その夢に捧ぐ

春野くもつ

その夢に捧ぐ

 わたしは生徒会選挙でいちばんどうでも良くて人気がなくて物好きなガリ勉が先生に気に入られるためになることが多いという書記に立候補したクラスメイトの真中さんに一目ぼれしてしまった。二度目の恋だった。ジュブナイル? は男だから違うけれども、アバンチュール? アバンギャルド? 恋って意味なのはどっちだっけ? てかアバンギャルドとバンギャ? え、これ似てるけど一緒なのかな? 

 とにかく、とにかく。私はああいう、テレビで流行の芸人の一発芸だったり、インスタだったりsnowだったり、そういったことで盛り上がっているクラスの同年代に対しては本当にくだらない、なんでこんな下劣な話題で笑ったり盛り上がったりしてるんだ自撮りの写角に私が入ってんぞチンパンジーと心の中で見下しながら、休み時間は一人で高校の最寄り駅にある本屋の文庫カバーが掛けられている大人気のミステリー作家が書いた最新作を読んでいて、学校では全然笑わないのにそれでも家に帰ったらくだらないお笑い番組を見てクスッと笑ってしまう、それで匿名でツイッターをやっていて、基本的には小説を読了したことを報告しながらもときどき道端の花を撮ったり、手作りのお菓子を撮ったりした写真をアップして女の子っぽさをさりげなく主張することもあるし政治関係とか国際情勢についてツイッターで見た識者の見解をほとんど引用して博識ぶったりロクに真面目に読まずページをただ捲っているに過ぎない純文学まがいの吐き気のするポエムを投稿して次の日に恥ずかしくなって削除したりする、フォロワーが二十人くらいの小さなアカウントに違いない、そういう優しくて仕方がない攻撃性を持っていそうな女の子が好きで、真中さんは間違いなくそういう可愛い女の子に違いないと私の直感が言っている。そういう正直な可愛さがある。ちなみにアカウントはまだ特定していない。真中さんはそれなりに頭も良く(ずば抜けた秀才ではないのがまた健気で良い)、無口で、おそらく一人になりたい訳でもないのに孤高な人で、襟元まで伸びた髪の毛からはすれ違うたび甘い匂いがして、小さくて、上体起こしと握力測定と持久走が本当に苦手でいつも仮病と生理(これも半分は仮病に違いない)で休む。なんというか、普通に可愛い、この感覚は珍しくて、みんなは可愛くなるためにそれなりにおしゃれをしたり性格を修正したりダイエットしたりつまり生き方を可愛くするために修正しているのに真中さんは本当に自分に対していくつかの不満は持っているかもしれないけれど、現状を本気で変えたいとは思っていない、ニキビの対策もしない、そういうあくまで自然体な態度が可愛いのだからもう天性だ。わたしの周りはそういう自然な人というのが全然いなくてわたしはそういう姿に憧れている。

 わたしは昔も女の子が好きだったしわたしも女だが葛藤は特になくて、ママに小学校の頃に幼稚園生の頃から大好きだった初恋のユミちゃんに告白して泣かれた時に怒られてからはいけないとは思うけどいけないことでもやりたいことはやらなくちゃ気がすまないタチなのだ。タチっていうのは性格っていう意味。でもわたしは小学生の頃とは違って色々を知ってしまったので本当にその頃の好きと今の好きがぴったり同じニュアンスなのかどうかはわからない。好きな人は基本的にいつだっていた。そりゃそうだ。でもその時々で好きの意味はだいぶ異なっていたように感じる。

 今回は考えても考えても分からないので、わたしはついに保健室で「宝塚から迷い込んだ美人」と評判の(この高校出身で、文化祭のミスにも選ばれたらしい)藤先生に悩みを打ち明けた。藤先生は高校の頃は浮名ばかり流していたともっぱらの噂だった。藤先生は、「私の頃もあったよ、ここは女子校だしね、そういうことは全然おかしくないの。私って、演劇部でよく男装してたから、自慢じゃあないんだけどそりゃもうモテたのよぉ、ファンクラブだってあったんだから」と前置きしてから「でも、そういう気分は意外と大学にいったら抜けちゃうものよ。私をすきだったみんなだって高校を出たら夢から覚めたみたいに男の子を付き合い始めるんだから」そう言った先生の目は哀愁に塗れていて、細くてしなやかな指にはめられた結婚指輪が陽射しを浴びて輝いていた。

