(9)
指がかじかむ。耳を切りつけるような風が吹く中、百人を超える人々が試験場を囲んでいた。
氷槍月、寒さが槍のように突き刺さるようだという名の寒い季節。
緑の模様が入った胸当てをつけ、観衆の視線にも動じずにふてぶてしいまでの余裕を見せつけて立つのはジェスティン。正騎士位を得た彼の正面では、緩やかに波打つ金の髪を肩の高さで切った少女が胸当ての具合を確かめている。
少女の左腕は、弱々しい陽光の下で鈍く輝く長大な義手に覆われている。華奢な肢体とは不釣り合いに大きく、武骨なそれを指差し、囁き合う声があちこちから聞こえた。
「あれが『機巧』……?」
「らしいぞ。右でも剣を使うらしい」
「本当かよ」
特に気負った様子のないふたりだったが、審判役の騎士が姿を見せると威嚇し合うように姿勢を正した。
「ではこれより、ルネ・カンディードの正騎士昇格試験を始める」
記憶にあるよりもずっと背丈も手足も伸びたルネは、右手の剣と左手の義手を軽やかに操り、ジェスティンを圧倒した。
いつの日か、遠い昔に見たルネとアーソの試合も、踊るように滑らかで計算ずくの動きだったように思う。小川のように留まることなく、さらさらと動き続けるルネの剣術に比べ、ジェスティンの使う剣は小手先の器用さはあるが、やや粗削りだ。
しかし、ジェスティンに焦った様子はない。何らかの秘策があるのだろうか、それとも、ルネの戦いぶりだけ見て負けてやろうというのか。
そもそも、どうして経験の浅いジェスティンが対戦の相手役を務めているのかがわからなかった。騎士団として、何か考えがあるのだろうか。
南と東の国境勤務を経て王都に戻ったデュケイは、黒騎士団に移籍した。主に治安維持や要人警護を担い、実戦で通用する人材を必要としている黒騎士団では、より実際的な任務が増えた。下宿での暮らしを始め、実家にもろくに顔を出さない日々が続き、アーソを訪ねる足も遠のいた。ルネとジェスティンが同じ緑騎士団にいるとは聞いて知っていたが、遠くから顔を見ることはあれど、面と向かって話したことはほとんどない。剣を使うところなど、五年ぶりに見る。
見たところ、ふたりとも五年分以上に成長を遂げているように思える。ジェスティンの悪い癖だった、すぐ頭に血が上るところや、分が悪くなると投げやりになるところは直っているだろうか。
見物人の多くは、ルネの機巧の腕目当てだろう。デュケイが王都に戻ってすぐ、金剛騎士の姪が使う機巧の腕と二刀流の話が耳に入ってきた。ルネの活躍が噂されているのは喜ばしいことだったが、どうやら避けられていたらしく、会うことはできずに残念に思っていたのだ。
ジェスティンの大振りの隙に、ルネが懐に入る。密着するのではなく、やや距離をおいたところから左右の剣撃を繰り出す。素早い右の剣をかいくぐったところへ、重い義手の一撃が来る。単調に左右を繰り返すのではなく、わずかに呼吸をずらして放たれる刃を、ジェスティンはかわし、剣身で受け、捌いた。
まだお互い様子見といった剣を使っているが、ルネの義手は溶接された剣の分も含めればかなりの重量があることだろう。左右どちらの剣も長剣ほどの長さはなく、やや細身だが、軽い剣でなければ重すぎて負担になるに違いなかった。つまり、長引けば長引くだけ不利、ルネとしては一瞬の勝機に攻め込むしかない。
一方のジェスティンは、ルネの間合いに入ることを避けているのか、明らかに牽制とわかる無茶苦茶な大振りを交えては退き、ルネが退けば攻めるといった具合で、犬の喧嘩を見ているようだった。
いかにして攻めるかという機を窺うルネに対し、待ち受けるジェスティンといった構図は、正騎士位を持つ者の態度としてはあまり褒められたものではない。
いままでのわずかな打ち合いを見る限りでは、ルネが若干上手のようだが、ジェスティンの負けん気の強さや粘り強さ、勝利への執着心を知っているだけに、彼がずっと待ちの姿勢を取っているのが不思議だった。ルネの疲労を待っているのかもしれない。
