――4――

 夕食の準備のために母との買い物に付き合わされ、私が解放されたのは夕食後。


 初見先輩とはまだ連絡が取れなかった。昨日の事故から、もうまる一日がたっている。


 私が海へのドライブなんて断っていればと思うと、申し訳なさで胸が締めつけられる。


 私は君島少年のスマホを握り、日記の続きを読み始めた。天使さんとの未遭遇の書き込みが四回連続し、彼女が日記に再登場したのは5月も下旬になってからだった。



-------------------------------------------------------------------------------

 《5月22日(月) アジサイ間近》


 久し振りに天使に会えた。相変わらずの天使っぷり。眼福ここに極まる。

-------------------------------------------------------------------------------



 しかも今日、天使の名前を知った。ありがとう神様。今度お詣りに行きます。


 素敵な名前。名前の中に花の名がある。その花のイメージは紫。だから今から彼女を「紫さん」と呼ぼう。本名を書いて、誰かにバレたら恥ずかしいしね。


 天使さんの名前の中には、花の名前があるらしい。私は記憶にあるクラスメイトの中から、花の名前を持つ女子をピックアップしてみた。


 菊池由衣さん。遠山桃香さん。清原菫さん。神谷桜子さん。


 その中で紫色の花というと――菫さんだろうか。スミレ色って紫色だし。


 菫さんはかわいらしいタイプの美少女だ。私にも笑顔で接してくれ、何度か一緒に遊びにも行った。彼女なら君島少年の日記に出てくる天使のイメージに近いかもしれない。


 その後7月中旬までの間、日記は13回不定期に書き加えられていた。そのうち紫さんと遭遇したのは3回だけ。それでも新たにわかったこともある。


 彼は心室中隔欠損症という心臓病で、喘息も患っていた。学校へ通うのは週に1回から2回ほど。日記は電車通学した日にだけ書かれているため不定期なのだ。


 日記が進むほど、彼の紫さんへの想いが募っていく様子も感じとれた。こんな文章だ。


 ――彼女は高嶺の花。僕のようなノボロギクは、けして寄せ植えにされることはない。


 ――胸が苦しい。心臓病のせいじゃなく、彼女を想うと苦しい。


 ――これって恋の病? 本やドラマで知ってはいたけど、まさか実在するとは。


 君島少年は、これまで恋をした経験がないのだ。私も初見先輩に出会うまでは、恋愛なんて憧れの世界でしかなかった。だから彼の気持ちがよくわかる。諦めないでと応援したくなる。一方で、日記には少し気になる記述も増えていた。


 ――紫さんを想うと、体が宙に浮いたような感覚になる。


 ――浮遊感の後に虚脱感。恋ってこういうもの? 紫さんの魅力のせい?


 他にも『眩暈で尻餅』とか、『一瞬視界がブレた』とか、心配になる文章だ。


 落ち着かない気持ちで日記を読み進め、ある異変に行き着いた。



-------------------------------------------------------------------------------

 《7月20日(木) 日々草満開御礼》


 本日終業式。明日からは夏休み。紫さんには九月まで会えない。茫然自失。


 紫さん、紫さん、紫さん。


 神様、お願いです。ひと目だけ紫さんに会わせてください。夏休みの思い出は、それだけでいいです。他には何もいりま

-------------------------------------------------------------------------------



-------------------------------------------------------------------------------

 《追記》


 さっきの日記の途中、眩暈で倒れた。畳の上に仰向けに。けっこう派手に。


 体と左手に握っていたスマホは無事。右手のティーカップだけ廊下で粉々。


 でも何で? 僕は階下の母に呼ばれ、日記を書きつつ部屋から出る直前だった。まだ襖を開けていなかったのに、どうしてティーカップが廊下に?


 神様。これって超能力ですか? それとも壁抜けの術でしょうか?

-------------------------------------------------------------------------------



 途中で日記が終わったかと思うと、続く《追記》で様子がおかしくなっていた。


「何なの? 超能力とか壁抜けの術とか、まるで中二病みたい……」


 君島少年に共感すら覚え始めていたのに、どこか裏切られた気持ちになる。


 一方でふと、私の脳裏にひとつの光景が思い起こされた。


 事故の時、彼の左手首だけが車の窓を突き抜けたように見えた、あの光景が――。


 心臓がドキドキと鳴っていた。ようやく探しものを見つけた気がしたのだ。


 川瀬さんからメールが届いたのは、ちょうどそのときだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る