 それから先生は自分がこの高校の生徒だった時にいかにモテたのかを語り始めた。時折、顔を赤らめて、百七十センチはあるのに小動物のように手をオーバーにぱたぱたさせながら赤ら顔をごまかそうとする先生はどう見ても可愛かったが、どうやらそれが「先生可愛いですね」とわたしの口から漏れ出ていたらしく、みるみるうちに先生の顔色が陰ってきて、それから先生は結婚指輪を見せつけてきて、自分が既婚であり自分と数学教師の夫とがいかにラブラブかを熱心に語ってきた。「そういうものよ」と藤先生は言った。「そういうものなの」私はそういうつもりで言ったんじゃないのに。そういう可愛いじゃないのに。いやどういうつもりかは私もよく分からないけど、藤先生、わたしはただ、いや、本当にそういうことじゃないはずなんだって、ごめんなさい。ただわたしは謝ることしかできない。誤解ですって。

 流石に先生にも変な絡み方をして申し訳ないなと思いわたしが学校を早退すると、これから仕事に向かうために精一杯若作りの化粧に励む可哀想なママが「真中さんって知ってる?」と聞くので十七年も一つ屋根の下で暮らしていると想い人の名前まで念力で分かるものなのかと感心せずにはいられない。しかしそれは早とちり、よくよく聞いてみると真中さんの家庭事情についてのことだった。真中さんの家庭は色々複雑な事情があって、まず母子家庭で、それに妹が近所でも有名な不良だということ、その妹が万引きを繰り返していて家族が苦労していることなど、そして真中さんがいけないアルバイトに手を出している一部始終を目撃したという人もいるらしい。ここまでの個人情報を調べ上げている奥様方のネットワークはどうなっているんだ?

 それから三日もすると、真中さんの家庭事情に関する事実はほとんど学年中に広まり、一部では生徒会書記を辞めたほうがいいのでは、とも言われる始末で、職員の間では週一度の会議で真中さんの噂の話が持ち上がって大議論になったという。他の高校では個人の家庭の事情でここまで大ごとになることはないが、わたしがいるこの高校は自分で言うのも気が引けるがいわゆる超お嬢様高校で、拘束も厳しく(と、言っても更生の余地がないわたしとかエミとかエリみたいな付属中学上がりは普通に髪も染めるし制服もお洒落に着こなそうとする)、しかもフェミニズムを全身に纏ったOBが数年前に校長になってからというものの外部の評価を過剰に気にするようになったから当然と言えば当然だ。

 当の真中さんは週明けから学校を休み続けていて、ついに金曜日、わたしはいかなくちゃなって思う。真中さんのところに。一回も喋ったことはないけれど、そういう気分だ。わたしはその前に保健室の藤先生に自分の好きな人に告白してきます、と言うと、「心配事があったら何時でも言ってね、あと、相手のことをよく考えてから行動しなさい」と比較的強めの口調で注意されたので最初はお友達からっていう雰囲気で行こうと思った。藤先生が告白なんてするなと言いたいことは流石の私にも分かった。「ああ、誰なのかは言わなくて良いわ」「なんでですか?」「なんとなく分かるから」「なんで先生に分かるんですか」「あなた春の身体測定の時とかその子ガン見してたから印象に残ってたのよ」「あっ」あっ。最後に先生に「アバンギャルドとバンギャって同じですか?」と聞いたら先生は「私は大学生の頃はそりゃもうとてつもないバンギャで」と今度は大学生になってから男にモテまくった話を始めたのでこりゃたまらんと退散する。しかしバンギャって何だ? 調べればいいのにどうでもいいので調べる気も起きていない。 

 わたしはクラスのLINEで真中さんの同中からだいたいの住所を聞き出し、真中さんの自宅をすぐに見つける。二階建てのごく普通の家で、車庫に車はない。躊躇なくインターホンを押す。三分たってもインターホンから応答はないので窓から人影が見えないか確認していると、リビングのカーテンの隙間から真中さんが訝しげにこちらを見ているのに気付いた。真中さんはびっくりしてやや警戒した様子だったが、わたしがクラスの問題児であるわたしであることが分かると意外とすんなり部屋に通してくれて、わたしはもう沈黙に殺されそうなくらい緊張していたが近隣で道路工事をやっているらしい、掘削音がどうにかわたしと真中さんの間の無言を埋めてくれていた。わたしはやっぱりこの高校では浮いてしまっているので、我ながら敵も多く、一言も話したことはないけれど真中さんからは嫌われているんじゃないかとばかり考えていて少し怖かったのだ。

