第22話 あっさりした答え
進路について悩んでいると、あっという間に冬休みが終わった。
千春は学校の友達よりも1週間早く冬休みをとっていたので、約3週間の冬休みであった。その間、友達にはまったく会っていない。しかし何事もなかったような顔をして始業式を迎えた。
「ちーはーるー! よかった、生きてたんだね!」
校門をくぐると後ろから友人が駆け寄ってきた。教室に入るとクラスメイトたちは久しぶりの再会で騒がしい。とりわけ千春の周りは騒がしかった。
「千春にメールしても何も返ってこないし、SNSにも冬休み中、全く現れなかったから、すごく心配したんだから! もう体はいいの?」
「メール……? あ、忘れてた。ごめんごめん。もう、大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
何人もの友達に囲まれ、心配していたことを聞かされた。
そういえば友達からメールが届いていたが、読んで返事を後回しにしていた。あの時は精神的に参ってたし、返事もする気力がなかったから仕方ない。そのまま返事を忘れてしまっていたのだ。そのおかげで、千春は死んでしまったのではないかと噂されていたようである。おおげさではあるが、本当に心配してくれていたのは違いない。登校してから下校まで、いろいろな友達に囲まれた。
始業式の日はさすがに授業もなく、学校は午前で終わり、昼過ぎには帰宅した。
3学期から夏から下がっていた千春の成績はぐんぐんよくなり、冬休み明けのテストも学年上位クラスの成績をおさめた。
☆
2月に入ると父も母も何やら書類を広げては頭をかかえる日が続いた。学校が終わり、夕方に帰宅すると母がリビングで電卓をたたいていた。
「ただいまー。ママはなにしてんの?」
「おかえりー」
電卓をたたきながら母は言う。なにやら大変そうな雰囲気であったので、千春は部屋に行き、制服から部屋着に着替えてリビングへ戻った。
「あーもう! 合わないの、なんで!」
「何してんの? 電卓なんかたたいちゃって」
「ママの嫌いな計算よ。確定申告の計算してるの」
テーブルの上には数字が書かれている書類が並ぶ。それをめくっては電卓に打ち込む。千春は母が奮闘している書類を覗き込んだ。
「数字がいっぱいだわー」
どの書類にもよくわからない数字が並んでいる。母は覗き込む千春を気にすることもなく、作業を続ける。
「まいっちゃうわ。パパが書いた計算とも合わないし、自分で電卓たたいても、毎回違う値になるの。もう、やんなっちゃう」
「あ、これ見たことあるやつー。じいちゃんに頼まれて、数字を書いたやつだー」
書類に埋もれていた1枚の紙を手に取った。それは去年の確定申告の提出用紙のコピーであった。その紙に千春は見覚えがあった。
小学生のころ、祖父に字をなぞってくれと頼まれたことがある。言われた通り、鉛筆で書かれた文字をボールペンでなぞるだけであったが、決してきれいではない祖父の字を解読するのは困難であった。高齢の祖父は用紙に書かれている小さな字を読むことができなかったので代わりに読んで、また祖父が数字を書く。そんな作業を繰り返していた。当時は何も気にせずに字をなぞっていたが、用紙をよく見ると、様々な費用の名前が書いてある。祖父はこれを毎年やっていたのだ。今思えばよくやっていたものだと感心する。計算が正しくできていたかはわからないが。
「おじいちゃんはすごかったのねえ……」
計算が合わず、疲れたのか、母は電卓をたたくのをやめた。
「そりゃじいちゃんだもの。もう部屋戻るーバイバイ」
大変そうな母をそのままにして千春は部屋に戻った。
部屋に戻った千春はベッドに横になり、さっき話していた祖父のことを思い出し、祖父に教わったことは何かあるかと思い出を振り返る。
祖父が亡くなり、新年は何もお正月らしい装飾をしていなかった。今までは祖父が自分でしめ縄を作った。小学生が集まる子供会で祖父はしめ縄づくりを教えていた。もちろん千春も参加した。家で作るときも手伝った。しかし、今作ってみろと言われたら作れない。どうせ毎年教えてもらえると思っていたので、すぐに作り方を忘れてしまった。もっと細かく聞いておけばよかったと後悔した。父は作り方を知っているのだろうか。もし知らないなら来年からしめ縄飾りはお店で購入したものになりだろう。
「うーん……まずったよなあ……」
今、後悔しても仕方ないが、過ぎてしまったことはどうにもできない。今度父に作り方を聞いてみようと決めた。
他にも思い出してみる。
小学生のころにいろいろ手伝ったことはあるが、千春が中学生になると部活にも入ったので、手伝うことが少なかった。千春は吹奏楽部に入り、やることとなったのはクラリネットであった。リードやチューナーなどは個人で買わなければならなかったが、楽器は学校で貸し出されていたので、そこまでお金はかからなかった。家でも練習し、それを祖父は聞いていた。毎回うまいとほめる。音楽に詳しくない祖父はたとえ間違った演奏してもいつもうまいと言った。吹奏楽部の演奏会にはよく来ていた。
(じいちゃん、おもしろかったわあ……)
