#2
次に図書館を訪れたとき、今日は空いているなと思った。閲覧席を見回してみれば、ちらほら空席がある。案外曜日に左右されるのかもしれない。
座る席に心配がないとわかると心にも余裕が出てきて、僕は席を探すついでにあの文学少女――高坂泪華の姿を探した。
(あれかな?)
すぐに見つかった。今の僕の位置に背を向けるようして座っている。後ろ姿だがおそらく彼女で間違いないだろう。
そして――見れば、高坂さんの正面の席が空いていた。
次いで思い出すのは、あの日の彼女の言葉。
――よかったら、また近くに座って?
勉強の合間の休憩を有意義なものにするため、また近くに座れという。
(でも、こういうのって男の僕からすればワナとしか思えないんだよなぁ)
本気にして気軽にそばに寄っていったら、「なに調子に乗ってんの」「社交辞令を真に受けちゃって」なんて思われそうで怖い。
結局、僕は自分の心に従い、高坂泪華から離れた席に座った。
§ § §
二日続けての図書館。
今日は、座る席に困るほどではないが、ほどほどの混みようだった。やはり曜日によって差があるようだ。何が左右するのだろう。その日の授業だろうか。
ひとつ、珍しいことがあった。
高坂さんがいないのだ。
(ま、そういう日もあるか)
僕とて毎日きて、毎日彼女の姿を確認しているわけではない。してたらストーカーだ。僕が知らないだけで、高坂さんだって図書館に足を運ばない日もあるのだろう。
そう思い、僕は近くの空いていた席に腰を下ろした。
六人掛けの平テーブル。僕の正面は、今は空席。でも、いずれ埋まることだろう。
そうして勉強をはじめてしばらくしたときだった。
「前、いいかしら?」
澄んだ声音に耳朶を打たれ、顔を上げれば――そこに高坂泪華がいた。心なしか表情が険しいような気がしなくもない。
「ど、どうぞ……」
ちょっとばかり気圧されながら僕がそう答えると、彼女は無言で着席した。……確かに席はすぐに埋まった。まさか高坂さんだとは思わなかったが。
高坂さんはさっそく鞄からテキストやノート、電子辞書などを取り出し、勉強の用意をはじめる。が、どことなくその動作のひとつひとつが荒っぽい。……どうも機嫌が悪そうだ。
「……」
しかし、触らぬ神に祟りなし。こういうときは迂闊に触れないのがいちばんだ。女の子相手なら特に。
が、ふいに。
「羽藤くん」
呼ばれて彼女を見る。当然、向こうもこちらを見ているのだが、あまりにもじっと見つめてくるものだから思わずたじろいでしまった。
「昨日もきてたのね」
「え、どうしてそれを?」
「勉強が終わって帰ろうとしたら、あなたを見つけたの」
「……」
僕が彼女に気づいている以上、彼女が僕に気づくのも道理か。それを言い出したら、そもそも最初からそうだったな。まるでニーチェの深淵だ。
「わたし、言わなかったかしら? 次も近くに座ってって」
本気だったのかよ。まさしくワナだな。いや、でも、あんなの普通の男なら本気にしないだろう。それとも僕だけか?
