#42 営業スマイルと不協和音


 翌日。

 朝の訪れは、いつもより静か。


 相も変わらず寝不足気味な脳に、大きなあくびで空気を送る。

 ぼやけた眼で、窓から見上げた空は鼠色。厚ぼったそうな雲が一点の縫い目のなく、空を覆っている。


「……雨でも降るのか」


 何とも言えない空模様に、少しばかり気分が億劫になるが。

 眠気覚ましと気合注入のため、俺はパンパンと頬を強く叩いた。


 時間はあまりないんだ。

 さあ、準備を始めよう。


 * * *


 このエルバッツから去る。

 そう、俺たちは選択をした。


 手始めに、近くの街か村へと移動する。

 その後は、街や村を転々としていく旅のようなものになるのだろうか。


「ま、遅かれ早かれこうなっていただろうしな」


 他のクラスの奴らを探すという最優先事項。

 それが少しばかり、早まったようなものと考えれば楽だ。


 うん、予定通りだ。

 ……お尋ね者のような扱いになりそうなこと以外は。


 あても、行く先もわからない旅。

 その為の準備を、俺たちは始める。


『旅行の準備みたいなもんやね』


 昨晩の会話でミヤが言ったその一言を思い出しながら、

 俺は自分の役割を果たすため、ナナと一緒に行動していた。


 当面の旅で必要なもの。

 俺たちは大きく二つの準備にとりかかり始めた。


 一つは、第一目的地である近くの街か村への経路情報。

 地図などの詳細なアイテム手に入れば、最高だ。


 そしてもう一つは、旅路に必要なもの。

 野宿になると必要になるであろう、食材や雑貨の類だ。


 話し合いの結果、前者は俺が担当。

 後者はミヤとトラッキーが担当する運びとなった。


「……とはいえ」


 俺はいつも通りの道を歩いていた。

 後ろにいるナナの手を引きながら、代わり映えのない景色を眺める。


「てか、情報を手に入れる場所はあそこしか知らないし」


 そうぼやきながら、必然的にいつもと同じ道を辿り、同じ場所に向かう。


 まあでも。

 あそこなら間違いなく欲しい情報は手に入るだろう。


「ナナ、数日は少しばかり不自由するかもしれないけど頑張ろうな」


 その言葉を受けて、眠そうな眼はぱちぱちと瞬く。

 翡翠色の瞳は、ぼんやりとこちらを覗いていた。



* * *



 冒険者ギルドの扉を開けると。

 広がるのは、お馴染みの景色。


「ん?」


 ……のはずなのだが、何かそこに違和感を感じた。

 何というか、いつもより、少し静かな気がした。


 ――天気のせいだからだろうか。


「さっさと用事を済まそう」


 何となく、長居はしたくない。

 そう感じた俺は、いつもより速足で目的の場所へと向かう。


 受付の定位置である、その場所。

 ミリアさんは、いつも通りの笑顔を受かべていた。


「アキラさん。おはようございます!」


 その営業スマイルとはつらつとしたその声が、

 普段より眩しく感じる。


「今日も依頼ですね」

「あ、いや今日はちが――」

「少々お待ちください!」


 俺の言葉を遮る様に、ミリアさんは普段の台帳から勢いよく依頼書を取り出す。

 その怒涛の勢いに面食らうが、俺は気を取り直し再び用件を伝えようと声を上げる。


「今日は依頼じゃな――」

「こちらが依頼になります!」


 一連の行動に感じる、不自然さ。

 明らかにミリアさんは"意図的に"俺の言葉を遮った。


 なぜ? 


 普段のミリアさんは、こんな行動をする人ではない。

 目の前で行われたその行動と、俺の記憶の中のミリアさんが、全く噛み合わない。


「……ミリアさん?」

「はい、依頼の説明ですね。分かってますよ」


 そういう声色も、仕草も、笑顔もすべて同じなのに。

 行動だけが、おかしい。


「こちらの依頼はですね。前にもお話ししたリンリンゴの依頼です」


 傍から見たら、彼女はいつも通りに見える。

 だが、近くで行動する彼女は、やはりおかしい。


 一体、何が?


 そんな俺の釈然としない思いに、答えるかのように。

 俺の視線の先で、ミリアさんは小さくウインクした。


 何かを、伝えようとしている?


「そしてこちらがやくそう採集の……」


 トントンと、その依頼書を叩くミリア。

 俺の視線がその音源に移った瞬間――彼女はその依頼書を音もなく裏返した。


 依頼書の裏面に浮かび上がる、人為的な文字の列。

 それを彼女は人差し指の腹でそっと撫でた。 



 【裏口から逃げてください】



 書き殴ったかのような、乱雑な文字。

 意味を脳が理解するより前に、覚えるのは、不快感。


 ――何だよ、これ?


「こういう内容になっています。お分かりただけましたかアキラさん?」


 バクバクと心臓が音を立て鼓動し、ぐらりと揺れる視界の中。

 それでも彼女は、満開の営業スマイルを浮かべていた。

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