた服を手際よく干してゆく。扉の向こうから子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてきた。


「騒がしくてごめんなさいね。ベルケルと久しぶりに会えたのが嬉しいのよ、あの子たち……」


「…………」


「ベルケルはね、私の亡くなった夫の相棒だったの。盗賊をしてた頃の、ね」


「っ!?」


 ベルケルの、『元盗賊』の設定が突然出てきたことに動揺する。


「あら、もしかして盗賊のこと知らなかった? ……まずったかしら」


「い、いえ、それは知ってます! 大丈夫です!」


(ど、どうしよう。詳しい部分について、聞きたいような聞きたくないような、出来ればゲームで知りたかったような……! もう、その辺は潔く諦めた方がいいのか……!)


 私の困惑をよそに、アティファは話を続ける。


「夫を失った私は、やがてここで自分と同じく身寄りのない子どもたちを集め、一緒に住むことにしたわ。でも、私一人の稼ぎじゃ毎日のご飯も満足に用意できなくて……。その時、金銭的な援助を申し出てくれたのがベルケルなのよ」


「!」


「さっきのようにね、彼は報奨金が出るたびに持ってきてくれるの。申し訳ない気持ちもあるけど、とても助かっているわ……。あの子たちにはちゃんとした教育や環境を与えてあげたいから」


「…………」


―それに、お前らと違って俺には人様にくれてやるような金はねぇ―


 あの時のベルケルの言葉を思い出す。


 さっき、ざっと見ただけでも20人近くの子どもがこの家にはいた。


(ベルケルは、それだけの人間を養ってる状態だったのね……)


「そういうことよ、安心した?」


「えっ!?」


 アティファが悪戯っぽくウィンクをする。


「あなた、心配してたでしょ? ベルケルと私が夫婦で、子沢山なんじゃないか、って」


「い、いえ、別に……!」


「あら、それならいいんだけど。うふふ」


(う……)


 なんだか全てを見透かされている感じで恥ずかしい。これが大人の女性って奴なのだろうか。


「さぁ、スープをごちそうするわ。あちらの部屋へ戻りましょう。贅沢なものじゃないけど、体は温まると思うわよ」




§§§




「この子にちゃあんと説明しておいたわよ、ベルケル」


 温かなスープをテーブルに並べながら、アティファがウィンクをする。ベルケルは面倒くさそうに頭を掻いた。


「そっか。……余計なことはしゃべってねぇだろうな?」


「あら、余計なことって? 盗賊時代の愉快な失敗談?」


「ちょ、おい!」


「何それ!? 詳しく!!」


「睦実、てめぇもつまんねぇことに興味持つんじゃねぇよ。ほら、食え!」


「ベル兄~」


 子どもたちがわらわらとベルケルの周囲に集まって来る。


「ベル兄、きょう、とまっていく?」


「いっしょにねる?」


「いいや。こいつを連れて帰らなきゃなんねぇからな」


「え~、やだ~」


「ベル兄~」


(すごく慕われてる……)