 わたしはとにかく休んでいた分のプリントとめちゃくちゃ丁寧に書いた授業の板書のコピーを渡してから必死に相談に乗るということを伝えた。すると真中さんも本当に辛かったようで、今まで一言も話したことのないわたしにさえ泣きながらポツポツと語り始めるのだった。それはおそらく観光地ではたまたま気の合った知らない人にも個人情報をベラベラ喋ってしまうような現象と多分同じで何か心理を逆手に取っているようで申し訳ない。私はふだんはとても熱っぽいのにこういう大事なときは口調は熱っぽいがこうやって非常に冷めきっていてたまにその乖離にひどく苦しくなる。たまに全てを知っている未来のわたしが今のわたしをぜんぶ下らないと見下しにやってくるような気分だ。どういう人間でもこういうある程度の二面性はあるんだろうか? あってほしい。わたしは最高に表面的で偏差値3のコミュニケーションしか出来ないのでそういう他人の二面性に気付くことができていない。

 色々と話してみると、やはりというか、真中さんは自分の家庭について学校中で噂が飛び交っていることを知ってからというもの、学校に行く勇気がないのだという。しかも妹が三日前から帰ってこないのも心配で心配で仕方がないとか。わたしは思いつく限りの都合の良い言葉でそれなりに励ました。出来る限り。わたしがこの場で出来るのは真中さんの家庭環境を改善するとかではなくて取り敢えず真中さんをなんとか学校に行かせることだと思う。だって行って真中さんが頑張って説明してずる賢い先生とフェミの校長と話さないと何も始まらないのだ。結局は真中さんがやろうとしないと何も始まらない。小学生のわたしは本当にユミちゃんの望むヒーローにもヒロインにもなれると自信満々に思っていたけれど高校生のわたしはそういうことは無理なんだってことは知ってしまっていて、無理でもそれなり頑張り続けなくちゃ今の世の中?社会?まあそういう大きなものから取り残されてしまうっていう残念なシステムのことも知っているから、そういうシステムは良くないけど、もちろん変えて欲しいけど、少なくとも今は受け入れて頑張らなくちゃいけないから、こういう無価値な言葉で真中さんを奮いたたせ、真中さん自身が奮い立つのを祈るしかない。祈るというのは本当に純粋だから好きだ。誰かを想うのも純粋だから好きだ。わたしはそういうのが好きだ。そういうのが正直に出来なくて少し屈折してしまった生き方をしている人も好きだ。それは本当だ。口だけじゃないって信じて欲しい。冷めてない方のわたしは偏差値3なので(高校の偏差値は74くらいらしい、中学受験組なのでこれが全国でどの程度の数字なのかは全く知らない)、せめてこういう純粋な行為は貫き通したい。

 何時間も、深夜に真中さんのママが疲れ切った顔をして警察に保護されていたという大声で泣き叫ぶ妹を連れて帰ってくるまでわたしは真中さんに寄り添い続け膝枕までしてしまってはいもうわたしは枕になりたくて真中さんの涙で濡らしてほしいって感じていやそういう卑猥な意味なんか少しもなくて、起きた真中さんが直面するのは今にも死にそうな母親と再びふらりと疾走するであろう号泣する妹という地獄のような現実なわけだが、今だけは幸せな夢を見ていてほしい。あわよくばそこにわたしも出てきてほしい。そういう独占欲もそれなりにあるからわたしの愛は無償ではない。

 そして次の日、真中さんは襟元まで伸びていた髪をばっさり切ってベリーショートにして赤縁のメガネをコンタクトに変えて登校してきて校門に居た教頭先生と風紀委員を驚愕させた。もちろんこっぴどく叱られて、真中さんは大人の事情ではなく「自分の校則違反」によって全会一致で書記を解任された。何を始めるにも外見から入るのは悪くない。真中さんはそのうちわたしたち校内の厄介者たちとよく話すようになった。その頃から真中さんは「人は見た目じゃない」とよく言うようになってこれはわたしの影響なのだろうか? 少しは嬉しい。でもそういう影響の受けやすさは危ないねとも冷めてわたしが口を挟む。とにかく、真中さんがそういう格好をするようになってからは妹とよく話せるし今までは何を考えているのか分からなかった妹のことが少しずつ分かってきたらしい。本当に分かってきたのかは知らない。でも学校での先生からの評価というのは高校にいる間しか関係しないが家族というのはどうやったって一生付き合わざるを得ないものなんだからどっちが重要かなんて分かり切っている。多分。真中さんはそうして度々校則違反を起こすようになったが相変わらず勉強も続け、常に学内の模試では東大なら学部を選ばなければ余裕で合格と言われる圏内の順位を取り続けている。そもそも高校受験組の真中さんのことだから勉強なんてやれば直ぐにできるだろう。

