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 さて、ここで問いかけたい。上野亜珠美うえのあすみは僕のことを好きだろうか?


 デートをし、連絡先を交換した。週の半分を遊びに誘われた。恋バナもして、現在彼氏がいないことも向こうから言ってきた。なおかつ、男である僕の部屋に遊びに来て、ベッドの上でショートパンツから伸びた脚をパタパタさせていた。


 答えは明白だろう? 

 じゃあ、答え合わせをしよう。



「ごめんなさい」



 正直に言おう。意味が分からなかった。


 いつもはこちらが気後れするほど僕の目をじっと見てくる亜珠美先輩は、僕の「好きだ」という直球の告白に、今は気まずそうに目を逸らしていた。


「……え? だって……今こうやって、僕の――男の部屋に二人きりで亜珠美先輩はいるんだよ?」

「それは……君ならいきなり襲ってこないと信用していたから」


 それを聞いても、僕の混乱は収まらない。


「え? え? 好きでもない人の家に、亜珠美先輩は遊びに行くの?」

「あ……君のことは、うん、好きだよ。でも、それは異性としてじゃなくて、友達として……」


 友達。

 友達って、何?

 僕は知らない。女性との、こんな友情の形を知らない。


「……亜珠美先輩、僕といるときいつも笑顔でいてくれたよね? 楽しかったよね?」

「……うん、楽しかったよ。そうじゃなきゃ一緒に遊ばないよね」


 何だろう、それは?

 つまり、僕に向けていた笑顔は、何ら特別なものではなかったということ? 誰にだってあんな魅力的な笑顔を向けられるということ?


「言い訳するようだけど……初めから言っていたよね? 取材だって。……それにね、こう言ったらなんだけど、君はあたしじゃなくて、声優のあたしが好きなんだと思うよ」

「そんなこと――!」


 ない。と、はっきり断言できるだろうか?

 アイドル声優だからと興味を持って、グッズを集めていた僕が。


「僕は……」


 けれど、気持ちは収まらない。収まるはずもない。


「僕は! こんなに楽しく話せる女子は、亜珠美先輩が初めてだったんだ!」


 それだけは間違いない。僕にとって亜珠美先輩は特別だったことには、間違いない。


「ありがとう。でも――」


 ベッドの上で正座している亜珠美先輩は、申し訳なさそうに、言う。



「――あたしは……普通だったよ」



 …………ああ。ようやく分かった。


 僕にとって、まともに話せる女の子なんて初めてだし、ここまで気兼ねなく話してくれた子も初めてだし、デートしたのも初めてだ。全部が全部、初めてだった。


 でも、亜珠美先輩は違うのだ。たくさんの男子と楽しく話せるし、男子と二人で出かけることは特別ではないし、安全な相手の家なら遊びに行けるのだ。彼女のことをかわいいと言う人はたくさんいて、好意を寄せる人はいくらでもいて、それが彼女にとっての日常なのだ。


 初めから分かっていたじゃないか。


 童貞の僕と、女子高生声優様の亜珠美先輩とは、圧倒的な壁があるって。


「…………でも――」


 僕は、まだ諦められずに、口を開いてしまう。まったくバカだ。おかげで亜珠美先輩は、僕にトドメを刺すしかなかった。

 亜珠美先輩は、本当に苦しそうな顔で言うのだ。



「あのね。――あたし、君の下の名前さえ知らないんだよ?」



 さすがに、ショックで体が冷たくなるのを感じる。


 親しくなったつもりで盛り上がって、きっと亜珠美先輩も僕のことを好きに違いないだとか思って、でも実際のところ僕は、下の名前どころか、名字で呼ばれたことさえなかった。


 それが僕らの、正しい距離だった。


 これから僕らはどうなるのだろう?

 友達になる? 無理だろ。だって僕は、一度も先輩を、友達として見たことがない。女としてしか見たことがない。


 だから、告白が受け入れられなかった以上、僕らの関係は終わりなのだ。いや、そもそも始まっていない。この数日間、どれだけ仲良くなったつもりでも、それは幻想だった。僕は亜珠美先輩に接しているつもりで、実は一人妄想の世界にいた。

 はは……いつものエロ小説を書く行為と大して変わらないじゃないか。まさにキモヲタだ。


「ふ、ふふ……ふふふ……ふふふふふ」


 そう、僕はキモヲタなのだ。気持ち悪い存在なのだ。何を取り繕う必要があろうか!

 どうせもう、亜珠美先輩との関係が終わるなら、キモヲタらしく自分の欲望に忠実になろう! なってやろう!


 僕はiPhoneを取り出し、音声ファイルを開く。何度も聴いて、エロ小説を書くモチベーションにした音声を流す。



『ユウ君、起きて! もうっ、遅刻しちゃうよ!』

『ユウ君、あのさ……キスってしたことある?』

『ユウ君、大好きだよ』



「え? 何これ……。あたしの声……?」


 怪訝そうに眉をひそめる亜珠美先輩に、僕は土下座をし、ボイスレコーダーを差し出す。亜珠美先輩の、推定15センチのものを思いっきり貪り見て、僕は言い放つ。



「『ユウ君、大丈夫? おっぱい揉む?』って、吹き込んでくれる?」



 そうして僕は、見事なまでの往復ビンタをされ、一夏の恋を終わらせた。


               *****


『ユウ君、大丈夫? おっぱい揉む?』


「ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 亜珠美先輩の帰宅後、僕はベッドの中で絶叫し、暴れ回っていた。


「あの人は、最高だ。最高の声優だ!」


 亜珠美先輩は、振った負い目もあったのだろう。往復ビンタをされても土下座を続けて頼み込んだ姿に押されて、ドン引きながらも、しかし本気の演技で、ボイスレコーダーにこのボイスを入れてくれたのだ。


「言ってみるもんだぜ! ありがとうありがとう、圧倒的感謝……!!」


 声優上野亜珠美様、これからも僕はあなたのファンを続けます。毎月のお小遣いの三分の二をあなたに捧げ続けます!



 いつの間にか蝉が鳴き始めている。単純に暑させいで嫌いな季節なのだが、今夏だけは晴れやかな気分で過ごせそうだ。僕はそれだけこの夏、頑張った。


 正直、これは負け惜しみでも何でもない本音だけれど、僕はこの結果に安堵していた。付き合うなんてなったら、本当はどうしたらいいか分からない。ずっと苦労し続ける羽目になっただろう。何せ僕は、根っからのキモヲタなのだ。


 だからそのうち僕に、女の子に振られない季節がやってくるとしても、それはきっと、ずいぶんと先の話だろう。

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