(8)

 デュケイたちの事情に関わらず、時間は淡々と流れた。

 シャルロッテは無事に騎士位を得たが、どこへ嫁ぐ様子もなく青騎士団に在籍している。

 正騎士になっても、新米の扱いは見習いの頃とそう変わらない。初等部を卒業した見習いたちが配属されるまでは、引き続き見習いの仕事をせざるを得ないのだった。

 厩の掃除中、これ幸いとシャルロッテをつつく。

「あの話、どうなったんだ?」

「あの話?」

 結婚、と口にするのは憚られて黙るが、どうやら察してくれたらしい。

「ああ、あれね、流れちゃった」

 飼葉をまとめ、床を掃き清めながら、あのね、と声を潜める。

「実はね、サリュヴァンに行くことになってたのよ。和平交渉の一環で。あ、これ秘密だからね。それで、ここからは私の想像なんだけど……向こうの国でその政策に反対する人たちが、事を起こしたんじゃないかって思ってるの。そういう混乱は予想できたし、だから私が嫁ぐって発表もぎりぎりまで控えようって話だったんだけど、それどころじゃなくなって」

 王子暗殺未遂、という大事件は都じゅうの人々を驚かせ、すべての騎士を神経過敏にしたが、結局誰が、何のために王子を亡き者にしようとしたのかということは闇の中だった。

 事件から時間が経つにつれ、人々は関心を失くし、騎士は警戒を緩め、以前と変わらぬ日常が戻ってきていた。金剛騎士団と真珠騎士団による、王宮と貴族たちが住む特区の警備は続いていたが、それが中止されるのも時間の問題だった。

「王宮は混乱してるし、しばらくは騎士団にかまけてても大丈夫よ」

「南へも?」

「行くわよ、もちろん」

 年が改まれば、青騎士団は南の国境の警備につく。二年の任期の間、南の大国サリュヴァンと睨み合いを続けねばならない。近辺の町村を巡って土木工事に携わり、国境の関所で神経を尖らせて砂に霞む南方を警戒し、時には挑発し、あるいは挑発に応じる。

 南北の国境警備勤務は王都の巡回任務とは違った意味で、安全ではない。国境勤務で死者を出さない団はないのだ。死を恐れていては騎士は務まらないが、よくもシャルロッテの両親は許可したものだと思う。

「そういえば、ラグナさまが突然うちに来てさ。すごく怒ってて、何でかジェスティンと意気投合してたよ」

 事件後一度も会っていないが、剣を目にしただけで震え、剣を触るのも嫌だと言うゼクサリウス王子に対し、ラグナシャス王子はひどく憤慨していた。だからこそ剣を取り、騎士の国を束ねるものとして、誇り高き騎士たちが剣を捧げるに相応しい王にならねばならないのだと。

 血の気の多いジェスティンがラグナシャス王子に感化され、そうだ卑怯な奴を許すな、などと拳を突き上げているのにはうんざりするが、王子は例によってジェスティンを「家来にしてやった」ようで、ふたりして過激な遊びに興じているのを見ると、うすら寒いものを感じるのだった。

「あのふたり、ちょっと似てるよね」

「そうか? ……そうだな」

 兄とのすれ違い、力への傾倒。

 あのくらいの年頃ならば仕方ないのだろうか。異論には耳を塞ぎ、そう思うことにする。明るく前向きで、けれど少しばかり考えが尖っているだけだと。

「ラグナはちょっとね、性格が極端だから。遠慮ってものを覚えないと、将来ゼクスとうまくやってけるのかどうか、心配だわ。ただでさえ、外交が落ち着かないのに」

 国の顔となって外交を取り仕切っているのがシャルロッテの父、ライオネル大公だ。二十年もの間、平和を保ってきた手腕は兄王から篤い信頼を得ているが、血の気の多い一部の騎士たちは腑抜けだ、女々しいと彼を詰る。

 そもそも、イルナシオンが騎士の国となり、同時に戦乱のきっかけにもなったのは、山がちの国土に分布する鉱脈ゆえだ。平地こそ少ないものの、豊かな鉱脈と森林資源は永くこの一帯を支えてきた。鍛冶、金属加工技術が発達し、北、東、南から鉱山を奪おうと侵攻してきた勢力と戦いを続けるうち、騎士シオンが旧王家の姫と結ばれたこと、姫が騎士の血を栄誉あるものと讃えたことで国が再興した。

 現在は産出する鉱物を輸出し、穀物を輸入するという形で東のアヴェンダ国と貿易が行われており、南北の二国とも国交が回復したばかりだ。食糧生産が心もとなく、国力の乏しいイルナシオンは不必要な戦を避け、周囲の三国と協調すべきであるというのが現王の考えなのだった。

 しかし、国交が回復したとはいえ、南北の二国とは国境での小競り合いも頻発しており、油断ができる状況ではない。騎士の国であるという名声こそがイルナシオンを支えているのであり、綱渡りの外交であることに変わりはなかった。

「騎士の質を落とさずに、でも和平の方向で、だろ。ゼクサリウスさまが今の路線を引き継ぐなら、ラグナシャスさまはもどかしいだろうなあ」

「他人事みたいに言ってるけど、ゼクスが王になるのなんて、もうすぐよ。ディークはもろに影響受けるんだし、覚悟しておきなさいよ」

 父は国境勤務の最中に亡くなったが、病のためであり、戦という現実はデュケイにとっても遠いものだった。特別に心躍るわけでも、忌避感を覚えるでもない、妙に凪いだ平静を保てていることが、我ながら奇妙だった。

