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 久しぶりに見るジェスティンは瑠璃騎士の制服姿で、驚くほどデュケイに似ていた。

 デュケイよりも若く、陽に灼けてもおらず、高貴ささえ感じさせる色香を漂わせたジェスティンはぎらつく灰色の目を細め、鼻の頭に皺を寄せて広間の様子を窺っている。まるで、どこかから漂ってくる悪臭の原因を突き止めようとでもしているかのようだった。少なくとも、夜会の場での態度ではない。正視できなくなって、デュケイは元通り庭園の闇に目を凝らす。先ほどよりも闇が濃く感じられるのは、着飾った美しいシャルロッテを見ていたからか。

「遅くなりました」

 ラグナシャスの声はよく通り、背を向けていてもはっきりと聞き取ることができた。シャルロッテが嫌そうに、カーテンを持ち上げて広間の様子を窺っている。

「父が亡くなり、兄上が即位した。我が国は皆様方のご尽力により平穏が保たれておりますが、諸外国にこれを好機と捉えられてはたまりませんのでね。しかるべき策をと軍議を持ったら、時間を忘れて没頭してしまいました。新年早々、申し訳もございません」

 ラグナシャスの遅刻を咎める声など上がるはずがなかった。貴族たちは次々にラグナシャスと新年を寿ぐ挨拶を交わし、立ち居振る舞いを褒める。

「……軍議って? ラグナさまが何で軍議に参加するんだ」

 デュケイは低い声で尋ねる。帰ってきたのは困惑というよりは怒りに近い、シャルロッテの呻きだった。

「そんなの、私が知るわけないじゃない。将軍でもないくせに軍議に顔を突っ込むって、何考えてるのかしら」

「将軍たちは承知したんだろうか……。それにジェスティンのやつ、今もラグナさまにべったりなのか。いつの間に瑠璃騎士になったんだろう」

 ジェスティンとラグナシャスが親交を保っているのなら、瑠璃騎士へ推薦したのはラグナシャスなのだろう。瑠璃騎士は騎士団内部の規律の乱れや犯罪を監督、監視、検挙する大役を担っている。当然ながら騎士たちからは嫌われることが多く、デュケイもあまりいい感情は持っていなかった。

 上級騎士への昇格は推薦が大きな力を持つ。王族の推薦がなければ上級騎士への道は開けないというのは一方的な見方で、推薦さえ得られれば昇格は認められたに等しい。騎士の実力がどんなものであれ、誰が王族の推薦を無下にできようか。

 シャルロッテは険しい表情のまま、二人の様子を窺っていた。夜会の出席者たちには、ラグナシャスが軍議に出席していたことを訝る様子はない。

「嫌ね……。最悪だわ」

 掠れた声音に、顎を引いて同意する。一瞬だけ振り返ったシャルロッテの眼に浮かぶ強い意志の光を頼もしく思った。窓辺を離れたシャルロッテの背に、しっかりやれと無言の檄を飛ばす。

「ラグナシャス」

「……これは、姉上。新年のご挨拶が遅くなって申し訳ございません」

 そんなこと、とさらりと受け流すシャルロッテの声は完全に取り繕われ、上辺だけの朗らかさを纏っている。怒りのほどが知れようというものだ。室内に向けた背中に震えが走る。

「国のためを思っての軍議なのでしょう? 咎める筋はなくてよ。けれどラグナシャス、将軍でもないあなたがどうして軍議に? 熱心なのはいいけれど、将軍方を困らせてはいけないわ」

「姉上は相変わらず、手厳しいな。けれど、これは私なりに妙案だと思っているのですよ。兄上は心優しい性質ですから、軍議などという物騒な場では能力を発揮しきれないのです。ですから僭越ながら私が代理として出席しているというわけですよ」

 背中越しに聞くラグナシャスの声は、まるでシャルロッテの方が道理を知らず、我がままを言っているのを嗜めているようだった。その自信の由来は何なのか、振り返って確かめたい気持ちをこらえた。

「それはまあ、結構なことだけれど。もちろん陛下の委任あってのことよね? 陛下があなたに軍議を任せるというのなら、その説明は将軍たちや騎士たちにはしたのかしら。私の耳に入っていないだけならいいんだけれど、責任の所在で混乱したりするといけないから……」