「そう言えば、そんなことも言ってた気がするかな」
「……」
高坂さん、無言。
突き刺さる視線が痛すぎて、我知らず乾いた誤魔化し笑いが漏れそうになる。
「……仕方ないから、今日は少し遅くきたの」
なるほど。そうして先にきている僕の前に座ったわけだ。
もしかして不機嫌なのは僕のせいだろうか? 今さらながら、彼女の言葉を無下にした自分を猛省する。
「ちょっと本を探してくるかな」
僕は耐えきれなくなって、逃げるように席を立った。
しかし、程なくして僕は頭をひねりながら戻ってくることになる。
「どうかしたの?」
そんな僕に高坂さんが尋ねてきた。先ほどまでの怒りは収まったのか、それとも一時棚上げか。
「探してる本が見つからなかったんです」
「OPACで調べた?」
「おぱっく?」
聴き慣れない単語が彼女の口から飛び出し、僕は鸚鵡返しに聞き返す。
「Online Public Access Catalog。要するに蔵書検索のことよ」
「ああ、それならもちろん」
本を探しにいくという口実で高坂さんから逃げた以上、手ぶらでは帰れないし、丁度いま勉強している箇所で参考になる本がほしいと思っていたので、蔵書検索用のパソコンで探したのだ。
「貸出中じゃないの?」
「ではないと思う」
そこもちゃんと見た。状態が『貸出可』となっていたから書架に取りにいったのだから。
「配架場所は合ってる?」
「配架場所?」
途端、高坂さんが深々とため息を吐いた。
「羽藤くん、どこを探したの?」
「二階のメインのエリア」
「もっとよく見なさい。資料を取りにいくときは、配架場所と請求記号を確認するの」
基本よ、と高坂さん。
「図書館にはいろんな配架場所があるの。教科書コーナー、文庫本コーナー、問題集、参考図書……」
参考図書コーナーなら知っている。一階にある。前にちょうどいい古語辞典があったので借りようと思ったら、カウンタで「これは禁帯出資料です。館内での閲覧か必要箇所の複写だけでお願いします」と言われた。あのあたりの本は借りれないらしい。
「それでよく今までやってこれたわね」
「……」
反論の言葉もない。
実を言うと、僕はそれほど本を借りたことがない。だから、その借りた数冊がたまたまぜんぶ二階のメインエリアにあったのだろう。
「あなたはもっとちゃんと書誌を見るべきね。いろんなことが書いてあるわよ」
なぜかその言葉は意味深に聞こえた。
「そうなんですか?」
「ええ。出版年や出版者、ページ数、分類、件名、注記。雑誌なら刊行頻度、継続前誌、継続後誌――」
「……」
ダメだ。出てきた単語の半分も意味がわからない。
と、そのとき、
「すみません。話が長くなるようでしたら、ロビーでお願いできますか」
年配の女性図書館員だった。さっきから近くで本を配架していたのは僕も視界の隅にとらえていた。いいかげん見かねて注意しにきたようだ。
「あ、すみません……」
僕と高坂さんは、異口同音に謝った。確かに、少し話が長くなりすぎたか。
見れば、高坂さんも同じことを思ったのか、彼女は反省した様子でテキストとノートに視線を落とし、勉強を再開していた。本の検索に関する講義は終わりらしい。僕としては少し興味をもちはじめていただけに、ちょっと残念だった。
そう思っていると、高坂さんがぽつりとひと言。
「教科書コーナーじゃないかしら、羽藤くんが探してるの」
つまり根本的に探す場所を間違っていた可能性があるわけだ。
「後でいってみます」
「それと――」
さらに彼女は言葉を継ぐ。
「図書館についてわからないことがあれば、わたしに聞きなさい」
「……はい」
何となく、高坂泪華とは長いつき合いになるような気がした。
§ § §
さて、後日のこと。
僕は図書館の蔵書検索用のパソコンで本を探していた。
探しているのは勉強に使うための資料ではなく、文庫サイズの小説だ。唐突に昔一度は読みたいと思ってそのままになっているベストセラー小説のことを思い出し、もしあれば借りようと思って検索しているのだ。
「お、あるな」
見事ヒット。さすがベストセラー小説。
配架場所は当然、文庫本コーナーだ。これと請求記号さえわかれば十分なのだが……。
(そう言えば、書誌をよく見ろと言ってたな)
因みに、そのときはあまりにも知らないことだらけすぎて恥ずかしくて聞けなかったのだが、書誌とは要するに資料の詳細が書かれた検索結果の画面のことのようだ。
「著者に……出版者? 出版社じゃないのか? 刊行年が――」
このあたりは一度興味をもった身として、既知の事項だ。表題言語、日本語。本文言語、日本語。なんだ、こりゃ? こんなものわざわざ書く必要があるのか?
と、思っている僕の目に、それは飛び込んできた。
大きさ 354p ; 15cm
へぇ、文庫本って15センチなんだな。自分の人差し指と親指を広げてみて、確かにこんなものかと納得する。
「ん? 15センチ?」
と、そこで僕は思わずつぶやいていた。
それをきっかけに、高坂泪華の言葉が頭をよぎる。
――15センチの中にいろんなものが詰まってるから
なるほど。彼女が言った15センチとは、このことだったか。
確かにこれだったら15センチの中に悲喜交々、いろんな
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