4段目


 目を上げると、山のように積み上げられていた与の重はひとつ残らず消えていた。

 蔵には、先人の使った道具や、きちんと四段揃った重箱が、厳かに並べられている。

 親父に訊ねてみると、与の重を封印するなんて風習は存在しないという。

 昔あった火事についてだって、親父の代まではなにも伝わっていないようだった。

 歴史が変化した――ということなのだろうか。

 であれば、千代はあの日、火のなかから脱出できた、ということなのか。


 誰も答えをくれないまま、一月が経った。


 蒔絵の練習をしても、それをけなしたり、褒めたりしてくれる少女はいない。

 もやもやとした気持ちは晴れず、俺の足を蔵へと運ばせた。

 昔の記録でも残っていれば、あの後どうなったか分かるかもしれないと思ったんだ。

 蔵の奥まで入り、大昔からそのままになっていると思われる一角を初めて調べた。


 俺はそこで――美しい金色の花を見つけた。


 四段の重箱。描かれている題材は桜ではなくて菊だったけれど、それは見間違えようもなく千代の仕事だった。

 俺は重箱をバラバラにすると、与の重をのぞき込んだ。

 その重箱は……、残念ながら明治時代には繋がっていなかった。

 けれど代わりに、腐らないように飴色の透き漆でコーティングされた、ガリガリ君の当たり棒がしまわれていた。



「生きて、いたんだな……」



 心配が安堵に、希望が確信に変わった。

 きっと千代はあの後、明治を、大正を、昭和をたくましく生き抜いたんだ。

 俺は嬉しくなって、当たり棒を強く握りしめた。

 生きていてくれて、良かった。

 そう思った瞬間、涙がこぼれていた。

 頬を拭いながら、改めて気づかされる。俺は千代のことを好きだったんだと。

 この想いはきっとこれからも変わらないだろう。


 もう二度と――彼女に会えないとしても。


 コツ、コツ……。


 背後で妙な音がしたのは、そのときだった。


 コツ、コツ!


 今度は、さっきより強い。

 規則性があって、なにかを催促するかのような人の意思を感じる。

 蔵には俺以外、誰もいないはずなのに。


 音のするほうへ進むと――大きな大きな重箱が、他の荷物に埋もれていた。


 それこそ、少女ひとりが充分に通り抜けられそうな大きさの。



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