第10話 一歩日常へ

 葬儀の次の日、千春はぐっすり眠っており、目覚めたときには11時を過ぎていた。ベッドから出て、外を見てみると、何やらつなぎを着た父が作業をしているのが見えたので、窓を開けて呼んでみた。

「パパーなーにしてんのー?」

「あー? 今起きたんかいーおっそっ」

「だーかーらー何してんのさー?」

「修理だよ、修理ー」

そう言って父は祖父が使っていた青いトラクターのエンジンをかける。しかし、いくらエンジンをかけても最初に少しブオンブオンと音がするだけで、その後は音がしなくなる。千春が小さい頃、祖父に乗せてもらったそのトラクターの調子が悪いのだった。

 長い間使っているし、どこかのパーツが悪いのかもしれないと、トラクターの前方を開けていじってはいるが、何度やってもエンジンはかからない。

 千春はパジャマから適当な半袖Tシャツと半ズボンに着替えて、サンダルをはき、外にいる父のもとへ向かった。


「なおんないの? これ」

「いっくらやってもエンジンかかんないしなあ。 こりゃダメか?」

「売っちゃうの?」

 使えない機械を持っていても仕方ない。しかし、このトラクターは千春にとって、祖父との思い出の1つである。売ってしまうのではないかと不安そうな顔をして言う千春を見て、父は笑いながら言った。

「まさか! まだまだ使えるし、売るわけない。 いくらすると思ってるんだよ」

「そりゃかなりするだろうけど……」

「なおすんだよ。でも今日は修理するところも休みだろうし、平日じゃないとやってくれないよな……平日仕事だし、ばあに頼むか」

 トラクター1台で100万円台のものから、一桁増えて1000万円もするものまで様々である。小さいものから大きいものまである。ただ、このトラクターだけでは作業ができない。トラクターの後ろにつける作業機もそろえる必要がある。その作業機も種類によってはうん十万するものもあり、農機具を一通りそろえるのにはかなりの費用がかかる。それもあってだろうか。新規の米農家には会ったことがない。どこもかしこも代々引き継いできた家である。新規はいなくても離農する人はいる。子供がいない、子供は都会で働いてめったに帰ってこない、そんな高齢の農家の人は少しずつ田んぼとして用いてきた土地の管理ができなくなり、売ってしまう。売った土地にはどんどん新しい家が建っていった。人口では高齢化が進んではいるものの、新しい家が建つので、どこからか新しく人がやってきているのかもしれないし、子供もいるのでは?と考えたが、市の広報で人口変移を見ると、少子高齢化はどんどん進んでいるようであった。そして体を動かすのもつらくなってくるとついには離農してしまう。管理できなくなった土地を放置してしまうと、すぐに雑草が生えてしまうので毎年しっかり耕すなりしないとダメになってしまう。

 祖父のトラクターを売らないと聞いて、心の底からホッとした。トラクターをよく見てみると、シートが破れており、全体的にも泥で汚れている。祖父が使い込んだ証だ。義務だと思って農業をやるのではなく、好きで農業を続けていたのだろう。

「まだまだ使えるんだね、これ」

「あたりまえ。使えないと困るんだわ」

 自分が不安に思っていたのがバレたようで恥ずかしくなったが、思い出のものが残されるので安心したので父のもとを離れ、家の中へ戻った。



 家の中では母がお昼を作っていた。

「暇なら庭からトマトとってきてちょうだい」

「んじゃ暇だからトマトとってくるー」

 玄関に入ったとたんに母に言われ、またすぐに外へ出て庭先の畑へ向かった。


 畑では祖母が雑草を抜いていた。

「ばあちゃん、トマトとりにきたー」

「あっかいやつとってくんなーいっぱいできてんから」

「ほーい」

 赤くて大きいトマトを手でへたの上から切っていく。畑の野菜は祖父と祖母で育てていたが、祖父が入退院を繰り返すころには、祖母がすべて一人で育てていた。

 多少形はいびつであるが、味は何も変わらない。むしろ畑から食卓へ直行なので、かなりの新鮮度だ。

 5つほどトマトを収穫したところで、ポケットにもトマトが入らなくなり、収穫を終わりにした。

「トマトもらってくねー」

「トウモロコシももってってくんろ!」

 しゃがんで雑草をとっていた祖母がよっこいしょっと立ち上がり、祖母の後ろのトウモロコシが生えている場所へ向かった。

「ほい。 ほい。 レンジでチンすりゃいいんだから楽だぞう。 んだけど、実がすっかすかなんだ。 くってみい」

 1本だけ渡されたトウモロコシをもって、今度こそ家の中へ戻った。


 トマトを母へ渡し、トウモロコシの葉を剥いてみた。

 すると、想像以上に実がなく、スカスカであった。しかし、スカスカでも味はおいしいのかもしれない、と思い、軽く水ですすいだあと、ラップでくるみ、電子レンジにかけた。

 しばらく待つとチン!と音がなったので、トウモロコシを取り出した。

「あっつ!あっつ!」

 ホカホカになったトウモロコシのラップをはがし、冷ましている間、母の作った昼食を食べ、収穫したてのトマトに塩をかけて食べた。

「トマトうんまー」

「新鮮すぎるからねーまだできてたでしょ? 悪くならないように、毎日食べなさい」

「食べる食べるーおなかにたまるなあ……あ、トウモロコシ……」

 昼食をとっている間に冷めてきて、数少ない実がしぼんできた。

 一粒むしって食べてみた。

「……味、わかんない……」

 一粒じゃ味がわからないからまた一粒と食べるが、まったく味がわからない。

「安い種じゃダメねえ。これなら買ったほうがいいんじゃないかしらねえ」

 母はトウモロコシを見ながら言った。

「粒ないし、甘くもない。 普通のトウモロコシ食べたい」

 このトウモロコシがきっかけで、次年度からはトウモロコシの栽培計画はなくなった。その代わりに、トマトとミニトマトの栽培量が増えた。


 父と祖母も外から戻ってきて、同じように昼食をとった。

「トマトは小さいけど、味はまあまあだな」

 父はトマトを食べながら言った。

「トウモロコシはダメだい。 いくら待っても実ができない。 トマトはいいけど」

 祖母もトマトに関しては褒めた。

「ただねえ、早く食わんと、トリにつつかれちまうんでねい」

「大丈夫! トマトなら私が食べるから!」

「そりゃ頼もしいわい。 毎日食ってけんろ」

「もっちー」

 そんな話をして千春は部屋に戻った。たまたま今日は夏にしては気温がそこまで上がらなく、冷房なしでも過ごせるような気温であったため、部屋の窓を開け、網戸にした。やはり何もすることがないため、買いそろえていた漫画コミックを1巻から読んで時間をつぶした。

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