(7)

 あの日、あの場にいた全員が取り調べを受けたが、誰からもサリュヴァン国とのつながりが見つからず、不承不承という様子ではあったが、瑠璃騎士団はデュケイらへの疑惑を解いた。気落ちしているアーソや未だ眠ったままのルネを見舞うことも許されていたが、恐らくは王子やシャルロッテの根回しだろう。

 デュケイを出迎えてくれたソアラは隠しきれぬほどの濃い隈を浮かべていたが、それでも気丈に微笑んだ。

「ディーク、よく来てくれたわ。さあ、どうぞ」

 居合わせた者のうち、最も重い罰を受けたのがアーソだった。アーソ以外に罰することのできる者がいなかったのだ。それでも一か月の謹慎と減俸で済み、騎士位剥奪とならなかったのはふたりの王子が泣いて反対し、シャルロッテも強情を貫いたからだった。また、姪のルネの手柄やアーソ自身のこれまでの功績を考えると、騎士位剥奪はいくらなんでも重すぎる、というのが結論だったそうだ。

 一気に十も老けたかのようなアーソは、客間のソファにぐったりと身体を投げ出していたが、デュケイを見て破顔した。

「おお、ディーク。いつもすまないな。どうだ、変わりないか」

「はい。団長と副団長と話しましたが、進展はないようです。労わってくださいました」

「そうか、うまくやっているようだな」

 アーソはソアラが淹れた紅茶を啜り、すっかり疲れた様子で首を振る。

「ルネもようやく目を覚ましたが、やはり気落ちしているようで……それよりもゼクス王子がな、剣は怖いと仰って」

 揃って見舞いに来た王子たちだったが、やがてゼクサリウス王子が「剣は怖い、もう止めたい」と泣き出して大変だったという。

「もともと気性の穏やかな、優しい方でいらっしゃったから、事件で参ってしまわれたのも無理はない。ただ、もう少し気を強く持っていただかないと、ゆくゆくは国を背負って立たれる方だから……そういう意味では、ラグナさまは気丈でおられて……ああ、すまない、愚痴っぽくなってしまったね。ルネの顔も見て行ってくれ」

 ルネの部屋に入るのは事件後、二度目だった。先だって見舞ったときは、血の気のない白い顔で横たわる少女の姿を見るのが辛くてすぐに退出してしまったが、それに比べると少しばかりは血色が良くなっている気がする。

「……ルネ」

 小さく呼びかけるが、返事はない。眠っているようだ。白い敷布にこぼれる金の髪、ぴくりとも動かないまつ毛。青ざめた桃色の唇。目はどうしても左腕に注がれた。

 半ばから、無残に失われた左腕。

 彼女は俺よりもずっと騎士らしい。目的を見失わずに、犠牲にするなどという発想すらなく、彼女は守るべきものを守るために、的確な一点を突くために、凛と立った。

 彼女は潔かった。悩んだり、考えたり、落ち込んだりすることはないのだろうか。誰かの心ない罵倒や嫉妬や有形無形の暴力は、障害とならないのだろうか。

 ルネは無口で表情も乏しく、どう接すればよいかわからないこともあって、これまで積極的に親しくなろうとはしなかった。それでも今は無性にルネと話したかった。何を思って剣を選んだのか、アーソの隣で何を思ったのか、王子たちを交えて剣の稽古をするようになって、どう感じたのか。

 彼女の澄み切った感性を、少しでも近くで感じたかった。

 上掛けに投げ出された右手をそっと握る。思いのほか温かく、その柔らかさはいつか手を繋いでシャルロッテの屋敷の庭を歩いたときと変わらなかった。

「……でぃ、く」

 か細い声で呼ばれ、青空の眼がとろりと潤んでデュケイを見つめる。思わず、白い小さな手を握りしめた。

「ルネ、痛むか、大丈夫か?」

 こくりと、痩せた顎が上下する。

「ディーク、わたし……あの……ううん、全然痛くないの。初めて、守れたの……だから、いいの」

 ルネはよくわからないことを言って、デュケイの手を頬に当てる。零れた涙が手を濡らし、熱く熱く沁みていった。



 事件は、ルネにとっても大きな転機となったらしい。左の袖の先を揺らしながら、熱っぽい目で語る。

「母は道に飛び出したわたしを庇って馬車にはねられ、亡くなりました。父はそれから具合が悪くなって……わたしを母だと思い込んだり、娘などいないと言ったり、心の均衡を失ってしまったようで、使用人たちにも暴力をふるいはじめ……一人また一人と櫛の歯が欠けるみたいに人がいなくなりました。執事は最後まで残ってくれていたのですが、父がわたしを殴ったり鞭打ったりしているのを知ると、アーソ伯父さまに助けを求めてくれました」

 デュケイは何も言えず、小さく震えるルネの手を握っていた。彼女の生い立ちは少々複雑だとシャルロッテに教えられていたが、それは想像していたよりもはるかに壮絶な、哀しい日々だった。

「伯父さまも伯母さまもとても良くしてくださって、両親のことを夢にみることもなくなって……でも、忘れることはできませんでした。わたしにもっと分別があれば道に飛び出したりせず、母が死ぬことはなかった。父も心を病むことはなかったでしょう」

 それは違う、事故だった、すべては事故だったのだと言い含めたい気持ちをこらえ、デュケイはただ、黙って続きを促す。若くして亡くなった父の、精悍な笑顔を思い出しながら。

「もう、こんなのは嫌です。目の前で誰かが悲しんでいるのを見るのは嫌です……だから、騎士になろうと思いました。剣で、何かが守れるなら、わたしの手で、わたしの力で、哀しいことや嫌なことをひとつでも減らせるなら、と、思っ……」