戦場の中で生まれた騎士の国であるイルナシオンでは、実際的な剣術を重んじることもあって、悠長な待ちの姿勢は嫌われる。見物人から野次が飛ぶが、ジェスティンが気にするはずがない。
勝つためなら何でもするからな、ジェスティンは。デュケイは苦い気持ちで思う。幼いころは力の差、体格差が極端なので、デュケイがジェスティンに負けたことは一度もないが、不利な形勢に陥ったジェスティンに足元の砂を投げつけられたことがある。大事には至らなかったものの、手段にこだわらない柔軟さは時に、卑怯の烙印を押されるものだ。
正騎士として働くうちに、考え方が変わっていると良いのだが。
焦れたか、ルネが地を蹴って間合いを詰めた。すかさずジェスティンが迎え撃つ。ルネは左の義手を盾代わりに使ってジェスティンの攻撃を受け、右で斬り込んだ。
上気する頬、呼気が白い靄となって寒さの中に散ってゆく。白い額に浮く玉の汗さえ美しいと、デュケイはひっそりため息をついた。
――美しい?
自らの心の動きに、動揺する。
いや、確かにルネは昔から人形のように美しい子どもだった。頬にかかる金の髪も、真っ直ぐに相手を見上げる高空の眼も。だというのに、久しぶりに見るルネは硬質な美貌にさらに磨きがかかり、機巧の義手の
俺は、とデュケイはルネの動きを目で追う。まさか、そんな。
第一、彼女は貴族階級で、金剛騎士の姪だ。釣り合わない。大丈夫、釣り合わない。身分を思って安堵すれば、ではどうしていままで結婚の話を避けてきたんだと囁く声がする。
デュケイも二十三、昨年の誕生月に黒騎士に昇格してからは、騎士団内外から次々に見合いの話が舞い込んだ。相手は裕福な商家の娘だったり、貴族の二女三女だったりしたが、今までのデュケイならば考えられない話だった。黒騎士という新たに得た身分のせいだと思うと、何とも言えない気持ちになる。
自分自身で気持ちの整理ができずにすべて断っていたが、団長からもそろそろ身を固めるようにと毎日のように言われている。黒騎士となったいま、国境へ派遣されるのは戦時のみだ。そろそろ母御さんを安心させてやれ、と団長の言うことはよく理解できるが、何かが頷くことを躊躇わせていた。
それが、ルネだというのか。
ルネが舞うように動き、右手で、左手で空を撫でる。防戦一方のジェスティンだったが、口元には薄く笑みさえ浮かんでいて、何を考えているのかはデュケイにもわからなかった。ルネの実力を試しているのか。
しかし、その余裕の笑みもやがて消えた。ルネの打ち込みは止まらず、見物人は大声でルネの名を口にしている。行け、そのまま押し切れというルネへの激励と、ジェスティンの無策を野次る声が入り混じった。
ジェスティンは持ち前の強気で思い出したように反撃を試みるが、どれもルネに軽くいなされた。鋼がぶつかり合い、呼吸が、気合を込める鋭い声が白く弾ける。
ルネの持久力はデュケイの想像を上回っていた。顔を真っ赤にして歯を食いしばるジェスティンを追い詰めてなお、その勢いは止まらない。それどころか、剣の一突き、一振りが正確さを、速さを増してジェスティンに襲いかかる。
がきん、と鈍い音が響いてジェスティンの剣が跳ね上げられた。右の突きと共に踏み込んだルネが、ようやく動きを止める。剣の刃はぴたりと、彼の胸元に寄せられていた。
「そこまで!」
審判役の騎士の声から一呼吸ののち、歓声が大地を揺るがした。ルネの名を呼ぶ声がそこここから上がり、気づけばデュケイもルネを呼んでいた。
剣を収めたルネが、ゆっくりと振り返る。
青空の眼が真っ直ぐにデュケイを見て、柔らかく細められた。
【第一部 完】
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