目の前の壁と旅の話
10年以上も昔の話だ。10年というと随分長い時間のように思うけれど、わりと記憶の内では最近のことのように身近に感じたりもする。10年以上も前に、僕は旅に出た。
一人旅というとどんなイメージがあるだろうか。なんとなく孤独だろうか。自分探しの旅ってやつに少しだけ憧れていたという理由もあったかもしれない。旅に出ようと思い立ったその瞬間について、僕はあまり良く覚えていない。ただ、そのころテレビで見たドラマか何かのエンディングで、日本の原風景を思わせるような田舎の細い道が映し出されていて、僕はこんな道を歩いてみたいと、そんな風に思ったのを記憶している。
とにかく前に進むのがつらかった時期でもあった。20代前半、社会人になって2年目とか、そういう時期だったと思う。(となると、僕の年齢もばれてしまうが、まあそれはいいとして……)目の前にはとてつもなく大きな壁があって、僕はその壁とどう向き合ってよいかわからなかった。だからその壁を乗り越えようと、訳も分からずもがいていたのかもしれない。
もともと、日本史や、歴史的建造物を見るのが好きだった。小学校のころから日本史が大好きで、高校時代、唯一まともに勉強していたのは日本史Bだ。(だがなぜ薬学部に進学したかはまた別の機会に話そう)
僕は、観光というよりはむしろ、そのような歴史を感じられるような場所に身を置き、自分と向きあう時間が欲しかったのかもしれない。結局のところ向き合うべき自分なんて存在しないのも分かっているのだけど、そうせざるを得なかった。
漠然と目的地は決まっていた。それは大国主命と天照大神をつなぐ旅。この日本史の原点ともいうべき神を祭る2つの神社、島根県は出雲大社と、三重県は伊勢神宮をつなぐ、そんな旅をしてみたかった。
取得できた休暇は3日間。2泊3日で出雲、伊勢を回れるような旅の経路、それも経済的に裕福とは言えない状況でどうするか。僕が考え付いたのは、長距離の移動はすべて寝台特急という、今から思えば少々無謀な計画だった。
季節は7月。海の日をまたぐ連休で、僕は旅の計画を実行に移した。前日の天気予報は中国地方の荒れ模様を伝えていた。でも僕は、現地に行けば何とかなるだろう、くらいに考えていた。もともと僕は傘をさすのがあまり得意ではない。どのみち濡れてしまう。
当時住んでいた練馬区大泉学園から西武池袋に乗り、池袋経由で東京駅に向かった。仕事が終わってから、急いで電車に乗り込み、東京駅に着いたのは夜の10時前だったろうか。売店で、夕食の弁当とペットボトルのお茶を買い込み、僕はサンライズ出雲という寝台特急の発着ホームへ向かった。
車内は狭く、個室と言えど、それはまるでカプセルホテルのようだった。室内で立ち上がることもできない。その狭い空間で、僕は目の前にそびえる壁のことを考え続けていた。風穴を開けるのか、そこから立ち去るのか、それともよじ登るか。
寝台特急は在来線特急であり、東京~出雲間は、まず東海道本線を走る。見慣れた景色だ。高校時代、仲の良かった友人らの多くは川崎、横浜方面に住んでいた。
僕は狭い室内で弁当を食べながら、自宅へ向かうであろう通勤客でこみあう駅のホームを眺めていた。
川崎、横浜、小田原、このあたりから通過する駅の電気も消え、外は真っ暗になっていく。闇に溶けていく。そう、そんな感じがした。僕は闇の中を高速で移動している。そして闇と同じになる。。僕の心の中にある闇に手が届きそうな、この旅の先にそんな少しの期待もあった。
いつの間にか眠っていたらしい僕は、列車のひどい振動で、起こされた。外は既に白みかけていて、朝を迎えつつあった。列車は倉敷から北上し、伯備線経由で島根県へ向かう。
僕は伯備線の車窓が好きだ。後に趣味となる写真を始めようかと思ったのも、この景色を記録に残したいと思ったからだ。小さな小川が、遠くに見える山々の隙間から、列車の線路間際まで流れて、その小川の両端には田園風景が広がる。その景色向こうにある人々の生活を想像しながら、僕は旅に出て良かったと思った。少し勇気を出して、ここに来て良かったと思った。
岡山から中国地方を縦断するような仕方で列車は走行し、やがて日本海が見えてくると、もう出雲は近い。宍道湖を通り過ぎ、出雲へ着いた頃には、東京を出発してから12時間以上が経過していた。
外は曇っていたが天気予報で騒いでいたほど雨は降っていなかった。僕は、出雲駅で一畑電鉄という単線に乗り換え、出雲大社へ向かった。天気がもつかどうか、そんな懸念はあったが、一畑電鉄に乗った直後くらいから、その懸念は現実へと変わった。車内の天井からは、水が漏れてくる。通気口から豪雨が入り込んでいるのかよく分からないのだけど、車内の床はびしょ濡れだった。窓ガラスに打ち付けられた雨の水滴で車窓を楽しむどころではない。とにかくものすごい豪雨だった。
神にも嫌われてしまっただろうか、僕はそんな独り言をつぶやいたのを覚えている。それでもいい、とことん嫌われてしまえ、と。だから僕は電車を降りても傘をささず、豪雨の中、徒歩で出雲大社へ向かった。前を向いてしっかり歩いた。雨で髪がぬれ頬に張り付く。でももう後ろを振り向かなかった。
神社に着くと、不思議と雨は小ぶりになったのが印象的だった。僕の上空の天気が不安定であるように、僕の精神的なバランスも不安定で、なんだか似ているなと思った。