 子どもたちからベルケルを取り上げるのは申し訳ない気がしてきた。


「あの……、ベルケル、いいんじゃない? 一晩くらい泊って行っても」


「はぁ? お前はどうすんだよ。1人で帰んねぇだろ」


「私は……、無理に帰る必要ないし」


「メトゥスが出たらどうすんだよ」


「私がいたって、どうせ役立たずですし」


「なんだその言い方」


「そう言ったのはベルケルじゃない! 邪魔だって」


「邪魔って、あのなぁ……」


 何か言いかけ、ベルケルは辺りを見る。子どもたちが心配そうな眼差しで私たちを見ていた。


「ほら、俺らがこんな雰囲気だと、ガキどもも気を遣うだろうが。さっさと食え。食ったら帰るぞ、分かったな」


「…………」




§§§




 スープを食べ終え、服が渇くころには、雨は上がっていた。私たちはアティファと子どもたちに別れを告げ、帰路へとつく。


「…………」


「…………」


 ベルケルは何も言わずにズンズンと歩く。ただ、私が逃走すると思っているのか、服の襟の部分をしっかりと掴まれていた。


「俺は……」


 やがてベルケルが口を開く。


「てめぇのことを邪魔だとか言った覚えはねぇぞ」


「でも、さっきは私のこと、魔法が使えなくて戦えないって」


「事実だろうが」


「っ!」


「俺は命のやり取りする世界で生きてきたからな。てめぇみたいに危なっかしいのが戦場でうろちょろしてっとイラつくんだよ」


「…………」


「エルメンリッヒもヤキが回ったもんだぜ。あいつも戦いに身を置く側の人間だ。俺と同じ考えの筈なんだがな」


「…………」


 ここへ来て間もない頃の戦闘を思い出す。前に出て、杖でメトゥスを殴りつけた私を、エルメンリッヒは厳しく叱責した。


―いくら、対メトゥスの要になると伝説に残されていようとも、戦力にならず己の役割も理解しておらぬ者を戦場に連れて来るのを、私は認めるわけにはいかぬ―


(今のベルケルと同じようなこと言ってたな……)


 あの時のエルメンリッヒの言葉は、私を案じる気持ちからのものだった。


(あれ? てことは……)


「ベルケル、戦場に私を連れて行くべきじゃないって言ったのは、私を心配して?」


「あぁ? んなの、当然だろうが」


「……!」


「てめぇは、武術の心得もねぇ、魔法も使えねぇ。……あの家にいるガキどもと同じ、俺にとっちゃ守るべき存在だ」


(ベルケル……)


「戦えねぇやつが、化物をなんとかしようなんて考える必要はねぇ。んなの、痛々しくて見ちゃいらんねぇよ。怪我だってさせたくねぇ。……そんだけだ」


「……っ」


 豪放磊落なベルケルの、優しい声が胸に染みる。


(こんな優しい益田豪一郎ボイス、初めて聞く……)


 この声は、ゲームの中でも聞けるのだろうか? もし聞けるなら、ヘッドホン着用して耳元で聴きたい。おまけの思い出モードで何度でも繰り返しこの声だけ聴きたい。このイベントの発生条件はなんだろう、彼のルートに入れば見られるのだろうか……。


(ううん、多分違う……)


 ベルケルのこのセリフは、魔力のない私に向けて発せられたものだ。『封魂』の出来るソフィアは戦場では必要な存在だし、今の言葉を向けられるはずがない。


(これは……、魔力のない私だからこそ起きた、私の為だけのイベントで、私だけに向けられた貴重な声なんだ……)


 私はベルケルを見る。真っ直ぐに前を睨む長身のベルケルと、私の視線がぶつかることはない。


(やっぱり、ベルケルはいい……)


 この気持ちが男性に対する恋なのか、推しキャラに対する萌えなのかは分からないけれど。


「…………」


 胸が高鳴っていることは真実だった。


「あぁ、そうだ」


 不意にベルケルが足を止めた。


「てめぇ、さっき寮を飛び出す前に、わけの分かんねぇことを叫んでいただろう」


「っ!?」


「えーと、確か……『えるべる』とか『そううけぼん』とか……? ありゃ、何の呪文だ?」


「い、いえ、別に気にすることは……あはは……」


「そういうわけにはいかねぇな?」


 ベルケルは掴んだままの私の襟首を、軽く上に持ち上げる。


「ちょ、やめ! 首! 息!」


「このまま締め落とされたくなければ、大人しく吐きな。あの呪文を聞いてから、どうも寒気が止まらねぇんだ」


(なんて勘がいいの……!)


「オラ、吐けよ」


(ぎゃあああ、地獄の底から響くような声!!)


「……睦実?」


(年季の入った悪人面近づけないで、怖い!!!)




 その後、結局、あの言葉の意味を全部吐かされた。


 ベルケルからはげんこつを食らった。




§§§




「おや、お帰りですか」


 離れの入り口の前に立っていたのはミランだった。何やら金属の箱のようなものを抱えている。


「俺らがいない間、メトゥスは出なかっただろうな」


「えぇ、ありがたいことに。……ん? これは……」


 ミランが私と箱を何度も見比べる。箱からは何やら小さな音も聞こえてくる。


「え? 何なの、ミラン?」


「ほほぅ……」


やがてミランの口元に満足げな笑みが浮かんだ。


「これは……行けるかもしれませんね。くっふっふ……」


「行ける? 一体、何が……?」


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