 そしてある日、なんとなく屋上で二人でそれぞれお互いのために作ってきた昼ご飯を食べ合ってもうこれ以上の幸せって存在しないっていうかこれはすごいと思っている時に真中さん、というか下の名前で呼ばせてもらっていて、真中サキ、サキは「相談があるんだけど」というので肩を叩いてばっちこーい!と言ってやる。今のわたしならなんでも出来る。サキの昼ご飯を食べて無敵時間中だ。

「好きな人が居るんだよね」

 唖然。

 となるがわたしはそんなことじゃあ笑顔を崩さない。両肩を掴んで激しく揺さ振ってそれは誰だと聞いたりはしない。でもそれでもやっぱり気になってしまって、誰?って聞いたらそのまま無言で抱きついてくれるような展開をどうしても希望していて心臓が張り裂けそうでさっき食べたお昼ご飯を戻しそうになる。「誰でも居るよー好きな人ぐらい」「え、うん……そうなんだけどね、こっから、本当に、信頼してるから打ち明けられるんだけど、その好きな人、女の人なの」

 唖然。

 となるがわたしはそんなことじゃあ笑顔を崩すし冷や汗も流れるし両肩を掴みかけて思いとどまり深呼吸して逆流しかけたふわとろな卵焼きと胃液を無理やり飲み込んで爽健美茶を一杯。確率的にわたしの確率上がってねこれ確率論的には確率がと思って舞い上がるわたしをどうにか落ち着ける。やっぱり女の子を好きになるっていうことはありがちなんだろうか? 藤先生が言うように、一過性の病のようなものなのか? 女の子だけのネバーランドなのか? 来るべき男性との恋愛の「練習」なのか? でもわたしは、そこで冷め切って笑う未来の私がどう思うかは知らないけど、この気持ちは一過性なんかじゃないって信じている。信じている。祈っているし想っている。「でもさ、好きになっちゃったんならしょうがないじゃん、それが男だろうが女だろうがオカマだろうが猫だろうが犬だろうが、しゃーないしゃーない」「そうだよね、きっとそう言ってくれると思ってた」サキはこうしてわたしのように彼女に甘くなんでも肯定してくれる相手を探して肯定してもらうと言う儀式を最近は頻繁に繰り返しているように見えて、それは少し危ないことだとは思っている。近いうちに厳しいことも言いたい。そういう欲もある。今はまだ可愛くて言えないけど、多分、わたしなりに彼女のためになると思うこととか。



「……藤先生、なんだけど。私の好きな、人」

 

 藤先生は私が学校に来なくなってから毎日のように家に来てくれて真摯に相談にも乗ってくれたし、学校に来れるようになったのは藤先生のおかげでもあって、このイメージチェンジも妹の気持ちがわかるようになるために少しは派手にしてみても良いんじゃないって、藤先生にオススメされて、ねえ知ってる、藤先生バンギャだったんだって、ちょーアバンギャルドって感じじゃない? 


