Cage

 今日は久しぶりに二人揃っての休日になる予定だった。苦労して土曜日に有給をねじ込んだのだ。

 くたくたになって家路に着いた金曜日きのうの夜、私を迎えたのはダンボールの数々と、悲しげに虚空を見つめる彼女の横顔だった。


ひいらぎ、どうしたのこれ」


 すでに全てのシナリオは見えていた。だからきっと、彼女の名を呼ぶ声も震えていただろう。

 おかえり、と律儀に挨拶をしてから、私を対面に座らせた。



 彼女の言い分はとてもシンプルだった。「このままではお互い駄目になる」。

 今年で二十五歳、そろそろ周囲は結婚だなんだという話で湧く年頃だ。それを憂いているわけではないけれど、個人的には結婚をしたい。子供を産みたい。そのためには、この生活が足かせになる。



 二年の共同生活に不満は全く無い。むしろ、今だって出て行きたくない。それでも、今のうちに終わらせないと、どんどん戻れなくなる。貴女の事は好きだし、完全に縁を切るつもりもない。だけれど、そろそろ別々の日々に帰ろう――。



 彼女は訥々と、時折言葉を選びながらも、殆ど抑揚のない声で喋りきった。涙をこらえているのだ、とすぐに分かった。

 二年間という月日は、短いようでとても長い。彼女の癖も性格も、すっかり把握してしまえている。



 すでに三十分ほど経っていて、彼女はからからになった喉をインカ・コーラで潤して、煙草に火を点けた。

 家に帰ってからは極力吸っていなかったし、吸う時は必ず外に出ていた。その暗黙の了解を破ったのは、あてつけなのか、それとも彼女も苦しんでいるからなのか。

 柊が換気扇のコードを引っ張り、屋内にはファンの回転音が低く響き渡る。



 ふわりと漂う、紅茶の香り。アークロイヤル・パラダイス・ティー。優しい煙の味は、慎ましい彼女にぴったりだった。

 話を聞き終えた時点では、私も彼女の意志を尊重するつもりでいた。しかし、この煙を感じた時、ふと、考えてしまった。



 今ここで別れたら、もうこの部屋には彼女の痕跡が無くなってしまう。お風呂上がりのシャンプーの匂いも、二人並んで見た映画の音も、この煙草の香りも。


「嫌だ……」


 握りしめた彼女の掌は、驚くほど冷たかった。



 その後、私はひどく感情的になって、ああだこうだと喚いていた。具体的にどんな言葉を投げつけたのかは覚えていない。



 ハッキリしているのは、彼女が生活必需品だけ車に積み終えていて、ひとまずそれだけ持って出ていってしまったということ。

 本当は二人の休日で一緒に荷運びをして、そこで別れるつもりだったけれど、私の出勤日である日曜日に回収することにしたということ。



 よって今日は、せっかく掴み取った有給を、彼女のダンボールを眺めながらぼうっと座り込むだけの時間が続いている。



 昨夜は殆ど寝られなかった。一人ぼっちの夜は久しぶりだった。

 お互い、会社の飲み会なんてほぼ出ていなかったし、帰りが遅くても不思議とどちらも寝ないで待っていたから。

 何となく点けたテレビでは、興味もないグルメ番組からニュース番組に切り替わった所だった。正午。流石に空腹感に襲われて、嫌々ながらも腰を上げた。

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