出雲大社。初めて見たあの巨大な注連縄の下で、何を思うていたのか、今思い出そうとしても、はっきりとは分からないのだけれど、ただなんとなく、いろんなことがうまくいきますようになどど願ったのかも知れない。
出雲大社の参拝を終え、境内を散策しても、まだ時間が有り余っていた。僕はこの時に気付く。目的地を明確に定めたたは良いが、出雲大社と伊勢神宮に行くことしか考えていなかったことに。
出雲に戻っても、岡山に到着する寝台特急の時刻までかなり余裕がある。僕は、時間をつぶすために、このあたりを少し散策しようと思った。お土産屋のおばちゃんに、この近くでなにか観光できるような場所はないかと聞いた。できれば神社とか、そういう歴史的な場所が良いと言ったら、日御碕神社という場所を教えてくれた。
僕は、出雲大社の裏にあるバス停から、日御碕行きのバスに乗った。乗客は僕一人だった。こんな嵐の日に日本海を見たい人なんてよほどの物好きなのかもしれない。
日御碕には灯台がある。僕が灯台につくとまたしても天気が荒れ始め、荒れ狂う目の前の日本海は癒しの風景とは程遠いものであった。現実は厳しい。豪雨の中、日御碕神社を参拝し、びしょ濡れで出雲駅へ戻った。遅めの昼食を取った後、睡眠不足で疲れ果て、僕は駅の待合室で寝てしまった。
伊勢神宮へは名古屋を経由する。計画では岡山まで特急やくもで戻り、岡山から寝台特急で名古屋へ向かう予定だった。当時はまた東京~博多間で寝台特急が走っていたのだ。
岡山に着いたのは陽が落ちたころ。だから、たぶん夜の7時くらいだったのかもしれない。寝台特急が岡山を出るのは深夜1時前。だいぶ時間があった。僕は岡山駅で降りると、駅前の大通りを歩いた。岡山市街はわりと大きな都市だ。整備された区画と、そして大通りには路面電車が走っている。どこか広島と似た風景。
僕は大通りの先にある岡山後楽園を目指していた。時間的に予想はしていたものの、後楽園は既に閉園していた。不気味に光る岡山城のライトアップを眺めながら、そういえば夕食を食べていないことに気づく。何を食べよう、迷った挙句に駆け込むのは結局、松屋の牛丼だったりする。
日付が変わったころ、人もほとんどいない静かな岡山駅のホームに、寝台特急が滑り込んでくる。僕はイヤホンを耳からはずすとホームのベンチから立ち上がった。そう音楽を聞きながらこのホームに1時間くらいいた。
名古屋には早朝到着予定。だから寝過ごさないよう、乗車後、携帯のアラームを何度もチェックして、そして寝台に横たわった。疲れているというのはこういうことなんだと、あらためて実感した。
幸いにも寝過ごすこともなく、僕は少し早めに起きて、列車内でかくる頭を洗い、ひげをそり、歯を磨いた。寝台特急での移動はまともに風呂も入れないという致命的な問題を抱えている。7月の暑い時期、僕はひどい格好だった。
名古屋駅で下車、近鉄に乗り換え一気に鳥羽まで向かう。伊射波神社。おそらく、訪ねたことのある人はよほどの旅好きか神社マニアか地元の人だろう。自分もここへ行くつもりはなかったのだが、伊勢を乗り過ごし、終点の鳥羽まで来てしまったので、たまたま立ち寄ってみたのだ。天気は晴れとはいかないまでも、曇り空だった。
鳥羽駅からバスで安楽島へ。海に向かって小さな鳥居が立つ神社。海から小さな鳥居をくぐり、そして参道を登っていくと拝殿に着く。厳島神社のそれとは異なる少し不思議な場所。僕がカクヨムで公開した「エキヴォケーション」という小説のロケーションがこの伊射波神社だったりする。
伊射波神社を出て、鳥羽から伊勢に向かう途中、二見浦で下車した。夫婦岩で有名な二見興玉神社に立ち寄るためだ。まあ、こんな場所、一人で言ってもろくなことが無い。その後の状況は想像にお任せする。
伊勢神宮は内宮と外宮に分かれている。この旅では外宮を参拝し内宮まで徒歩で向かった。五十鈴川の流れとその上にかかる橋と鳥居、境内の木々に囲まれると、そこは空気が違って感じられた。降り出した霧雨が、僕の心を洗ってくれるような気がした。
さすがに内宮へたどり着いた頃は疲労と睡眠不足で、足も上がらず……という状態だった。ベンチに腰掛け、一息ついていると、友人から携帯にメールがあったのを覚えている。山陰地方で土砂崩れが発生し一畑電鉄が止まっているということだった。一日遅かったら、自分はどうなっていただろうか。伊勢から名古屋へ向かう近鉄列車の中、そんなことを考えながらいつの間にか寝ていた。
東京へ向かう新幹線が出発するまでの間、僕は名古屋の駅を出て、街の夜景を眺めていた。目の前にそびえる高層ビルを見上げながら、壁から逃げるでもなく、風穴を開けるでもなく、よじ登るのでもなく、壁は壁のまま、先に進めないのならそれもまたいいと思った。壁を伝って歩いてみるのも悪くない。いろんな生き方があるんだと僕は学んだ。生きている、それだけで選択肢にあふれている世界が確かにある。こうした考え方が、今の僕を支えている。努力すれば報われるなんて僕は思わないけれど、努力しているだけで既に報われている。そういう仕方で生きていこうと僕は決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます