(7)
夏が終わり、秋が深まって冬が兆す頃、シャルロッテは少数の護衛を連れてアヴェンダ国はダリスタン領へと出発した。
待ち望まれた婚姻にしては、その一行は花嫁行列と呼ぶのも躊躇われるほど小規模で地味な出で立ちだった。
四頭立ての馬車が二台、荷車が二台、護衛の金剛騎士と白騎士、瑪瑙騎士が合わせて十名。騎士は全員騎馬だが、馬車や荷車の歩みに合わせて進みはゆったりとしたものだった。
式典もささやかに行われたきりで、道には見送りの民の姿が疎らにあるだけ。言われなければ、シャルロッテの嫁入りだとはわからぬだろう。
「地味すぎやしないか」
護衛を任ぜられ、馬車に同乗したデュケイでさえ驚いたくらいなのだ。先王の姪、国王の従妹たるシャルロッテの門出とはとても思えない。あまりに質素では、先方にも失礼に当たるだろう。
「ダリスタン侯の意向もあってこうなのよ。あまり華美なのはお好きではないんですって。余計な装飾とか演出に使う予算があるなら、民のためにって考える方なの」
「ジェフラさまがそう仰るなら、俺がどうこう言う筋じゃないが……」
「いいのよ。私だって、面倒なのはごめんだし」
さっぱりした様子のシャルロッテは、身形こそ美しく整えられているものの、今回の結婚を大きな任務とでも考えているらしい。花嫁、婚姻、そういった言葉につきものの華やかさや明るさは息を潜め、敵地に送り込まれる偵察兵のごとくであった。
実際、シャルロッテは甘やかな新婚生活を夢見ているのではない。ダリスタン領はアヴェンダ国の中で最も西に位置し、イルナシオンと国境を接している。アヴェンダとは比較的友好的な関係が続いているが、同じアヴェンダ国領であってもダリスタン領以外での国境地帯では、いまだに両国兵が衝突したり、小競り合いに発展したりということがある。
ダリスタン候は国交により自領を発展させる道を選び、アヴェンダとイルナシオンの国勢を鑑みて硬軟さまざまに対応してきた。
「アヴェンダはイルナシオンと違って領土自治が認められているでしょう。候は本国とイルナシオンの両方の利害を調整しながら自領土をよく治めてきたっていうんで、商売人だなんて陰口を叩かれることも多かったみたいだけど……領主が代替わりしても方針は少しもぶれないし、うちみたいなぴりぴりした国と国境を接しながらも動じないっていうのはなかなかできることじゃないわ」
「ずいぶん、買ってるんだな」
言うと、シャルロッテは紅を引いた唇をふっと緩めた。
「まあね。それに、旦那さまのことをよく知っておかないと、私の立ち位置が定まらないじゃない。私はジェフラさまの妻になるわけだから、アヴェンダの国益をないがしろにするわけにはいかないけど、イルナシオンを捨てるわけじゃないわ。両国の関係が健全であるほど、ダリスタン領は潤う。この状態を損なわないためにも、ゼクスには頑張ってもらわなきゃ。そういう意味では、ジェフラさまと私は利害関係が一致してるの。私っていう立場の人間が国外にいるからこそできることをするつもり。ジェフラさまだって、だから結婚を承諾したわけでしょう」
「思いきったなあ」
高い身分に生まれついたがゆえに、シャルロッテはこんな考え方をするのだろうか。自らの意志とは無関係に、ただただ国のために尽くす駒、道具のように。
ルネもそういう考え方に固執しているように思える。かつて王子を護るために片腕を犠牲にし、今もなお、一振りの剣として王の御前に在る彼女。
髪飾りのひとつも挿されることのない金髪は無雑作に切られ、化粧気もなく、研ぎ澄まされた覚悟だけが暗闇の中で爛々と輝いているような、そんなむき出しの美しさと強さ、危うさを無表情の仮面で覆っている。
煌びやかなドレスや食べきれないほどの温かな食事、心和む楽の音、安全な暮らし。剣に縋るしかなかった平民のデュケイとは違って、望めば何だって手に入るだろうに、シャルロッテもルネもそれらには見向きもしない。彼女らをそこまで駆り立てるものは何なのか、デュケイは未だに掴みかねていた。
王族、貴族としてその身に流れる血のなせるわざか、それとも。
「ルネはどうだった?」
突然、話が変わってデュケイは驚く。今まさに考えていたのはルネのことだったから。
「今朝見た時は変わりなかったが。何かあったのか?」
「この前ね、お別れの挨拶に来てくれたんだけど。何でか、すごく泣いちゃったのよ。行かないでとまでは言われなかったけどね。アーソさまが亡くなって、国内もこんな状態だし、あの子もきっと不安なんだわ」
