――5――

 川瀬さんからのメールには、君島少年について彼女が調べた結果が記されていた。


 彼がK高校の生徒であること。住所と家族構成。父親が建設会社で働いていること。母親の高齢での出産。心臓病のために学校は休みがちで友達がいないこと、など。


 先輩との事故につながる情報はなく、引き続き調査中と締めくくられていた。


 K高校なら、私の学校の二つ隣の駅だ。君島少年は、あそこの生徒だったのか。


 私はグレーのスマホを手に取り、日記の続きに戻る。そこには紫さんへの恋慕ではなく、彼が超能力と呼ぶ力の実験結果が1週間連続で簡潔に綴られていた。


 ――どうやら僕は、紫さんを強く想ったときに、ちょっとだけ瞬間移動できるらしい。


 ――何度やっても跳ぶのは15センチが限界。定規で測ったから間違いない。


 ――跳ぶ方向には決まりがあるらしい。おそらく紫さんがいる方角だ。


 ――跳んだ後、すごく疲れる。体力を消耗する。心臓によくない。


 ――跳んだ先に物体があると、僕だけが体ごと弾き返される。物体はそのまま。


 ――弾かれるのは、同一空間に二つの物体が重なる物理的矛盾を修正するため?


 ――ティーカップが廊下で割れた理由が判明。それは瞬間移動した際、薄い襖を右手首が突き抜けたせい。そこで手を離したのでカップだけが襖の向こうに残されたのだ。


「15センチの瞬間移動? 紫さんがいる方角に跳ぶ……?」


 あの事故の1件がなければ、どれも信じられない話ばかりだ。けれど私にはそのすべてを受け入れられた。そうでなければこのスマホが今、私の手の中にあるはずがない。


 ――紫さんの元まで瞬間移動できたらいいのに。それならいつでも会えるのに。なんて中途半端な力だろう。僕の心臓のせい? だったら神様は意地悪だ!


 君島少年が珍しく感情を爆発させたのは、7月27日のこと。彼の日記は、この翌日で終わっている。次の29日が夏祭り――あの事故の日だからだ。


 まだ何もわかっていなかった。彼がなぜ、先輩の車に瞬間移動したのか。一番大切な部分は、何ひとつわかっていない。私は震える指で、最後の日記を開いた。



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 《7月28日(金) 一面雑草ばかり》


 実験を始める。日記なのに始める前に書くのは、僕に何かあったときのため。


 実験内容。瞬間移動した先に物体がある場合、物体の重量によって弾き飛ばされる力が増減するとわかった。これまでは襖が最大重量。それでも一メートルは弾かれた。跳んだ先に人でもいたら、どれだけ弾かれるのか確認する。


 僕の部屋では狭くて危険なので、実験場所は神主さんがいない近所の神社。


 境内の裏に雑草だらけの空き地と石灯籠がある。その石灯籠へ瞬間移動する。


 人は滅多に来ないから安心。タバコの吸い殻が落ちているのが気になるけど。


 距離を動画記録するため、スマホを設置して準備万端。さあ、実験開始だ。

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 《追記》


 僕は40分近く雑草の中で気絶していたらしい。弾かれた距離は驚きの約8メートル。無傷ですんだのは深い雑草たちがクッションになってくれたおかげ。


 でも、驚いたのはこの実験結果じゃない。動画を確認すると、そこに信じられないものが映っていた。いや、録音されていた。


 大変だ。S町の夏祭りは確か明日だ。紫さんを救わなければならない。


 明日の朝、紫さんの家を探しに行く。瞬間移動を使えば彼女のいる方角がわかる。家も見つかるはず。彼女に会って、夏祭りに行かないよう説得するんだ。


 僕が必ずあなたを守ります。だから待っていてください、紫さん。


 ――いえ、オリエマヤさん。

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 私は思わずスマホを手から落としそうになった。


「何で私の名前? 紫さんて私? だとしても、私を救うって、いったい何から?」


 日記には、もうその後の記述はない。私は疑問の答えを探して、スマホのカメラアプリを起動した。昨日も写真は確認していた。ほとんどは花の写真だったけれど、確か最後に動画があったはず。長い動画だったので、途中で見るのをやめてしまったのだ。


