#56 視界にないもの、地図にあるもの
空が夕暮れに染まり始めた頃、俺は宿へと着いた。
一握りの情報と、釈然としない思いを持ちながら。
「おかえりーな」「おかえりアキラ」
「……ああ、ただいま」
扉を開けると届いたその声に、少しばかり間の抜けた返事をする俺。
「雑貨屋への用事ってなんやったん?」
そんなミヤの問いに、「地図を買ってた」と返した俺は、
小さく長く息を吐きながら本題を切り出した。
「ミヤ、ナナ。この地図を見てくれ」
俺は鞄から取り出した、その問題の地図を二人に見せた。
「どう思う?」
「???」
俺のその言葉を受け、目の前にある地図を凝視する二人だったが、
しばらくして大きく首を傾げた。
「どう思うも何も、地図やん?」
「そう、だね」
まあ全体図を見ただけだと、そういう感想になるのも仕方ない。
俺は真ん中を指差しながら、説明を始めた。
「まずここがエルバッツ王国。それは分かるな」
二人は頷く。
「そして、その周りにはヘルラルラ平原やアグスリア湿地帯。そして、その所々に点在する村々――これを総称して、エルバッツ地方なんだが……」
エルバッツを中心としたその地域。
地図の大半を占めたその部分を、俺は指で円を描く様になぞった。
「問題はその周りだ」
俺は、その違和感を指差した。
「エルバッツ地方を囲んでいる、この山脈――これが問題だ」
それはCの形のようにエルバッツ地方を囲んでいて、地図を見るとエルバッツ地方が盆地だということが分かる。
そのエルバッツ地方を外堀のように囲むその山脈。マグスライラ山脈と呼ばれるそれがまさに違和感の原因だった。
「え? これの何が問題なん?」
「……あ」
ナナは分かったらしい。
ここまで言ってもまだ分からないミヤに、俺は最後の言葉をかけた。
「――だったら、ここからその山脈は見えるか?」
「へ?」
ミヤが窓際に立ち、その声をあげた。
そしてミヤが眺める先にあるのは、山脈ではなく赤い地平線。
「そんな山脈、どこにもないやん」
その山脈は距離的にも標高的にも"地平線になるような代物"じゃない。
それは間違いなく、ここから見える地形なはず。
俺たちの視界にはない山脈。
だが、この地図には載っている。見えない山脈が。
「……一応、この地図がまがい物かも疑ったが」
他の雑貨屋を回っても、新旧や表現の違いはあれど、中身自体は変わらなかった。
そしてさらに、冒険者ギルドのミリアさんに聞いても「これで間違ってませんよ」と言われる始末。
「マグスライラ山脈について尋ねても、はっきりとした回答はもらえなかった」
雑貨屋の店主たちは、何をおかしいことを言っているんだっていう顔をしていた。
ミリアさんは、何か都合が悪そうに苦笑いだったが。
「――んー?」
ミヤとナナが地図と景色を見比べながら、これまた大きく首をひねる。
「んじゃ、うちらの目に映るこの景色は何なん?」
地図が間違っていれば、この話は俺が紛い物を買ったというただの失敗話ですんだ。
だがもし、この地図がもし正しければ――その時は。
何かが狂っている。
あるはずのものがない。もしくは、ないはずのものがある。
そのどちらが正しいかは、少なくとも俺の視覚では分からなかった。
「ここが異世界だから?」
そんな単純な言葉では片付けられるそうにないこの問題。
思考にこびり付くようなその妙な”臭い”を俺の脳が感じ始める。
――ドンッ!
と、その時、俺の聴覚はその不釣り合いな音と予想外の声を感じた。
「はい! お邪魔しまーすー!」
そんな何とも不釣り合いな声が、俺たちの視線を集める。
ノックも無しに、参上したのはフィリー。
「な、なんだよいきなり」
「フィリーやん?」
別に隠すような話ではなかったが、こうもいきなり来られるのは何だが心臓に悪い。
「いやいやごめんね――なんだかおもしろそうな話をしていたし、ついね」
左目をウィンクしながら、謝るポーズをするフィリーには反省の色は見えない。
が、俺はその先のフィリーの言葉にどこか含みがあるのを感じた。
「フィリーは知っているのか?」
「んーまあそうだねー」
なんともはぐらかすようなその言葉と態度に、フィリーが何かしら知っているとそれととなく感じる。
そんな俺の様子が分かったのか、フィリーは小さく指をふりながらあやすように言葉をかける。
「まあ、明日――きっとわかるよ。今日はある要件を伝えにきただけど、それにも少し関係してくるしね」
「要件?」
「うん」
刹那、彼女はかしこまって、背筋を正した。
「明日の朝――巳の時、ギルド前にあるウィーディルの酒場にいらしてください。酒場の店主にブラッドフレーズとお伝えください」
声色と、仕草が変わった。
「――勅命ですので、他言無用で。それと拒否は許されません」
抑揚のない声と表情で、端的に。
情報を伝えるためだけのようなその動作。
「――それでは、お待ちしております。アキラ様」
呆気にとられていた俺たちに、フィリーは最後だけ”いつもの顔”で浮かべながら、
「というわけで――ちゃんと伝えたからね?」
その言葉を残し去っていった。
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