アーソと知己であったシャルロッテは、ルネがアーソの養子となってすぐからのつきあいがあるという。子どもゆえの頑固さで心を閉ざそうとするルネを宥め、励まし、手を取って笑いかけ、信頼を得るに至った。それからはずっと親しくつきあいが続いているというから、ルネにとってシャルロッテは頼りがいのある姉であり、心許せる同性の友人であり、恩人でもあるのだろう。
思えば、シャルロッテにはデュケイにも同じように接してくれた。壮行会と称してデュケイとシャルロッテとルネの三人が安酒場でたむろし、あつあつの料理を分け合えたのもシャルロッテのお陰なのだ。
「居所は変わるけど、永久の別れってことはないんだからしっかりしなさいって、ちょっと怒っちゃった。……本当に、頼りにしてるのよ、ディーク。公私問わず、連絡は欠かさないわ。しっかりゼクスを助けてあげてね」
「ああ、わかってる」
シャルロッテに伴ってアヴェンダ入りするのは、身の回りの世話をする侍女と護衛の瑪瑙騎士がそれぞれ三人ずつ。デュケイを含む残りの騎士は、アヴェンダ側の国境であるクスレフまで同行し、その後はアヴェンダの者に警護を託して帰国する。随行者が少なすぎると危惧する声も上がったが、ダリスタン候自身もわずかな護衛で一行を出迎えると説かれては、納得するほかはなかった。イルナシオンとの友好関係を維持したいダリスタン候にはシャルロッテに危害を加える理由もない。
ダリスタン領とイルナシオンは自由に行き来ができるが、金剛騎士のデュケイ、真珠騎士のルネがそうそう頻繁に隣国を訪れるわけにもいかない。ひとり奮闘するシャルロッテを励ますことも、簡単なことではないのだ。
「こっちは大丈夫よ。ジェフラさまは理解のある方だし、道理をわかってらっしゃるから、イルナシオンのためにもきっと尽力してくださるわ。会ったのは数回だけど、落ち着きがあって情け深い方だって、すぐわかった。ディークもきっと感心するわよ」
シャルロッテは饒舌だった。喋るのを止めて馬車に沈黙が訪れれば、たちまち引き離されてしまうとでもいうように。
デュケイもその気持ちは理解できた。護衛は交代制だから、デュケイとシャルロッテが二人きりになれるのはこれが最後で、当然ながら名残惜しい。いつも通り聞き役に徹する形ではあったが、最後の時間を楽しむことにした。
国政への憂い、身分制への反発。騎士制度の腐敗。シャルロッテの懸念事項はたくさんある。それら全てを一度に解決できるとは思わないけれども、ジェフラ・ダリスタンの妻としてイルナシオンのためにできることはあるはずだ、とシャルロッテは熱弁する。
「変わらないな、シャルロ」
騎士見習いの頃、デュケイが平民であることを理由にあからさまな待遇の差をつけられていたことを知って地団駄を踏んで悔しがっていたシャルロッテと、白を基調にした優美なドレスを纏い、東の国に赴く現在のシャルロッテと、本質は何も変わらない。そのことがデュケイは嬉しかった。
平民であるからと差別されるのは当然のことだと思っていたデュケイにとって、シャルロッテの怒りは新鮮で、高貴な生まれであってもこんなふうに考える人もいるのだと衝撃を受けさえした。金剛騎士に名を連ねる今となっては、面と向かってデュケイを見下す者はいないが、生まれの卑しい、と翡翠騎士の貴族たちに陰口を叩かれているのは承知していた。だからといって何とも思わないけれども、金剛騎士デュケイを形容するひとつとして「平民」という言葉が用いられることには抵抗があった。
「ディークだって、変わってないわよ。そりゃあ、見た目とか考え方とか、変わったなって思うところもあるけど、真面目で控えめで心配性で気苦労が多いところなんて、全然変わってないわ」
顔を見合わせ、吹き出す。同い年なのに、こんなふうにお姉さんぶった口調で話すところも、昔と変わらない。
いつも堂々と胸を張り、背筋をぴんと伸ばして立つシャルロッテは、格好良かった。王族だとか女性だとかという以前にシャルロッテはシャルロッテであり、その存在が眩しく、彼女が友人であることが誇らしかった。シャルロッテに失望されぬよう、デュケイなりに何かと気を配ったものだ。友として相応しくあるように、と。恐らく、そんな気遣いのしかたも、シャルロッテに言わせれば「真面目」ということになるのだろうけれど。
シャルロッテも、デュケイが友であることを誇りに思ってくれればと願わずにはいられない。
馬車が止まり、護衛の白騎士が休憩を告げた。交替の時間だ。
「シャルロ」
人目がなければ、友情の抱擁を交わし、肩でも叩き合ったかもしれない。だが、隣国に嫁ぐシャルロッテを大っぴらに抱きしめるのはいかにもまずい。紫の眼を真っ直ぐ見つめるのが精一杯だった。
うん、とシャルロッテが頷く。すべてわかっている、というように。
デュケイも頷き、変わらぬ友情を無言のまま誓って、馬車を降りた。
王都を出て五日後の夕刻、一行は国境のロズルノーに到着した。明日はいよいよアヴェンダに入る。街の東に設けられた関の先は国境線たるユラ川、石橋を渡ればそこはもうアヴェンダ国だ。アヴェンダ側でも同じく、街の西に関を設けた都市クスレフが国境を守っている。
ロズルノー=クスレフ間は比較的穏便に両国を行き来できたため、通商の要として発展してきた。人、物、金が集う地に魅力を感じる職人や芸術家も多く、ロズルノーは芸術、技術面でも国内で突出した街となっている。
王都との結びつきも強く、ロズルノーには王族が視察の際に使う別邸があり、昨日から先行していた騎士三人と街長が人の手配をし、宿泊と食事の支度を整えていた。デュケイたち護衛は二手に分かれ、金剛騎士と白騎士は邸宅の周辺を交替で見張り、シャルロッテの身辺は瑪瑙騎士が警護するという計画である。
別邸は規模こそ小さいが造りが複雑で、瑪瑙騎士を除いた七人で警護するというのは無理な話だった。そのため、街の警備に当たっている紫騎士団から人を借り、休憩と見張りの時間を決めることになった。
夕食は簡素ながらも、旅の疲れが取れるような温かい煮込み料理や香ばしく焼いた肉が出され、酒も供された。冷える夜には有難い、と騎士たちの顔がほころぶ。広間には街長をはじめ、紫騎士団長、街の名士や大商人、ソル・ソレラ教会長などが集まり、シャルロッテの結婚を寿いでいるらしい。こっちは疲れてるのよとうんざりしつつも、完璧なよそ行きの仮面に笑顔を浮かべているシャルロッテのことが容易に想像できた。
表玄関には酒樽と祝い菓子が山と積まれ、訪れた民に振舞いがなされている。明々と灯された火に照らされた客人たちは皆酔っているのか、陽気に歌い、手拍子を取っている。喧騒を尻目に、デュケイは割り当てられた通りに屋敷の東側へ向かった。見張りに立っていた白騎士と交替し、屋敷の外壁を背にして立つ。
警護で立ち番をするのが、デュケイは嫌いではなかった。夜気の冷たさはこたえるが、篝火の揺らめきで姿を変える影や流れる雲、位置を変える星々を見るとはなしに見ながら、頭を空っぽにして自らの呼吸の音を聞いているような静けさは日常生活においてはなかなか味わえないものだし、呼吸に集中することで心の中にわだかまっていたものがほぐれていくこともある。
巡回の騎士が何度視界をよぎっただろう。ふと気づけば、星の位置がずいぶん変わっていて、デュケイは冷や汗をかいた。そんなに深く考え込んでいただろうか。旅の疲れが出たのだろうか。まさか立ったまま眠っていたわけではあるまいし、もしそうだとしても巡回の騎士がデュケイを叩き起こすに決まっている。
頭の奥に重いものを感じつつ、デュケイは腕を背中側に突っ張って、こっそり伸びをした。手足がむくんだような鈍さに、本当に疲れているらしいと苦笑する。もうすぐ交替の時間だから、その後しっかり休もうと心に決める。
交替はまだかと待ちわびるデュケイのもとへ、戸惑った様子の紫騎士が松明を掲げてやって来た。彼は確か巡回に当たっていたはずだが、と疑問が芽生える。
「デュケイさん、あの……」
「どうした」
「あちらの植え込みに、人が倒れていて……酔っ払った街の者かと思ったんですが、様子が変で」
デュケイよりもいくつか年少だろう騎士は、あどけなさを残した頬を歪めて泣きそうになっている。まだ場数も踏んでいないのだろう、突然の異変に対応しきれないのは仕方がない。
デュケイは持ち場を離れることを示すため、篝火に薬草を投げ込む。炎の色が青く変わった。
「こちらです」
小走りの騎士の後を追って、闇に包まれた庭を進む。騎士が手にした松明が妙に眩しく、動悸がした。汗が目に入って痛み、右手で乱暴に拭うと、信じられないほどの汗が袖を濡らした。
「……おい」
そこでようやく、デュケイは自らの身体に起きている変化を知った。
疲れなどではない。一服盛られたのだ。
「待て」
足がもつれ、両手を腿に置いて荒い息を整える。視界が霞み、手が震えた。
前を行く松明が動きを止め、騎士がゆっくり振り返る。幼ささえ感じた顔は厳しく強張り、彼の緊張を如実に伝えていた。
「……待ちません」
その言葉を合図にしたかのように、庭の茂みから黒装束に身を包み、顔までも黒い布で覆った人影が三人現れ、デュケイを取り囲んだ。体格からして皆男性、かなり鍛えている。腰にはそれを示すかのように、短めの鞘が揺れていた。
彼らは無言のまま、抜剣する。剣身に松明の灯りがぎらつき、眩暈がいっそうひどくなった。
「あなたには薬が効かないのかと思った」
騎士もまた、片手で松明を支えながら剣を抜く。
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