 その動画を確認する。45分もある動画だ。神社の境内らしき空き地で、君島少年が動画をスタートさせる映像で始まっていた。


 工事用ヘルメットを被った君島少年が、石灯籠に両手を添えて立つ姿を真横から映し出す。そのまま何事もなく3分経過。一瞬、彼の輪郭が前にズレたように見えた。


 それが15センチの瞬間移動なのだろう。直後に彼の体が突然後方へと吹っ飛び、画面から消えていた。車の中で見た、あの出来事と同じだった。


 君島少年は気絶したのか、境内の映像だけが続く。しばらく映像を進めると、画面の端に煙りらしきものが漂って見えた。姿はないが誰かが境内にいるらしかった。


 音を拾おうと音量を最大にすると、人の話し声が聞こえた。雑音混じりで聞き取りにくいものの、複数の男性がタバコを吸いながら会話をしているようだった。


『ところで例の儀式、今年の夏祭りでもやるんだろ?』


『何、その儀式って?』


『こいつ去年の夏祭りでさ、女を空き地に連れ出して、キスする振りして落とし穴に落としたんだよ。しかもその様子を動画で撮ってさ。鬼か、おまえは』


『落としたんじゃない。あっちが勝手に抱きついてきて、自分から落ちたの。だいたい動画を撮ったのはおまえだろうが。同罪だ、同罪』


 私の胸の中で、心臓がドクンと跳ねていた。今の声に聞き覚えがあったからだ。


『俺の彼女がクラスにウザい女がいるっていうんだよ。冴えないくせに、遊びに行くとき付いてきて困ってるんだと。だから自分の立場ってやつを思い知らせてやるだけさ』


『彼女って清原菫がか? 超かわいいのに、女って怖いねぇ。で、その生け贄は誰よ?』


『織江真夜って女。これがまたつまらない奴でさ――――』


 会話はその後も続いていたが、私は頭が真っ白で何も聞き取れなかった。


 先輩が私を誘ったのは、ただからかっていただけ。それを私は真に受けて、ひとり浮かれて……。先輩は清原菫さんと交際していて、私を嫌う彼女に悪戯を頼まれたのだ。


 私は菫さんこそが《紫さん》のイメージにぴったりだと考えていたのに……。


 もう何が何だかわからなかった。恥ずかしさと惨めさで居たたまれず、助けを求めて自分のスマホを手に取る。川瀬瑠衣は、最初の呼び出し音で電話に出てくれた。



◆◆◆



 嗚咽を漏らしながらすべてを話す私に、川瀬さんは黙って耳を傾けてくれた。君島少年の瞬間移動の部分だけは一度聞き返されたものの、後は何も言わなかった。


 私は30分近く話し続け、涙が涸れてきたころ、ようやくある疑問を思い出していた。


「君島少年の《紫さん》て、どうして私なのかな。私の名前に花なんてないのに」


『それはね、織江真夜をアルファベット表記して、逆さに読んでみるとわかるよ』


 川瀬さんの言葉に首を傾げつつ、私は自分の名をアルファベットで書いてみる。


――――《ORIEMAYA》を逆さにして《AYAMEIRO》


「あ、や、め、いろ……。あっ、アヤメ色っ! 私の名前に、花があった」


『いずれアヤメかカキツバタ。美しい花の代表だね。一般的に紫色のイメージかな』


「それで《紫さん》……。でも、変じゃない? 彼は私の名前をどこで知ったの?」


『そこなんだけど――。5月の下旬に私たち電車でばったり会って、挨拶したよね。たぶん君島優一君は、そのとき同じ車内にいたんじゃないのかな』


 電車内で突然川瀬さんにフルネームで呼ばれて、ちょっと恥ずかしかった、あの日か。


 それですべて辻褄が合う。じゃあ君島少年が初めて日記を書いた日、電車で彼のお母さんに席を譲ったのって、私? 私が席を譲ろうとして「大丈夫ですから」って断ったお年寄りって、彼のお母さんなの? あのとき彼も横にいたの?


 私は、彼が車に飛び込んできた時の姿を思い浮かべた。あの大量の汗は、朝から私を探すために、体力を消耗する瞬間移動を繰り返したからだろう。瞬間移動は私がいる方角へ跳ぶらしい。これを繰り返せば、いずれ私の家にたどり着けるはずだったのだ。


 ただ――。私はあの日、夏祭りのために地元から遠い美容院に行っていた。それで彼は私の家を見つけられず、夏祭りの会場までやって来たのだ。そこで再び瞬間移動の能力を使い、ようやく私を見つけたのは、先輩の車で海に向かう直前だった――。


 だから彼は賭けに出たのだ。重量のある車に瞬間移動すれば、彼の体は大きく弾き飛ばされる。傍目には派手な人身事故に映るから、先輩も私への悪戯どころではなくなる。


 あるいは先輩の正体を記録したスマホを、私に届けるのが先だったのかもしれない。


 いずれにせよ、彼のとった行動は命懸けだ。自分の身を顧みずに、私を助けようとしてくれたのだ。心臓病や喘息を抱えた、あの華奢な体で……。


『紫さん、紫さん、紫さん』


『神様、お願いです。ひと目だけ紫さんに会わせてください。夏休みの思い出は、それだけでいいです』


 日記の文面を思い出して、私の目からまた涙がこぼれ落ちた。


 何で君島君は、こんな私を好きになってくれたの? 私なんて、何の取り柄もないのに。冴えないし、ただの張りぼてなのに。私なんかのために、何で……。


 私は彼のために何もしていない。彼にどう報いていいのかわからない。ただただ申し訳なく、そして苦しい。胸が苦しい。張り裂けそうなほど、苦しい。


「ねえ、私、どうしたらいいのかな? 君島君に、何をしてあげられるかな?」


『そんなの、とっくに答えは出ているんじゃないの? 織江真夜さん』


 川瀬さんは優しい声で言うと、君島少年が入院している病院名を告げ、電話を切った。

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