「まあまあ、シャルロ」

 間に入ったのは、当のゼクサリウス新王だった。いつになく軽い口調なのは、酒のせいなのだろうか。

「今宵は祝いの宴だ、そう熱くなるな。シャルロもラグナも、私とこの国のことを思ってくれているのはよく知っている」

「陛下……」

「さあ飲め、遠慮するな」

 さあさあ、と王が様子を窺っていた客人たちを招きよせ、杯を掲げて音頭をとる。これが酔いの陽気さでなく、王の機転ならばいいのだがとデュケイは知らず、止めていた息を吐いた。

 成り行きを見守っていたらしい貴族たちも、これ幸いといった様子で口々に新年を祝っているが、どこか浮き足立っている。事の重大さにようやく思い至ったかのようだった。

「よう」

 先ほどまでシャルロッテがいた窓辺にするりと滑り込んできたのは、ジェスティンだ。絶縁状態だった時間を感じさせぬ気安い様子に、どうしてか緊張が高まる。

「昇格したんだな。おめでとう。立派になったって、母さんもきっと喜んでるよ」

「金剛騎士さまにそれを言われてもね」

 よく似た顔だちの弟は、皮肉げに唇の端を吊り上げた。

「瑠璃騎士っていうのは、意外だったな。おまえは瑠璃騎士そのものを嫌ってると思ってた」

「あの一件でだろ? 今も瑠璃騎士は好かんが、ラグナさまにどうしてもって頼まれてさ。騎士団の綱紀を正すためにも、俺に瑠璃騎士になってくれって」

「綱紀を正す? ラグナさまが? ……さっきも軍議に参加してきたと仰っていたが、ラグナさまには何かお考えがあるのか」

 手を伸ばせば届く位置にいながら、ジェスティンはデュケイと視線を合わせようとしない。暗闇に沈む庭園を見つめ、しかし口元には歪んだ笑みを浮かべる彼が何を考えているのか、デュケイにはよくわからなかった。もともと性格的にはかけ離れていたし、この数年はほとんど会っていなかったということもあり、唯一の肉親であるはずなのに、誰よりも遠い存在に思えた。

 かつて、ルネが左腕を犠牲にゼクサリウスを護ったとき、王族の暗殺未遂事件ということでその場にいたデュケイもジェスティンも、瑠璃騎士の取り調べを受けた。現場が金剛騎士アーソの自宅であり、その場に居合わせたのが王子二人とシャルロッテ、貴族のルネだったということも、彼らの立場を悪くした。平民階級のお前たちが気軽に口をきいていい方々ではないぞ、ということである。

 アーソの口添えもあって容疑は晴れたが、平民の子どもを見下す断定口調と偏見に満ちた物言いは、瑠璃騎士をはじめとする上級騎士への不信と不満を植えつけるに十分だった。当時すでに見習い騎士として正騎士とともに勤務していたデュケイはある程度の諦めもついたが、生意気盛りだったジェスティンの怒りは生半なものではなかった。ことあるごとに貴族の騎士たちへの不満を漏らし、馬鹿にし、手合せの機会があればこてんぱんにのしてやる、と鼻息荒く稽古に打ち込んでいたのだ。

 そんな、いい意味でも悪い意味でも頑固で依怙地なジェスティンがよりにもよって瑠璃騎士になっていたというだけでも驚きなのに、そこにはラグナシャス王弟の思惑が絡んでいるという。尖った気性の持ち主である二人のこと、変なふうに暴走しなければいいがと構えてしまうのは、穿ちすぎだろうか。

「……覚えてるか、昔のこと」

「昔?」

 ジェスティンの声は低く、眼差しは暗い。これで「昔」と言うのだから子ども時代のことに間違いあるまいと、デュケイは頷く。

「ああ、覚えてる」

「こんなふうに新年を祝ってる連中がいるなんて、まったく想像できなかったよな。アーソさまも暮らしぶりは質素だったし、シャルロや王子殿下は雲の上の人だったから」

「……そうだな」

「だから、我慢できなくなって言ったんだよ、ラグナさまにさ。平民の多くはひもじい思いをして年を越しているんですよって。平民たちが血を吐く思いで納めた税が、この灯りと温かさと食い物に化けているんですよってさ」

