「Xp ; 15cm」 九曜

#1

 彼女は言った。

「15センチの中にいろんなものが詰まってるから」




           §      §      §




 この僕――羽藤要はとうかなめは、別段大学図書館が好きというわけではない。

 ましてや、入学した大学の図書館が充実していて、図書館好きに転向したわけでもない。


 ただ、勉強するための空間としては気に入っている。己の趣味に彩られた自分の部屋と違って雑音ノイズが少なく、周りにあるのは学習のための本ばかりだ。実に勉強が捗る。


 そんなわけで最近の僕は、その日の講義が終わると、特に用がない限り自然と足が図書館に向かうようになっていた。


 因みに、正確には図書情報館と呼ぶらしいが、僕には図書館との違いもわからなければ、なぜ図書館ではだめなのかもわからなかった。


「かわいい女の子でもいるのか?」


 足繁く図書館に通う僕に、そんなことを言う友人もいる。失礼なやつだ。僕は純粋に図書館を勉強の場として利用しているというのに。


 でも、実はあながち間違いでもなかったりするのだが……。





 僕は図書館に入ると二階に上がり、閲覧席を見回した。


(いた……)


 そして、ひとりの女の子を見つける。


 落ち着いた感じの文学少女然とした女の子だ。目立つタイプではないが、よく見ればとても美人だった。大人っぽい容姿を見るに、たぶん上級生だろう。三年生あたりか。


 僕がここに通うようになって数日がたったころ、閲覧席に必ず彼女の姿があることに気づいた。いつも同じ席に座っているわけではないが、でも、見回してみればたいていどこかに彼女の姿があった。


 もちろん、毎日通っている学生はほかにもいることだろう。でも、一度気づいてしまうとどうしても彼女のことが気になってしまい、こうして姿を探すのが習慣とささやかな楽しみになっていた。


 しかし、姿を探しはしても、声をかけたり近くに座ったりするつもりはなかった。ストーカーじゃあるまいし。僕は、そして、彼女だって、ここに勉強をしにきているのだから。




 さて、大学図書館というのはその性質上、定期試験が近づくにつれて利用する学生が増えてくる傾向にある。その増え方も徐々になので最初は気づきもしないが、ある日突然「多っ!?」と思うのである。きっと普段は近づきもしない連中が、必要に迫られてやってきているのだろう。


 おかげでその日は、いつもの習慣とささやかな楽しみよりも先に、座るところの心配をしなければならなかった。空いている席を探すため、3×2の六人掛けのテーブルの並ぶ閲覧席を見回す。が、どこもかしこもいっぱいだ。そうしてようやく見つけた席は、なんとあの文学少女の前だった。


「……」


 思わず考え込んでしまう。


 さて、どうするべきか? とは言え、選択の余地はないに等しいし、考えているうちに誰かに座られてしまったら、唯一の選択肢すらなくなってしまう。


 数秒の逡巡の末、僕はそこに座ることに決めた。

 まさか今まで避けてきた彼女のそばに、やむにやまれぬ理由で座ることになるとは。


「前、いいですか?」


 僕は、彼女が勉強するそのテーブルに近づくと、声をかけた。


 彼女は顔を上げ、僕を見てわずかに驚いた顔をした後、


「ええ、どうぞ」


 笑顔でそう言ってくれた。

 ほっと胸を撫で下ろし、僕はさっそく席に着く。


 勉強の準備をしながらさり気なく正面に目をやれば、彼女はもう自分のテキストとノートに向かっていた。


 先ほどの笑顔はとても魅力的だったが、その前の驚いた顔はなんだったのだろう? やはり声をかけたのは不自然だったか。僕も少なからずそう思う。閲覧席なんて誰のものでもないのだから、彼女にしてみれば「勝手に座れば?」だろう。


(ま、友達のために席をとってるかもしれないしな)


 と、自分で自分に言い訳をしておくことにする。




 すぐ目の前にいる彼女が気になるところだが、案外勉強をはじめてしまえばどうにかなるもので、しばらくしたら忘れてしまっていた。


 そうして集中して勉強を続け、ひと区切りついたところで時計を見てみれば、はじめてから二時間がたっていた。


 顔を上げて、ひと息。

 そして、正面にいる文学少女を見て、あぁそう言えば今日はこういう環境だったな、と思い出した。


 と、そのときだった。淡々と勉強をしていた彼女の手がとまった。シャーペンを置き、力を逃がすようにして呼気をひとつ。そうして顔を上げ――僕と目が合った。


「そう言えば、初めてね。こうして近くに座るのは」


 そう言って、彼女は笑顔を見せる。


「僕のこと、知ってるんですか?」


 思いがけない言葉に、僕は反射的に聞き返していた。


「だって、あなたもわたしのことを知ってるでしょう?」

「え? ええ、まぁ」


 まるで毎日のように彼女の姿を探していたことを見透かされているかのようだ。僕は恥ずかしくなって、自然、発音が曖昧になった。




「じゃあ、そういうことよ」




「よかったらロビーに行きましょうか」


 館内は基本的に私語は厳禁だ。もちろん、皆が皆それを守って静まり返っているわけではないが、反対に形骸化しているわけでもない。大きな声で話していたら図書館員に注意されるし、小さな声なら許容されるが長くなるようなら外に出るのがマナーというものだろう。


