第21話 ない夢 ない希望
父の話を聞いて、進路希望の紙と向き合って机に座った。
小さいころから千春には夢という夢はなかった。幼稚園のとき、将来の夢を先生に聞かれ、何にもなりたいと思ったことがなかったので、姉の美咲が『お医者さんになる』と言っていたのを思い出してお医者さんと言ったことをはっきり覚えていた。普通の幼稚園児なら、おもちゃ屋さんやケーキ屋さん、お花屋さんやスーパーマンになるというだろうが、大人になったらそんなの飽きるだろう、ヒーローになんてなれっこないと思って、周りを馬鹿にしたような目で見ていた。
(夢なんてないし……やりたいこともないし……普通に生きたい)
働かなくて生きていけるのなら働きたくないと思う。しかしそうもいかないのが現実だ。うーんとうなりながら考える。
「理系か文系か……だよなあ」
大学にいくのであればまずはそこからであると考えた。好きな教科、得意な教科は何かと机に並んでいる教科書に目をやる。千春は、英語が得意である。化学はやっとわかってきたぐらいで物理は苦手、生物はまだやっていない。数学は好きではない。古典なんて意味わからないし、現代文の読解もわからない。社会系は苦手ではないにしても成績はいまいちであった。
(英語は文系も理系も使うからいいとして、他の文系科目ダメだなあ)
文系がダメなら理系だ。物理だけは無理なので、物理を使わないような学部を調べることにした。
すぐにインターネットで該当する記事が見つかった。
学部別の就職先、収入、人気度が書いてある。その中で一番気になったのは農学部であった。ただ農家をやっているのもあるからだが。そこで学べば、家の米作りに使えるのではと考えた。一応候補に入れた。ほかにも理系の総合的な理学部、医療系として看護、薬学とメモしていく。
そこまで書いたところで母に相談することにした。メモを持って奥の部屋にいるであろう母の元へ向かった。
予想通り、母はその部屋におり、三が日ということでお茶を飲みながらテレビを見てくつろいでいた。
「ママ、これ、進路。どう?」
母にとりあえずメモした紙と真っ白な学校に提出紙を手渡した。
「なあに、これ。こっちが千春の希望なの?」
受け取った紙をさっと見てから千春を見た。そしてメモした紙をもう一度見る。その間に千春は母の横に座ってテレビに目を向けた。
「千春は何になりたいの?」
「何もなりたくない」
「馬鹿をいうんじゃないの」
母はテレビを消した。そして千春の方を向く。テレビが消えたことで千春も母を見た。
「とりあえずはお姉ちゃんと同じ理系なのね?」
「姉さん、何やってんだっけ?」
「ママもよく知らないけど、なんか生物みたいなやつよ」
「解剖するの?」
「前になんか解剖したって楽しそうに話してたわ」
「うえ、気持ちわるっ。生物はやめとくわ」
これでまた選択肢が一つ減った。
「この農学部っていうのは、うちのことを考えて書いたの?」
「まあ、それもある。だって好きだし」
「……いいのよ? うちのことは考えなくて。それに農学部が農業へっていうわけでもないでしょう? 美咲のときも調べたからわかるけど、食品系とかに勤めるのよ? うちの農業が好きなら、それはそれでやればいいの。パパも農学部なんて行ってないし、パパに教えてもらえばいいんだもの」
「うん」
母はゆっくり言った。千春も納得し、うなずく。
「でも、千春が継いでくれるなら、おじいちゃんも安心ね! パパも喜ぶわあ。おじいちゃん、千春に継いでほしそうだったもの。だって、おじいちゃん、千春の話ばっかりするのよ? それはもう聞いたーっていう話を何回も何回も。手伝ったこととかすごく嬉しそうだったの」
母は祖父を話に出してきた。千春は祖父からの手紙をほかの人に見せてない。母は、祖父が千春に継いでほしかったことがわかったようだ。母は思い出して笑いながら話す。祖父がそんな話をしているなんて知らなかった。千春が学校へ行っている間に話していたのだろう。
「直接言ってくれればよかったのにー」
「恥ずかしかったのよ、おじいちゃんは」
千春も話を聞いていて恥ずかしくなり、体育座りになって顔を膝にうずめた。
「そ・れ・よ・り・も! 進路よ。将来の就職のことも考えないとね」
「生物系にいった姉さんはどこに就職するのさ?」
「さあ? 研究者にでもなるんじゃない?」
「そこは考えて学部選んだんじゃないんだ」
「美咲は生き物が好きだから進んだのよ。千春は別に好きなものはないんでしょ?」
「ないない、何にもない」
千春は顔をあげ、ただの体育座りの姿勢になった。母はお茶を一口飲む。
「……ママはこの中なら看護師か薬剤師がいいと思うわ。おじいちゃんを病院に連れて行ったとき、いっぱいいたの。きっと就職できるわ」
「そりゃ病院だし、看護師も薬剤師もいるだろうよ。でも病院はヤダ。なんか怖いし」
千春にとって病院は怖いところであった。祖父が入院したときにお見舞いにいったが、周りの入院患者たちも高齢で、祖父が亡くなったときにはすっかり、病院=死に場所というイメージがついていたのだ。その後に祖母が入院したときには、周りの入院患者は元気そうな人ばかりであったが、どうしても死のイメージが離れなかった。
「薬剤師なら病院以外にもあるわよ? 薬局だったりドラッグストアも。MRになるのもいいわね。MRは給料いいみたいだし」
「でたよ、またお金」
「本気で言ってるの。お金は大切よ?」
「そりゃそうだけど……」
「まあ、6年も学校いかなきゃいけないんだけどね。まるで小学校の義務教育ね」
「そんなに行くの? 知らなかったわー」
「まあ、参考にしなさい。お金はずっと前から貯金してあるし、奨学金も借りればいいわ。奨学金を返すのは千春だけど」
「つまりどういうこと?」
「学費を借りるのよ。それで千春が就職したら、借りたお金を返していくの。就職するときから借金抱えることになるけど、薬剤師ならそれなりに稼げるはずよ」
「卒業から借金ってなあ……」
借金を抱えながら就職するのもなんだか気がひけた。
「この理学部はどうなの?」
メモに書いてある文字を指さして千春に聞く。
「なんとなく書いた」
「ここにすすむならそうねえ……先生なんてどうかしら? 理学部から目指せるはずよ」
「先生大変そう。担任見てて思うもん。それにモンスターペアレント怖い」
「大変なのはどの仕事もそうよ。ママは先生になるのもいいと思うわ。ママから言えるのはこれぐらいね」
「結論何もないんだけど」
話を終わらせようとする母。千春は結局何も決まっていない。
「自分の将来、自分で考えなさい。あなたのことなのだから。本当に好きなことをやるのもよし。好きではないけど、将来の考えて選ぶのもよし。ただ、やるなら最後までやり遂げなさい。途中でやめたら怒るからね。じゃ、バイバイ。ママはテレビ見るんだから」
メモと提出用紙を渡されて、部屋から追い出されてしまった。廊下に立っているのも変なので自分の部屋に戻る。
部屋に戻った千春は第1希望に薬学部、第2希望に理工学部と書いた。
まだ受験するわけではない。考える時間はまだある。とりあえずその2つの学部に使える科目についてはしっかり勉強しようと思った。
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