 デュケイは黙る。あまりいいやり方ではないように思えたし、それをラグナシャスに言ってどうなるというのだろう。

 ラグナシャスは身分こそ高いが、政治へ関与できる範囲は法で厳密に定められている。直接的な関与ではなく、権限を持つ者に示唆を与えるなどして間接的に政治に関わることは不可能ではないが、ラグナシャスがそのような動きを見せているとはデュケイの耳には入っていなかった。

「ラグナさまは驚いておられたよ。平民の暮らしぶりを知る機会なんてなかったんだものな。雲上人の方々からすれば、税なんて数字でしかない。入ってくるものと出ていくものを差っ引いて、黒ければ良し。そんなものなんだってさ」

「それで、ラグナさまはどうしようって考えておられるんだ?」

 問いかけに、ジェスティンは一瞬だけ口をつぐんだ。まだ内密の話なのか、それとも、気を持たせているだけか。

「……改革を」

「改革」

 デュケイは阿呆のように、弟の言葉を繰り返す。

 改革。何をどのように改めるのかは知らぬが、王弟の権利を大きく逸脱するだろうことは明らかだった。

「オレが瑠璃騎士になったこともそのひとつさ。兄貴にもすぐ声がかかると思うよ」

「騎士団の綱紀、ってやつか。軍議に参加されたのもそれか?」

 ジェスティンは無言で頷く。話を切り出したときとは違い、デュケイと同じ鋼の色の眼は希望を映して熱っぽく輝いていた。

「周辺国の和平政策で戦が減って、賠償金が一時とは比べ物にならないくらい少なくなっただろ。こっちとしても戦費は減るが、騎士団の維持費はかかる。総じて、じわじわと赤字になりかけてるんだってさ。こんなふうに絢爛豪華に飲めや歌えって楽しんでいられるのも、あとわずかってわけだ」

 ジェスティンの言うことは間違っていない。だが赤字に傾きかけている財政状況を改善させるのは王や政治の仕事であり、王弟の領分ではない。デュケイの不審げな表情に気づいたか、ジェスティンは片頬を歪めた。

「わかってるさ、政治はゼクスさまのお仕事だよ。だから、公にはならないようにラグナさまから進言するって形になるんじゃないかな」

「ふうん……」

 煮え切らない相槌をどのように取ったのか、ジェスティンはふと目元を緩めて一歩、距離を縮めた。

「ところでさ、ルネはどうなんだよ」

「ルネ? どうって……ルネがどうかしたのか」

 どうもこうも、とジェスティンは大袈裟に肩をすくめてみせる。

「兄貴とつき合ってんのか、ってことだよ」

「俺とルネが? つき合う? ルネは貴族だぞ。釣り合わないだろ」

「釣り合うも何も、金剛騎士と真珠騎士だろうが。……ってことは何だ、まだ清く正しいお友達づきあいってことか?」

 お友達。デュケイはジェスティンの言葉を反芻する。俺とルネは「お友達」なのだろうか? 断じて違う。違うが、ルネとの関係を言い表す適切な表現を知らない。

「これは親切心で言うんだけどさ。うかうかしてるとかっ攫われるぜ」

「攫うって……誰に」

 ジェスティンはにやりと笑った。血を分けた弟ながら、醜悪としか言いようのない表情にデュケイはたじろぐ。

「ラグナさまとか。オレとか。翡翠騎士にも何人か、ルネに色目使ってるやつがいるよ。オレの知る限りだけど」

「ラグナさまには奥方がいらっしゃるじゃないか」

 馬鹿だなあ、とジェスティンは腹を抱えて笑った。そして、ルネに気がある者としてデュケイも名を知る貴族の名を数名挙げてから、じゃな、と広間の人混みに紛れた。

 頭を振り、大きく三度呼吸して、夜の闇に向き直る。

 ラグナシャスの内心も、ジェスティンがどうしてわざわざ話をしに来たのかも、デュケイにはわからなかった。否、わからぬふりをしようとした。

 波立つ心は何故か、いつもの平静さを取り戻せない。

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