 つまり、外で話をしようと言っているのだ。


 彼女は僕の返事も聞かずに、イスから立ち上がった。





「わたしは高坂泪華こうさかるいか。親しい友達からはルイとかルカなんて呼ばれてるわ。……あなたは?」

「羽藤要です」


 僕らは場所をロビーに移すと、まずは名乗り合った。


 ロビーには小さなテーブルとイスがいくつかあり、ここなら私語はもちろんのこと、飲食も認められている。僕たちは隅にある自販機で缶コーヒーを買ってから、テーブルのひとつに着いた。


「図書館は好き?」


 彼女――高坂さんは僕に問うてくる。


「別に、そういうわけではないですね。ただ単に勉強するのにいい環境だなと思って通ってるだけです」

「それは残念」


 と彼女は言うが、言葉とは裏腹にさほど残念そうではなかった。むしろ微笑。僕みたいなやつもいるだろう、くらいにしか思っていないようだ。


「そういう高坂さんは?」

「もちろん、好きよ。とてもいいところだわ」


 迷いなく言う彼女。


「どういうところがですか?」

「そうね――」


 と、そこで一度言葉を切った後、彼女はこう続けた。




「15センチの中にいろんなものが詰まってるから、かしら」




 15センチ?

 15センチとは何なんなのだろう? 意味がわからず高坂さんを見るが、彼女は相変わらず笑顔を浮かべたままで、説明する気はさらさらないように見えた。


「そう言えば、ここって図書情報館っていうんですね。図書館とどう違うんですか?」


 僕は話を変えるようにして、ずっと抱いていた疑問を図書館好きらしい彼女に投げかけてみた。


「それを考えるには、図書館が何を提供しているかを考える必要があるわね」

「図書館が……?」


 図書館が何を提供しているかなんて、そんなの決まっている。


「本じゃないんですか?」

「それもあるわね」


 と、高坂さん。


 その言い方だと、間違いではないがほかにもある、というところなのだろう。


「図書館にあるのは本だけじゃないわ。音楽CDやDVDといった視聴覚資料もあるし、電子ジャーナルやデータベースのような電子媒体も閲覧できる。ネットのできるパソコンもあるわね」

「確かに」


 キャンパス内にはパソコンの並ぶ実習室がいくつかあるが、この図書館の中にも情報教育端末がある。当然、大学が契約している各種電子リソースにアクセスできるはずだ。僕はまだ使ったことはないが。


「じゃあ、それを踏まえた上で、図書館は何を提供しているか。――それは『情報』よ」


 高坂さんはきっぱりと言った。

 そこで一度、彼女は缶コーヒーを口に運び、喉を潤した。


「本も情報だと言えるけど――仮に有形のものを図書、無形のものを情報と呼ぶとすると、昨今の図書館は、図書が四割、情報が六割と言われてるわ」

「なるほど。図書情報館という名前は、実状に合わせたものなんですね」


 図書館は図書のみを扱うに非ず、広く情報を扱う場所である、と。


「そういうこと」


 高坂さんは満足げにうなずくと、再びコーヒーを呷った。缶をテーブルの上に置くと、それはずいぶんと軽い音がした。飲み干してしまったようだ。


「戻りましょ」


 彼女は、それが合図であったかのように、立ち上がった。相変わらずこちらの返事を聞かないので、僕も慌てて高坂さんの後を追うようにして席を立った。


 僕たちは空になった缶をゴミ箱に捨ててから閲覧席に戻った。


 缶コーヒー一本を飲む間の、十分少々の休憩だった。





「じゃ、お先です」


 それからしばらく勉強をし、一段落ついたところで今日は切り上げることにした。続きは家で……かどうかは不明。自分ではなかなかに充実した勉強ができたと思っているので、帰ってからはもうしないような気がする。もっと試験が迫ってきたらこうもいかないだろうが。


 荷物をまとめてから高坂さんに声をかける。彼女はまだ帰らないようだ。普段も、僕より先に帰ってしまうこともあれば、僕が帰るときでもまだ勉強を続けていることもある。


「考えたのだけど――」


 と、僕の声に顔を上げた彼女から、そんな言葉が返ってきた。


 勉強をしている間、時々彼女の姿が目に入ったが、いつ見ても淡々と勉強しているふうだった。それなのに何かを考えたのだという。




「よかったら、また近くに座って?」




「何かありますか?」


 もちろん、こんな美人の先輩にそう言われるのは嬉しい。でも、図書館という場所柄、私語は厳禁。並んで座ったところで、楽しくおしゃべりをしながら勉強できるわけでもなし。今の会話だって、あまり長く続くと図書館員が注意に飛んでくることだろう。


 そして、何より僕は「これはワナだ」と思っていた。


「合間の休憩が有意義なものになるわ」

「有意義、ですか?」

「ええ、有意義。文庫本コーナーを見て回るよりは有意義だわ」


 どうやら高坂さんは、勉強の合間の休憩がてら文庫本コーナーをぶらついているらしい。図書館を勉強に利用しているだけでなく、基本的には本好きのようだ。


「考えておきますよ。……じゃあ」

「ええ、またね」


 こうして僕はこの日、高坂泪華と邂逅し、別れた。

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