「南に行く前に、アーソさまに挨拶しに行こうと思ってるんだけど、一緒に行かない?」

 是非もない。年内に行こうとデュケイはシャルロッテと頷き合う。



 アーソの邸宅を訪ねたのは年末のことだった。心なしか、以前に比べてソアラの表情は明るい。使用人たちの足取りも軽いように思える。

「仮のものだけど、義手が届いたの」

 できたてだという木の実の焼菓子を皿に盛りながら、ソアラはにこにこしている。

「ルネも大喜びでね、ようやく剣への熱意を思い出したみたいなのよ。風が吹いたら飛んで行っちゃうんじゃないかってくらい、ぼんやりふわふわしていたのに、本当に良かった」

「ルネが騎士になるのを、反対なさらないんですか?」

 女性ばかりで構成された瑪瑙騎士団が存在するように、女性の騎士も少なくはない。しかし、貴族の娘が騎士を志すというのは稀だった。他でもない、結婚相手にと望まれにくいからだ。

 ルネもまた、パキシルという貴族の血を引いている。複雑な事情を有し、金剛騎士アーソの姿を見て育った彼女が騎士に憧れ、剣を求めるのは無理もないが、もう少し反対しても良さそうなものだとデュケイには思える。シャルロッテの両親も然り、だ。

「突き放しているように聞こえるかもしれないけれど、あの子が打ち込めるなら、何だっていいのよ。あの子が夢中になれることが、あの子の幸せなの。それが剣であれ絵であれ楽器であれ、辛い時は辛いし、苦しいものは苦しいんだし。もし他に、あの子を救う方法があるとしても、たぶん見向きもしないだろうから……」

「従順な奥方になるだけが幸せじゃないのよ、ディーク」

 シャルロッテの援護を受け、ソアラが大きく頷く。デュケイとて、結婚こそが女性の幸せだと思っているわけではないが、結婚という言葉の重みが尋常ではないシャルロッテに睨まれると、凄味が違う。

 参りましたと両手を挙げたところへ、扉を勢いよく開け放ってルネが飛び込んできた。はためく左の袖が痛ましいが、気にした様子もなく彼女はシャルロッテに飛びつく。

「シャルロ!」

「ルネ、よかった、元気になったのね? 気分はどう? 痛みはない?」

 以前とは比べるべくもない、色艶の良い頬を興奮でさらに赤らめ、ルネは頷いた。シャルロッテから離れてデュケイを見上げた眼に迷いはなく、よく晴れた夏の空のようにどこまでも澄んだ、透明な青が広がっていた。

 温かそうな毛織の肩掛け越しに腕を回し、デュケイは薄い背中を何度か叩いた。肉体的、精神的に大きな衝撃を受けたに違いない事件の痛みを乗り越え、再び剣を取ろうと立ち上がったルネへの賞賛と、尊敬と、いくらかの憧憬を込めて。

 腕からするりと抜け出たルネの頬は未だ赤く、義手を手にした彼女の高揚が伝わってくるようだった。一つに束ねられた金髪は花束のように鮮やかで、彼女一人が加わるだけで陽当たりが変わったように思えた。

 アーソが席に着くと、代わりにソアラがお茶を入れ替えますねと席を立つ。商家に生まれたソアラは、自ら水場に立つことを厭わないという。侍女だろうか、奥さま、と悲鳴のような声が聞こえた。

「心配をかけたな」

「そんな、アーソさま……」

 アーソは深々と頭を下げ、デュケイとシャルロッテを順に見る。謹慎が解け、金剛騎士として城勤めを再開した歴戦の勇士の視線は静かな思いやりにあふれていた。

「青騎士団は南へ行くのだったな」

「はい。それで、ご挨拶をと思って」

「そうか。わざわざすまなかった」

 きょとんとしているルネに、アーソが説明する。下級騎士団たちが順繰りに、国境警備と王都の警備を持ち回っていること。年が明けたらデュケイとシャルロッテは南の国境に向かうということ。任期が明けるまでは会えないこと。

 黙って耳を傾けていたルネは、アーソの言葉が途切れても何も言わなかった。紅茶のカップに視線を落とし、再びおもてを上げた時、高空の青みは揺るぎない決意を秘めて強く輝いていた。

「……じゃあ、シャルロとディークが帰ってきた時には、わたしは見習いになってるんですね」

「そうよ」

 見習い騎士は、その年に都の警備を担当している騎士団に配属される。二年後、都にいるのはデュケイたち青騎士団と緑騎士団だ。ルネがどちらに配属されるか、それはわからない。

 同時に、デュケイたち正騎士も、中級騎士への昇格試験を受ける機会が与えられる。黒と白の両騎士団は、下級騎士団に比べて構成人数が少なく、試験もより厳しい。ある程度の手柄を立ていることも条件となるため、正騎士位を得た二年後にすぐ昇格する者はまれだ。国外で活躍する金銀騎士団となればなおさらである。白騎士団は貴族の子弟がほとんどを占めるため、黒騎士となることがデュケイの秘かな目標だった。

「青騎士団に入りたい?」

 少し考える素振りを見せた後、ルネはいいえと首を振った。

「シャルロとディークとわたしがひとつの騎士団にいれば、変に勘繰られそうですし」

 つくづく、十歳とは思えない口ぶりだ。アーソも苦笑している。

「無事に戻られますよう、祈っています。ご武運を」

「ルネも、頑張って」

 互いの無事を祈って別れることになろうとは思いもよらなかったが、ルネの再起はデュケイやシャルロッテが気を引き締めるに十分な朗報だった。

 ――必ず戻る。その一言はどうしても言えず、胸の奥深くにしまいこむ。

 からりと晴れた色の薄い空を、寒風が駆け抜けていった。

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