「うーん」

 うーん。

 うーん。

 うーん。

 結局バンギャって何だよ。

 やっぱり自然と泣けてきて、わたしはどうしたかと言うと、何も覚えて居ないけれど、少なくともそれからわたしはサキの膝枕で泣き腫らして幸せなのか不幸なのか自分でもよく分かっておらず、サキも鈍感でなぜわたしが泣いているのか理解しておらず挙げ句の果てにわたしも藤先生が好きだったのだと勘違いされ良く分からないことになり、それでもサキは小さい体でわたしをおぶって保健室まで連れて行ってくれたのだ。わたしが初めに可愛いと思った頃のサキ、つまり真中さんとはずいぶん変わったけれど、わたしはまだサキのことが好きで、でもその好きっていうのも自分では意識していないのに少し冷めて聴こえる。わたしの目の前だとサキはよく笑う。それはとっても幸せだ。でも藤先生の前ではもっと笑ったり、それこそわたしに見せないような表情だって、したりするんじゃないだろうか?と思うととてつもなく遣る瀬無い。これって好きというより嫉妬だ。独占欲だ。他人はわたしのモノじゃない。思い上がるな。思い上がるな。そういう理想というのはもう大人なんだし諦めなくちゃいけなくて妥協というのをわたしは知るべきだ。サキが笑顔を見せてくれるだけで幸せなのだ。幸せの閾値を下げるべきだ。とか、こういうことを考えていると無限に続く螺旋階段を延々と降り続けている気持ちになる。もう深く悲しいのにさらに悲しくなれそうな気がする。どこまでも落ちていける気がしてしまう。

 藤先生は布団にくるまるわたしに優しく布団越しに抱きしめながら耳元で「また何かあったの?」と聞いたがわたしは嗚咽でよく分からなくなっていたのでそれでも気を絞り筆談で「なんでもないです ねかせてください」とだけ書いた紙を渡して泥のように眠る。夢を見る。あの頃の真中さんのような人が立っている。垢抜けたサキのような人も立っている。でも顔はぼやけている。よく分からない夢だった。その後、時は流れてわたしはこうなることを予感していたのでもう驚かなかったが、藤先生とサキは体を重ね、それから藤先生とは不倫の関係にある、あいつはわたしに拒否反応を示したのは夫がいるからじゃねえのかよ、その関係をサキから暴露されたわたしが先生にそれを追求した時に「なんならあなたも一緒に」と左手の人差し指をわたしの唇に重ねてきて薬指の結婚指輪が妖しく光っていたとかそういう話もまああるにはある、そういうこともあって、あの女狐クソバンギャめと「今は」思わずにはいられないがこれが結局いつまでも人生に尾を引くわけではなくて、あの日泥のように眠った後にわたしは絶対に悲しむべきじゃないと決心した。バンギャってやっと調べたけどそんなことかよ。誰かと誰かがいくらいびつな形であれ結ばれた以上その誰かと結ばれない人は必ずいるわけでだから仕方ないのだ。仕方ないのだ。仕方ないのだ。涙が出てくる。まだわたしはでも立ち直れない。涙が出てくる。そんなとき、「親友よ、泣くだけ泣きな」と言ってどんどん悪いことを覚えて屋上でタバコを吸うサキはわたしに膝枕を差し出してくれる。サキの膝は温くて気持ちいい。気持ちよすぎて涙が止まらない。今のサキはリトマス試験紙みたいな女の子で藤先生の影響を強く受けて(わたしの影響も受けていて欲しい)それなりに派手な格好をしているように思えるのできっと高校を出たら好きになった男の子の影響を受けて洋楽を聴いたり山に登ったりとかするんだろうなとか思って更に悲しみにずぶずぶずぶずぶ沈んでいく。身体中の水分が全て抜けきって干からびて死ぬまでにサキを思い切り一度で良いから抱きしめてみたかったけどそういうことは不義理だから絶対にやっちゃいけない。いけないんだけど涙が止まらないわたしを見てサキはよしよし良い子だねと友達としてわたしをきっつく抱きしめてくれる。流石にそれはもう死んでしまうよ、わたし。わたし好きだったんだって本当に。でもわたしの口から好きという言葉はでてこない。藤先生とこのまま幸せにどうなるかわからないけど関係が持続している限りはわたしはサキに好きとは言えない。好きの代わりに嗚咽だけが出て吐きそうだ。死にそうだ。わたしが洗濯物のシャツの袖を引っ張り出すように裏側から反転して、気持ち悪いピンクを色をした臓物とか感情とか全てで流れ出ているのかもしれなくてたまらなく恥ずかしい。そういう下らない表現を思いつく冷めたわたしは遥か空からわたしとサキを見下ろしていてこれを画面越しのドラマかなんかの気分で鑑賞している。てめーの好きにはさせねえぞ。それからわたしはまたサキの膝枕で眠る。きっと夢を見るだろう。そこではわたしにサキが好きと言うだろう。夢。夢。きっと夢。もしかしたら泣いてる時に好きって言っちゃってたかもしれないから起きるのが怖い。それも夢。


 


 

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