「ルネ」

 大粒の涙が押し流してしまった言葉を抱きとめるように、デュケイはルネを包み込む。わんわんと声をあげて泣く少女の身体は細く、薄い。初めて目にしたルネの感情の発露に驚かなかったと言えば嘘になるが、この小さな身体がこんなにも激しく、熱い想いを秘めていたのだと思うと、さぞかし苦しかったのだろう、誰かに打ち明けたかったのだろうとこれまでルネに対して壁を作っていたことを悔やんだ。

 もう少しルネに気を配っていれば、まめに言葉をかけていれば、と。

 けれど、過去の仮定には意味はない。未来の仮定に意味がないのと同じように。

 ジェスティンよりも幼いのに大人びた物言いをするルネが、彼女に緊張を強いる過去が、哀れに思えてならない。気の利いた慰めの言葉も思いつかず、安っぽく同情することしかできないことが歯がゆく、情けなかった。

 初めて守れた、とルネは言った。王子の暗殺を阻止し、暗殺者を返り討ちにしたことは、騎士を志す彼女の信念が幼き日の鬱屈をねじ伏せたに等しいが、その代償が左腕というのは、残酷に過ぎる。

 騎士である以上、負傷を避けることはできない。国境警備という最前線に赴かずとも、市街地で、農村で、川辺で、あらゆる場所で騎士は騎士であるという理由で負傷する。身体の、あるいは機能の一部を失った騎士たちは速やかに退任するのが常であった。贅沢をしなければ、見舞金や退職金、年金で食うには困らないからだ。

 ルネとて、片腕を失ったまま正騎士にはなれまい。金剛騎士の姪で貴族階級という身分を利用すれば不可能ではなかろうが、前例と慣習に凝り固まった上層部が頷くとは思えなかった。

 あの日、金色の朝焼けの中で微笑んだルネは。

 騎士になりたいと言い切ったルネは。

 これから、何を支えにして生きていくのだろう。

 デュケイの懸念は的を射ていたようで、その後ルネはひどく落ち込んだり、妙に明るく振舞ったり、上の空だったり、怒っていたりと不安定な日々を過ごしているようだった。見舞いに訪れても会えぬ日もあって、たまらない気持ちになる。

「わたしは王子を助けました。わたしが騎士になれないのだとしたら、わたしは何のために王子を助けたのか……わからなくて……ううん、守るためです。失わないためです。わかっているのに、諦められなくて」

「ルネ」

 鸚鵡のようなデュケイの存在など彼女の目に留まるはずもなく、ルネはただ壁の一点を見つめて、言葉を紡ぎ続ける。無口だった数日前とは別人のようだった。

「せっかく剣を教わったのに、またただの子どもに戻ってしまう。また、失くしてしまう」

 ならば俺がきみを守ろうという一言の軽薄さに吐き気がする。誰の手も借りず、ルネが騎士として立ってこそ、彼女は救われるのだ。彼女はもう、自分で自分を救うしかないというところまで追いつめられている。差し伸べられた手を許容することもできず、自らの首を絞めている。

 幼き日の出来事は、それほどまでにルネを苦しめているのか。

 ルネを助けるには、どうしたらいいのだろう。

「ルネを騎士にすることはできませんか」

 デュケイがアーソに切り出したのは、シャルロッテの騎士昇格試験を三日後に控えた夕方のことだった。

 シャルロッテも未だ事故の衝撃から立ち直ることができず、心ここにあらずといった様子で騎士見習いを続けている。彼女が試験に合格することはすでに約束されているが、強情に身分制の馬鹿らしさを説き、正騎士位にこだわっていただけに、この結末はあまりに皮肉だった。

 デュケイの隣で俯いているシャルロッテは、騎士という言葉にぴくりと肩を震わせた。アーソもまた疲れたように首を振り、そしてふと顔を上げた。

「……何とかなるかもしれない」

「本当?」

 シャルロッテが机に手をついて立ち上がる。茶器が跳ねてけたたましく抗議の声を上げるも、紫の眼に久しぶりに灯った光を消すことは叶わなかった。

「ああ、東にロズルノーという街があるだろう。そこに、国で一番の義肢職人がいると聞いたことがある」

「義肢……」

「ただの義肢じゃない。ばねや歯車が組み込まれていて、関節のように曲がるとか、刃を備えていて武器として使える義肢もあるらしい。『機巧からくり』とか言ったか」

 へえ、とため息をついたのはシャルロッテと同時だった。

「右腕だけでも戦えないとは言わないが、機巧の腕があれば、もっともっと強くなれる。もちろん、ルネが望めば、だが。このまま剣の道を諦めるもよし、しがみつくもよし。どのように生きたとしても苦難が伴うが人生というもの。いまのルネに必要なのはきっかけだ。きっとな」

「その機巧っていうのも正騎士の武装として認められるのね?」

 先ほどまでどんよりと曇っていたシャルロッテの美貌は、今や満月のように輝いていた。

「武器の規定はない。知らなかったのかな、ディアラ・シャルロッテ?」

 片目を瞑ってみせ、早速便りを書こう、とアーソは立ち上がる。

「やったわ、ディーク、これで大丈夫ね!」

「きみには試験があるだろ それはいいのか」

 ひとりでくるくると回っていたシャルロッテはデュケイの一言に動きを止め、銀を紡いだ髪を揺らして振り向いた。

「誰に言ってるのよ、ディーク?」

 これで、すっかり元通りになるのだろうか。

 なりますように、とデュケイは祈る。

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