思い出を振り返ると面白いことがどんどん出てくる。その祖父がもういないと思うと泣きそうになった。
すると玄関で来客を知らせるインターホンが鳴った。今は母がいるので、千春は玄関へ向かうことはない。しかし、だれが来たのかは気になるので窓から外を見た。庭にはやってきた人が乗ってきたのであろう白い軽トラックがあった。
千春の部屋は玄関に近い。耳を澄まさなくても話し声がよく聞こえた。
「おばあちゃんはいないんかい?」
声の大きさ、話し方から、どこかの家のおばあさんがやってきたようである。
「おばあちゃん、今いないんですよ。でも、電話したらきっとすぐ帰ってくるので、急ぎでしたら電話しますよ?」
母はおばあさんに言った。それに食い気味におばあさんが答える。
「お願いしますだあ」
母の歩く音がしてリビングで電話をかけにいったようである。しばらくするとまた玄関に母が戻ってきたようであった。古い家だからなのか、歩き方のせいであるのか、千春の部屋ではだれかが家の中を歩く音がよく聞こえるし、だれが歩いているのかもわかった。
「すぐ帰ってくるそうですよ。応接間にどうぞ」
おばあさんを玄関入ってすぐのところにある応接間に通し、母がお茶を出して祖母がくるまでの間、何か話しているようだった。玄関に近い部屋が千春の部屋である。もちろん応接間も近い。普通の声で話す母の声は聞き取れないが、声の大きいおばあさんが何を言っているのかはよく聞こえた。
10分もたたないうちに祖母がバイクで帰ってくる音がした。そして家の中へ入ると、お客さんのおばあさんとの会話が始まった。歳をとると耳が悪くなり、なぜか自分の声が大きくなる。高齢者2人の会話はよく聞こえた。
「すまないですねえ! お願いがあってきたんだよ」
「なんですかい?」
「南の用水路んのとこのを一緒にうなってぐれねえが。うぢで管理もできねえんだ。おらんちの息子が手えいっぺえなんよ」
『うなう』というのは普通に言えば『耕す』である。千春の家族はよく使っている言葉である。そのほかの言葉は高齢者特有のなまりが入っている。
「手えいっぺえって、うちもいっぺえだあよ。どこんちもそうだんべ」
「おねげえだ」
「んなこと言っても、うちも息子がやんだし、おらに言われてもなあ」
農業をやっている人も減り、高齢化が進む中、いくつもある田んぼを管理するのは大変であった。放置してしまえば雑草が茂り、みるみるうちにダメになってしまう。千春の父は50歳を過ぎているが、周りの農業に携わる人達の中ではかなり若い方だ。このおばあさんの息子も50を過ぎているだろう。もしかしたら60過ぎているのかもしれないし、何か病気があったりケガがあったりして手がまわらないということも考えられるが。
「おねげえだ。一緒に南海かうなってくれるんでいいんだ」
「聞いてみねえとわかんねえよう……」
おばあさんは引き受けてくれないと帰らなそうである。そこへ偶然にも父が帰宅してきたようだ。玄関の扉を開く音とともに、歩く音も聞こえた。
「一緒にうなってくれんか」
今度は父に頼み込んでいる。父が話す声は聞こえない。
「あんがとうだ! ほんとに!」
おばあさんが感謝を伝える声が聞こえるので、父は引き受けたのであろう。田んぼを耕すのは父だ。その父はすぐに引き受けた。
何度もお礼を伝えるとおばあさんは軽トラックに乗り込んで帰っていった。
会話の内容が丸聞こえであったので、千春は廊下を通る父に部屋の中から父を呼んだ。父は呼ばれたことに気が付き、千春の部屋の扉をあけた。
「なーに?」
「さっきのおばあさんの引き受けたん?」
「うん。だって一緒にうなっちゃうし」
「よくやるねえ」
「困ったときはお互いさまでしょ。用はそれだけ?」
「いや、どこの田んぼかわかるの?」
「そりゃわかるさ」
「なんで?」
「まあいろいろと。まだ着替えてないんだ。んじゃ」
会社から帰宅したばかりの父は扉を閉めて、奥の部屋へ着替えるために向かっていった。
ただでさえ管理している田んぼは家の北の方にも南の方にもある。あのおばあさんの田んぼがどこにあるのかわかるのはなぜかと思ったが、わかる理由を教えてもらえなかった。父と祖母の会話にはよく、『誰々さんちの横』などと言う。それで通じるのだ。また、『誰々さんがうなってた』と父はよく言う。祖母はそれを聞くと、批判することも多い。2人は他の家が何をしているかも気にしているのだ。
確かに困ったときは助け合うことは大切だと思う。自分に余裕があれば、助けることができるだろう。平日も休日も休みがほとんどないような父にそんな余裕があるのか疑問をもった。あっさり引き受けた父は優しいのか、それとも好きだから別に構わないのかわからないが、何度目かもわからないが父をすごいと思った。
後日、田んぼを耕してほしいと頼んできたおばあさんは、洋菓子の詰め合わせを持ってきて引き受けてくれたことを改めてお礼しにきた。千春は何もしていないがおいしくそれをいただいた。
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